「何が、起きとるん?」
目まぐるしく変わりゆく状況に、刹那は自身がどうするのがよいのか全く分からなかった。
先まで味方だと思っていた人物がいきなり裏切り、さらにはその人物から自分たちを助けてくれた相手が今度はこちらを攻撃してくる。
混沌とした状況、そして次々と課せられる判断に、いくらプロといえ未だ中学生程度の経験では対応しきれず、刹那がパニックを起こすのも当然だ。それでも木乃香を守ろうと自分の背中に隠したのはもはや本能だった。
「憎い、憎い。憎たらしや! 普通の魔法使いが憎たらしい!」
さよが怨嗟を口にするごとに、赤黒い雷が辺り一帯に次々と降り注ぐ。
歴史に曰く、雷とは神鳴りであり、神々の怒りを示す存在であった。そして史実においてその怒りを最も激しく表した神は、菅原道真公だという。彼の御方はいまでこそ学問の神だが、もとは祟る神であった。誰からも恐れられる余り、天の神とあがめられるに至った、強大な力を振るった存在だ。
そして今のさよもまた、彼の道真公にそっくりだった。怨みを迸らせ、その怒りに呼応するかのように強大な雷を降らせる。
「さて、ではさよさん。この場はあなたに任せましょう。あちらもちょうど良い状態ですからね。最後の二人を相手にしており、今から向かえば時間も完璧といえるでしょう。では皆さん、もうお会いすることはないでしょう。さようなら」
そう言い捨て、あの奇妙な空間を生み出し黒がどこかへ消え去った。
一体どこへ消えたのかと気になったが、刹那には護るべき人がいる。ただでさえ渦中にいるというのに、木乃香の安全をほっぽり出して黒を追うなどと迂闊な行動ができるはずもない。
「落ち着くんだ、さよくん」
「滅べ、死に絶えろ。それこそが私の望みで有り、希望。故に絶滅せよ、貴様ら普通の魔法使いは」
タカミチがさよを落ち着かせようとするが、さよにはもはや話は通じていないようで、ただただ破滅を願うばかりだ。
顔をひどくゆがめたタカミチが、ポケットに拳を収めた。それは彼の武術の構えだ。鞘に見立てたポケットから音速を超える拳を出すことで、指向性を持たせた衝撃波を飛ばすという拳術だ。確かに話し合いができないならば武力行使しかないだろう。刹那は木乃香を背中でかばいながらさよを刺激しないようにじりじりと後退していく。
「死ね。全てを失い絶望に浸れ」
「すまない、さよ君。だが僕にも今の君がおかしくなっていることくらいはわかる。教師として君を止める」
「教師! 笑わせるな! 私が死んだとき、普通の魔法使いは私を助けなかった! 何を叫ぼうとも、助けてくれなかった。同じ普通の魔法使いの治療を優先し、巻き込まれた私を放り捨てた! だから殺す。私が殺す。私を殺した普通の魔法使いたちを殺すのだ!」
タカミチの拳が幾度もぶれると、さよの眼前にいくつもの波紋が生まれる。さよは憎悪をはらんだ表情を変えることなく、雷を放つ。黒い雷がタカミチの足下の地面を砕く。瞬動で移動したタカミチが四方八方から攻撃を行う。
しかし幾度も放たれているタカミチの攻撃は、さよの周りにある不可視の防壁ですべて防がれているのだろう。その効果は全くない。
張られている防壁は尋常ではないらしく、タカミチの拳術では突破する気配は全くない。
「刹那君」
「学園長、何でしょうか」
ひっそりと近右衛門が刹那に念話を送る。それに答えながら、刹那はさよの一挙手一投足に目を離すわけに行かなかった。
「木乃香を連れて、先に行くのじゃ。この場は儂とタカミチ君で抑える」
「……よろしいので」
「少なくともこの場よりかは安全じゃ。良いか、優先するは命。無益な戦いは避けよ」
「ハッ」
すぐさま刹那は木乃香を抱え上げる。
学園長の魔法が飛び、一瞬であるが刹那たちの姿を隠す。刹那は全力で駆け、次の広場を目指した。速力ならば刹那は学園全体でもトップクラスだ。それこそ一般的な魔法使いレベルならば、すぐに距離を離すこともできるだろう。その刹那が全力疾走を行えば、すぐにタカミチたちの戦いは見えなくなる。
「逃げるんどすか~」
だが追っ手はいた。いや、待ち構えていた。
間の抜けた声が聞こえた瞬間、刹那は後先考えず瞬動を行い、その場から離れる。空中で縦に半回転しつつ見たのは、京都で戦った神鳴流の剣士の姿だった。
自らの身体を下敷きにし、木乃香を落下の衝撃から護った刹那は、すぐさま刀を抜く。逃げの一手をうとうにも、相手が自分よりも格上では望みはないだろう。その判断からだ。
「せ、せっちゃん」
「大丈夫、大丈夫や。あいつはここで食い止める」
ボキリという音がした。月詠が足下にあった枝を踏み抜いた。苛立ちそうに何度も何度も。その表情は歪んでおり、刹那を睨んですらいた。
「せっかく、せっかく見つけたおもうたのに、くだらないもんにお前もすがるんか。剣士はただ斬れば良いのに。お前も友情やら道徳やら律法やら言い出すのか」
「何を言っている?」
警戒しながらも刹那は動く。月詠の狙いは自分だという確信があった。だからこそ木乃香を狙うことはないし、また刹那自身もそう簡単に倒そうとはしないだろうと考えた。修学旅行であれほど執着されたのだ。そう考えるのは当然だ。
だが、だからこそ気づけなかった。一度戦ったからこそ、目の前にいるものが人間であると信じてしまっていた。
「もう、ええ。もうええわ。はぁ、いやになる。これで百人目。ああ、ああ。切り刻んで殺すか」
京都で見せたふざけた態度はなく、月詠は怠そうにしながら何の感慨もなくそう吐き捨てた。
「死ね」
刹那はそれに対処できなかった。目の前に迫る一本の黒い線をただ見詰めるだけしか。身体を動かそうにも、何もできやしない。そして気づいた。これが死ぬ直前の風景なのかと。
「させませんよ!!」
しかし死の予感は覆された。横合いから出された刃が、月詠の刀をはじき飛ばす。澄んだ音がするなか、刹那が声のした方を向く。
「お父様!」
刹那の隣にはいつの間にか近衛詠春が立っていた。服はすり切れ、髭は伸び放題だが、はち切れんばかりの気力を身体中に張り巡らした精悍な立ち姿で、二人を護るように立っていた。