東方魔法録   作:koth3

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駆けつける者

 空から降りしきる雨は鈍色のスクリーンとなり、過去の記憶を揺さぶり起こして映し出す。

 燃え盛る街並みの、肌をも焼く熱さ。呼吸をするのも辛く、息を吸うだけで咳が出た。光線にあてられ石と化した親しい人々。いつその光線がその身を貫くか恐怖した。そこから命からがら逃げようとする自身。言われたとおり逃げなければいけなかった。そして逃げる時間を稼ぐために悪魔と対峙するスタン老。本当は一緒に逃げて欲しかった。

 それらすべての思いを飲み込んで内にとどめ、黒はただ静かに眼下を見すえる。麻帆良上空を浮いている黒は、地上から見つけることができない高度にいた。世界樹よりも高く、しかし雲よりは低く。

 風が吹き付け、耳元でヒュウヒュウとなり鬱陶しく感じられる。雨によって髪は水気を含むし、服は肌に貼り付き重くなっていく。だが黒は微動だにせず、ただある一点を凝視している。僅かな動きをも見逃さないように。

 黒が見ている一点。そこには黒い服装が特徴的なヘルマンが、丁度真下にいた。見られているということに気が付いてないようだ。

 麻帆良の小さな広場――コンサート会場に使われる――にて、魔力が漏れないように結界を張っている。

 それを黒は無表情で眺め続ける。馬鹿げた量の妖力を垂れ流しながら。

 

 

 

 

 殴るような雨に苛つきながら、ネギは麻帆良の小さな広場へ急いでいた。急がなければ、ネギは後悔することになるだろう。

 それは唐突なことだった。

 エヴァンジェリンの修行を終えて寮の自室へ帰り、授業に使う資料をまとめていたところ部屋の中で僅かな物音がした。それほど大きな音ではない。精々カモが走り回って物にぶつかってしまった程度の音だ。普段ならば気にも留めやしない程度の音。だけどそれが無性に修行明けのネギには気になってしまった。

 パソコンから顔を上げて油断なく視線を部屋中へと巡らせる。証明の明かりに照らされているは常と変わりがない。

 思い違いなのか。そうネギが思い始めた頃、師であるエヴァンジェリンと古菲の言葉がよみがえる。

 違和感を覚えたら、その違和感を必ず突き止めろ。でなければ、奇襲を受けて負ける((死ぬ))

 とっさに壁に背を付けて死角を減らし、魔法発動媒体である杖を握りしめ静かに辺りをうかがう。部屋に変化はなかったはず。ネギが見たところでは。

 

「違う!」

 

 違和感は視界でなかった。雨と泥の臭いが部屋に交じっている。一階の部屋ならば窓から外の香りが入る可能性はなくないが、ネギが住む部屋は一階ではない。そんな臭いがするはずなかった。

 いったいどこから。僅かな臭いも嗅ぎ取ろうと嗅覚を意識する。だんだんと臭いは強まっている。

 時間が経てば強くなる臭い。さらに仕事をしていたといえネギに気付かれない場所。それはどこか。ネギの優れた頭脳はそう時間を取らず答えを導き出した。

 視線を上に向ける。

 

「天井!」

 

 言葉とともに天井が崩壊し、女の子たちが落ちてきた。

 それら(・・・)はべしゃりと、まさしく泥のように一度床でつぶれ混じり合い、再び各々の形を取り戻す。その奇妙な性質をもった魔法生物を、ネギは知識として知っていた。いや、たとえ魔法生物に関する知識がなくともわかっただろう。ありとあらゆるロールプレイングゲームで登場するモンスターだったから。

 

「スライム……!」

 

 斬撃・打撃を完全に無効化し、また魔法も水系統であるならば吸収するという厄介な体質をした生物だ。その代わり、光・熱・電撃・氷の魔法に対する耐性は低い。ネギが得意とする電撃や風魔法ならばそれほど手間取らないような相手だ。

 しかし問題はひとつ。学園結界が張られている中、なぜ魔であるスライムが活動できているのか。ネギはスライムたちへ視線を向けながら考えを巡らせる。そこが分からなければ、ネギにとってディスアドバンテージとなる可能性が高い。

 走り出しそうになる体をネギは落ち着かせようとしながら、スライムを見すえる。

 

「へぇ。平和ボケしていないようだナ、感心感心」

 

 一体の、釣り目のスライムがうれしそうに顔を歪める。平坦な口調との落差が、薄気味悪さを強調している。杖を握る力が強くなる。何か動きが出たらすぐ対処できるよう、ネギは使える魔法をリストアップしていく。

 

「楽しむのはいいですガ、要件を済ましませんト」

「そうですヨ。ネギ・スプリングフィールド。世界樹の下にある小さな広場、そこにあなたの仲間を捕らえましタ。助けたければ、一人で来なさイ。助けを呼べば、殺しまス。不審な動きをしても殺しまス。では」

「なっ! 待て!」

 

 ネギはとっさに距離を詰め、スライムを掴もうとしたがその手は空ぶった。スライムたちは水のようになり、床材のわずかな隙間から消えていってしまった。

 震える拳でネギは床板を殴りつけた。鈍い痛みが拳から返り、ネギを責める。

 残されたネギは、とかく広場へ向かうことしかできなかった。

 

 

 

 麻帆良の小さな広場には、ヘルマンがいた。その後ろには透明な球体状の柔らかそうな物体に包まれたネギの生徒たちがいる。ワンピース姿の木乃香とそして・のどか・夕映・古菲・朝倉、はなぜか裸で大きなひとつの球に。刹那は服を着ているが、意識を奪われているらしい。小さな球の中で一人、ピクリとも動かない。

 そして明日菜。一人だけ四肢を拘束されて露出の激しい服装を着せられている。意識を取り戻し服装に気が付いたのか、ヘルマンの頬を拘束されながらも蹴りぬいていたが。

 そして抵抗をするのは明日菜だけではない。球に包まれた五人も脱出しようと足掻いている、だが、球はなにをしようとも衝撃を吸収してしまい、古菲の一撃すらも通じない。

 その様子をあざ笑うように、スライムたちが現れた。馬鹿にした笑みを張り付け、五人を見下している。

 

「無駄無駄無駄」

「私たち特製の水牢からは出られませんヨ?」

「食わないだけありがたいと思エ」

 

 笑いながら釣り目のスライムは水牢をたたいて語り続ける。

 

「一般人が興味半分に足を突っ込むからこうなるんだゼ? 昔はそれこそ命を捨てる覚悟程度は最低条件だったのにナ」

 

 歯を剥き出しにして、ひとしきり笑ったスライムはヘルマンの方を向く。

 

「旦那、焚きつけてきたゼ。ネギ・スプリングフィールドを」

「ああ、ありがとう」

 

 ネギの名前が出た瞬間、明日菜は表情を変えた。口調がさらに強まり、詰問する。

 

「こんなことしてなにが目的なのよ! それにネギを焚きつけたってどういうこと!?」

「なに、大したことではない。仕事があってね。封印から解放された恩を返さなければならないのでね。『ネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜の危険度の調査』を頼まれた。うむ、しかし依頼でなくとも機会があれば、一度は戦ってみたかったから渡りに船だったが」

 

 ヘルマンがステージから客席の方へ歩いていく。そのヘルマン目掛け、雷を纏った魔法の矢が殺到する。

 だがヘルマンが手を上げると、障壁を張ったかのように魔法の矢が受け止められ消滅させられた。その際、後ろで拘束されている明日菜の胸元のペンダントが光り、うめき声が漏れる。その様子にネギは気づいていないらしく、驚いた顔をしつつもヘルマンを睨みつけていた。

 

「約束通り来ました、みんなを返してください」

「はっはっは! よく来たね、ネギ君」

 

 朗らかに笑うヘルマンを、ネギは強く睨み続けている。後ろには囚われている生徒たちがいる。それに気が付いたらしく、ネギは顔を顰めて声を荒げた。

 

「あなたはいったい何者ですか!? それになんでこんなことを」

「なんでこんなことを、か。そちらにこたえるのは簡単だよ、ネギ君。人質を取らなければ、君はきっと無意識に手加減をしてしまうだろう。それは私としても困るのでね。こうして人質を用意させてもらった」

 

 笑みを消したヘルマンは、静かに諭すように続ける。

 

「私を倒すことができたら、彼女たちは解放しよう。――条件は分かりやすい方がいいだろう?」

 

 その言葉に何らかの覚悟をしたのか、ネギは険しい顔のまま小奇麗な、教科書通りに拳を構える。辺りを警戒してか、取り回しの悪い杖よりも素手を優先することにしたらしい。

 その判断に対する答え合わせはすぐだった。

 客席の椅子を遮蔽物に、スライムたちが三方向から飛び出してきた。

 柔らかな体はしなり、かなりの速度でネギの体を打つ。防御を間に合わせられたネギは、しかし体ごと吹き飛ばされステージの方へ転がされた。

 ネギが体勢を立て直すと、すでにスライムが眼前にいる。なかなかの速さだ。スライムの中ではかなりの実力者であるだろう。

 

「戦いの歌!」

 

 一瞬杖を触り、ネギは魔法を発動させる。

 ネギの体を魔力が覆い、肉体の強度などを底上げし始めている。同時にスライムが殴りかかる。直線的な攻撃かと思えば、軟体の体を生かした鞭のような円を描く一撃。さらには防御をしてもその上から軌道を変えるトリッキーな動き。軟体を生かしたスライム独特の格闘術のようだ。

 通常時ならば追いつかないであろうスライムの攻撃を、しかしネギは確実な対処を繰り返し、小さくであるがカウンターを決めて距離を離させる。拙い部分は見れども、見事というべきだろう。なにせ、中国拳法を学び始めてまだ一か月も経っていないというのに、実践で使えるまで鍛え上げたから。

 しかしいくら見事な技を見せても、スライムに肉弾戦は意味がない。ゆえに距離を稼ぎ魔法を発動する必要がある。それはネギも承知しているだろう。さきほどから距離を取ろうと試みている。

 だが三体ものスライムが一度に襲いかかるとなると、ネギの格闘スキルでは荷が重いらしく、細かくあてることしかできていない。相手を吹き飛ばすほどの大技は封殺されている。

 段々とネギの顔に焦りが浮かんできた。

 

「くっ!」

「ほらほらほら! どうしタ? さっきまでの威勢はどこに消えタ? そんなもの私たちには痛くもかゆくもなイ」

 

 二対の拳と足。一人に付き四か所の攻撃箇所。それが三人。十二か所からの変則的な動きをする攻撃をかいくぐり、スライムたちを吹き飛ばして一ヵ所に固め、魔法を使って倒すしかネギには勝つ方法がない。

 だんだんとネギの額から汗が流れ始める。まだ肩で息はしていないが、このままではそう遅くないうちになるだろう。

 時間が経つにつれて、スライムたちの動きがより速く重く強くなっていく。

 

「この雨の中、私たちに勝てるカヨ!」

 

 スライムは水気を吸収する。降りしきる雨という環境は、スライムにとって最高の状態だ。逆にネギからすれば、足場がすべりやすくなり技が乱れやすくなるなど最悪に近いものだろう。ありとあらゆる事象がネギに敵対しているかのようだ。

 盛大な音が響く。雨音を破るように激しい乾いた音がする。ネギはスライムたちの同時攻撃を腹部に喰らい、吹き飛んでいた。

 生徒たちは悲鳴を上げている。とくにのどかは目じりに涙をためている。

 

「いや、違うアル!!」

「しまッタ!?」

 

 ネギがにやりと口角を上げる。スライムの攻撃を喰らった際、自ら後ろへ飛んでダメージを逃がし、かつ距離を取っていた。すぐさま呪文の詠唱を始める。どうやら雷属性の魔法の矢を撃つつもりらしい。

 慌てた様子のスライムたちがネギへ駆ける。しかしネギの詠唱の方が早かった。

 

「魔法の射手連弾・雷の矢30矢!」

 

 魔法の矢はスライムを撃ち抜く。すさまじい量の電気エネルギーがスライムの体へ放出され、その体を構成する水を分解していく。熱した棒を水に突っ込んだような音が続き、スライムたちから立ち込める白煙でその姿が見えなくなっていく。

 

「ほう。素晴らしい」

 

 感嘆の声をヘルマンが挙げる。手袋をつけた手で拍手をしていた。首を何度も振っており、惜しみない賞賛をしている。

 

「しかしそれだけだ」

「え?」

 

 ネギは油断していた。スライムに効果的な一撃を喰らわせたからだろう。もうスライムたちは行動不可能だとでも思っていたようだ。完全にヘルマンに気を取られていた。

 

「残念♡」

 

 だから気が付かなかった。スライムがまだ完全には倒れていないことを。

 白煙から飛び出したスライムの一体が、自身の体を触手のようにして呆然としたネギの体を締め上げる。ぎりぎりと締め上げている触手の力強さは、先ほどと変わらないように見える

 ネギは苦悶の表情を見せた。触手を振りほどこうと、力いっぱいに引っ張っているが触手はそれを意に介していない。

 

「なっ、なんで!?」

「はっ! 私たちがなんでこの日を選んだか、分かっていないナ? これだけの雨。たとえどれほどの一撃を喰らおうとも、この雨から水気を吸収すれば完全回復は容易なんだヨ」

 

 足を引っ張り続ける天気。それがここにきてさらにネギの足を引っ張っている。ネギの顔に絶望の色が浮かび上がった。

 

「そ、んな」

 

 締め上げる触手を握りしめていた手が離れる。だらりと垂れさがり、ネギの目は力なく閉じられていく。抵抗を諦めたらしい。

 だがまだ戦いは終わらない。

 

「阿呆。そんな雑魚相手にやられるなや」

 

 ステージへひとつの影が飛び込んでくる。その影は鋭い爪を持って、触手の根元を一瞬切り離す。いくら斬撃が意味をなさないとはいえ、ある程度の固さを持つスライムの体は切れる。だがそれだけの切れ味を爪で実行するのは容易でない。影はたしかな力を持っているようだ。

 

「ッ!? 新手、ダト?」

 

 ネギの体が地面に放り出される。受け身もできず地面にたたきつけられたネギではあるが、戦いの歌のおかげでダメージはない様で、すぐさま起き上がった。

 

「小、太郎君?」

「おう、そうや。犬上小太郎や! なんや知らんが、おっさん。俺も加えてもらうで!」

 

 ネギの隣には犬上と名乗った少年が、野性味あふれる笑みを浮かべて立っていた。

 




久方ぶりに五千文字を越えられました。次回も大体これくらいの分量になると思います。

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