魔力だまりの広場のひとつに、魔法使いたちは降り立っていた。長谷川千雨と戦った地だ。
完敗だった。ネギたちは傷を癒すことも忘れ、ただ愕然としていた。中でも一番ひどかったのはエヴァンジェリンだろう。真祖の吸血鬼。だれもが恐れる悪の大魔法使い。しかし、そんな存在であっても、長谷川千雨は軽くあしらい、負かした。それも治癒できぬ傷を刻み込み。
「……」
重苦しい空気が広がる。誰も口を開かない。
すぐに転移魔法でユギの魔法薬が届けられた。けれど、誰もその魔法薬を取ろうとはしない。
心が完全に折れていた。
長谷川千雨の正体を見抜けず、そしてみすみす返り討ちにされた。しかもそれは本人の談を借りればチュートリアル。これから先の戦いが激しくなるのは間違いないだろう。しかしその戦いで、ネギたちは戦うことができるのかすら分からなくなっていた。
「ふん。ようやく癒えたか」
そんな中、エヴァンジェリンが立ち上がる。いつの間にかに傷はすべて癒えていた。
「なんらかの不死殺しを内包していたようだが、時間をかければどうにでもなる」
ネギの不可解そうな視線に、エヴァンジェリンは答えた。他の吸血鬼ならばまだ傷はいえないだろうが、それは真祖としての面目躍如。莫大な魔力で無理やり傷に込められた術式を押し流し、不死性をも殺す術式をかき消し、吸血鬼としての治癒能力で傷を癒した。とはいえ、それは落ち着いた現状だからできた手段だが。
治癒にかなりの魔力を消費したであろうに、エヴァンジェリンの魔力は底なしに高まっていく。その表情には先ほどの怒りや侮りがない。溢れ出す魔力からしても、本気になっているのだろう。
「どうした、ぼうや? まさかこのていどで怖気づいたなどぬかすつもりか?」
「でも、マスター」
弱音を吐くネギに、エヴァンジェリンは振り向くことなくその言葉を投げかけた。
「いいか、ぼうや。確かに私たちは負けた。あいつを侮っていた。さげずんでいた。たかだか中学生の小娘一人と。だから負けた。驕りに負けた。しかしもう違う。私たちは敗北者だ。だからこそもう下がることは許されない。私たちに許されるのは勝つことだけだ。勝って押し通る事だけだ」
八重歯を剥き出しにし、エヴァンジェリンは笑う。己が不甲斐なさを自覚し。
だがだからと言ってそのままでいるつもりなど、毛頭ない。それはエヴァンジェリンの誇りが許さない。たとえどのようなことだろうと、敗北という泥は勝利という美酒を持って洗い流す。それが吸血鬼としての矜持。だから立ち上がった。勝つために。再び勝者と返り咲くために。
「ここで負けて転がるだけならば誰にでもできるだろう。そしてそれを選べば、お前たちは本当に敗者となり、罪人となることだろう」
「な、に?」
ガンドルフィーニが弱々しく反問する。
「このままここにいれば、あいつの言葉を肯定するだけだ。前へ歩まねば、何も変えることなどできやしない。あいつの言葉を否定したければ、自分たちの力で覆すことだ」
「マスター……」
「それに、負けっぱなしというのは癪に障る。さっさとこの茶番を終わらせ、あいつを負かしに行くぞ」
一番初めはネギだった。魔法薬を掴むと一息にあおる。怪我はすべて消え去り、力が張る。他の魔法使いたちもそれぞれ覚悟を決めなおし、薬を飲んだ。
先ほどの攻撃が直撃した者たちは、魔法薬だけでは完全に治癒しきれず、置いていくしかない。戦闘を続行できる者たちは士気を高め、次の魔力だまりへと向かう。
五分もしないうちに小さな広場となっている場所が見えた。次の魔力だまりのある広場だ。人っ子一人いない。
真っ暗闇の中、空中で炎が燈っていた。オレンジ色の炎だ。それが浮かび上がって揺れており、、不気味に輝いている。まるで一つ目の怪物のようだ。
「あらら、お客さんが来ちゃったか」
その炎は、古ぼけたランタンの灯りだった。錆びの浮く銅でできたランタンを持つのは少女だ。
かぼちゃのように膨らんだスカートを履いた、赤髪の可愛らしい少女。3-Aの生徒よりも幼いだろう。小学生に上がったばかりに見えるほどだ。浮かべる笑みは微笑ましく、到底敵とは思えない。しかしここにいるということはやはり敵でしかない。
「何者だ、お前は」
「うん? 私? なんだと思う、いったい? ただの子供? それとも化け物? もしかしたら天使かもよ」
「ふざけないでください。あなたのような者が天使を名乗るな!」
お茶らけた少女の言葉に、シスターシャークティが怒りをあらわにした。信仰を馬鹿にされ、怒りを覚えないはずがない。
「あはは。うんうん。そうだねぇ、私は天使じゃないね。むしろその敵だね」
「……悪魔か」
「うふふ。悪魔、懐かしいね」
我慢の限界を迎えたらしく、シスターシャークティが放った水の魔法が少女を襲う。膨大な量の水だ。それが龍のように襲い掛かる。飲み込まれれば命はないだろう。しかし、
「あはは、私の名前言ってなかったね。ウィル、人は私のことをそうも呼ぶよ」
ランタンから飛び出した
袖で口元を隠し、ウィルと名乗った少女が空を飛ぶ。すぐに他の魔法使いたちもその後を追う。少女を中心に円陣を組む。決して逃がさないように、そして逃げ出さないように。誰かが一人でもかければ陣形は崩れてしまう。責任という鎖で己が身を縛り上げる。
「じゃあ、始めようか」
その言葉とともに、弾幕がネギたちを襲った。先程より複雑化している弾幕は、しかし千雨との戦いですでにある程度弾幕ごっこを把握していた魔法使いたちに通用しない。古強者である魔法使いには、いくら複雑化してもただの弾幕程度で落ちる力量のものはいない。だれもがその攻撃を簡単によけていく。
「あはは。簡単によけられるか」
笑っているウィルだが、しかしかなり余裕がある。ネギたちは気を引き締めて攻撃を繰り出す。詠唱を完了した魔法が一斉に飛ぶ。火が、水が、風が、土が襲いかかる。
ウィルはその多くを炎で焼き払い、消し残った物は回避した。
ランタンの灯りが怪しく翳る。
「じゃあ、さっそくいこうか『幻符 かぼちゃ畑をさまよう黒い影』」
突如弾幕を放っていたウィルが消えた。それでもなお弾幕はどこから放たれる。咄嗟に攻撃が行われる場所へと魔法を放つが、ただ虚空を通り抜けるだけで意味がない。攻撃を止めた魔法使いたちは回避に専念しながらウィルを探す。
「どうやら空間系ではないようだ」
「気配では追えないね。完璧な遮断だ」
「幻術か?」
「おそらくそうだろうな。この私ですらなにも分からん」
幸いなのはウィルが放つ弾幕は避けるだけならばさほど難しくはないということだろうか。
ウィルのしていることを観察し、推測して能力を探っていく。相手の力が分かるということは、大きなアドバンテージとなる。
「お互い気を付けて避けるんだ。奴の攻撃ばかりに気を取られていると、陣形が崩れてしまう」
ガンドルフィーニの言葉に、魔法使いたちは警戒を密に動く。しかし、
「むっ!?」
「え!?」
その背中に一人の人物がぶつかった。
「葛葉!?」
「な、ガンドルフィーニ先生!? なぜこちらに!?」
初めてそこに人がいたことを認識したように、二人は鏡合わせに驚く。しかしそれは絶対的な隙となり果てる。
「はい、ざ~んね~ん賞!」
声とともに、その二人を飲み込む特大の弾幕が飛び直撃した。二人は黒煙を上げ、地面へと落ちていく。下には、先程までいなかったはずの一般人のゲーム参加者たちが倒れていた。だれもが苦しそうに呻いている。
黒煙が張れると、ウィルが再びその姿を現す。
「ありゃりゃ、予定より少ないけど、まあ二人は落とせたしいいか」
「いまのは……!」
「おや、気付いちゃった? アハハ、まあ簡単な弾幕さ。味方を認識できなくなるスペルカード。それが『幻符 かぼちゃ畑をさまよう黒い影』さ。あの二人はお互いのことが見えていなかったから、お互いの足かせと化したのさ。無能な味方は敵よりも怖ろしいものだよ?」
「ふ、ふざけるな! 無能な味方って、あの二人は無能なんかじゃない!」
「わーおっ! なに、その無意味な庇い合い。人という漢字は人が支え合ってできているとでもいうの? 残念、人という漢字は人が歩いている様子からできています。つ、ま、り、人はそいつだけで十分生きられるのさ。だから他人は足かせにすぎないんだよ」
「話をそらすな!」
鋭いネギの怒号に、しかしウィルはより一層嬉しそうに顔をほころばせるだけだった。
「いい加減にしなさい、この悪魔が」
そしてそのうれしそうなウィルへ、頭上から急降下したシスターシャークティが人二人分はあろうかという十字架を叩き込んだ。
ネギとウィルの会話の隙に上空へと移動したシスターの繰り出した一撃は、数百キロにも及ぶ大質量と、キリストの教えによる聖性と、魔力による身体強化による打撃により三重の攻撃と化し、ウィルを襲う。あたりに眩い閃光と衝撃が拡散する。
「貴方が悪魔である限り、私たちに負けはありません」
シスターシャークティの攻撃は、悪魔にとって致命的な一撃だ。悪魔という存在を、キリスト教は許さない。その教義を持ってその存在を弾圧し、一方的に消滅させることも可能だ。それほど悪魔という存在に対し、キリスト教の術式は有効だ。魔法使いよりも、悪魔祓いに特化していると云えよう。だからこそシスターシャークティはこの麻帆良において戦うことを可能としている。
「あはは……」
「なっ!?」
しかし十字架の下で、ウィルは狂笑へ笑みを変えた。その身に傷はひとつもない。
「この私にキリスト教の攻撃を使うか。うふふ、愚か者め。聖ペテロをだましたこの私を、キリスト教の教義による弾圧などできるものか。なにせ、キリストの弟子が一度は私を認めているのだぞ」
十字架は見えない壁に阻まれるように、ウィルへ触れるか触れないかのところで止まっている。どれほどシスターシャークティが力を込めても、それ以上先へ進まない。
「私の能力はふたつ。一つは『だます程度の能力』。もう一つは『十字架を受け入れない程度の能力』。くははは!」
「バカな!」
吹き飛ばされるシスターシャークティ。何とか空中で体制を整えたが、その動揺までは消しきれなかった。十字架が震えている。
「まさか、お前は!」
西洋人であるネギは、今までの話とウィルが語った名前から一つの存在を思い出す。しかしそれは到底信じられるものではなかった。もしそれが本当ならば、相手は悪魔ではない。いや、むしろそれ以上に危険な相手だ。
「人は私に幾つもの名前を付けた。一つはウィル・オー・ウィスプ。そしてもう一つは、ジャック・オー・ランタン。私はハロウィンの怪物さ」
ジャック・オー・ランタン。様々な逸話の残るかぼちゃ頭の怪物。大体は悪魔をだまし、地獄へ堕ちなくなったが生前の行いのせいで天国へ行けなくなった者。あるいは聖ペテロをだまし一度よみがえり、再び死んだ際にウソがばれ、天国にも地獄へ行けなくなった者。そう語り継がれる神の教えをだました人間。そしてその代償に現世を彷徨うだけの存在となり果てた元人間。それが彼女の正体。
「バカな! なぜそれほどの存在がこんなところに!」
エヴァンジェリンをも超える伝説の化け物。それがジャック・オー・ランタンだ。少なくとも麻帆良に唐突に表れるような存在ではない。
「自分で考えろよ、バーカ。『燈符 汝は地上を彷徨うべし』」
魔法使いたちの上空と下に弾幕が現れた。それらは移動することなく、その場にとどまり続けている。
「これは……?」
ウィルの狙いが分からないのか、魔法使いの多くは警戒を崩さないものの、拍子外れを受けた顔をしている。しかし、
「馬鹿者! これこそがあいつの狙いだ! 私たちの逃げ場をなくすためのものだ、これは!」
エヴァンジェリンの叫びにようやく気が付く。止まった弾幕は、自分たちを攻撃するものでなく閉じ込めるための檻だということに。
「さあ、私と同じように永久に彷徨え」
津波のような弾幕が、前方から魔法使いたちを襲った。