カチコチと時計の音が響く。人も減った放課後の職員室で機械的に。針が進むにつれて、人影はいよいよ減っていった。つけられたテレビには、ニュース番組が映っている。これからの天気をキャスターが抑揚のない声で語っていた。これからどんどん雨脚は強くなるとのことだ。それを聞いた一部の教師が仕事の速度をさらに速めていく。雨脚がひどくならないうちに帰ろう、とのことだろう。
一時間が経ち、時計の短針が真下を刺す頃、部屋に残っているのは黒に新田先生にあと数人の若い先生ばかりだった。広々とした部屋にこれだけの人数しかいないと、どこか物悲しさがある。降りしきる雨が窓を叩き奏でる音は、単調でその物悲しさを助長していた。
黙々と一人、プリントの採点をしていた黒は、赤ペンの動きを止めた。にじみ出る赤インキが、円の途中で膨らんでいく。
「……見つけた」
ぽつりと言葉を漏らす。同時にペンが手の中で砕け散る。飛び出た赤インキは、すぐさま蒸発させられ、空気中へ消えていく。黒が顔を上げる。
机の上に置かれている鏡に映った黒の顔には、狂笑が浮かんでいた。
雷が今にも落ちてきそうなほど力強く轟く。雨は勢い良くアスファルトを叩く。小雨だったものはあっという間に大降りになった。アスファルトは黒く染まり、滑りやすくなっていく。
「こらアカンわ! まさかこない雨が降るなんて。さっきテレビでやっていたゲリラ豪雨ちゅうやつかいな!?」
小太郎は街中を走る。雨がパーカーにしみ込み体が冷える。気を使うことで体を暖めることはできるが、たかだかその程度で気を使うわけにもいかなかった。
小太郎は関西では少し名が知れた裏稼業の人間である。だが、関東においてはただの術者の一人だ。下手をすれば侵入者と扱われてもおかしくはない。近くには関東魔法協会の総本山、麻帆良学園がある。距離が少しあるからと言って、気取られないとは言い切れない。そのため、軽々しく気を扱うわけにはいかなかった。
なぜそんな面倒をしてまで、関東に小太郎は渡ってきたか。それは単純な目的があったからだ。
「くぅう! ネギや姉ちゃんみたく強い奴がおるからそれ以上の奴らがおるはずやと思って来たはええが、前途多難すぎるやろこれ!」
強いものと戦いたい。一種のバトルジャンキー特有の、欲望がそこにある。ギラギラと、雷鳴が轟くたびに瞳の中で光が強く蠢いている。
「んっ?」
足が止まる。小太郎がかぶっているフードが奇妙に動く。まるで中に生き物がいるように。
しばらく動いていたフードが止まる。小太郎が顔を上げる。笑っていた。
「なんや。前途多難なんて言うたけど、そうでもあらへんみたいやな」
舌なめずりをする。牙がむき出しになる。体に抑え込んでいるはずの気が、暴れ回って解放しろと要求している。
小太郎は、歓喜の声を上げた。
「おっしゃあ! 待っとれよ!」
足を麻帆良学園の方角へ向ける。意味もなく気は使わないが、意味があるのならば気を使う。小太郎は気を使ってすさまじい速度で街を駆けていく。
感じ取った力を追いかけて。
帽子のつばからは視界が遮るほど、それこそ鬱陶しく思うほどに雨が垂れ落ちていく。せっかくの仕事であるが、こうも天気が悪くては気が滅入ってしまう。これで、雨でなくほのかに降る小雪ならば風情もあるが。ヘルマンはそう思わずにはいられなかった。
「愚痴よりもこれからの期待に胸を躍らせるとしよう」
足を麻帆良学園の入り口へ進めると、わずかな違和感が身を襲う。しかしすぐにその違和感も消え去る。麻帆良学園に張られている結界を無事すり抜けられたようだ。
胸元に怪しく光る魔道具を窺う。麻帆良学園の結界を無効化する道具らしい。魔に触れ続けた身であれども、ここまで見事な魔道具をヘルマンは見たことがない。それほどの一品を今回の依頼主はそれを簡単に用意した。それだけでもどれほどの力を依頼主が持つか分からない。
ヘルマンは思う。目的の“彼”は恐ろしく、運がないのだろうと。いや、もしかしたらあるというべきかもしれない。
「英雄を目指すならば、乗り越えるべき敵はいるからね。そうだろう、ネギ君?」
それが自身であるならば、光栄というべきか? 疑問は口から出なかった。
道を進むにつれて、建物が見えてくる。麻帆良女子中学校の寮だ。
コートの内ポケットから、瓶を取り出す。この中には、スライム状の生物がいる。自身と一緒に封印された者たちだ。長い間一緒に封印されてきただけあって、気心は知れているし性格も把握しきっている。潜入任務には最適な逸材だ。
ヘルマンと違い、雨がうれしいのか瓶をガタガタと揺らしている。ふたを外すと、勢いよくスライムが飛びだして三つに分かれていく。
それは成人男性の膝くらいの大きさだ。生気のない瞳をしているが、感情ははっきりと顔に出ている。子供、それも幼い形態をとっているのは、戦闘能力がそれほど高くはないがゆえの擬態だ。
「たしか、ここでは最も有名な魔法生物であったな君たちは」
「はいでスゥ」
そう答えたのは、眼鏡をかけた個体だ。
「では、頼んだとおりに。私は、先に準備を済ましておこう。さすがに私たちとの因縁に全く関係ない人間が関わってしまっては興ざめだからね」
「オウ! こっちは任せとけ、ヘルマンの旦那」
「ははは、それでは頼んだよ」
ヘルマンとスライムは別れる。
スライムは人質を確保しに、ヘルマンは舞台を作り上げに。
「さあ、ネギ君。楽しもうじゃないか、闘争を」
笑い声が零れだす。
雷が落ちる。雷光に照らされ地面に移るヘルマンの影は、人の形をしていなかった。
これから少しずつ、黒が登場する機会を増やせそうです。