東方魔法録   作:koth3

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グロ注意


月下の鬼鬼

 泳ぐような闇がすべてを覆い尽くす。木々も草むらも、なにひとつ例外なく。人には決して見通せない暗闇。あまりの暗さに、平衡感覚すら失うほどの。だが月詠は躊躇いを持たずに走り抜ける。足元さえ普通の人間にはおぼつかないはずなのに。それどころか真っ昼間であっても、森の中というものは木々の根でうねり、予想だにしない変化をみせる地面は転びやすく、慎重に歩くものだ。だというのに彼女は視界が効かないはずの暗闇で、それらの常識を一切合切無視している。

 月詠には見えていた。行く先にある障害となる物、隆起した地面。それどころか視覚だけでなく、フクロウが羽ばたく無音といってもいい僅かな音や、先ほどまでいた場所に流れていた水の匂いが分かる。どんどんと五感が研ぎ澄まされていく。さながら、打ちあげられた刀が研がれることで、真の切れ味を発揮するように。彼女にとって、闇は敵でなく味方だった。

 

「さて、どないしましょう。先輩、おっと神鳴流の真似はもう終わったんでした。桜咲刹那は、私にふさわしくなかった。どこかに、私と同じ感情を共有してくれるお方はおらんどすか」

 

 掌を頬に当て、首をかしげる。もう何百年と同じことを月詠は考えてきた。自身にふさわしい相棒を、相方を、担い手を。しかしどこにもいない。だからこそ、こうして現世を彷徨い続けている。はるか昔の、まだ今のような()()と呼ばれなかった普通だったころの、幸せだったころを思い浮かべ。

 

「あのころ、か。うん、あのころは本当に幸せだった。いまみたいに余計なことを考えることはなく、斬り続けることが出来たなぁ。迸る血汗、滾る闘志。息詰まる読み合い。なんとも言えぬ至福の時やった」

 

 とろりと頬の力が抜ける。鏡を見なくとも、月詠は分かった。自身が今凄惨な笑みを浮かべていることを。だが抑えようとも思わない。この瞬間、昔を思い浮かべるときだけが、幸福な時間だ。それを態々手放そうとは到底思えなかった。

 だから、月詠は探す。かつての至高を再び体感するために。その為に必要な人間を。だが、同時に彼女はある理由から人間が嫌いだ。だからこそ、共有できる思いを人間が持っていなければ、我慢できない。その人間が月詠と同じく、迫害されて不幸せでなければ。でなければ、彼女が殺してしまうだろう。

 天ヶ崎千草に協力したのも、条件に合う人間を探し出す一環だ。

 もしその奇妙な人間が見つかったら。月詠の頭ですっと他の考えを押しどけて、その言葉が幅を利かせた。

 思わず剣気が漏れる。堪え切れない。なにかを斬らなければ、内からこみあげる欲求に耐えきれなかった。

 目の前にあった大木が――二十メートルに至ろうかという――バッサリと縦に斬れる。真中から断ち切られ、倒れた木の切断面はつるりと鏡のように光りそうなほど、滑らかだ。

 

「ああ、こんなんじゃ斬り応えがない! 人間が斬りたい。人を! あの柔らかな脂肪、そしてそれを包む斬り応えのある筋肉。それを越えた先にある、刃毀れをしそうと思える堅い骨。斬って、斬って、斬って! 屍山血河の果てに、剣鬼と罵られたとしても!」

 

 ぞわり。

 肌が泡立つ。素晴らしい考え、にでなく存在の消滅に対する危機反応として、体が唐突に震えあがった。

 とっさに月詠は、後ろへ全力で跳び逃げる。跳び退った空中で、彼女は見た。どこからか投げつけられた、あまりにも巨大な樹木が、先ほどまでいた場所を粉砕するのを。

 大樹が生み出す衝撃波は、宙を浮いていた月詠をも襲い、吹き飛ばす。避けたと弛緩していた体を、衝撃が蹂躙していく。中身をシェイクされ、凄まじい速度で吹き飛ばされた月詠は幾本の木にぶつかっては折り、飛んでいく。ようやく止まったのは、百メートルも飛ばされ、幾本の木を折って、ひときわ太い杉にぶつかってだ。

 

「な、にが?」

 

 突然襲った出来事に、月詠はふらふらと立ち上がり呆然とするしかなかった。

 そしてそれが致命的だったことを理解した。もうもうとへし折れた木々を隠すように立ちこめる砂煙。その奥から、鬼灯のように赤赤と、爛爛と輝く一対の瞳が見えた。ジャリジャリと土をかむ音も聞こえる。なにか(・・・)がそこにいた。影がうっすらと見えてくる。

 

「なんや、あんた」

 

 痛む節々を無視し、月詠は気丈に言う。影はなにも答えない。そうこうするうちに、影はさらに濃くはっきりとしてきた。

 大きい影だ。ともすれば、男性と言えるほど大きい。だが体格は華奢。歩き方もどこか気品がある。それも花魁のようなものでなく、貴族の歩き方だ。しゃなりとした動きひとつひとつに美しさと気品が満ち溢れている。思わず状況を忘れて見惚れるほどに。そして、最後に顔の影が見えた。赤い瞳に気を取られそうになるが、すぐにそんなことは気にならなくなる。

 土煙が風でさっと払われた。瓜実顔の額に、二本の小さな角が天目掛けて延びている。口元からわずかに見える牙。漂う圧倒的な強者だけが有する誇り。

 鬼がそこにいる。最強の妖怪が、そこに。

 

「儂を見て覚らぬものに答える価値なし、儂を見て覚ったのならば答える必要なし。そうじゃろう、小童」

 

 紅葉柄の着物の裾で、口元を隠し鬼は笑っている。

 鬼の言葉通り、月詠はすでに答えを必要としていなかった。名前など意味がない。鬼という種族であるだけで、誰何に応えている。

 息が詰まる。なぜこんな場所に鬼がいるのか。月詠は刹那と戦うためだけに用意していた刀を抜き放って投げつけ、身を翻した。

 

「そう逃げるな。別に喰らうわけではない」

 

 その言葉を無視し、逃げる。ただできるだけ遠くにと。

 しかし月詠の足を砕けた刀が後ろから貫き、地面に縫い付ける。脹脛(ふくらはぎ)を貫いた刀に足を取られ、転んでしまう。すぐさま抜こうとするが、月詠の力ではビクともしない。少なくとも、気を使った人間よりもはるかに強い力を使っているというのに。

 

「逃げるな言うているであろう、小童。やれやれ、やはり最初が悪かったか。しかしな、貴様程度が鬼を名乗ろうとしたのだ。その傲慢さと比べればあの程度軽い罰と思わんか?」

 

 気付かぬうちに蟻を踏んでしまったがまあいいか、といわんばかりの口調で、鬼は語る。

 だからこそ、月詠は逃げることを止めざるをえなかった。機嫌を損ねれば、存在が消える可能性もある。ならば、余計な事をして鬼を怒らせるわけにはいかなかった。

 

「それでなにか用ですか? でなければ鬼がうちみたいなもんを相手にこないなことなんかせんでしょう」

「正確に言うと、儂でなく知り合いの頼みといったところか。本人は今、道具になりそうな者を回収に行っているとか」

「そうですか」

 

 倒れ込んでいる月詠に近づいてくる足音が聞こえてくる。音が鳴るごとに、彼女の額から汗がふつふつと湧き出て流れていく。

 先ほどまで分からなかったが、血の気が抜けある程度冷静になった月詠には分かる。近くにいる鬼が、ただの鬼ではないことが。底知れぬ妖力。自身が人の皮をかぶった狼とするならば、紅葉柄の鬼は熊のようなものだ。好き勝手をして、生きていける。それだけの力がある。

 そして好き勝手して生きていけるからこそ、その本質は我が儘だ。気に食わない者はいらないと判断され、壊される。生き延びるためには、この鬼に嫌われてはならない。

 今鬼は、なにが楽しいか笑っている。

 

「そろそろ話をしようではないか。のう、小童」

 

 剣を引き抜かれる。勢い良く血が噴き出して、すぐに足を赤く染めていく。

 鬼は舌なめずりをして、月詠の首根っこを掴み掲げる。

 

「その程度の傷ならば、すぐ治るだろう。話をするにも、こう周りが木に囲まれているのは良くない。野で話し合うなど、獣そのものじゃからの」

 

 指をはじく。ただそれだけで、周りの景色が歪む。だんだんと世界が黒く染まっていく。闇夜をもものともしない月詠ですら、なにも見ることが出来ない。

 

「そうら。これでいいだろう」

 

 急に視界があけ、藁葺の古いものの立派な合掌造りで立てられた家が目の前にあった。

 

「え!?」

 

 驚いて周りを見渡すと、先ほどまでいた森の面影がさっぱりとない。斜面に建てられた家々や、僅かに漂う獣の気配。それに星明りに照らされる頂に、山の中にいるということが分かる。しかし本山のある山とは植生がまるっきり違う。

 鬼は辺りを見回す月詠を抱えたまま、目の前の家に入っていった。

 

 

 

 家の中は囲炉裏があり、なぜか関東近辺に良く見られる造りをしていて、外見とはあまりにもギャップがあった。その違和感の大きな要因である囲炉裏の上には鍋が置かれ、なにかが煮えられている。グツグツと音を立てて、肉と味噌の香ばしい匂いが広がっていた。

 鍋を挟み、月詠と鬼は対面して座っている。じんわりと汗が浮かび上がり、目の前にいる鬼に気が付かれないよう、願う。震えそうになる膝を握った拳で押さえつける。正座は苦にならないが、しかし現前している鬼がただただ恐ろしい、と月詠は体を震わせてしまう。

 

「さて、話をするか。少しは落ち着いたであろう?」

 

 冗談ではなかった。落ち着けるはずがない。

 鬼の住まいに招待されるなど、どんな理由があろうとも喰われるためにしか思えない。自身を食いたがる物好きなど、いない。そう思っていたため、鬼に浚われた我が身を諦めきれずにいた。

 しかしだからといってなにもできないのも事実。暴れたところで、実力差は天と地ほどもあり、逃げようにも先ほどの転移があるならばどこへ逃げても逃げ切れない。(へりくだ)ろうにも、鬼は弱者をも嫌うがなによりも不誠実を嫌う。おもねったら、それは殺してくれと嘆願するようなもの。

 

「まず駆けつけ一杯と行こうか。先ほど小童は走っていたから、丁度いいだろう」

 

 そう鬼は告げると、大きな声で部屋の奥、おそらく台所へ向け叫んだ。

 

「白湯を!」

 

 すぐふすまが開かれ、奥から大柄の日に焼けたような赤銅色の鬼が現れ、湯気を盛んに吹く白い小ぢんまりとした湯飲みをお盆にのせ、運んできた。二メートルを超える大鬼が、こぼさないよう重々気を付けて、小さい湯飲みを月詠の前に置く。その際おそらく笑ったのであろうが、大きな馬すら噛み千切れそうな牙を見せて強面を晒すので、月詠は気を失いかけてしまった。

 煮える一歩手前の白湯は熱く、口内と喉を火傷しそうになったが我慢して飲み干す。涙が僅かに出たが、それでも月詠は我慢して一気に飲み干した。

 鬼が飲み干した椀を見る。

 

「さて、では話をしようじゃないか、小童」

 

 かんらかんらと笑うその姿に、話を聞くだけでなくなんでもするから早く解放してほしい、そう月詠は思った。

 

「まあ、そう青い顔をするな。なに、この話は、そう悪いものじゃない。儂らに協力さえすれば、もしかすると小童の相方が見つかるかもしれんぞ?」

 

 その言葉に、月詠の中にあるなにかが刺激された。

 

「楽しいどすか」

「うん?」

 

 嫌らしい笑みを浮かべたその鬼の顔が、醜く思え、月詠は顔をそむける。

 

「人の夢貶して、楽しいどすか」

「別に貶してなどおらん。それに貴様は人でなかろうに」

 

 睨みつける。先まであった恐怖より、怒りが込み上げてきて仕方がない。殺されてでも、その澄ました顔を一文字に切り裂きたい。そんな思いが月詠を突き動かす。

 

「中々の剣気よのう。しかしその程度で鬼が切り裂けるとでも思うか? だがまあその程度の覇気もなければ面白くない」

 

 僅かに漂う鉄火場のような欲望と憎悪が渦を巻く。空気がちりちりと火花を散らす。牙をむき出して笑う鬼。そこに優雅さはないけれども、凄みと飾らない美しさがある。内面の誇りが、肌を通して光り輝いているようだ。

 

「だからなんやというんですか。たとえ鬼相手でも、許せない一線くらいうちとて持っております」

 

 毅然として、鬼灯の瞳を睨む。しかし表情一つ変わることはない。

 

「かっかっか! そう睨むな。なにお前を馬鹿にしているわけではない。お前の夢を儂は知っておる。少々けったいな知り合いがおるのでのう。そしてだからこそ告げてやる。お前では見つけられんよ」

「なにを……」

「はっ! 斬り貫くことしかできぬ身で、人探しなどできるはずもなかろう! 貴様は誰かに仲介されねば、人間になど会えぬ」

 

 歯が鳴る。ギシギシと。

 そんなこと月詠にだって分かっていた。それでも諦めきれないからこそ、捜し続けていた。運命を。

 

「かっか、かっかっか! だからこそ儂らに協力しろ。しかる後、貴様にふさわしい相手を見つけてやろう。儂らが造るのは、理想郷。すべてのものがたどりつく楽園。拒絶され、忘れられた者たちが集う幻想の都。そこになら、お前の求める相手もいるだろう」

 

 鬼は口元を扇子で隠す。もう語るつもりはないらしく、ただ月詠をねめつけている。

 正直、月詠としては怒りを抑えきれおらず、腹立たしかった。しかし鬼が言っている言葉が事実だということも理解しているために、反論することもできずにいた。理想郷を作るという噂は、彼女も耳にしたことがある。

 胸をかきむしりたくなるほど不快だったが、結局月詠は忌々しそうに決断を口にする。

 

「ええでしょう。鬼が嘘を吐くとは思えへん。いな、つくはずがあらへん。その話信頼させてもらい、うちで良ければ協力いたしましょう」

「そうか。ではこれからよろしく頼む。ついでだ、夜食でも(しょく)していけ。あまりものだがな」

 

 そう言って、鬼はまたもやあの大柄の鬼を呼び、囲炉裏に掲げられていた鍋から中身をよそわせた。やはり大鬼はおっかなびっくりと、漆が塗られ見事な紅葉柄の描かれた椀を丁寧に手渡してくれる。

 

「あ、ありがとう」

「気にするな」

 

 つい月詠が受け取ってしまい礼をすると、その大鬼は後ろ頭をかいてそっぽを向いた。あんまりにも似合わない姿に、一瞬呆けてしまいそうになる。

 

「そいつは恥ずかしがり屋で、ついでに家のこまごまとしたことをするのが好きでな。女官みたいなやつだ。仕事はできる。安心しろ、それはそいつが作ったものだ。味は保障するぞ」

 

 椀の中は骨に身が付いたあら汁で、上には香草がまぶされており、立ち込める湯気に閉じ込められた香りが鼻をくすぐる。本当はさっさと返してほしかった月詠だが、思わずつばを呑みこんでしまう。

 先ほどまでの怒りを忘れて、もらえるのならばもらうとしよう、と思ってしまうほど、美味しそうなあら汁だった。

 

「ほ、ほないただきます」

 

 骨についた肉を箸で丁寧に剥がす。きちんと処理されているらしく、箸でも簡単に取れる。鬼が作ったものだから、大ざっぱなものと思っていたがそうでないと知り、月詠は期待を膨らませる。

 口に入れると、まずは見事な旨味と臭いががつんと襲う。独特な臭みであるが、この臭みがあるからこそ、すぐさま臭いをかき消す香草が生きてくる。さらに香りが変わったことで、肉の旨味が膨れ上がる。甘いだけでなく、僅かな苦みが大人の味だ。

 

「ああ、美味しい」

「そうだろう、これは新鮮な()を使っているからな! 自慢の一品、人間のあら汁だ!!」

 

 月詠の椀には、熱が入って白く濁った眼球がぷかぷかと浮かび、虚空を見つめていた。




晴明の言っていた暗躍している妖どもの片割れです。

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