深夜の3-A教室前に、黒はうつらうつらとしながらも眠い目を擦り頑張って起きていた。辺りでは真っ暗闇の中を生徒たちがせかせかと動き回り、学園祭の出し物となったお化け屋敷の内装を突貫で作っている。ペンライトの乏しい明りで手元を照らし、トンカチやペンキが動き回る。静かながらも騒々しいという奇妙な状態だ。しかしやはり眠気には耐えられないのか、黒の体が傾く。
「おい、大丈夫なのか?」
「……え、なんですか?」
後ろ向きに倒れ込みそうになった黒を片手で支えながら、千雨は誰にも聞かれないようにひそひそと尋ねる。しかし黒はほとんど眠っており、その言葉を聞き逃してしまっていた。
「はぁ」
千雨がため息をつく。黒は半開きの目でペタペタと再びペンキを塗りたくる。本来はすでに眠りについている時間。黒にとっては下手な妖怪よりも恐ろしい睡魔と闘っていた。今こうして3-Aに付き合っているのはネギが手伝ってくれと願ったからだ。もし生徒たちの願いならば自業自得と断っただろう。
しかしネギは忘れたのだろうか。夜中という時間帯において黒が全くの役立たずだということを。昼ならば大概のことはこなせる頭脳に天才性を誇る黒も、夜においては睡眠欲とも言うべきものがあまりに強くもたげてくる。
ぼんやりと濁り切った瞳をみた千雨は喝を入れるためにも耳元で他の誰にも聞こえないように語りかける。
「それで
あれという千雨の言葉に、黒の瞳は開く。すでにその眼から眠気は消え去り、一瞬で二人の周りに結界を張る。その結界は普通の魔法使いでは感知できない隠密性を持つもので、ネギとそして刹那ですら気付かず、黒と千雨を周りの目から隠す。
「そうだね。下準備はすでに終えている。とはいえ、後は時間が来るまでなにもできないともいえる。それまでその仕掛けを守る必要がある。まあ、普通の魔法使いがどうこうできるとは思えないけどね。知覚すらできないんだから。それよりもそちらはどうなんだい、是非曲直庁の方は?」
「一応、こちらの準備も終わったよ。というよりも、準備自体はすぐに終わったさ。それよりも私が地獄へ行くために小野篁の井戸を探すのが大変だったけれども」
その話に納得がいったのか、黒はひとつ頷き、結界を解除した。すぐにその眼はとろんと眠そうになっていく。しかしその瞳には知性の光がギラギラと輝いていた。
翌日、学園祭前日に黒は世界樹前にいた。
その場には大勢の魔法使いがおり、最後にやってきたネギが驚いた顔を晒している。近右衛門に言われて、ようやくここにいる全員が魔法使い関係者だということを知ったようだ。
「うむ。すまなんだネギ君。少々事情があって、君になかなか知らせることができずにいたのじゃ。しかしいまは交友を暖めるわけにもいかん。ネギ君も、ユギ君も良く聞いておくれ」
そこで言葉を切ると、髭を擦り珍しく眉毛から目を覗かせて言葉を続ける。
「今年の学園祭は、ちょっと特別での。『世界樹伝説』を知らぬ者はおるか?」
特に反応はない。あまり生徒と触れ合わない黒ですら、世界樹伝説が生徒たちの間で広まっていることは知っている。学園最終日に告白をすれば恋人ができるというたわいない噂話だ。
「その世界樹伝説なんじゃが、普段は平気であるがのう。二十二年に一度、まあ、異常気象のせいで今年にずれ込んでしまったのじゃが、世界樹が貯め込んだ魔力によって、恋愛関係であるならばどんな願いもすべて叶ってしまうようになっておる」
その言葉に幾人かは驚いた気配を漏らす。恋愛関係といえ、願いをすべて叶えてしまうというのは魔法使いですら驚くに値することだ。それだけの魔力は黒ですらそうそう簡単に用意できるものではない。
「人の心を操るのは魔法界でも犯罪じゃ。なんとしてもこの伝説を叶えさせるわけにはいかないのじゃ。君たちには生徒の告白を止めてもらいたい」
そこまで近右衛門が話していると、サングラスをかけた男性魔法使いが唐突に指をはじき、魔力を纏った風を飛ばす。風が通った後、爆風がし機械の残骸が落ちていく。カラカラとむなしい音が響く。
幾人かはその音よりも早く、素早く地を蹴り空を翔けだす。機械を送った人物を追おうというのだろう。
「どうしますか、学園長? 私たちも加わりますか?」
「いや、彼らに任せればよかろう。さて、皆良く集まってくれたな。おって、警備シフトなどを送るので、学園祭期間中はよろしく頼むぞ」
各々が解散していく中、黒はその場にとどまり続けていた。上空を眺め続け。
「――」
「ん、なにか言ったかいユギ先生」
「いえ、なにも」
その言葉は魔法使いたちには聞き取れなかった。
学園の建物の天井を幾つもの影が走り抜ける。スプリングフィールドと桜咲が生徒である超を抱えていた。その後ろから追ってくる影から逃げている。しかし段々と逃げ切れなくなった二人は、応戦を始めた。
さすがに人気の多い通りが近いため、派手な魔法などは使われていなかったけれども、的確に応戦し裏路地へと逃げ込んでいく。なかなかうまい戦運びと言えるだろう。おしむらくは裏路地に逃げるならば、確実に追っ手を撒いてからの方が良かったというところか。実際追っ手もいまだ追ってきている。
それに気が付いた二人は再び追っ手へ交戦しようとしたが、追っ手の正体を知り動きを止めた。なぜならそこにいたのは、先ほどの広場にいた魔法使いたちだったから。
一瞬止まった両者であるが、しばらくしてから魔法使いの一人の提案で人のあまりいない場所へ移動した。この時期の広場はあまり人がいない。そこへ行くつもりなのだろう。
到着してそうそうスプリンフィールドが噛みついた。
「どういうことですか?」
「それはこちらのセリフでもあるよ、ネギ君。なぜ君が問題児にして要注意生徒の超鈴音をかばっているんだ?」
「問題児?」
ちらりとネギが窺えば、超は汗をかきつつ苦笑いをしている。
「いえ、それでも超さんは僕の生徒です。生徒が襲われていれば助けるのが当然です」
「なに? 担任? そういうことか。しかしネギ君、超君に関しては私たちに任せてもらおう」
魔法使いの教師がそういうと、生徒が操る影の魔法が超の体を拘束する。それを見たスプリングフィールドは声を荒げた。
「超さんをどうするつもりですか!?」
「まだ分かりません。しかしおそらく記憶消去を取らねばならないでしょう。本来あまり推奨されている魔法ではありませんが、彼女に関しては使用も止むなしです」
「え? 記憶消去が推奨されていない魔法?」
「知らないのですか? かなり早い段階で魔法学校で教わるはずなのですが……。記憶消去魔法は時折副作用として脳細胞を不必要に傷つけてしまう可能性が高いですから、使用する時は細心の注意が必要な魔法です。ですから魔法バレをしてしまった際、最終手段としているのです。しかし彼女は再三の注意を無視しています。こうなってしまえば記憶を消すしかないでしょう」
一度黙ったスプリングフィールドであるが、顔をあげると強い口調で反論する。
「超さんは僕の生徒です。僕の生徒を危険人物って決めつけないで下さい。僕にすべて任せてください」
「な、なにを言っているんですか!? 彼女は魔法についてあまりに深く関与しようとしています。魔法というのは悪用も簡単にできるのですよ!」
「いや、待ちなさい」
先ほどのスプリングフィールドよりも声を荒げた女子生徒を、魔法使いの先生は手で抑え込む。
「分かった。君の言葉を信じよう。ただし、責任を負うということは、失敗した際君がすべての罪を背負うということだよ?」
「はい。それでも僕に任せてください」
「よし、それじゃあ頼んだよ、ネギ先生」
去っていく魔法使いたちを見送った後、超がスプリングフィールドへと月の絵が描かれた時計を渡す。
「これはお礼ね」
「これは?」
「今のネギ坊主に必要な物。それだけ覚えていれば十分」
笑みを浮かべた超はそう言い、スプリンフィールドの唇へと人差し指を当てた。
それを上空で見ていたさよは、ユギへ報告するために元来た空を戻っていく。
学園祭編へ本格的に突入前の回でした。そろそろ学園祭が開始します。
追伸
たしかネギって飛び級をしていましたよね。その場合本来教わるべきことを教わっていない可能性が高いことと、ネギの性格ならそういう純粋な魔法以外はあまり覚えていないと作者は考えました。原作でも惚れ薬が違法と知らなかったようですし。