東方魔法録   作:koth3

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一万字越え……だと?


三面の戦い

 杖に跨ったネギは、全力で眩い星が散りばむ夜空を飛び続ける。その速度はまるで流れ星のように速い。しかしそれだけの速さを出す代償に、その身に宿る魔力はあっという間に減っていく。

 さらには仮契約カードを通じ、明日菜の身体強化魔法へ魔力供給をしなければならず、常に飛行魔法以上の魔力が減っていくが、それでも速度が落ちることはない。歯を食いしばり、杖を握る手に力が込められている。

 真下の森はネギが起こす突風にあおられ、騒々しく叫ぶ。

 

「いいか、兄貴。無理な魔力運用はダメだ! 俺たちは木乃香嬢ちゃんを救い出す。それ以上は救援が来るまで逃げればいい。その為には魔力がすっからかんになっちゃダメだ! 難しいけど、姉貴に送る魔力も最低限にしてくれ」

「うん、分かってるよカモ君」

 

 額から流れる汗。苦悶に歪む表情。莫大な魔力を精密に扱うという無茶をし続けなければならない負担。それらが重くのしかかり、ネギを押しつぶそうとする。

 苦しみ、それでも力を振り絞るネギ。その姿を見て、なぜ自分はオコジョで、こうして言葉を投げかけるだけしかできず、ネギを直接助けられないのか、カモは悔しくてならなかった。

 それでもカモは自身に出来ることをする。それ以外出来ないなら、それだけでもして、ネギの助けになりたかった。

 カモに出来るのは考えること。その矮小な体は戦いでは邪魔になるだけだし、その少ない魔力では、攻撃魔法を使うこともままならない。だから考える。策を練り、ネギを少しでも勝ち目のある戦いへ送り出す。それがカモのできることであり、すべきことである。

 

(確認できる敵は四人。そのうちあの女は二人が相手している。あとは三人だが、そのうち一人は兄貴と同等。もう一人に至っては格上だ。あの首謀格は実際それほど強くはないだろう。残りの三人の中でも中堅くらいか。だが経験と覚悟が凄みとなってやがる。あれだけの覚悟は、強さとなりやがる。間違いなく真っ向から挑んだら負ける)

 

 考えにふけていた。だからカモは気が付けなかった。

 

「しまっ! カモ君!」

 

 とつじょカモはネギの胸元に抱きかかえられる。振動と浮遊感を覚えた。すぐにそれは視界が滅茶苦茶に回転し、落ちていく感覚へと変わる。下から吹き上げてくる風に、本能的な恐怖を覚えるが、それはすぐに消えた。なにせ今カモがいるのは信頼するネギの胸元だ。

 

「兄貴!!」

「風よ!」

 

 風を操る魔法で大気をクッションにし、ネギは傷一つなく地面に足を付けた。

 カモは、素早く肩に登り、あたりを警戒している。

 

「兄貴、なにが」

「後ろから黒い犬のようなものが来て、杖を攻撃したんだ」

「狗神っちゅうんや。それは」

 

 杖を突きだして構え、周囲をうかがっていたネギは、すぐさま後ろを振り向く。そこには先ほどまでいなかった犬上小太郎が立っていた。少し俯いているせいで、ネギからはその顔は伺えない。だが、小太郎のあたりから足元を這うように迫る、いやな空気は感じ取っていた。

 小太郎を中心に、草木が外向きになぎ倒されている。黒い霧のような、視認(・・)できるまで濃密な魔力が彼を中心に渦巻いていた。莫大な魔力量を誇るネギから見れば、決して多くはない。しかしその濃度はけた違いだ。ネギでは到底真似できないほど、彼の周りは魔力が色濃く存在している。

 そもそも小太郎は魔法使いでない。だというのに、魔法使いであるネギが驚くほどの現象を引き起こしている。魔力が視認化するなど、高位の魔法使いでもそうそう起こせるものではない。ネギは唾を飲み込んだ。

 魔力とは精神に依存する。心が強ければ強いほど、魔力もそれに比例して強くなる。ならば、魔力が強ければ? それは心が強いということにほかならない。魔力を具現化させた小太郎には、ネギの知らぬ覚悟を持っていた。

 

「悪いが、こっからは遊びやない。俺は本気でお前を殺す。そうしなきゃ、あかんのや」

 

 顔を上げ髪の隙間からかすかにみえる小太郎の瞳は、殺意が刻まれ、猛禽類のように鋭く、強く威圧している。ネギはその眼に射抜かれ、息を呑んだ。

 戦う戦わない以前に、ここまで強い殺意と敵意をネギは受けたことがなく、自然と体が震えだす。エヴァンジェリンとの戦いが、その実、子供だましの遊び(・・・・・・・・)でしか過ぎなかったことに、今ネギは気が付いた。彼女の伝聞と実力は、ネギが知る限り、小太郎をはるかに超えるというのに、今の小太郎の方がはるかに恐ろしい。そうネギは感じていた。

 畏れは動きを鈍らせる。ネギの体は、意思とは無関係に大きな隙を晒していた。力なく垂れ下がった杖、そして棒立ちに立っているその構え。それは小太郎には十分すぎた、命を奪うには。

 

「うらぁああああ!!」

 

 昼間よりもその動きは速かった。小太郎の攻撃は、迷い、怯えているネギがついていける速度ではない。ただ突き出されているだけの杖をかいくぐり、小太郎は爪を振り上げてネギの喉を貫こうとする。

 ネギの目だけが、その手をとらえていた。だが、体が動かない。

 

「あっ」

 

 小太郎の爪は気で覆われており、鋭く固い剣のようになって貫手の威力を脹れあがらせる。ネギの魔力障壁を呆気なく切り裂いた。

 

「おっと、わるいがそこまででござる」

 

 あとわずかで貫ける、小太郎が確信とともに笑みを浮かべた瞬間、巨大な手裏剣がネギと小太郎の間に突き刺さった。小太郎は手裏剣を避けるために、後ろへ跳んで間合いを取らざるをえなかった。

 突然の横入りに、笑みは消え去り、青筋を立て小太郎は拳の骨を鳴らす。開かれた手は憤怒と憎悪で戦慄いている。小太郎は睨んだ、土煙がまだ立つ手裏剣がある場所を。

 そのそばに、一人の少女が立っていた。人の身の丈ほどもある手裏剣を、狙ったところにこの速度で投合する事が出来る相手の存在に、小太郎の口は憎々しげに歪み、眼は吊り上る。

 

「誰やッ!」

「拙者、でござるか。長瀬楓という者でござるよ」

「そうか。そうか」

 

 小太郎は明らかな怒気を楓に向ける。荒れ狂う気が、あたり一帯を蹂躙し吹き抜けていく。

 小太郎の姿が変わる。小さな少年の体は、灰色の毛に覆われ骨格ごと変わってしまう。人から犬へ。犬から狗へ。そこにいたのは憎しみを糧に人を呪うと伝えられてきた狗神がいた。相手を呪い殺す呪術の力は、小太郎にない。そういった意味では、狗神とは違う。だが、そう思わせるほどの禍々しさだけは確かにあった。

 その小太郎の様子に細めの目を見開き、楓は後ろにいるネギへ強い口調で話す。

 

「これは、いかんでござるな。ネギ坊主。すぐ逃げるでござる」

「で、ですが!」

 

 躊躇うネギに対し、楓は少し苛ついた声でもう一度告げる。 

 

「勘違いしてもらって困るでござるが、おぬしがいた方が拙者にとっては危険なのでござる」

 

 楓は強くネギを見つめる。

 足かせだという事実を突き付けられ、しばらく陸に上げられた魚と同じように、口を開閉して苦しみ喘ぐネギ。

 

「ネギ坊主。おぬしはなんのために戦うでござるか? ここで、拙者とともに、眼前の敵を倒すのでござるか? 違うであろう。今、おぬしがすべきことは、そんなちっぽけなことではないでござる」

「そうだ、兄貴! 今、俺たちがここで足止めされたら、木乃香の嬢ちゃんはどうなるんだ! 俺たちを信頼してくれた姉さんも、木乃香の姉さんにも面目が立たねぇ!」

 

 二人の言葉に、ネギはしばらく黙ったのち、涙をこぼして体を震わせ、叫んだ。

 

「分かりました! ですが、約束ですよ、楓さん。絶対に怪我ひとつしないでください! 先生として許しませんよ‼」

「うむ。ではがんばらねばならないでござろう」

 

 懐から出した苦無を駆け寄ろうとした小太郎へ突き付けて牽制し、楓は言う。

 楓の牽制で生まれたその僅かな隙に、ネギはまた空を飛んでいく。それを見送ることもせず、彼女は振り返る。

 

「邪魔をするなぁあああああ!!」

「悪いでござるが、それは無理というもの。甲賀中忍、長瀬楓。いざ、参る。いくぞ、化生! 永劫の間鍛えし人の(わざ)についてこれるか!?」

 

 気による分身を産み出す楓。しかしそれらすべてを無視して、小太郎はその嗅覚を駆使してたった一人、長瀬楓の本体を探り当て狙う。

 

「死ねぇえええええ!!」

 

 月夜に爪と苦無が交錯する。

 

 

 

 木々は光が発せられるごとに切り裂かれ、足元を流れる水は踏み砕かれて吹き飛ぶ。風は乱れ、三人の間で渦を巻く。鋼のかみ合う音が、いつまでも続いている。

 刹那と明日菜、そして月詠。彼女たちは舞を踊っていた。しかしそれは優美なものではなかった。ひとつ間違えれば死にいたる、そんな恐ろしい舞踏だ。

 二人対一人。

 有利なのは刹那と明日菜だというのに、二人はたった一人に押され続けていた。

 刹那の技量はその年から考えれば素晴らしい。確かな剣の才と、努力によって鍛えられた技。同い年で、彼女を超すものは数えられるほどもいない。しかしそれだけの技をもってしても、月詠の前では霞んでしまう。鍛え抜かれた光は、眼前に存在するおどろおどろしい(わざ)にかき消される。いくら刹那が技を放っても、切っ先は遠く、まるで指導者に稽古を付けられているかのごとく、軽くあしらわれていく。

 一方の明日菜は、そもそも戦闘と呼べるようなものはできなかった。元はただの中学生。喧嘩慣れこそしているが、荒事に慣れているとは到底いえない。対して相手は荒事を専門とする者。どうしても戦力不足になってしまう。

 それだけの実力差があるというのに、月詠は必ず刹那が明日菜を庇えるように間合いを調整している。だからこそ、刹那は押されている状況で明日菜を守れていた。しかし元々ある実力差に、さらにお荷物を抱えさせられては、刹那に勝ち目などあるはずがない。

 そのことが分かるからこそ、刹那は悔しげに唸る。

 

「うふふ、その程度ですか」

「っく!」

 

 先ほどから執拗に続く、浅い踏み込みとそれに伴う斬撃。明らかに、もっと深く、致命的な一撃を放てるというのに、月詠は決して勝負を決めようとしはしない。刹那は執拗に切りつけられ、それでも動けるがゆえに、戦い続けてしまう。細かい傷ばかりではあるが、体全体につけられたそれらから、多くの血が垂れ流される。白い制服は、赤く染まり始めていた。しかし、彼女は刀を振るうのはやめない。

 流れ出た血が柄を伝い、滑りそうになっても。呼吸を止めた全力の一撃を放ち続け、視界が暗くなっても、刹那は刀を振るい続ける。すべては、敬愛する木乃香のために。汗と血が混じり、脂臭いにおいが立ち込めていく。

 だが、力を振り絞り、幾度も幾度も斬撃を放ってもなお、刹那の刀は届かない。月詠が神鳴流の技すら使っていないというのに、切先をその身に触れさせることすら出来ない。刹那は、相手が月詠ではなく、剣鬼か何かだと思った。でなければ、神鳴流の技が当たらないはずがない。刀身がぶれる。

 しかしそれは刹那の思い違いだ。そもそも神鳴流の始まりは、京都を襲う魑魅魍魎の退治だ。人間を赤子と扱うような化け物を前提に作られた剣術は、妖怪相手にはかなりの力を誇った。当たり前だ。そもそもが、怪異を殺すためだけの剣術なのだから。

 しかし妖怪殺しの剣術は、人殺しの剣術ではない。確かに、対人用の技もあるが、決してそれは主流ではない。ある人物が戦場で刀を振るうまでは、神鳴流と言えば退魔の剣だった。人を相手に刀を向けることなど、考えられていなかったともいえる。

 その証拠に、神鳴流の技で、人に対して使われるほとんどの技は、無手のものだ。剣を向けるのは、あくまでも妖怪。それが神鳴流の誇りだった。

 妖怪殺しは、人殺しには成り得ない。妖怪の身の丈は、人とは大きく違う。体格が違う相手前提に組み立てられた神鳴流の技は、人を相手にするに不向きだ。大振りで、威力だけを重視した剣。鉄をも力で切断する剛の剣。だが、人を殺すのに、そこまでの力は必要ない。首を切れば死ぬし、心臓を貫いても死ぬ。人を殺すには技で十分すぎる。

 では、その人を殺す技とは? 簡単だ。そこいらの町道場でも教えられているものだ。仰々しい退魔の理など必要ない。必要なのは、隙を貫くという教えだけだ。

 大振りで、力こそ強いがその分隙も多い神鳴流。対して、隙を見せず、隙を貫くことを重視する剣術。想定している相手も妖怪と人間という差がある中で、さらには獲物も野太刀という馬に乗って振るう剣と、打ち刀という地上で人を相手取るために発達した剣。人間を斬るにはどちらの方が効率的か。

 火を見るより明らかだ。神鳴流は、対人戦では他の流派に劣ってしまう。確かに、決戦奥義を使えば、話は別だが、それは対人とは言わない。対軍だ。どうしても、人間同士の一対一の戦いを、神鳴流は苦手としている。

 しかし刹那はそのことを理解していない。神鳴流というネームバリューに踊らされて、自身の流派が最強と信じ込んでしまっている。神鳴流が最強といわれる所以は、とある剣士が最強と思われているがためだということを忘れて。

 頑なに、刹那は神鳴流の技ばかり使う。神鳴流の意義を理解せずに。

 そんな刹那の様子に、月詠はため息をついて、言う。

 

「さあさあ次はどこを斬りましょう? 踵にします? 背にします? 腕にします? 膝にします? それとも、心の臓?」

 

 喋りながら適当に、やる気のない顔で月詠は休まず刀を振るう。それらすべては、神鳴流のものではない。他の剣術で教わる技だ。一撃を破壊力ではなく切れ味によって斬る、あるいは貫く。その隙の少ない剣戟は、刹那にとって最悪の相性だった。

 

「くそぉおおお!」

 

 事態の悪さに、木乃香を攫われた焦り。傷から流れる消耗していく血と体力。それらがとうとう刹那の刀を鈍らせる。普段よりもさらに大降りになった上段の隙を見逃すほど、月詠も甘くはない。

 刀が振るわれる。横薙ぎの斬撃は刹那の一撃よりも後出しなのに、はるかに速い。大きな円を描く刹那の一撃と違い、まっすぐに銀光が首目掛けて奔る。

 

「さようなら」

「刹那さん!!」

 

 金属音が響き渡った。

 月詠の刀は刹那の肌を薄皮一枚切ったところで止まり、彼女は振り下ろされる刀から逃れるために後ろへ跳んだ。

 

「らしくないじゃないか、刹那」

 

 声がする。刹那には聞きなれた声が。

 

「た、龍宮!?」

「おお、なんだか知らないアルがとてもまずそうネ!」

「クーフェ! なんであんたがここに!?」

「なに、助っ人さ神楽坂」

 

 木々の影から、褐色の肌をした二人の人物が現れた。一人は龍宮真名。裏の世界に住む銃を主力兵装とした傭兵。そしてもう一人は、古菲。中国からやってきた拳法家。表の世界の住民なれど、その実力は裏にも十分通用する。

 龍宮は、月詠へ銃を向け目線を話さず、刹那へ語りかけた。

 

「どうした刹那、こんなところで。お前ならば『お嬢様』とすでに駆けだしているのではないか?」

「そ、それは」

 

 ふっと笑い、龍宮は告げた。

 

「仕方がない。私が格安でこの場を受け持ってやろう。お前は早く近衛を助け出せ」

「だが! 月詠は!」

「言っただろう。私はこの場を受け持った。なに、傭兵なんぞ死にぞこないがなるものだ。今回も精々死にぞこなうだけだ。さっさと行け。今の集中しきれていないお前よりかは、生き残れるさ」

「龍宮」

 

 刹那は僅かに見える龍宮の瞳を見て、夕凪を納刀した。

 

「行きましょう、明日菜さん」

「え、で、でも大丈夫なの?」

「大丈夫です。龍宮ならば絶対に」

 

 月詠を置いて先に行く刹那とそれを追う明日菜。二人を見送った真名と古菲はそれぞれの構えを取る。真名は拳銃を両手に取り、二丁拳銃を胴と頭に向ける。古菲は片手の拳を握りしめ前へ出し、残りの手は手刀に構え、頭の前に置く。月詠は黙って二人が来るのを待っている。

 刹那と明日菜の足音が消えて、古菲は隣にいる真名へ向かって呟き聞かせる。

 

「さて、真名どうするネ、アレ? 一寸やばいヨ」

「ほう。お前がそうまでいうのか」

「うん。強いとかそうじゃなく、アレ邪悪ネ。存在してはならないなにかネ、きっと」

「言いますね、本人の前で」

 

 クスクスと月詠は笑う。先ほどまでの退屈さがどこかへ飛んだかのように、楽しげに

 

「初っ端から本気出さないと、死ぬネ」

「そうか。お前からの助言だ。参考にしよう」

 

 二人が体に覇気を込める。僅かなで隙で、体を動かせるように。しかし、なぜか月詠は刀を下げた。

 

「なに?」

 

 ひとしきり楽しそうに笑った後に、月詠はまた人形のような無表情へと戻った。その瞳からは元々なかった熱がさらに失われて、濁り切ったガラスのように汚い色合いになっている。

 そうして突如、ブラブラと、拳銃と拳を向けられているというのに、散歩をしているかのごとく気ままに歩き出す。草木の枝を態々踏み折って。その突然の豹変に、二人はついていけない。しかし油断だけはしなかった。

 戸惑う二人をよそに、とうとう月詠はその身を地べたに投げ出す。そよそよと流れるだけになった風に、声を乗せる。

 

「ああ、もういいでしょうこんな程度で。約束は果たしましたし。だけど、それ以上は人の助けなんぞしたくはあらへん。あいつも期待していたほど、虐げられていなかったわけだし。態々したくないことまでしたというのに、運があらへん」

「なにを言ってるアル?」

「ううん? こっちの話ですよ。さて、どうしましょうか。消化不良というのはあるんですけどね、もう人間がなにをしようがその手伝いをしたいとは思わないんです。あの時から」

 

 よっと、と月詠は体を丸め、勢いよく伸ばしてその反動で立ち上がる。

 

「ほな、ここらで仕舞いにします。斬り殺すというのも、ある種の楽しみですが、このままあの人間の計画に従い続けるのは癪ですし」

「行かせるとでも?」

「行けないとでも?」

 

 引き金に力がこもる。龍宮は今、らしくないと理解しながら怒っていた。自分など眼中にないとする、月詠に。

 

「やめるアル、マナ。見逃してもらえるなら、見逃してもらうべきネ。負けは負けだけど、死じゃないアル。いつか勝てばいいネ」

 

 銃を突きつけた龍宮の手を抑え、古菲は言った。彼女もまた怒りこそあったが、それをこらえていた。今この場にいる戦力で、目の前にいる敵をどうにかできると古菲は思わなかった。

 

「あらあら。そちらの拳法家さんの方が話は分かるようですね。では、ほなさいなら」

 

 一跳びでその場を後にする月詠。二人はそれぞれ腕をおろし、力を抜く。

 

「やれやれ。これでは依頼料をせしめる事もできんか」

 

 わざとらしく、大仰に龍宮はそう口にした。

 

「格安言っていたネ」

「そうだな。仕方がない。貸し一としておこう」

「がめついアル」

 

 

 

 祭儀場で千草はとうとうリョウメンスクナの力を召喚する最終段階へ入った。

 神楽が舞われ、祝詞が挙げられる。その光景は神秘的で、場を気とも魔力とも判別できない力があふれ、あたりへ浸透していく。

 変化はまず、磐座からだった。磐座が力強く眩い発光をし、徐々にそこから莫大な力が漏れ出す。光が発しているところから、四方に向けすべてを吹き飛ばすかのような風が吹き、水面を揺らし月を乱す。

 風が強まるにつれ、千草の舞いは激しくなり、四方八方を舞い狂う。徐々に舞は激しさばかりでなく速度も増していく。

 踊り狂う千草の顔には表情がない。それどころか、彼女自身自分が何者であるかを認識することはできていない。格の違い過ぎる相手との交信に、トランス状態へ入っている。こうなっては、周りがなにをしてももう儀式は止められない。

 舞が終わりに近づくにつれ、磐座の光が形を取り始める。幾度かその形を大きく崩したが、それでも人の形をゆっくりと作り始めていく。

 しかしそれは人というにはあまりにもおかしな姿だった。二つの頭に四つ手。そして身の丈は人間をゆうに越えて、高層ビルに匹敵するほど。二面はそれぞれ禍々しい形相と、神々しい相貌をしている。四つ手もまた、右半身二つはごつごつとした筋肉質な男らしい肉突きで、反対側の二つはなめらかであり女性のような丸みを帯びている。顕現した力の塊は、只その場に立ち尽くしている。

 磐座に巻かれていた注連縄が、ぷつりと切れてどこかへ吹き飛んでしまう。

 

「ぎぃい!!」

 

 注連縄が磐座から外れると同時に、千草の喉が膨らみ、口から大量の血が吐き出された。それどころか、目は毛細血管が切れて赤く染まり、濁り切った輝きを灯している。せき込み、口から血の塊がもう一度吐き出されるが、千草は狂笑を浮かべていた。

 

「うぅん」

 

 近くの台に寝かせられている木乃香がうめく。しかし千草と違い体には一切の傷がない。確かに東洋一と呼ばれた魔力は底をついているが、その程度だった。鬼神の力を召喚した代償というには。

 本来ならば木乃香もまた、千草程でないにしても何らかの(きず)を受けていた。決して癒えぬ神罰の傷を。それを変わり身として受けたのは千草だった。その為にあれ程補助術式を用意していた。神罰の対象を移すという軌跡を起こすために。

 その甲斐あって、木乃香は五体満足でいられる。だが、そのためには、彼女の負担を千草が背負わなければならない。

 ――それがどないした。

 千草は、のどに詰まる血を吐き、血で馬鹿になった鼻で大きく呼吸した。もともと、木乃香は関係なかった。それを、利用したのは自分だ。ならば、神罰を受けるのは自分一人で良い。いや、そうでなければならない。

 そう、千草は思っている。壊れ、気を緩めると死出の旅路へ向かいかける体に、喝を入れる。少しでも、制御を誤れば、すべてが台無しになる。そうするわけにはいかなかった。

 だが、その決意すらも、簡単に削られる。リョウメンスクナの姿を模した力の塊がうめく。それだけで、千草の体にさらなる負担が重くのしかかる。肉体と魂をつなぐ糸がぶちぶちとちぎれるのを、彼女は自覚した。赤かった視界が暗く染まりゆく。あれ程、鉄臭かったが、今はなにも感じない。

 

「ゴボッ!」

 

 血がまた、吐きだされた。すでに、致死量と思われる量は出ている。だが、千草はまだ立ち続けている。千草の体が熱病に侵されたかのように震えだす。肌は、とうに青白くなっている。しかし血にまみれ、死にかけているその姿は、ただただ美しかった。絶世の美すらも、今の彼女を前にしては、ただ醜悪なものにしか見えないほどに。

 だが、それだけの犠牲を払っても、完全な復活ではなく、力の一部をほんの少し借り受けただけの召喚しかできない。それこそ本体のリョウメンスクナノカミからしてみれば、一厘ほどの力も持たない不完全な降臨。それでも、千草の体は限界を迎えた。あれほど入念に準備をしてきたというのに、そんな浅知恵に意味などないというように。

 体が傾く。視界は霞んだままだが、床板が近づいているのを、千草は歯が錆びついた(のこぎり)で斬られているように痛む頭で認識した。

 

「大丈夫かい」

 

 舞台の端で邪魔にならないようにしていたフェイトが、ぐらりと傾いた千草を瞬動で近寄り支えた。血で服がぬれ冷たくなっていくが、不思議とフェイトは嫌悪感など湧かず、それどころか抱きかかえた彼女に純粋な尊敬を感じ、胸が熱くなる。

 それは不思議なものだった。一般的にクールと呼ばれる存在だと自分自身でも認識していたフェイトだが、今はその胸にあふれた思いで体が内側から焼かれそうだった。まるで、こうして触れることすら、罪深い行いであるかと思ってしまう。

 ――ああ、そうか。これが、聖母という者か。

 神をこの地に産み(召喚)なおした千草。それは確かに、聖母というのにふさわしかった。

 

「お、……さま。……た、むぅ」

 

 もはや千草は言葉をまともに話すこともできない。頭を垂れたまま、力なく呟くしかない。しかしフェイトはその意志を汲み取った。頼られることがうれしい。フェイトはそう思った。

 なにを考えているか分かりづらい無表情な彼は、その瞬間はっきりと笑っていた。

 

「分かったよ。お嬢様は関西呪術協会へひとつの怪我もなく届ける。必ずね、約束するよ」

「あ、り、う」

 

 そうしているうちにも千草の肌を血が伝い、落ちていく。指先から途切れることなく滴り、血だまりが広がる。祭儀場が赤々と濡れていく。

 

「お嬢様、悪いけどもう少しだけ我慢してね」

 

 フェイトが木乃香を抱えて、背を向けて消える。転移魔法を使って移動した。最後に一言だけ残して。

 

「千草さん、貴方は僕が見てきた人々の中で誰よりも凄い人だったよ」

「わたしは、すごくない。こんな、ことしか、できんかった」

 

 それが天ヶ崎千草と、フェイトと呼ばれている少年の別れだった。

 

 

 

 小山よりも高い空で、ネギとカモは冷や汗を垂れ流す。距離はまだあるというのに、濃密な力を感じ取っていた。肌が泡立ち、空気が重い。背中に力士が乗ったように、押しつぶされそうになっている。

 ネギは、(たたず)み淡く光り輝く巨大な鬼神の姿に、自身がとうに手遅れだったことを悟った。だがそれでも木乃香を救うためだけに、祭儀場へ全速力で向かう。確かに鬼神は恐ろしいが、戦う必要はない。その事実がネギに現状をあらがうだけの勇気を与えてくれた。

 飛行中の高速移動であるが、ネギは祭儀上に人影を見つけた。いくら魔力で強化しているとはいえ、今のネギの速度では、影以上には見えない。その影の人物こそが、木乃香を知っているはずだ、ととっさに判断し、杖から身を乗り出し、飛び移るように、舞台へ躍り出た。

 

「よう、来た、な」

「え?」

 

 そして見た。千草の惨状を。いたる所から血を流し、もはや死んでいなければおかしくないその姿を。それでもなお生き抜き、敵意をぶつけてくる天ヶ崎千草。淀んでいるくせに、ぎらつく眼光。眼前にいる女性が、ネギには人と認識することが出来ずにいた。なにかの化け物。そういわれた方がまだ納得できる。

 血を吐き、力なく立ち尽くしているだけの千草。だがその周りを、薄暗い闇が覆っているように、ネギには見えた。重苦しいその闇は、ネギの手足を掴み、引きずり込もうとするかのように這いよってくる。

 

「あ、ぅうう……!」

 

 怯え、ネギは足を下げた。込み上げる吐き気に、口を押さえる。小太郎を前にしても、木乃香を救おうとした勇気は消えうせた。千草の常軌を逸した殺意だけで、ネギはすべてを投げ出して、逃げたくなった。

 

「あ、兄貴! しっかりしろって!」

 

 鼓舞しようとしたカモの声も、今のネギには届かない。息が荒く、早い。瞳孔は狭まり、手が震えている。怖いという言葉がネギの頭をただ埋め尽くしていく。

 ――なぜそこまでしてあの人は戦おうとするのか。

 戦いとは意見がぶつかり合い、話し合いで解決できないからこそ行われる物であり、だからこそ、最後はお互い分かりあえる。ネギは戦いという行為をそう捉えてしまっている。エヴァンジェリンとの戦いも、お互いの主張をぶつけ合い、最後は分かりあえた経験から。彼にとって戦いは、未来に向けた一種の競争であった。

 しかし戦いとは綺麗なものでは元来ない。それどころか、結局相手を拒絶する力から行われる殺戮にすぎない。相手を殺せるのならばわが身も惜しくはない、という人間もいる。そして今回千草はそういう人間だった。ネギと千草の認識は悲しいまでにずれていた。

 

「やれ、リョウメンスクナノカミ!」

 

 咆哮が響き渡る。低く轟くそれは、声だけですべてを吹き飛ばしかねない力を持っていた。

 前から吹き付ける音の壁で、舞台から吹き飛ばされないようネギはしゃがみ、床板を掴み体を押さえつける。それでもなお、体は浮き上がり、体が後方へ流れそうになる。魔力で強化した腕力だけが、吹き飛びそうになるネギを支えていた。リョウメンスクナの声が途絶えて二秒して、ようやくネギの体は地面に落ちる。

 

「っあ、し、視界が……!」

 

 首を振り、ネギは衝撃で白く染まりぶれて見える世界を元に戻す。

 その間に大鬼神は、ゆっくりとその四つある腕のうち一つを振り上げる。ネギは、地面に移る影でそのことに気が付いた。

 ネギに向かって打ち下ろされた拳で、あたり一帯は吹き飛ばされてしまう。祭儀場は僅かしか残らず、湖すらその水位を減らす。拳が撃ち込まれた地点は、ハリウッド映画に出てくる、爆撃された場所のようなありさまだ。

 それだけの攻撃の的にされたネギは、とっさに箒で避けていた。空へ逃げることで、避けようとした。だが、その程度でよけられるほど、神の一撃は温くはない。

 振り下ろされた拳の衝撃だけで、ネギの障壁は砕け、体は打ち据えられ、ボロボロになっていた。

 そして、

 

「ッガァアアアアアアアアアア!!」

 

 千草の腕がはじけた。磐座の前、わずかに残った祭儀場で彼女はうずくまる。壊れた腕を残った腕で抱えこみ。生臭い鉄の匂いが広がる。血霧が、水蒸気と混じり、彼女の周りを紅くした。

 鬼神を操る代償だ。体が限界を迎えていた。それに顔色を変えたのは、千草ではなくネギだった。

 

「や、止めて下さい! それ以上は貴方が死んでしまいます!!」

「お、お前たちを、おいだせるんなら、うちの命なんぞいらん。かんさい、じゅじゅつ……協会が、もく、てきをはたす、いしずえになる、のならば」

 

 叫ぶネギに、息も絶え絶えながら、千草は返す。敵の言葉に心が動くほど、彼女の覚悟は軽くない。暗い光を伴った目で、天ヶ崎千草は叫んだ。

 

「ウチごとやれ! スクナ!!」

 

 リョウメンスクナノカミは千草のいた祭儀場を踏みつぶし、ネギへ殴り掛かった。 


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