東方魔法録   作:koth3

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嗤う妖怪

 首を廻らすと、鼻を摘ままれてももわからない暗黒の、無機質なディラックの世界がどこまでも広がっている。

 音を立てたとしても、跳ねかえることなくかき消えるまでどこまでも突き進む。なんの香りもせず、臭気もない。暖かさのかけらもないが、だからといって冷たくもない。五感のほとんどが意味をなさず、ただ感じ取れるのはぽつぽつと、その闇の中で休みなく蠢く手足やら目玉のみが見えるだけ。

 短い時間でもここにいれば、精神に多大な悪影響を与えるだろう。闇の中を震え続ける人間の一部の惨たらしさ。こちらをすがるように見据える眼球の数々。それらから逃げたくなったとしても、どこにも逃げ場のない世界。

 この世界にとらわれた者は、自我が崩れ、周りの闇といつしか一体化するだろう。果てしなく続く闇はどこまでも無関心に包み込むかのようだ。変わることなく、飲み込んだものだけを変え続けようとしている。コールタールみたく絡みつき、沼のごとく沈め。

 しかしそんな息の詰まる闇で、二つの化け物が殺し合っていた。

 金髪が翻る。黒い翼が闇をかき分ける。白い足が躍る。灰色の体が猛進する。変化のない世界を突き崩し、そこに存在している。

 二つとも、真正の怪物だ。大妖怪に匹敵する力を持つ妖怪。歴史に名を残す者に作られた魔。そこにいるだけで、世界の歴史を変えることすらできる力がある。その二者がお互いを殺さんと殺意を放ち続けている。

 ただ放たれる殺気だけで、いくらの人間が死を自ら選ぶだろうか。いくらの人間を殺せるだろうか。お互いが漏らす殺気だけで世界が歪んでいく。

 お互いが、心の底から相手の死を願っている。その存在を抹消するのは自らの手で、と。

 その同一の心持であるはずの、両者の顔つきは全く違う。ヘルマンには憤怒が、黒にはうすら笑みが浮かんでいる。

 その寒気を含んだ笑みを扇子で黒は隠す。冷たい光をたたえた目だけが縁と髪の隙間から覗いている。そのまま、ぱっと扇子を翻す。すると扇子が凪いだ場所から一個の妖力弾が放たれる。まっ白な弾だ。その弾は、黒い世界でよく目立つ。結構な速度で襲い掛かる弾であったが、ヘルマンは難なく避けた。

 その間にも滑らかに、空を滑るように黒は後ろ向きのまま飛行する。じっとヘルマンの顔を見据えながら。

 ぶれることなくただ佇んでいるようにしか見えない飛行は、能楽の舞踏にすら間違えてしまうほどに洗練された動きだ。指先までもが美しい軌道を描く。

 その後を追い、翼をはためかせたヘルマンが力強く、荒々しい挙動で追いかける。巨体を動かすための羽ばたきは、激しい。生命力あふれる躍動がそこにある。

 一見すれば、一体の怖ろしい化け物が華奢な少女に襲いかかっているようにしか見えないだろう。だが、現実は違う。

 

「そうら。このていど?」

「舐めるなよ、小僧!」

 

 先ほどから攻撃をしているのは黒ばかりだ。ヘルマンはただ追いかけるだけしかできていない。本来ならば、近づいてその巨体と三首を使い攻撃するのだろうが、黒はヘルマンを全く近寄らせないし離させもしない。確実に間合いを取り、主導権を握っていく。

 扇子を反しそこから様々な色合いの、威力こそあまりない弾幕を次次に間髪入れず撃つ。その壁のような密度はヘルマンの体に確実に当てるためのものだ。弾幕が当たった個所からは薄煙が絶え間なく上がった。

 その煙を切り裂き赤いレーザー状の魔力が返される。ヘルマンの反撃だ。しかしいくら強力な攻撃であろうとも、軌道が直進だけであり、さらにはそれぞれの首の数、三発程度しか同時に撃たないようでは、黒にとっては寝ていても避けられる攻撃だった。

 しかしヘルマンは反撃を避けられたというのに余裕な顔もしている。。撃ち合いに負けていたとしてもさすがというべきか、その身に全くダメージを受けた様子はない。挙動は未だ力強い。その錬金術によって作られた世界でもトップクラスの強固な外骨格と、先ほどまでと段違いの密度を保つ魔力()()が黒の妖力弾を完全に防ぎきっているようだ。一発が少なくとも魔法の矢以上、いやそれどころか白い雷と同レベルの破壊力が込められている弾丸を全て。

 口を開け、いくつもの球体を放ってきたヘルマンを眺めながら、袖を探る。取り出した符を扇状に広げ、この戦いで初めて()()する。かつて垣間見た世界の理を参考にし、黒が造り上げた術を。

 

「怪符 『この子は誰?』」

 

 小さな白く光る球がヘルマンと黒のちょうど中間あたりに生まれる。その球は二人と同じ速度で飛んでいるため、三者間の距離は全く変わらないでいた。ヘルマンはいぶかしげな顔をしながらも、先ほどと同じように魔力を放ってくる。難なく黒も避ける。

 五秒ほどたつと、その白い球は蝋燭の火を吹き消したかのようにかき消える。

 

「なにを企んでいるか知らんが、この身は最高硬度の金属ですら削れん! また、この身はありとあらゆる衝撃を寄せ付けん! 貴様の力程度では、わが身を貫くことなどできんわ!」

 

 また再び球が生まれる。今度は白い球でなく、赤い球だ。不安定に球が揺らめいている。その違いにヘルマンの表情が変わる。

 

「来るか!」

 

 バッバッバッバッバ、と回し始めたプロペラのような断絶しかけた音が幾度もする。音がするたびに、赤い球から幾つもの黄色い弾が放たれる。その黄色い球はヘルマン目掛けて速く飛んでいく。

 

「この程度!」

 

 ヘルマンはそれらの弾を真っ向から受け止め、砕いた。力負けした弾はシャボンのように割れていく。雄たけびをあげ、一層その速度を上げてくる。黒はその様子を見て、口元を弧に歪めた。

 すべての弾を撃ち終わり、今度は白い小さな玉が赤い球から分裂して現れ、ゆっくりと迫っていく。しかしそれらはヘルマンを狙ってでなく、当てずっぽうに、それこそランダムと言っていいほどに散らばって放たれる。白い玉が滑空する中を、ヘルマンは訝しげにしながらも、魔力を刃のように収束させて放つ。ダイヤモンドすら簡単に両断する鋭さがそこにある。

 黒はそれらをただわずかに体をずらすだけで完璧に避けきる。チッと掠める音が聞こえる。魔力がその身を、肌を切り裂こうとする中、その猛威を楽しむ余裕すら持ちつつ黒は飛び続ける。

 

「そろそろ両親が怪しんできた。いったい、その子は誰の子なのか、と」

 

 黄色い、先ほどよりわずかに大きくなった流線型の弾が再び赤い球から放たれる。ヘルマンは先ほどと同じく力づくで砕かんと、加速するために翼を広げた。しかし、その体勢を唐突に崩す。

 

「ぐっ!?」

 

 目を丸くしているヘルマンの翼から、行く筋のか細い煙が立っている。ダメージはないようだが、バランスを崩しきっている。

 ヘルマンの周りを、先程放たれたはずの白い玉がいまだに漂っていた。あまりの遅さで進む玉は、最初から逃げ道をふさぐためだけに黒が布石として放ったものだ。

 一瞬黙ったヘルマンは、すぐに敵意をあらたに翼をはばたかせる速度を速める。

 

「その程度で、この身を崩せるとでも思うたか!」

 

 二の腕を眼前でクロスさせ、ヘルマンは弾幕を耐えきろうと構えている。ただでさえ強固な魔力結界が、さらに頑強な物へと変わり、腕もまた二回りほど膨れ上がっていく。

 人造物(キメラ)だからこそできるであろうその所業を見、黒は小馬鹿にした笑みを一層深く刻み込む。無意味な所業とあざ笑いながら。

 弾幕がヘルマンの結界へと接触すると、まるでそんなものは初めからなかったかのようにすり抜ける。

 

「なに!?」

「災厄を寄せ付けない道祖神すら欺く不可思議な子に、その程度の結界が意味をなすはずないだろう?」

 

 黄色い弾はヘルマンの眼前にて黒く染まり、一気に破裂する。いくつもの鋭い針状の妖力が、中心から押し出されるように飛びだしヘルマンへと襲い掛かる。ほとんどの針は弾かれるだけだが、数本だけ異様に妖力が込められたものがあり、それらだけはしっかりと、食いつくかのようにその身へと突き刺さる。

 しっかりとヘルマンの体に食い込んだ針は、込められた妖力を先端から一気に解放させていく。

 

「ぐぉお!?」

 

 突き刺さった針の先から、くぐもった爆発音が発生する。ヘルマンの体に突き刺さっている針は、その針先から爆発する妖力を発し続け、強固な外骨格でなく柔らかで脆い肉体の内部から破壊していく。内側から断続して続く爆発をヘルマンはなす術もなく受けていく。

 爆発が終わる頃には、ヘルマンの体の表面を罅が覆い始めていた。その亀裂から、体液らしきものが流れ落ちている。

 

「よくも、やってくれたな……!」

 

 そういうと、ヘルマンは三首をもたげ、その口腔内になにかをため始める。液体状のそれらは、それぞれ緑色、黒色、赤色という奇妙な色合いをしていた。小首を傾げ、しかし黒はその行動を邪魔することなく眺めている。

 

「喰らうがいい!」

 

 吐き出されたそれらは空中でまじりあい、玉虫色に輝きながら黒へと迫る。道中にあった妖力弾をすべて溶かし尽くして。

 それを見てとっさに黒は旋回し、その液体を被るのを避ける。

 

「王水。いや、錬金術(製作者)から考えれば、万物溶解液(アルカエスト)の方が道理だろう」

 

 鼻をつぶしたくなるほどの臭いを発し、黒の結界が溶けている。僅かに結界へと掠めたらしいが、その程度でもこれだけの効力を発する()()。ヘルマンの切り札ということだろう。

 結界を眺めながらつぶやき、そしてヘルマンへ顔を向ける。

 

「トリスメギストスが作り出したというのもあながちウソではないようだ」

 

 ぺろりと口元をなめると、黒はヘルマンへ新たに弾幕を放つ。先程まではなっていた弾幕は、すでに術の効果時間を終え、なくなっている。

 

「無駄だ!」

 

 再び吐き出される万物溶解液。新たな弾幕を簡単に溶かし尽くして迫ってくる。人一人簡単に呑み込める大きさのそれを避けると、その陰からヘルマンは飛び出し、その口腔内にたまった薬液を吐き出し、二発目を浴びせかけようとする。

 

「弾幕ごっこならばルール違反だが、まあ()()弾幕ごっこは必要ない。問題ないだろう」

 

 黒の顔がゆがむ。薄ら笑いでなく狂笑が浮かび上がる。妖力が跳ね上がる。

 

()()()()()()

 

 鈍い金属音が世界へと吠える。

 黒い空間に、ワイヤーで区切られた黒い穴が開き、そこから幾つもの交通標識が覗いている。それらがヘルマンの体を叩き壊し、打ち貫いている。顎へ突き刺さった標識は、ヘルマンの(あぎと)を強制的に閉ざしていた。

 緑色の血を噴出し、呻くヘルマン。黒はスキマを使い眼前に来ると、左右の首を掴み引きちぎる。噴出した血と液体、体液は溶解作用でもあるのか、臭気を発しつつ黒の頬にかかっている。だがその肌は火傷ひとつ負うてない。黒は二つの首を放り捨てると、最後の首に手をかけた。

 

「……悪魔、め」

 

 わずかに開いた口からヘルマンがそう漏らす。そこに怯えが僅かにあった。

 

「妖怪だよ、これからは」

 

 最後の首を、大笑いしながら黒は引きちぎった。




これでも一応主人公なんだぜ、黒って……。
主人公というより、完全敵役の方がはまっているような気がする作者です。

作中に出てきたオリジナル弾幕について
元ネタは取り替え子。一種の神隠しと言える気がしましたので、神隠しをする妖怪たるスキマ妖怪にふさわしいかなと思い、そう名付けました。

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