東方魔法録   作:koth3

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対極たる二柱

 此方と彼方、此岸と彼岸、その狭間にあたる境界線。万物に宿る変化の象徴。

 人には見えず、人には触れられず、人には知覚できず、仰々しい概念を持ち出し理解したふりしかできない、人智を超越した世界。

 この世界に確かな物など一つもない。常に全ての物が変化する。物質的にも、霊魂的にも。

 変質を続ける世界に、ただ一人、黒は変わることなく存在し続ける。

 こちら側の住人にちょっかいを出させないための細工に力を注ぎすぎた。黒は気怠げに身を投げ出す。足首まで伸びた髪の毛がふわりと広がる。それは黄昏時に凪ぐ海のようだ。暗闇しかない世界に唯一広がる光だ。

 黒は自らの髪の毛を一房持ち上げて梳いてみる。さらさらと流れる感触は、心地よい。母親の、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの髪も、黒と同じ風合いだったのだろうか。記憶を辿っても、母の顔は分からない。

 気がつけば、梳いていた手が止まっていた。黒はため息をつく。

 髪を傷つけぬよう指をぬき、さっと腕を胸から外側へ払う。腕の動きを追うように、闇の中から外の世界を映し出す窓が順々に現れる。

 窓はすべてワイヤーが形作り、大きさも等しい。しかし一つ一つ映し出す光景が違う。

 幾つもの場所での光景が窓の数だけ広がる。大剣士とその弟子との剣戟が、翁と復讐者との魔法の打ち合いが、そしてこれから始まる二つの戦いが境界の世界に流れ込む。鋼がかち合う音、空気が焦げる臭いが侵入を果たし、そして変わっていく。何に変わるかは、黒にすら分からない。

 最後の窓をちらりと覗く。窓の中では、鬼に投げ飛ばされた吸血鬼が、ようやくの復活を遂げていた。幼さの残る顔を憤怒に歪め、影のゲートを用い、麻帆良へと転移しようとしている。

 もう退場した者はいらない。大人しくしていればいい。

 だから、最後の策を発動させる。

 

「頼んだよ、我らが巫女。神と妖怪の(かんなぎ)よ」

 

 紅白の巫女装束に身を包んだ少女が、驚愕に顔を染め上げる吸血鬼を張り倒したのを最後の窓から見た。黒は安堵のため息をこぼし、窓を閉ざした。

 再び腕を振るう。外から胸へと。動作に応じるように、窓が次々に閉ざされ、一つの窓だけが残された。そこには、ネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜の姿がある。

 腕を上げる。指を鳴らす。

 黒の背後から二柱が現れた。

 

「最後は君らだ」

 

 二柱は何も言わず、消え去る。

 これで黒の計画は完遂したも同然だ。

 一人暗闇に浸る黒は、光を放つ窓に背を向け、蹲った。

 

 

 

 ネギたちが世界樹広場前に到着しようとしたとき、一陣の風が吹いた。

 優しく肌をなでた風は、清々しかった。草木の瑞々しい香がかすかに漂い、疲れから濁りだしていた思考がくっきりと透き通る。身体の底から活力がわく。

 風属性の魔法を得意とするネギは気づいた、吹いた風が人為的に起こされたものだと。何故ネギたちを回復させるような風を起こしたかは分からないが、明日菜へ警戒を促し、辺りの気配を探る。しかし耳をすませても辺りは静けさが満ちるばかりで、なんら怪しい気配はない。

 視線をせわしなく動かす。魔力の流れにも細心の注意を払う。少しでも変化があれば分かるように。

 

「ねえ、ネギ。こんなに静かだったけ、ここ?」

 

 明日菜がネギの背中越しに身体を強張らせる。

 慌てて首を動かし周囲をぐるりと見渡す。ネギの視野に映るのは、普段よく見る麻帆良の風景だ。レンガで作られた少々古風な西洋建築の建物に、いくらかの木々が彩りを添えている。街頭の柔らかな光が、街を明るく照らしている。そこに不審な気配はない。いや、人気は全くない。

 人がいない(、、、、、)

 歓声がさきほどから全くしないことに、ネギはようやく気づいた。

 観客達のほとんどは、いまだこれが麻帆良学園祭のイベントだと勘違いしている。麻帆良の生徒ならば全力でイベントを楽しみ騒いでいるはずだ。だというのに声一つ聞こえないなど、ありえない。

 敵の罠だ。躊躇うことなく、ネギは詠唱を開始した。推測するに、空間に作用する結界だろう。結界により孤立した空間に、閉じ込められた。脱出をしなければならない。

 雷の暴風を放つ。中位の魔法だが、ネギの魔力が込められたそれは、一般の魔法使いの高位魔法に匹敵する威力だ。さらに、雷の暴風は一点特化の性質を持つ。穴を穿つのには最適な魔法だ。

 雷の暴風で罠を壊し、敵を見つけ出す。それがネギの導き出した答え。

 だが。

 だがその考えはあっけなく崩れてしまった。

 

「神鳴りよ、鎮まれ」

「風よ、呪われよ」

 

 二つの声がした。それだけで、ネギが生み出した雷と風が霧散してしまう。細々とした雷光が、空気中を無秩序な方角に頼りなく走り、消えていく。

 

「なっ!?」

 

 魔法がかき消されたことに驚くネギをよそに、声の主達は悠々と現れた。

 二人の女性が、空からゆっくりと降りてくる。何ら警戒すら抱いていないのか、ネギたちを一瞥することすらない。

 降りてきた女性達は、とても美しかった。顔立ちが優れるのみならず、背丈と肉付きが黄金律に釣り合い、肌には染み一つなく透き通り、輝いている。目をそらすことが苦痛に思えてくる。彼女たち以上の美なぞ、ネギには到底思いつかない。

 左側に立つ女性は、緑色の髪をなびかせ、腰に魚籠を引っかけている。服装は簡素で、まるで昔の釣り人のような姿。しかしそれがぴたりと彼女の印象を形作る。気品に溢れ、穏やかな印象だ。

 不思議なことに、ネギはその女性を見て、今までの敵と全く違うと感じた。道中で戦った妖怪達は皆恐ろしかった。悲しかった。だが、眼前の敵は、ただただ神々しい。聖域で微笑む聖母のように犯しがたい。頭を垂れ、恭順したくなる。

 握り締めていたはずの拳は、いつの間にか開かれていた。

 もう片方の女性は、見るからに異形だと分かった。京都で戦った烏族と同じような羽根。背丈と比べて随分と小さな翼だ。不思議なことに翼の羽根は大部分が黒い。しかし一部に白い羽根が混じり、霊妙溢れるコントラストを生み出している。

 彼女が着込むのは山伏のような装束だが、至る所に金細工などがつけられ、きらきらと輝いている。それでいて、その黄金色が全く卑しくない。金が彼女の美しさを際立たせているようだ。

 何よりも綺麗な輝きは、金色の髪が一房胸元まで垂れさがっていることだ。

 先程の女性と違い、この翼のある女性に対し、ネギは一目で背筋が凍り付いた。薔薇なんて生易しいものではない。全てを憎み、呪っている。その背に黒々とした炎を幻視してしまうほどだ。

 全く正反対。ネギが二人に抱いた印象だ。一緒に存在すること自体が間違いなのではないだろうか。

 

「あなたたちは」

 

 声が震える。恐怖ではない。声をかけること自体が不敬のように思えて仕方がなかった。

 

「ほう、私たちを前に、意識を失わないとは。なるほど、確かに英雄の素質はある」

「そうですか? この程度で英雄なんて、へそで茶を沸かすものですよ。もっと憎悪を知るべきでしょう。清廉潔白なヒーローなんて、聞こえは良いですが、実際は純粋培養されたクローンのようなものですよ」

「ふむ。一理ある。時に憎しみは人を強くする。しかし貴様の求める憎しみは強すぎるだろう。身を滅ぼす」

「だから良いんじゃないですか。なにかをなすこともできず、助けた人々から拒絶され、怨み、憎み、呪いを吐いて死んでいく。それが人ですよ」

 

 二人はネギをまじまじと見詰め、寸評を交わし出す。

 何度も唾を飲み込み、ようやく最後をネギは告げられた。

 

「なんですか」

 

 二人の動きが止まる。

 そして。

 

「聞きました? 私たち相手になんですか、ですよ。なるほど、多少はマシだと。良いでしょう、少しは気に入りました。だから教えてあげます。私は日ノ本に巣食う大魔縁、尤も強大な祟り神。森羅万象を呪う神、崇徳白峰」

「大和の神にして言葉の一切を司る神、事代八重。今は分け合って蒼と名乗っている」

 

 二柱の神はそう告げると、何ら感慨もなくネギを吹き飛ばした。


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