東方魔法録   作:koth3

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神鳴たらんと欲す剣士と、怨念にとらわれし剣士と刀

 一寸も身じろぐことすら許さないと云わんばかりな針山地獄の如き濃密さのそれは、凝縮しきった殺意であり、刃のような鋭さを伴っていた。剰え無造作に撒き散らされているそれは、ただの末節に過ぎず、押し殺しきれなかったものが溢れ出しているに過ぎない。

 年端もいかない可憐な、されど一切の表情のない無機質な、人形めいた少女、だというのにその身に封じたものは尋常ではなく、こぼれいでた極最小のそれで、世界を焼き尽くそうとする化生だ。その上小さなその手には禍々しい妖気を放つ刀が一振り握られている。その妖気もまた筆舌に尽くしがたく、柄にひとたび触れようものならば、たとえどれほど心の強い者でも我を失い、正気を失うことは予想に難くない。けれども少女、月詠の瞳は感情こそないものの、明らかな理性が宿っており、地獄をも凌駕したその殺意のみで、妖刀の汚染を退けていた。

 弧を描き刀は構えられる。星明かりを吸い取るかのようなその刀身がぶれる。

 そは一帯どれほどの神業か。神鳴流の剣士二人が、そのうえさらに一人に至っては最高級の剣士が、気で強化した視力ですら完全にその軌道を見ることもかなわないなぞ、本来有りえないというのに、月詠はそれを為した。なし遂げた。 

 刹那と詠春の背中に怖気が奔る。弾かれたように咄嗟に刀で首に守る。

 重い衝撃に二人は吹き飛ばされそうになるも、鍛え抜かれた脚力で後ろに下がるを良しとせず、踏み堪えた。防御にこそ成功した二人だが、その内心は驚愕で溢れかえっていた。

 いつ二の太刀を放ったか、二人にはわからなかった。ただ一度振るわれた刀。然れど結果は刹那と詠春それぞれの首を切り落とすように斬撃が宙を走った。神鳴流奥義にも似たような技はある。自身の周囲を目にもとまらぬ速さで幾度も斬るという奥義だ。月詠がそれを使ったのか。

 しかし二人の剣士としての経験と勘が否定する。なぜなら、月詠は気を遣っていなかった。神鳴流の剣術は多かれ少なかれ気の運用を前提としている。気を遣わない奥義なぞ存在しない。

 ならば今のは一体何だというのだ。驚愕を表面上隠せても、動きが僅かに鈍るのまでは止められない。

 僅かな隙。本当に僅かな隙。しかし達人同士の戦闘に置いてその隙はあまりに大きい。出だしをくじかれた二人の眼前に影が踊る。

 受けに回った刀で迎撃するのは不可能。故に他の手を打つ。師弟という間柄のためか、二人は息の合った見事な蹴りを放った。しかしそれは刀を棒のように使い、宙を飛んだ月詠には届かない。それどころか重力の力をも借りた月詠の大上段の一撃が詠春を襲う。

 

「ぐぅっ!?」

「長!」

「お父様!!」

 

 詠春の立っている地面がすり鉢状にへこむ。

 刹那が月詠を引き離そうと間合いを詰めようとするが、それよりも速く槍の一突きを思わせるような月詠の蹴りが刹那の鳩尾を蹴りつける。カウンター気味のその一撃で、刹那の軽い身体はあっけなく飛ばされる。

 地面に背中を打ち付けるも、すぐさま反転し膝立ちの体勢で止まる。刹那の米神を生ぬるい汗が伝う。

 刹那は咄嗟に鳩尾を気により守ったが、それでも急所を抜かれてしまえば、気の防御もその効果は薄まる。実際、鳩尾を打たれた衝撃で横隔膜が痙攣を起こし、刹那の息は多少乱れてしまい、気の運用に多少ながらも支障をきたしている。

 

「神鳴流奥義 斬空閃 弐の太刀 百花繚乱」

「神鳴流奥義 斬空閃」

 

 未だ宙を飛ぶ月詠めがけ、気の刃が襲いかかる。白亜を思わせるよう斬撃の壁、それを前に月詠は初めて微笑を浮かべた。

 

「斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る……斬るッ」

 

 血走った瞳を曝しながら自身に迫る刃を月詠は切り刻んでいく。刀が振るわれる度、刃の檻は歯の抜けた櫛のように欠けていく。そして最後の横凪の一撃に、全ての刃が散らされる。

 

「その程度じゃ、ウチを壊すことはできまへんよ」

「でしょうね」

 

 月詠が戯笑をしているその背に、いつの間にか詠春が回り込んでおり、大上段に構えた刀を振り下ろす。

 

「神鳴流奥義 凝集雷鳴剣」

 

 詠春の放った雷鳴剣は、刹那が常に使っているそれより遙かに規模が小さかった。しかし青白い雷光は目を覆うような閃光で辺りを埋め尽くすほどで有り、光になれている神鳴流剣士である刹那ですら、その光に思わず目が眩んでしまった程だ。そしてそれだけの奥義の威力がこけおどしな訳もなく、通常の雷鳴剣と比ぶるべくもなく、段違いの破壊力を発揮した。

 視力が回復した刹那が見れば、月詠にこそ傷一つないが、その手に持つ妖刀はどろどろに溶けて切断されていた。大業物すら凌駕するであろう刀を切ったその奥義は、雷鳴剣の出力を大幅に増加させ対軍相手にも使われる決戦奥義である極大雷鳴剣を一点に集中するという、決闘(・・)奥義と呼ばれる神鳴流で闇に葬られた代物であった。

 

「いくら古今東西の剣士が無刀の技術を有するとはいえ、それでも刀がなければ実力の半分程度しか出せません。私たちの勝ちです」

 

 詠春は月詠の首下に刃を突きつけ告げた。

 月詠は断ち切られた刀をしげしげと矯めつ眇めつと、三日月に歪んだ笑みを造りあげた。

 

「キヒ、ヒヒ……ヒヒヒ。これじゃ斬られるんか。じゃあ、全力ださんとぉ」

 

 黒く反転した瞳で自身の首下にある刀を握り締める。気で強化された刃、それも大戦の英雄が強化した刃だ、触れるだけで万物を切り裂く鋭さがある。だというのに、月詠の手からは血が流れることはなく、それどころか鉄が削れるような音が響く。

 驚愕はそれだけで終わらない。

 詠春も刹那もその異常を見た。

 月詠が、月詠の身体が変貌していく。細く細く、そして硬く。変貌が進むにつれ、殺意のみならず邪気までもが溢れ出す。それは命の奪い合いをもしてきたはずの二人をも気圧しその身体を縫い付けるほどだ。

 しかしそれだけ経っても変化はまだ終わらない。

 段々とその姿形が定まっていく。細く硬くなったその身に鋭さが混じる。その姿は輪廓が朧気で有りながらも、誰が一目見ても刀のようなものだった。

 余りに異質な現象に、詠春は月詠を破壊しようと刀を振るうが、ひときわ強く漏れ出した邪気に防がれ、吹き飛ばされる。咄嗟に自ら後ろへ飛んだためダメージこそないが、詠春は月詠の変貌を止められなかった。

 そうしているうちに月詠の近くの空中に一本の線が現れる。それは両端がワイヤーで結ばれると、世界を切り裂くように開いていく。中からいくつもの目が彼方から此方をのぞき込み、ぎょろぎょろ動く目玉にあわせ人体のパーツが幾多も蠢いている不気味な空間。そこから一人の男性が現れた。

 メガネを掛けたスーツ姿の男性は、変貌を続ける月詠を手に取った。

 

「クルト……なぜ、君が……」

 

 詠春の問いをクルトは鼻で嗤う。冷め切った瞳が詠春を見下す。

 そうしているうちに月詠の変貌が終息した。

 そこにあったのは、見るからに業物とわかるが、禍々しい気配を放ち続けるおぞましさの際立った刀だった。それと比べれば先の妖刀が竹光のように思えるほどだ。

 その妖刀を構え、クルトは見事な瞬動で詠春に近づきその刀を持って斬りかかる。

 咄嗟に刀で受けた詠春だが、受けた刀ごとその身を切り裂かれた。噴き出す血が霧となり辺りを舞う。

 

「お父様ッ!」

 

 袈裟に切り裂かれた傷口を押さえ、詠春はクルトから離れる。

 

「さすがというべきか。あの御方から下賜された一品のことはある。先の大戦の英雄が振るう刀ごと斬るか」

「あの御方だと……? クルト、どういうことだ! 答えろ!」

 

 走り寄った木乃香が自らのアーティファクトを用い、詠春の傷を癒やす。しかし詠春はそのことに気づいていない。ただクルトの名を呼ぶだけだ。

 

「貴方には恩がありますからね。特別に少しだけお答えしましょう。簡単なことですよ。私は貴方たちよりあの御方の御手を取った。当然のことでしょう? 元老院も魔法使いも私にとっては怨敵なんですから。それに、これでようやく、ようやく正される時がきたのです。だから、貴方のように諦めた裏切り者に邪魔をされるわけに行かないのですよ」

 

 クルトの顔に浮かぶ歪んだ笑みは、月詠が良く浮かべていたそれにそっくりだと、そのとき刹那は本能的にかぎ取った。

 背筋をはしる怖気は掛け値なく気持ちが悪い。決壊したした川のように溢れる狂気にとらわれ、刹那は溺れそうになった。それでも刀を手放さなかったのは、ひとえに木乃香を守るためだった。

 

「……刹那君。木乃香を連れてここから離れなさい」

「しかし長!」

「君たちがいると、私も本気を出しづらい。もはやアレは私が知っているクルトではない。ただの鬼だ。……斬らねばならぬ、神鳴流を学んだ身として、あれに剣を教えた身として」

 

 半ばから切り裂かれた刀を投げ捨てると、詠春は懐から一枚の札を取り出す。札から煙が立ち籠めると、一振りの太刀が現れた。鞘から引き抜き、詠春は気を研ぎ澄ませる。

 その様子に一瞬逡巡する刹那だが、詠春の一喝に木乃香を抱えると、普段は隠している背中の白い忌むべき翼を開き、空を飛ぶ。

 だが木乃香は父の怪我を見たせいか、それともそれが切欠で限界を超えてしまったのか、抱きかかえられた状態で暴れ出す。落ちれば魔法を未だうまく扱えない木乃香では死ぬだろう。故に必死になって刹那は木乃香を押さえ込む。

 

「お父様! せっちゃん、降ろして!」

「なりません、お嬢様!」

「お父様! お父様!」

 

 そして飛び行く刹那の背後から千本の雷を束ねたと見紛う雷鳴と稲光が地上から逆立ち天を衝く。

 肌が粟立つ。あの雷は詠春の気が込められていた。市街地であれほどの規模の術を使うなど信じられるものではなかった。しかし詠春は周りの被害を気にもとめず、いや気にする余裕がないらしく、雷鳴が鳴り止むことはない。

 生来の恐怖に駆られ、刹那の速度がさらに上がる。

 飛び行く先は、ネギと明日菜が向かった先だと知らずに。


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