東方魔法録   作:koth3

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駆け抜けろ、退き口を

 視界が前へ流星の如く流れていく。何が起きたのか、ネギは一瞬分からなかったが、すぐに気がついた。背中をおす感覚、耳元で吹き付ける風音。ネギは、吹き飛ばされている。

 目を見開き、身じろいでしまう。身体のバランスが崩れる。

 空中で旋回し続ける体勢を立て直すため、体内を巡る魔力を圧縮し噴出することで、直ちに姿勢を安定させる。強化を施した足で地面へと叩きつけ、慣性をアンカーのように大地でかき消す。舗装された地面が掘り起こされていく。大地に二本の線を残して数メートル後退したところで、ネギの身体はようやく止まった。

 

「ネギ、……今、何が起きたの?」

 

 明日菜の言葉に、ネギは息も荒く首を振るしかできなかった。

 吹き飛ばされたネギ自身、何をされたか分からなかった。

 身体のどこもダメージはない。殴られたわけではないだろう。では一体何をされたのか。それが分からない。ネギの優秀すぎる脳ですら、何も分からない。だからこそ震えを抑えきれない。

 いつ、なにかをされても、ネギには抵抗の手段がない。

 なんとか説明をつけようと、似たような現象をネギが知りうる限りの魔法から探す。しかし、ダメージを与えることなく、人を十数メートル吹き飛ばせるような魔法はない。ものを飛ばすだけならば、念力という魔法がある。しかしもし念力だというならば、出力が足りなさすぎる。念力という魔法は、精々小物を数メートル動かす程度の魔法だからだ。

 いや、悠長に考えている暇はない。ネギはすぐさま構えをとると、意識的に息を整える。一つ、二つ、三つ。呼吸を繰り返すごとに、思考は落ち着き、精神は澄んでいく。肉体もそれに呼応し、戦闘の準備を終える。凝り固まった筋肉に、戦闘の熱気が注ぎ込まれていく。

 身体の熱が、ネギの困惑した心を焼き尽くす。

 

「ほう。普通の魔法使いにしては、きちんと肉体鍛錬も積んでいるか。善哉、善哉」

 

 蒼がネギを褒め称える。心の底から感心しているのか、それとも侮っているのか、蒼は頷ずきながら瞼を閉じている。

 その隙を見逃すネギではない。ネギは瞬動で一息に蒼の眼前に現れる。握り締めた拳を突き出す。狙いは鳩尾。打ち抜く。

 強力な震脚が、大地を震わす。大地が変換器となり、ネギの瞬動の速力をも力へと変換する。

 

「吾が下へは十間」

 

 ネギの拳が空ぶる。全力の一撃が外れ、多大な隙が生まれてしまう。

 

「なに……が」

 

 空振りをしてしまったネギは、尽きだしたままの拳を戻すこともできず、ただただ目の前の光景を茫然と見詰めることしかできずにいた。

 吐息が当たる距離だったはずの彼我の距離が、二十メートルは離れていた。寒々とした空間の開きは幻術ではないだろう。間違いなく現実の光景。ならば、なぜネギと蒼との距離が空いているのか。

 血の気がなくなる。呑み込んで焼いたはずの恐怖が、いつの間にか蛇のようにしつこく忍び寄り、のど元から這い出てこようとする。

 

「告げたはずだ。私は言葉の神。私が語る言葉は、すべて真実になる」

 

 蒼が語り終えると、白峰が前へ出た。蒼はこれ以上戦う気はないのか、後ろへ軽く跳躍し、離れた。

 白峰が妖艶に笑うと、ネギを見たまま、言の葉を紡ぐ。ネギは慌てて構えをとる。何をされるか分からない。ならばとにかく耐えるしかない。魔力での強化を、防御力に集中させる。

 今のネギならば、中級魔法ですら、無傷で受けきれるだろう。

 

「空気よ、呪われよ」

「がぁ!?」

 

 白峰の言葉がネギの耳に届く。

 言葉の意味を理解するよりも早く、ネギは顔の周りに熱さを感じたと思うと、のけぞり地面に倒れ、のたうち回る。自分の身体の状況がどうなっているのかも分からないくらいの痛みが走る。

 

「ネギ!」

 

 転げ回るネギを明日菜が抱え上げた。ネギの痛みが多少治まる。薄目を開ければ、明日菜の顔が真っ赤に爛れているのが見えた。飛び起きようとしたら走った身体の痛みで、気がついた。ネギも明日菜と同じく、いや、それ以上に広範囲がより酷く爛れている。声が出ないところから、喉も焼けているだろう。咳き込むと、ねばねばした赤い痰が飛び出る。

 

「ほう。禊ぎの家系か。我に呪われた空気に触れて、その程度ですんでいるとは」

 

 かんらかんらと笑う白峰の顔は、歪に弧を描き、美しくおぞましい。ネギは震える手で喉に治療魔法(クーラ)をかける。無詠唱魔法だからか、完全な治療はできなかった。しかしなんとか声をだすことができるようになった。続けて明日菜に詠唱した治療魔法をかける。今度はきちんと完治した。元の張りを取り戻した明日菜の肌に、ネギは安堵した。

 

「ネギ、どうする?」

 

 明日菜の冷や汗がネギの頬に落ちた。いまだ爛れたネギの肌にしみる。痛みでネギは顔をしかめた。

 ネギは首を振り、弱気を打ち払う。

 

「することは一つです。僕たちだけじゃ、勝てません。ならば、あの二人を突破して、世界樹前広場へ行きます」

 

 がらがら声で、勝利を前提とした答えを口にする。負けたことを話しても仕方がない。ならば、勝つことを話す方が、まだ気が楽だ。

 そして、これがネギの導き出せた唯一の勝ち筋。戦ったところでネギたちの戦力ではおそらく負ける。ネギが二人から感じた気配といい、その実力といい、今までの敵も強敵だったが、明らかに別格。今までの敵ですら、追い詰められていたというのに、それ以上の敵が相手では、正面からの戦いに勝算などない。ならば、正面から戦わなければいい。ただし、敵陣の正面突破を果たしての逃亡だ。島津の退き口をも上回るはちゃめちゃな策。

 突破できる確率はかなり低いだろう。なにせ相手は言葉一つで距離すらも操る。全力でネギたちが駆けたところで、蒼の言葉より早く駆けることはできまい。よしんば二人を突破できたとしても、後を追って世界樹前広場へ乱入してこないとは言い切れない。

 だがそれでも、これしかネギたちに二人を突破する方法はない。

 ネギの策に、明日菜は微笑んだ。

 

「じゃあ、それで行きましょう」

 

 ネギの前に立ち、明日菜は大剣を振るう、剣筋が唸りを上げる。

 危険なのは分かっているだろう。その瞳はどこまでも真剣に二人をにらみつけている。仮契約の相手(パートナー)の信頼に応えられず、何が仮契約の主(パートナー)だ。

 心の底から奮い立ち、ネギの身体に活力が注ぎ込まれる。

 ネギが呪文を唱える。ネギと明日菜とが走り出す。

 

「む?」

「おや、正面から、ですか」

 

 魔法の矢を放つ。十二本の矢。しかしそれは蒼の「止まれ」の一言で、宙に縫い止められてしまう。

 そんなことは予め分かっていた。だからすぐさま唱えておいた次の矢を撃つ。十五本の矢。それもまた同じ繰り返しで止められる。

 魔法の矢を詠唱する時間と、「止まれ」の一言では詠唱時間の差がある。どれほど口を早く動かしたところで、ネギに勝つ道理はない。それでも、喉が裂けてでも、ネギは魔法の矢を唱え続ける。

 矢。矢。矢。

 視界いっぱいが魔法の矢で埋まる。それすらも、たった一言で止められてしまう。それでもネギは詠唱を止めない。詠唱と詠唱の間に無詠唱魔法が交じりだす。

 徐々に、矢が進む。蒼達へ。

 そして、明日菜が二人の眼前に踏み込んだ瞬間、一本の矢が明日菜・蒼・白峰の中央地点に落ちた。

 それを皮切りに、魔法の矢が雨霰と降り注ぐ。全天の星が降り注ぐ大瀑布は、ネギと明日菜の姿をひとときかき消す。

 二柱の横を通り過ぎることに、ネギたちは成功した。

 

 

 

「驚きましたね、まさか私たち相手に力業で奇策を押し通すとは」

「しかしそれが人間なのかもしれぬ。それにしても、まさか時間稼ぎに失敗するとは」

 

 ひとたび言霊を使えば、八重の能力ならば、二人の邪魔など幾らでもできる。しかし八重にそんな気はなかった。

 ただ神を飛び越えた人間に称賛を送るだけ。この一時のみは、まるで、神代に戻ったような気分だった。遠のいていく背中を傍観する。

 

「その先は、お前達にとっての悪夢が待っているぞ。しかしそれを乗り越えて見せろ、人の子よ」

 

 口角があがるのを隠そうともせず、八重は黒のスキマを開く。

 そのとき、ふと耳にした。

 

「さあて、では私も仕事をするとしましょう」

 

 八重の背後で、飛び立つ音がした。白峰が何をするのか分からない。止めるべきなのだろう。しかし八重は止めることなくスキマの入り口を閉じた。


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