東方魔法録   作:koth3

49 / 110
天ヶ崎千草

 ちゃぷちゃぷと、波が岸に穏やかに押し寄せては引いている。湖は静寂と、星々の明かりで優しく満たされていた。波の音以外せず、夜闇の色を吸った波が動くだけで、他に動くものはあたりになかった。

 だがその黒い波は次第に赤く染まっていく。水に絵の具を垂らしように。とどまることなく赤が黒を塗りつぶす。その赤は、岸にある物体から流れ出ている。天ヶ崎千草がうつぶせで岸辺に倒れ伏していた。

 彼女の体から流れ落ちる血は止まることなく、水も地面もそこに群生している芝のような背の低い植物までもを染め上げていく。湿っぽい空気に錆びた鉄の血生臭さが混じりあう。

 リョウメンスクナの初撃で吹き飛ばされた千草は、湖が踏みつぶされたことで起きた高波に巻き込まれて、岸辺に漂着していた。

 僅かに胸を上下させ、千草は息をしている。体が冷え切り寒く、押し寄せる波が温かく感じられる。血染めになっていない場所などなく、満身創痍というよりも、とっくに死んでいてもおかしくはない。それでも彼女は生きていた。

 ほとんど力の入らない体を、千草は力を振り絞って仰向けになる。それだけで瞼が重くなる。視界も黒く染まっていく。だがほとんど見えない目でもぼんやりと、しかしそれでも眩く光る星が目に入り、彼女の口は思わず動いた。

 

「ああ、そこにいましたか。父様、母様。うちは、やりました。これで、関西呪術協会は幻想を思い出します。今うちらが相手をしている、まがい物の幻想(・・・・・・・)と違う、本当の敵を」

 

 笑い声が漏れる。掠れて今にも消えそうな声しか出せないことに、自分は死ぬのだと千草は覚ってしまう。一度覚ると、体中から力が一気に抜けていく。

 本当なら、もっといろいろなことをしたかった。陰陽師として腕を磨きたかったし、なにより女として好きな人を作り、恋人となって結婚くらいしたかった。自分の子供に、大好きな父母の話をしたかった。伝えて、語り、繋げたかった。その命を。だが、それは無理だ。もう彼女には生きるだけの力がない。本能でわかってしまう。あと一時間も生きれないということを。

 だったら後は、無理にでも笑うだけ。天ヶ崎千草が歩んできたすべては、とても大切だったと証明するために。悲しい顔をしたまま、父母に会うわけにいかない。それでは心配をかけてしまう。笑みを作って千草は喋る。

 

「今から、そっち行くんや。迎えに来てくれる? 昔みたいに。帰り道、いつものようにお話ししよう? お父様 ああ、そうや。帰ったら、お母様の卵焼きが、食べたいんや。作ってくれへん?」

 

 千草は目をつむった。疲れや痛みはもうすでにない。ただただ父と母に会える。それがうれしかった。だがしかし、

 

「フェイトはん、きちんとやれたんかな?」

 

 それだけが未練だった。

 

 

 

 水気をたっぷりと吸って、柔らかくなっている泥を踏み、八雲黒がスキマから現れた。意識こそ失っているが、まだわずかに息がある千草の近くまで来ると、屈みこむ。冷たい彼女の額へ触り生きていることを今一度確認すると、口角を上げる。

 

「やれやれ。まさか本当に召喚と使役をできるとは思わなかったよ。天ヶ崎千草、だったか」

 

 黒はスキマを利用して集めていた情報から、千草の名前を思い出す。

 彼女たちのことは、修学旅行の初日から不確定要素として監視をしていたため、ほとんどすべてを黒は知り尽くしている。それぞれが持つ個人情報は当然、生活の様子などまでも。

 そして今回行われた計画をも知った。黒としても、あまりに荒唐無稽な計画であったが、もし成功した場合、それは千草が人間の中でも最高に近い術師である証明になる。そのチャンスを逃すわけにはいかなかった。彼にとって、強い人間はぜひとも欲しくてたまらない人材だ。天ヶ崎千草の力が証明された今、彼女を欲さないわけがない。

 

「貴方には、幻想郷に来てもらいましょう」

 

 手を伸ばす。両手で彼女の体を抱きかかえ、黒はスキマを開く。行先は、黒しか知らぬとある家。かつてマヨヒガといわれたものを、自身の能力で神隠しに合わせ、外界から完全に隔離した場所へ。

 そこでゆっくりと千草を洗脳をし、黒にとって都合の良い駒にする気だった。死にかけていても、黒ならばその傷は癒せる。それに、たとえ死んでも困るわけではない。むしろ魂を支配しやすいため、死んでもらった方が黒には大助かりだ。

 一歩、足を踏み出す。

 

「な!?」

 

 足が地面に触れた瞬間、千草の体が発火し炎に包まれた。その火が黒の右手に燃え移る。

 

「グッ!」

 

 あまりの熱に、とっさに黒は千草を放り捨てざるをえなかった。

 火は未だ消えず、黒の右手をなめるように燃やしていく。すでに手首までは炭化しきってしまっていた。妖力を使い、鎮火しようにも全く黒の干渉を受け付けない。それどころか、むしろ勢いが増していく。

 手の炎から火の粉が飛んで、円を描いて檻のように、まるで逃がさないといわんばかりに彼を囲って燃え盛る。あまりの熱さに、蜃気楼が立つ。

 

「その子を連れて行かれるわけにはいかないのでな」

 

 投げ捨てられ倒れ伏している千草の手前で、鬼火が付く。あっという間に真っ赤に染まって大きく燃え上がったその火から、一人分の人影が見えてくる。それは、直衣(のうし)を着た一人の男だ。鋭い眼で、呪符を三枚、指の間に挟んでいる。その符に書かれているものは、妖が使う文字だ(・・・・・・・)。黒も時折使う力ある言葉。人が本来使えるものではない。

 

「ここは晴明神社ではないでしょうに」

 

 墨となった右腕を抱え、黒は苦々しく思いながら安倍晴明から距離を取った。

 符に描かれた五芒星。妖が使う文字に、直衣を付けた陰陽師。そして京の都。様々な可能性の中から、もっともあり得る可能性は、安倍晴明しかいなかった。

 冷や汗が頬を伝う。右腕が痛む中、黒は気勢を張る。だが現状が不味いということは、よく分かっていた。敵は、妖をも退治してきた正真正銘の化け物。黒の力は妖怪の力。妖を調伏してきた晴明に通用しづらい。一方、晴明の攻撃は、黒に対して良く効く。古来からの退魔の力を練られた術は、黒であっても危険だ。現に、炎は黒の手を焼き尽くしている。大量の妖力を使ってなんとか消化こそできたものの、片腕はしばらく使い物にならない。

 鈍く腕を奔る痛みに思わず黒が目を細めてしまったその瞬間、晴明から三枚の符が放たれる。黒い炎を纏ったそれは、拳銃の弾丸よりも早く黒を穿とうとする。晴明という陰陽師が最も得意と伝えられている術を使わないことに、黒はわずかに安堵したがすぐに表情を固まらせる。

 

「なっ!」

 

 炎は黒い蛇となって、体をとらえようとしてきた。黒は背後にここから離れるためのスキマを作り、そこへ跳んで逃げる。追撃を避けるために、千草へと弾幕を放って。

 右腕が炭化しきっている状態で、陰陽師の神を相手にすることはできないと判断してのことだ。

 しかし、

 

「そう簡単に逃がすとでも思うたか。妖よ」

 

 背後にあるはずの隙間が突如閉じる。能力に干渉されたことに、黒は思わず息をのんでしまう。黒が放った弾幕を防ぎながら、スキマの性質を一瞬で読み切り、ふさぐ。それは今まで黒が相対してきた敵で出来る者はいなかった。それほどの術師は。スキマを閉じるか、攻撃を防ぐか。そのどちらかが出来る人物は知っていた(・・・・・)。だが、それを一度に両方できる相手など、黒は一度もあったことがない。

 とっさに黒はさらなる弾幕を放つ。速度を追求し、誘導性のない弾幕は、速い。晴明を貫こうと、音よりも早く殺到する。

 

「邪気退散!」

 

 ただ一喝するだけで、黒の弾幕に込められた妖力が跡形もなく消滅させられた。圧倒的な実力差。それをただもう一度把握するだけで終わってしまった。

――敵わない

 黒の脳裏をその言葉がかすめる。このままでは滅せられる。それが分かるからこそ、黒は逃げる手段を全力で模索していく。すでに、天ヶ崎千草はどうでもいい。あの程度ならば、手に入れられるならば手に入れた方がいい程度だ。損失は痛いが、リカバーできないほどではない。自身が死ぬのと比べれば。

 同時に結界を張る。さしものの晴明も、黒の張った結界を上から塗りつぶすことはできないようで、なにもしてこない。それどころか、感嘆の声すらあげている。

 

「ほう。見事な結界だ。世界から切り離す。それを一瞬で行うとはの」

 

 黒が張った結界は、ある特徴を持っている。それは主従はこの空間にいられないという性質だ。主と式の関係は、まさしく主従である。この結界がある限り、晴明は最も得意とする式神を召喚することが出来ない。それでもなお、黒は追い詰められているが、それでも最悪だけは回避できた。

 晴明が符を放る。上空からひらひらと舞い落ちるそれは、月光をたっぷりと吸い込み、放出する。レーザーとなった光からは、霊力が込められているのが感じられる。少なくとも、妖怪である黒が触れたら、存在自体が消されるほどの力が。

 小型の結界で光を遮断し防いだ黒は、お返しに瞬間的に作れる最大級の妖力弾を放つ。地面を飲み込みながら迫る妖力弾に、さしもの晴明も一瞬体をこわばらせ、五芒星を描く形で空中に符を置き、妖力弾を受け止め上空へそらす。

 

「散!」

 

 上空で、人よりも大きな妖力弾がバラバラにはじけ飛ぶ。鳳仙花のように、地上目掛けて。それらを晴明は見もせずに避けるか、呪術を用いてそらす。

 思わず舌打ちを漏らした黒は、すぐに幾つもの妖術を晴明の周りへと放っていく。妖力弾や、妖術が晴明を囲んだのを確認し、一気にそれらを連鎖的に発動させる。

 火、土、金、水、木。五つの属性を帯びた妖力弾が、円の中心、晴明へと殺到していく。お互いが近づけば近づくほど、弾幕一発一発の威力が高まっていく。晴明の隣には、いまだ天ヶ崎千草が存在している。千草を守るように、晴明は符を使ってある程度の大きさをした結界を張り、彼もまた五行の術を持って迫り来る妖術を相克に持ち込んでいった。

 しかしその隙に、こんどこそ黒はスキマを開いて這う這うの体でこの場を離脱した。

 

 

 

 晴明は逃げた妖に、苛立ちを覚えた。

 最近噂になっている妖だろうと、当りを付ける。なかなかどうして高い実力を有していた。そういった手合いほど、大きなことをしでかす。経験から、噂話が本当かもしれないと、晴明は思う。

 

「やれやれ。京の都はいまだ魔が蔓延るか」

 

 人間が造り上げた世界が、人間の作りだした幻に怯えている。その滑稽さに、晴明はわずかに自嘲してしまう。逃げ出さぬように燃え盛っている幻術(・・)を、解く。

 

「誰、や? そこにおるんは」

「ほう。まだ生きていたか」

 

 先ほどの騒ぎで起きたのか、うめく千草の元へ、晴明は歩きよる。息が絶え絶えで、血は既に止まっている。肌は白くなっており、血の気がさっぱりない。すでに血はなくなっているのだろう。その証拠に、体はくぼんでいる。もういつ死ぬかもわからない。

 だが、ふと不思議に思った。なぜまだ生きている? と。

 晴明が長い時で見てきた中、ここまでの怪我で息をし続けた人間はいない。それこそ幻想ならばまだしも。

 

「お前はなぜ生きている? 死出の旅路に迷うようには見えなかったが」

「なんで、うちのこと、知っとるん?」

「お前をしばらく見ていたからだ」

「ほな、うちの、守護霊、か」

「まったく違うが、別にかまわん。陰陽師であるならば、ある程度手を貸そう。それはこの身に望まれたことだ。なぜお前は死なない? もう死んでも良いだろう。お前は成し遂げた。誇りすら抱いて死んでも良いはずだが?」

 

 千草は、虚ろな目であたりを見回す。すでに目が見えていないらしく、声がした方角でしか晴明がいる場所を判断できていない。

 だが、不思議と晴明と目が合うと、にっこりと笑ってかすれた声で呟いた。

 

「ただ、心配なんよ。お嬢様は無事かと。私の勝手に突き合わせてしまった御身が」

「そうか。あの娘ならば、傷ひとつない。今、笑っておるよ」

「ああ、これで安心していける」

 

 千草の瞳が静かに閉じられる。穏やかな笑みだ。晴れ晴れとして、見る物を魅了するほど美しい笑い顔だ。

 晴明は、符を取り出す。そこから白煙が立ち籠り、一匹の白鳥が現れた。

 

「案内してやれ。父母の元へ」

 

 白鳥は一度千草の元まで行くと、今度は天目掛けて飛んでいく。その姿が見えなくなるまで、晴明は見守っていた。

 




残念ながら彼女はここでリタイアです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。