紫とスキマで対峙してからいくらかの日がたっていた。バーグスが突如消えたことにより騒動があったがそんなことに関係なく、あの日から黒は図書館にこもり、あることを探している。
「見当たらない。父の文献はあっても母のことがどこにもない」
黒が調べているのは自身の母。父のことは嫌となるほど知っている。しかし、母となると途端に何もわからなくなってしまう。誰かが意図的に隠しているとしか思えない。それほど資料が存在しないのだ。少ないではなく、存在しない。
「何故? なぜここまで執拗に消されている? 理由があるはずだ」
使っている机には大量の本がうずたかく積まれている。
『立派な魔法使いたち』『二十世紀の著名な魔法使い』『魔法の偉人』『攻撃魔法の達人』『魔法の英雄』などの多くの本を読み漁り、一字一句隅々まで探した。それでもナギ・スプリングフィールドの妻に関することにはどの本も一切書かれていない。
そしてもう一度本を読み返そうとした瞬間後ろの方から声が聞こえた。
「ユギ。アンタに客よ」
「アーニャか。それに私に客?」
黒の近くの本棚からアーニャが顔を出して黒に客人がいることを告げる。
「そうよ。タカミチさんっていう人で中庭に」
「そう。分かった」
そのまま黒は本を片づけて、アーニャに言われた中庭へと向かう。
そこにいたのはたばこを吸っているスーツを着た大人の男だ。
その男の方に黒は行き、話しかける。
「初めまして。貴方がタカミチさんですか?」
「うん。そうだよ。君がユギ君だね?」
たばこを消しながらその男は黒に返答する。
「何の用ですか?」
「少し君達に用があってね。それに僕も用は別として君達に会うのを楽しみにしていたんだよ」
「君達?」
「ああ。ネギ君とはもう会ったけどね。話を戻すけど君のお父さんと一緒に過ごしたことがある身としては君たちと会いたくってここまで来たんだ」
厳密に言うとそれだけではない。バーグスの行方が突然わからなくなりネギと黒が同じように突如消えないかと心配してタカミチは魔法学校まで来たのだ。
「そうですか」
だが、そんなことは黒には関係ない。それに、タカミチが言った言葉は黒にとってもっとも知りたいことの懸け橋となるかもしれないのだから。
心臓が跳ねる。うまくいけば知りたかったことが分かるのだ。なぜここまで母の存在を隠すのか。その理由が。
能力を使う。いまだに完全に使えるわけではない。しかし、今回使う能力ならそこまで難しいわけではない。だから少しづつ境界を変えていく。スキマ妖怪から心を見る妖怪へと。
「ねえ、タカミチさん。私の父のことをよく知っているんですよね?」
「ああ、もちろん。ほかの人よりは良く知っているよ」
能力は不完全。だけれども心を見る程度には変えることができた。
「ねえ、一つ質問していいですか?」
「なんだい? 僕が知っていることなら何でも話すよ」
タカミチにとってこの質問は予想済みだった。兄であるネギは父の活躍を詳しく聞いてきたため黒も同じように聞いてくるだろうと思ったのだ。しかし、黒はそんなことに興味はない。父親の活躍など腐るほど、知っているし、自分が見たのだから。
「私の母は誰ですか?」
「……え?」
英雄にあこがれる子供の質問だと考えていたタカミチはだからこそ、その言葉を一瞬理解できなかった。
「母親ですよ。私の」
「そ、それは。す、すまないけど、僕は知らない」
「そうですか。では、もうあなたに用はありません」
それだけ言い残すと黒はタカミチに背を向けて後者の方へと進む。その背中を見ながらもタカミチは何も言えなかった。本当はすべてを知っていたというのに。
「ああ、私の母は魔法使いたちによって裏切られたのか」
黒は一人で自室にいる。
タカミチから覗き見たのは母の姿と名前。それとタカミチが母に対して持っている記憶の一部。
黒はもはや人ではない。けれども、ユギ・スプリングフィールドの残滓が今見たことから一つのことを彼に突き付ける。
「私がすることは見つかった。元老院の所為で酷い目にあっている私の母の民を救う。それに、私自身の願いもかなえてみせる」
その瞳には覚悟が焼き付いていた。けして、あきらめず絶対に実現させるという覚悟が。
「ああ、そのためには情報を集めなければならない。だが、その前にしなければならないことがある」
そのまま黒は今までにないほどに能力の制御に集中する。違う世界に境界を開くために。脂汗を流し、点滅する視界に何かがちぎれる音が黒の体でしているがそれすらも強固な意志の力でねじ伏せて境界を開き続ける。そこまでやって本当に少しだけ、指が入らない程度だが確かにスキマは開いた。
「驚いたわね。まだ貴方の能力では世界の境界までは変えられないと思っていたのだけど」
紫の声に黒は反応して後ろを振り向く。そこには空間に走る亀裂に座った紫がいた。
「何の用かしら? 用もなく貴方が無茶をしてまで世界を越えようとするとは思えないけど」
「用ならあります。貴方にしか頼めないことです」
「あら? そんなことを言ってくれるなんて嬉しいわ。それで?」
顔は笑っていてもその瞳は笑っていない。これがもしくだらない事なら紫は黒をこれで見限るだろう。
「私があなたに臨むのは“力”です」
「力?」
「ええ。私の望みを、しなければならない義務を達成するために。そのためには境界を操る貴方の助けが必要です。私の先の境界を見ている貴方レベルで無ければならないほどに強大な力が私には必要です。だからこそ、私は貴方に師となってもらいたい」
静かに紫は黒の瞳を見続ける。
「……いいでしょう。その覚悟もあるでしょうし、何より貴方がすることに興味がありますからね」
口を開くと同時に紫が手を一閃する。それと同時に黒の真下に開いたスキマに黒は飲み込まれ落ちていく。
「能力を全開にしなさい。でなければ死ぬだけよ」
落ちていく黒を追いかけるように光の弾が十、百、千と増えて黒に襲いかかってくる。
「っ! ぁあああああああああああ!!」
降り注ぐ弾幕に対して能力でスキマを開き他の場所に転移させて無効化しようとするが、それすらも計算されて繰り放たれた弾幕は正確に黒を狙って襲いかかる。
「どうしたのかしら? 今程度ならチルノですら対処できるわよ」
「ま、だだ。まだ、私は何もしていない」
被弾した際に発生した白煙が消え去ると同時にボロボロになった黒が現れる。腕はあらぬ方向に曲がり、額は切ったのか出血で片目が覆い隠されている。
「そう。では次ね」
またもや繰り出される弾幕。黒の周囲を囲み一度は止まる。それを不審がる黒だが次の瞬間に凄まじい速度で弾幕が殺到する。
「ああ!!」
見様見真似だが黒もまた妖力弾を作り出し放つ。だが、それは紫の弾幕に触れた瞬間かき消される。
「弾の密度が薄すぎる。そんな弾幕では意味がないわ」
直撃する弾幕の威力に黒は吹き飛ばされてスキマの中を何度も跳ねて転がっていく。
「早くたたないと死ぬだけよ」
さらにいくつも殺到する弾幕。それを痛む体を無視して移動しようとしてそこかしこに走る青と赤の光線にとらわれて、焼き尽くされる。
『結界 光と闇の境目』
光線に焼かれている最中にも先ほどとは比べ物にならないほどの大きさの弾幕が黒を襲う。
「その程度で力が欲しいなんて甘えるな」
今もなお弾幕の嵐で傷つき続けている黒に対して紫は嘲笑う。
「高々生まれてから一年もたたない餓鬼が。幻想が何かも知らないお前が何を欲する?」
今までの親切な様子から一転して深い怒りを黒に対して紫は向ける。
空間が、スキマが悲鳴を上げていく。大妖怪の放つ妖力が世界に影響を与えているのだ。
「不愉快だ。お前のような妖怪などどこにでもいる。力がないのに力を欲するな」
「なにが、悪い! 叶えるための力を求めて!!」
「すべてよ。力がないのなら力を求めるな。力が手に入るまで逃げ隠れて生きていろ」
冷酷な瞳で黒を見つめている紫の瞳には
「う、ぁ」
「その程度の覚悟ならさっさと去ね」
『紫奥義 弾幕結界』
いくつもの三角形状の弾幕が黒の周りを囲み、逃げ場をなくす。そして……
「うああああああああああああああああ!!」
黒を
着弾した弾幕によって
「この程度ならあの時殺しておけばよかったわね」
背中を見せてスキマを開いた紫はそれだけ言い残して開いた空間に足を進める。
「っ!!」
その背中を黒い弾幕が襲う。間一髪避けた紫だがその周りを黒と白の弾幕が覆い囲む。
『結界 白と黒の対極図』
太陰対極図の図形をなぞり黒い弾幕と白い弾幕が並ぶ。さらにはそこから数多の弾幕が放射されていく。
「私の覚悟は貴方にとって幼稚でどうしようもないほど滑稽なのかもしれません。それは認めましょう。貴方にとって価値はないのかもしれません。それも認めます。しかし、貴方とて私の望みと義務を否定させません」
静かに荒い息を整えながら黒はその姿を見せる。
片腕を失いそこからどす黒い血を流しながらもその瞳は燃え盛る地獄の業火のように決意を燃やし続ける黒がそこにいた。
「……あれをどうやって避けたのかしら?」
「自分で腕をちぎって弾幕にぶつけて道を作っただけです」
「なるほど。普通は貫通するけど貴方の腕の潜在妖力で弾幕が耐久限界を向けて腕を破壊するだけにとどまったのね。消失した弾幕の間を通り避けたということだけど、どうやって私の索敵から隠れたのかしら」
「それはこれです」
そう言って指差したのは瞳。黒の本来の瞳の色は黒なのだが、その色は赤く染まっていた。
「狂気の瞳。波長を操る瞳で私の腕がはじけ飛んでできた赤い霧の中から貴方に干渉して私を見つけられなくしただけです」
「簡単に言ってくれるわね。殺そうとした相手にその程度のことで隠れ切れるとでも?」
「貴方だって本当に私を殺すつもりはなかったでしょう? もし本当に私を殺すつもりなら私の腕程度の犠牲で私は生き残れるはずがないですからね。自身の境界を操り、感情を固定させ何も感じなくして、まるで機械のように動き、一定のリミッターをつけて闘っていましたしね。それに私に恐怖を与えて私の精神の強度を確かめるためでもあるのでしょう?」
そこまで言うと言葉を区切り、息を吸う。
「それに貴方は私に手加減をし続けていましたからね。私の能力で発動できる能力は今のところ三割がいいところ。貴方ならその程度の幻想なら境界をいじって無効化できるはず。それをしなかったのは私を試していたから。私という存在が望みを義務を果たせるだけの力を本当にもっているかを調べるために」
「ええ、ほとんど正解よ」
くすりと今までと違い感情を顔に出しながら紫は薄く笑みを浮かべる。
「厳密に言うと今のあなたの力もはかっていたのだけどね。そうね、大妖怪にはかなわなくても中級妖怪程度なら何とかなるかもしれないわね。いいわ。そこまでの覚悟に強さをこの私に見せつけることができたのならば今から鍛えれば十分貴方の望みと義務とやらを叶えて、果たせるでしょう」
「なら」
「ええ。八雲黒は八雲紫の唯一の愛弟子ということかしら」
わずかな安堵を黒はその顔に浮かべる。願いと義務を果たすのには力が必要だ。情報も必要だ。このスキマ妖怪にはその二つがある。この師のもとで力をつけて、この策士から情報収集の方法を奪い取る。それが黒が今回紫と接触した理由だ。
「ふふふ。ならば、私も準備しなければならない物があるわ。今日はここまでにしとくわ」
「そうですか。では」
「ええ。また明日にでも会いましょう」
そう言って二人は別れる。一人は幻想郷へ。もう一人は魔法学校へ。
「なんてざまだ。私は強くなくてはならないというのに」
黒は寮の自室で妖力を使い、再生能力を高めて腕を再生させている。腕がなくなったが妖怪にとってこれくらいなら何の心配もない。すぐに生えてくる。
そんな中、黒はぽつりと呟く。
「誰にも邪魔させない。元老院だろうとも、立派な魔法使いでも。たとえ、血肉を分けた兄弟だとしても」
妖怪であるなら腕の一本くらいはそこまでひどいけがじゃないはず。……きっと。