「ねえ、ユギ先生。ネギがなにをしているか知らない?」
神楽坂明日菜がそう切り出したのは、修学旅行から数日経った、英語の授業後だった。いつもならば、授業を終えるチャイムの音に、身を机に投げ出すというのに。授業を終え、教科書などをしまっている黒を捕まえているのは、それほどネギが心配だからだろう。
というのも、ネギの顔は頬がやつれ、クマができ、教室を後にしようとしていたる所に頭をぶつけている。心配するのも当然だろう。
一見すると明日菜はガサツな性格と思われやすいが、その実ネギの面倒を半年近く見ているなど、面倒見は良い方だ。それこそ、よく騒動を起こしてしまうネギを、できの悪い弟だと思っていてもおかしくはない。だからこそ、あまりの様子に不安になっているのかもしれない。
「修行をしているだけだそうですよ。そこまで心配することはないでしょう」
ネギは修学旅行後、なにかを考え込んでいた。珍しいこともあるものだと、黒が邪魔にならぬようにと一人にしていた。するとなにを思ったか、いつの間にかエヴァンジェリンに師事するようになっていた。そのことは、ネギから知らされているので、黒も知っている。
最初はなにを考えているか分からなかった黒だ。いくら一度負かされているからと言ってエヴァンジェリンが、ナギの血を継いでいるネギの血を諦めているとは思えない。なんとか考え直すように諭そうとしたが、それらすべては伝わらなかった。そればかりか、黒を守れるくらい強くなるとキラキラした目で断言したくらいだ。強くなる前に、判断能力を鍛えてほしい。それがネギに対して持った願いだ。
もはやなにを言っても聞きやしないだろうとあきれ果て、黒はそれ以上ネギの修行に関与するのをやめた。
「でも、あんな様子よ?」
「魔法使いの修行は肉体だけでなく、精神面に強い負荷がかかります。ですから疲れはどうしても残りやすいですし、疲労は大きくなってしまうんです。それでも心配というのならば、兄を問いただせばどうですか?」
「う、ううん。さすがに問いただすのは……」
「なら、兄を信じてあげてください。時折どうしようもない馬鹿をしてしまうような兄ですが、あれで一応は考えているんです」
それだけ言い残して、黒は明日菜を置いて教室を後にする。
ユギが去った後、明日菜は物思いにふけていた。
弟であるユギがああいったのであるならば、安心して待つべきなのだろう。しかしエヴァンジェリンはかつてネギを襲ったりなど、明日菜からしてみれば悪い子ではないがあまりいい印象もない。それにネギが修行をお願いしているが、それほどに強いのかもわからない。実際、ただの中学生である明日菜の蹴りを喰らい、吹き飛んでいた始末だ。本当に修行がネギを強くしてくれるだろうか。
そもそもエヴァンジェリンがするという修行がまともなのかも分からない。
「やっぱり気になるわ。あそこまでやつれるなんて」
「なら、さ。調べに行く?」
「わっ! 朝倉! 脅かさないでよ」
いきなり後ろから声を掛けられ、明日菜は驚いてしまう。しかも相手はパパラッチと揶揄される朝倉だ。色んな意味で心臓に悪い。
ネギが修業をしているというのはあまり広げるものではない。それくらい明日菜にですら分かる。
だというのに、次々に人が集まってくる。のどかに夕映にクーフェ。さらには後から木乃香と彼女についてきた刹那までもが加わってしまった。
押されるように、明日菜は彼女たちによって尾行させられてしまう。
「ちょ、ちょっと! やっぱりネギに直接聞いた方が……」
「でも、聞いても答えてくれなかったんしょ? だったら、こうやって真実を突き止めるしかないじゃん。安心しなよ、これでも報道部期待のホープよ!」
明日菜の口で朝倉に勝てるはずもなく、結局尾行は続くことに。前を行くエヴァンジェリンと茶々丸の背中を追いかけ続ける。
いつしか雨が降り始めた。最初は小雨だったのが、すぐにも強い雨へと変わる。
天を仰げば、重苦しい黒い雲が低く広がっていた。
「天気予報は外れちゃったか。それにしても、エヴァちゃんとネギは修行って言って、いったいなにをしているんだろう?」
「ううん? なんだろう。まさか、エッチという意味でマル秘的ななにかを……!」
「んなわけあるかーっ!」
馬鹿なことを言われ、頬を熱くして明日菜は朝倉へ突っ込む。からかうためだけだったのか、朝倉は笑みを浮かべるだけだった。
「それにしても、おかしいですね」
「どうしたの、刹那さん」
「それが、どうにも気配がないんです。あの家の中にある気配が」
朝倉との口論に押し入るように、刹那が口にした。明日菜には分からないが、気を使い、実力者である刹那が言うのならば、間違いないのだろう。今、あの家にはネギとエヴァンジェリンはいないらしい。
「ネギ? エヴァちゃん?」
一応ノックをしてみる。しかし返答はない。
「エヴァちゃん、入らせてもらうわよ」
カギはかかっていない。物騒だとは思うが、しかしよくよく考えると、こんな人気のない場所には、そもそもそういった類の人間も近寄ってこないだろう。人家があるとはとうてい思えないような場所に立っている。
そもそもがエヴァンジェリンのこと。家になにか仕掛けていることだろう。あれだけ魔女と高言しているならば、小説みたく。となれば麻帆良の治安の良さも相まって、この家は表裏関係なく、安全なのだろう。
「おかしいな。確かに二人が家に入ったのは見たはずなのに?」
「トイレにも、お風呂にもいないアル。もちろんベッドにも」
家に入ってみると、刹那の言うとおり、誰もいない。軽く見まわってみるが、やはりどこにもいない。
鞄はふたつ、丁寧に並んでかけられている。だからいるはずなのに、エヴァンジェリンと茶々丸の姿は見当たらない。
明日菜が困り果てていくつかの部屋を何度も覗いていると、のどかの声が聞こえてきた。
「み、みなさんこっちへ~~~っ」
なにかあったのではないか。慌てて明日菜たちが声のした方へ行くと、のどかが地下へ行く階段の前で立っていた。明日菜は知らなかったが、どうやらこの家には地下室があるようだ。その階段を指差すのどかに怪我はないようで、ひとまず安心した。
階段を下った地下室は、一階と同じくたくさんの人形が所狭しと並べられている。西洋人形が多いが、時折日本人形やロシア人形。どこの人形か分からない物までもが見つけられる。しかし所々埃がかぶっている。そのせいか、他の部屋と違ってほこり臭い。
その地下室の奥も奥。そこに木乃香と刹那、夕映がいた。
彼女たちは奇妙なガラス球を中央に置き、輪を描くように立っている。中央にあるガラス球はとても大きく、なかには建物らしきものが入っている。まるでボトルシップであるが、大きさも精度もけた違いだ。人ほどもあるガラス球というのも聞いたことがない。
「なんだろうこれ?」
しばらく触れずに眺めていると、明日菜は急に辺りが静かになったような気がした。慌てて顔を上げると、周りにいたはずのみんながいない。
「え? ちょっと、どうなっているの!?」
誰もいないことに、置いてきぼりにされたとき特有の、心臓が破裂するかのような不安が襲う。
不安に突き動かされて、慌てて足を踏み出すと、カチリという小さな音がする。足元に魔法陣が浮かび上がった。逃げようとするが間に合わず、明日菜は光に飲まれてしまう。
気が付くと明日菜は、暖かい、見たこともない場所にいた。見渡す限りキラキラ光る海原が広がっている。温かい潮風が海特有の、べたついた塩辛い香りを運んでくる。
さらに奥にはどこかで見たような建物がある。それはあのガラス球の中にあった建物そっくりだ。
「ここは……?」
「どうやらあのミニチュアと同じような建物のようです」
「夕映ちゃん!?」
振り向くと、夕映が体育座りでいた。立ち上がってスカートをはたき、
「こちらです、明日菜さん」
夕映は橋を渡っていく。横幅は十分あるものの、あまりの高さに、明日菜の足がすくむ。
「なんでこんな高いのに、手すりがないのよこの橋は!
「そうですか? 私はここ最近の
「そういう夕映ちゃん、膝震えているけど」
「……武者震いで」
なんとも締まらない夕映に、明日菜は苦笑いを浮かべながら、若干軽くなった足取りで橋を渡っていく。
「明日菜さんがここにくるまでの三十分、あたりを調べてみました」
「えっ? 三十分。私みんながいなくなったのに気が付いたのは、そこまで遅くないわよ?」
わずかにわいた疑問だが、すぐに聞こえてきた朝倉の声に気を取られ、後でもいいかと後回しにする。それに、もしかしたら結構な時間夢中になってミニチュアを覗いていただけかもしれない。そう、心の中で納得させた。
「明日菜、こっちの下から声がしたってさ」
「この階段のした?」
そこはガゼボ、西洋風東屋の屋根の下にある階段で、下るにつれて聞き慣れた声がはっきりしてきた。
「……もう少しいいだろう?」
どこか艶やかな響きをした声は、エヴァンジェリンのものだ。
「だ、駄目です! もう限界です!!」
そう答える切羽詰まったような声は、ネギの声だ。
続いて聞こえる言葉は、先ほどから過激な物ばかりで、皆は顔を真っ赤にしていく。のどかにいたっては、震えながら言葉にならない声を出している。
壁に隠れている明日菜は興奮しながらも血の気が引くのを感じた。
――もしや。
「ま、まさかほんとに?」
その朝倉の言葉に限界が来て、明日菜は飛びだす。
「コラーーーァ! 子供相手になにやってんのよ」
壁から飛び出した明日菜が見たのは、
「ん?」
ネギの腕から血を吸っていたエヴァンジェリンだった。
ここから原作では重要な場所です。ネギから見た黒の話なども出てくるので、主人公がいないとならないはずです。