真夜中、満月が傾き始めるころに、明日菜はふと目が覚めた。
花を摘み終えて、エヴァンジェリンから借りているベッドへ戻ろうとすると、音が聞こえてきた。空気を切り裂く鋭い音に、肉と肉がぶつかるような、格闘技の試合でするような音だ。
誰が音を鳴らしているのだろうか気になり、明日菜はその音源を探す。音の正体は、それほど遠くないところにいた。ネギだ。ネギがクーフェから習っている中国拳法を、別荘の広場にて練習している音だった。さらに、魔法を使った練習もしている。黄色い光が視界を焼く。とうとつな光に、眠気はきれいさっぱり吹き飛んだ。
ただなぜだかは分からないが、ネギの手から放たれた雷はどこか弱々しく思う。
「すげぇっ! さすが兄貴だ。こんなに早く雷の斧を発動できるなんて。これならばマスターするのもすぐだぜ!」
「ダメだよ。威力も全然だし、それにここは魔法が使いやすいらしいし」
それでも明日菜はすごいと思った。いつから雷の斧という魔法を習ったかは分からないが、それでも天才の面目躍如か、カモが驚くほど覚えが早いのは羨ましいくらいだ。
それでも拍手をしながら、ネギたちへ近づいていく明日菜。魔法のことなどとんと分からないが、見たこともない魔法を使えるよう練習をがんばっている姿は、ほほえましい。
「流石魔法先生って言ったところね。天才は違うわ」
「明日菜さん!」
「でも」
近寄ってきたネギを
「頑張りすぎて体壊したらどうするのよ」
「ご、ごめんなさい。今日は遊んじゃったから、その分……」
「息抜きも修行のひとつよ」
色々と溜まった鬱憤を晴らし、すっきりとした明日菜はネギを放す。これまでの騒ぎですっかり眠る気をなくした明日菜はネギを連れて夜の散歩へとしゃれこんだ。
波の音が静かな夜に良く響き、風も気持ちが良い。あまりしゃれたことは好きでないが、それでも綺麗な満月も見れるならば、時にはよいかもしれない。
風に涼んでいると、ネギが明日菜に「聞いてほしいことがあるんです」と話しかけてきた。ただネギの顔が自身なさげに俯き、言葉を探しているようで、明日菜は少し驚いた。
「パートナーとして、明日菜さんには知ってもらいたいんです。僕が父さんと会った時のことを」
エヴァンジェリンとの戦い、リョウメンスクナとの戦い。その中で、ネギが誰かに頼ろうとしたことはあまりない。特に、身近であればあるほど。ユギを魔法関連とかかわらせようとしないのも、明日菜にそう思わせる要因だった。
だが、そのネギが明日菜へ相談するという形であるが頼った。驚きが強かった、だけどうれしさもあった。
エヴァンジェリンは別荘内で妙な魔力が流れるのを感じ取れた。封印されている身ではあるが、技量までもが失われるわけではない。陣地ともいえる場所で、他者の魔法発動を見過ごすなどありえない。
最初はネギが再び自己練習を始めたのではないかと思ったが、しかし攻撃用の魔法の流れではない。それに、この魔力の質はネギと比べてあまりにもお粗末だ。しかも弱々しい。どちらかといえば、妖精の類が使う魔法だ。
気になり、寝床から抜け出すことにしたエヴァンジェリンは、満月に照らし出されたネギと明日菜の姿を見つけた。さらに、二人をガゼボの柱から覗いている宮崎の姿も。
ネギたちが使っている魔法が意識をシンクロさせる系統の魔法であることを見抜き、さらにはちょうどいいことに、近くにいるのが心を読むというアーティファクトを持つ宮崎。エヴァンジェリンの心にある悪魔が顔をもたげる。
「あれは意識シンクロの魔法だな」
柱の陰から顔を少し出している宮崎に、エヴァンジェリンは背後へ足音を立てず近寄り、耳元でそうささやく。
「ひゃい!? え、エヴァンジェリンさん!?」
「お前、心を読む系統のアーティファクトを持っていたな? あれで坊やの心を読め」
顔を赤くして首を振る宮崎にエヴァンジェリンは追撃をかけていく。
「ほう。心優しい私が、高々その程度で別荘への侵入を許してやろうと思っているというのに。しかも、あれほど言ったというのに、魔法へ関わろうとしていたな? 私が綾瀬にした説教を聞いていなかったとは言わせんぞ?」
「な、なんでそれを!?」
「優秀な魔法使いならば、自分の近くの魔力がどう使われているかなど分かるものさ。さて、どうする? 私の怒りを買うか?」
「そ、それは……」
宮崎がこれだけでは落ちないことなど分かっている。いうなれば、これは鞭。エヴァンジェリンへの罪悪感を覚えさせるための行動だ。
これだけでは気が弱いものは委縮するだけであり、宮崎がとれるであろう行動は口を紡ぐことだ。だからこそ、飴を見せつけてやる必要がある。
「それにいいのか? このままでは神楽坂明日菜がリードしてしまうぞ?」
「えっ?」
ことさら優しく、諭すようにエヴァンジェリンは言葉を続ける。
「坊やの姉貴面をしている神楽坂明日菜が一人だけ坊やの内緒話を知れば、その後のことが手に取るようにわかる。あいつは単細胞だからな。予想しやすい。いっそう坊やのことをかまいだすぞ。そうしたらいろいろ越されてしまうかもしれんな? だが、貴様のアーティファクトがあれば話は別だがな」
支離滅裂であるが、それでもかまわない。結局言葉で人を操るというのは、冷静さを奪い、勢いで押し切ることが一番簡単な方法だ。
顔を真っ赤にして、宮崎は食虫植物に誘われる虫のように、エヴァンジェリンに本を手渡した。
麻帆良の近くにある街中を一人の少年が歩いていた。すでに空は暗いが、大通りはビルの灯りで十分明るい。
冷雨が風に乗り、少年の服を濡らす。その冷たさに身を震わせて、息を吐く。周辺地図の前で帽子を脱ぎ取る。そこには髪の毛だけでなく、獣のような耳が生えていた。
「ううん。今夜はどこで寝ようか? やっぱ関西で仕事すればよかったか? 関東のもんは冷たくてやりづらいったらあらへん。まあ、前回の仕事で拠点変えなぁ、まずかったけど。しかし子供の姿じゃ、泊まるところもあらへんからな。今日は公園にでも寝て、明日からさっさと拠点を用意しよう」
少年は、八重歯を剥き出しにしながらどこかへ消えていった。雨が降りしきる中、これから出会うであろう強敵との戦いに心震わせ。
「待っていろよ、ネギ。今度は必ず勝つからな! それと、あの姉ちゃんも!」
首元の細い切り傷を擦り、犬上小太郎はネオンライトから離れ、闇へ消えていった。