東方魔法録   作:koth3

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立ち上がるは人ぞ

 己が全てを打ち込んでなお嗤い続ける眼前の鬼女から逃れるようにネギは一歩一歩と後退りする。

 ネギにはもう何もない。文字通り全てを叩き込んでもなお、紅葉は堪えない。いよいよ哄笑を深めるばかりだ。

 別に自分よりも遙かに強い存在がいないなどとネギはおごっているわけではない。だがそれでも自身の全力を受け止めても痛手を負うこともなく嗤い続けるような存在などは知らない。客観的な事実として、ネギの魔法は攻撃力という面でいえば、かなりのものだ。高位の魔法使いすら届かない領域にいるだろう。

 しかしそれだけの威力を誇る攻撃ですら、紅葉には全くダメージを与えられない。

 

「どうした? 後ずさりしおって。儂を倒すのだろう? 逃げているようだが? それでは拳が届かんだろう。どれ、近づいてやろう」

 

 そう慢言するや、紅葉は何ら警戒せずネギへと近づいていく。悠然としたその態度は美しい所作であるが、いっそ驕慢とすらとれる。ネギの力など恐れる必要はないとでもいうかの振る舞い。悔しさどころか、ネギは青ざめることしかできない。

 

「なんじゃつまらん。折れたか」

 

 紅葉が溜め息を漏らし、片手を振り上げる。ネギの目にはそれがギロチンに見えた。逃げなければと後退るが、腰が抜けたためか距離をとることができない。みっともなく這いずるように逃げる。

 

「ほう、それでも奮い立つか」

 

 その光景が後退るネギの目に入る。

 星空の明かりの下、無骨な大剣を紅葉へ振り下ろす無表情な明日菜の姿を。魔力に似た力で強化しているのか、振り下ろされた大剣の太刀筋はすさまじい威力が秘められているのが見て取れる。だがそれだけの力を持ってしても紅葉の肌に触れるやいなや澄んだ音がし、大剣がはじかれる。もはやネギには紅葉が自分と同じタンパク質の塊とは思えなかった。

 

「そうら」

 

 振り向きざまに紅葉は張り手を振るう。張り手が届くよりも早く、明日菜はバックステップで離れていた。しかし台風でも直撃したのかと見紛うばかりの暴風に吹き飛ばされる。着地したものの勢いを殺しきれずごろごろと後転し、立ち上がった。転がっているときに切ったのか、額から血が流れ出している。

 

「明日菜……さん?」

 

 ネギはその表情を見て、背筋が寒くなった。額の血はかなり勢いがあり、鮮血が迸っているというのに目からは光が感じられず、機械のように大剣を振るう。先程も見たあのおかしな光景がネギの脳裏に過ぎる。

 姿勢を低くした明日菜が駆け出す。砂塵を巻き上げるほどの疾駆。瞬動には一歩及ばぬが、その速度はすさまじいに尽きる。人間が出せる速度の限界に近いだろう。刹那に大剣の間合いへ入るやいなや段平を薙ぐ。迫る刃を紅葉は何ら慌てることなく掌で弾く。明日菜は躊躇することなく大剣から手を離し、紅葉の頭をつかみ膝蹴りをあごへ叩き込む。

 それでものけぞることすらしない紅葉。明日菜はすぐさま眼球めがけて指一本を突き立てる。

 

「勇ましいの。うむ、人間というのはそうでなければならぬ」

 

 明日菜の指は紅葉の二指に挟まれて、眼球を貫くには至らなかった。

 

「そおれ、高い高い、じゃ」

 

 ぶうんと放り投げられた明日菜は空中で体勢を立て直す。大剣を構え自由落下の勢いで角に叩きつける。ぎゃりぎゃりと火花を散らす。着地ざま、跳ね上がるように再び角を切り上げる。先程と違い弾かれることなく拮抗するが、角を斬り落とす前に明日菜は自ら後ろへ飛びすさった。

 最前まで明日菜のいた場所が紅葉の拳で砕かれる。

 

「くは、私をかすり傷といえ、傷をつけられるとはな。褒めてやろう小娘。じゃがそこまで。意識もなくただ暴れるだけでは私に勝てぬぞ」

 

 弾かれたように韋駄天走る明日菜を、紅葉は拳で迎え撃つ。ただ拳を振るっただけで颶風が起こり、明日菜は大剣を盾に止まるしかなかった。

 だからこそ勢いをなくしてしまった明日菜に、紅葉の一撃を防ぐ手立てはなかった。明日菜が吹き飛ばされないように足を止めたとき、紅葉は一歩踏み出していた。そしてその一歩で瞬動を上回る結果をだす。霞すら残さず明日菜の懐に潜り込んだ紅葉は掌底を放つ。あまりの力に、直撃するよりも早く拳圧で明日菜の身体が吹き飛ばされる。枯れ葉のようにくるくると宙を回転し明日菜は力なく落ちていく。

 

「明日菜さん!」

 

 とっさに魔力を足に集中し、ネギは落ちてくる明日菜を抱きかかえた。明日菜の身体は無理な力の発意と紅葉の暴威にさらされぼろぼろになっている。

 

「ね、ぎ……」

 

 それでもなお、明日菜は戦うのをやめようとしない。

 止めるべきだとネギはわかっていた。それでも止められないだろうというのもわかっていた。明日菜が戦おうとするのは、ネギが戦うからだ。誰かが傷つくたびに明日菜の様子はおかしくなっている。それくらい今となってはネギも把握している。

 明日菜を止めるには戦わないのが一番だろう。だが現状それはできない。この妖怪たちの侵攻を止めなければならないし、たとえやめたとしても紅葉がそれを許すはずがない。ネギは戦わなければならない。自己の意思と関係なく。

 本来ならばネギはそんなことをいうつもりはない。だが今はそうしなければならない。

 一人の力ではどうしようもない。ネギの魔法も、明日菜の力も。目の前の鬼は余りに強く、絶対的だ。このままでは二人とも負けるだろう。だから告げる。

 

「明日菜さん、力を貸してください。僕たちが勝つために」

「……うん」

 

 お互い助け合い立ち上がる。二人は背中合わせに構えた。

 

「ネギ」

「はい!」

「行くわよ!」

 

 


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