東方魔法録   作:koth3

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流れる水の如く

 人気のない廊下でネギは仮契約カードを取り出す。カードには湿った汗でぬれている。それに不快感を覚えながらも、ネギは仮契約カードに付属している機能のひとつである念話によって、明日菜と木乃香の居場所を探す。すぐに明日菜からの返答があり、一時の安心を覚えたネギであるが、すぐにその安心は冷や汗と変わる。

 

「明日菜さん!! 聞こえますか! 返事をしてください!!」

 

 念話が途中で切れた。ネギと刹那は顔を見合わせるとすぐに風呂場へ駆けていく。扉を開け、浴場へ入ると明日菜が裸で床に息も絶え絶えで倒れている。抱き起すと、その頬は朱に染まっている。

 

「あ、明日菜さん!?」

 

 抱き起された明日菜は、荒い息のままネギを見た。必死に言葉を絞り出そうとしている。

 湯気と上気した頬がなまめかしく、話を聞かなければならないとは思っていても明日菜の体に傷一つないことも相まって、刹那はよこしまな考えが頭によぎってしまう。

 

「ま、まさか、アスナさんエッチな事をされたんですか?」

「そんなわけないでしょうーッ!!」

 

 涙目に否定する明日菜の顔をネギは見れなかった。

 

「そ、それよりも気を付けて、あいつまだ近くにいるかも」

 

 すぐさま二人の意識が変わる。抜け始めた緊張感が一気に戻り、強くなる。

 しかしそれにはあまりにも遅かった。すでにここは戦場だという事をネギたちは理解していなかった。

 二人の後ろ、その空中に突如少年が現れる。微妙に変わった風の動きに、刹那は背後に何者かがいることを悟った。そしてその少年が攻撃をする直前だということも。

 振り向きざま裏拳を繰り出した刹那だが、その腕は少年によって軽くいなされ、逆に強化された腕の一撃を喰らい吹き飛ばされる。床をバウンドし壁にぶつかってそれでも威力は殺され切れず跳ね返り、もう一度壁に叩きつけられた。その壁に亀裂が入り、刹那はようやく止まる。

 温かい湯気の中に、刹那の苦痛の息が漏れだす。

 

「刹那さん!! ま、まさか君が!」

 

 ようやく敵に気が付き、その姿を見たネギは眉根を寄せ叫んだ。

 

「こ、このかさんをどこにやったんですか?」

 

 白髪の少年は表情ひとつ変えることなくネギたちを見ている。しかしそれにしてはその瞳にはなにもない。

 

「みんなを石にして、刹那さんを殴ってこのかさんをさらい、先生として……友達として……僕は許さないぞ!!」

 

 珍しいまでの怒気をみせるネギだったが、それでも少年はなにも変わらずにいる。当り前だ。蟻が怒ったところで気にする人間はいない。一々そういった有象無象を相手にするのは馬鹿馬鹿しく、付き合っていられないものだ。

 それに、少年は先日化け物(・・・)と闘っていた。ネギとは格が違う者を知っているために、余計なにも感じない。

 

「それで、満足かいネギ・スプリングフィールド。やめた方が良い。君程度で僕は倒せない」

 

 浴場に残っている水が少年の体を包む。

 

「あっ待て!!」

 

 ネギの声に頓着せず、少年はそのまま水を媒介にした瞬間移動を行う。

 カモはその魔法を使った少年に泡を食っている。彼が知る限り、なにかしらを媒介にしてでも瞬間移動を行える魔法使いは数少ない。それどころか片手で数えられるほどだ。それほど瞬間移動とは難しい。それをあそこまで簡単に扱える、それだけでどれだけの力があるか分かる。

 ネギもまた魔法使いとして格の違いを見せつけられ、顔を歪ませるのを止める事が出来ない。

 

「だ、大丈夫ですか明日菜さん……」

「う、うん。刹那さんこそ」

 

 刹那が腹を抑え、ふら付きながらも立ち上がった。歯をかみしめ、青筋を立てている。体の限界など無視して飛び込む事すらいとわないほどの激情だ。

 その怒りに当てられて、明日菜は唾を呑む。凄まじいその怒気が周りを歪めているように見えた。

 腰の引けたその体になにかが掛けられた。

 

「えっ?」

 

 それはネギが念力で脱衣所から運んできたタオルだ。

 裸を見ないようそっぽを向き、しかし今までにないほど強い意志を持ってネギは言う。

 

「このかさんは必ず取り戻します」

「う、うん」

 

 少しどもった明日菜は胸の鼓動を強めネギの横顔を見ている。

 

「と、とにかく追いましょうネギ先生! 気をたどれば……ぐっ」

 

 殴られた箇所が痛み、刹那は横腹を抑えずにはいられなかった。ネギはそれを見てすぐに治療魔法を行うことを提案したが、刹那はそれを拒否して無理に動こうとする。そんな時間があるならばお嬢様を、と。結局理詰めで無理やり丸め込み、ネギは傷を治療していく。そのわずかな時間でも有効に使うために、カモが問題提起をした。

 こういった点ではカモは非常に役立つ。ネギたちと違い、悪知恵が働くというのもあるが、元々人間と比べて非力なオコジョという存在だ。策を弄するという事には慣れている。

 

「だけどよ、どうする兄貴たち。このまま無謀に突っ込んでいっても、勝てねぇぜ」

「重要なのはお嬢様です。お嬢様さえ取り返せれば、後は逃げ続けるだけで他の地域からの応援が来るでしょう」

「そうか。だとしても、どうやって木乃香のお嬢ちゃんを取り返す?」

 

 せめて戦力がもっとあれば。そう口にして、カモは気が付いた。戦力を簡単に増やせるであろう方法を。

 

「そうか、これなら!」

「なにか策でも思いついたんですか!!」

 

 それに真っ先に喰らい付いたのは刹那だった。身を乗り出して、詳しく聞き出そうとしている。

 

「簡単なことさ。刹那の姉さんと兄貴が仮契約をすればいい。そしたら気と兄貴の魔力で戦力は乗数のように上がるって算段さ」

 

 胸を張っているカモに、しかし刹那は顔を暗くするだけで、なにも答えない。予想と違う反応に、カモも顔を伺いながら尋ねた。

 

「あ、あら? 刹那の姉さん、兄貴が嫌いか?」

「い、いえそうではなく、もっと根本的なことからその策は成り立ちません」

「え?」

 

 視線を合わせず、刹那は続ける。

 

「気と魔力は反発します。本来似通った性質を持つ両者なのですが、それらを合わせようとすると拒絶し合うんです。油と水の関係のように。中にはその反発した勢いを利用する技法も存在しますが、それ自体究極技法と呼ばれる最高難易度の技術です。私が今すぐ使えるものではありません」

「う、うそ~ん」

 

 せっかくの策だが実現不可能と知り、髭と尻尾が垂れ下がりカモは虚ろな目になった。さすがに可哀そうになり、明日菜はカモを手に乗せ背中を撫でる。

 

「アンタは良く考えたわよ。だからさっさと元気になりなさい」

「うう、姐さん」

 

 後ろの光景を振り切り、刹那は先を急ごうとする。あわててネギもその後を追いかけようとした。

 

「そ、それじゃあ、アスナさん行ってきますんで、ここで待っててください! カモ君!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 私も行くわ」

 

 

 

 森の中に湖がある。揺蕩う水音とかすかに香る杉の香りが漂う湖面の上に月詠はいた。天空に登る月の輝きを反射する刀の腹に、その顔が映る。それはとてもつまらなそうな表情だった。口を尖らせ曲げている。子供が欲しいものが手に入らず駄々をこねているように。

 

「ああ、来たようですねぇ」

 

 虫の鳴き声がぷつりと途絶えてすぐ、険しい表情をした刹那が木々の奥から飛びだし鋭いまなざしを月詠へ向ける。しかしやはり月詠の顔は浮かないままだ。

 ネギと明日菜も息を切らしながらであるが、刹那に追いついた。

 

「さて、ではやり合いましょう。契約さかい、そないに恨まんといてください」

「退け」

「お断りします~。貴方たちを斬る事くらい簡単です。貴方こそ、その刀を放ってどこかへ逃げなさい」

 

 明らかな挑発であり、そのことを悟りながら刹那は怒気を抑えずにいられない。彼女が鍛えた技の数々は木乃香を、友達を守るための技。それをまるで価値がないかのように言うその言葉を許せるはずがない。刀の柄がミシリと鳴る。

 

「ならば、貴様が斬られるが良い。そうしたら分かるだろう。私の技の鋭さと――」

「冗談はおよし下さいな。先輩、いえ貴方程度の技など精々町道場の師範代程度です」

 

 もはや限界だった。しかし刹那は木乃香を救うためにも最後に言わなければならない。

 

「ネギ先生、先に行ってください」

「で、でも」

「行けと言ったんだ、私は」

 

 固い声に、ネギは刀で首を斬られたイメージが沸き立つ。青ざめた顔でとっさに首を覆い、つながっているかを確認した。

 

「わ、分かりました。明日菜さん、すみません」

 

 ネギは箒で空を飛べる。同乗者もその身にある魔力からすればいくらいても問題にならない。しかし明日菜だけは違う。明日菜を乗せると、箒で上手く飛ぶ事が出来ない。かつて明日菜を箒に乗せた経験から、ネギはそのことを知っていた。そのために明日菜を連れて行く事が出来ず、この場に残さなければならないということに罪悪感がいっぱいになり、ネギは弱弱しい目で明日菜を見る。

 

「私の事なら安心しなさい。アンタはちゃっちゃと木乃香を取り返してきなさい」

 

 だからこそ、明日菜はネギを送るために胸を張った。ネギの顔を明るく、力強くなる。

 

「は、ハイ!」

「俺ッチと兄貴に任せてくれ! 絶対に助け出すからよ!」

 

 箒で飛ぶネギたちを見もせず、月詠は刃を構える。

 

「では行きますで」

「さっさと貴様を倒させてもらうぞ」

 

 一歩刹那は踏み出し、刀を振りかぶり前へ進む。いくら大太刀でも離れすぎた間合いではなにも出来ない。だからその選択は間違いじゃない。神速にはおよそ届かないにしても、疾風と見間違うほどの踏込の速さだ。

 だがしかし相手はそれを許さなかった。刹那が一歩分足を出したところにはすでに月詠がいた。

 

「え?」

「遅すぎます」

 

 振り下ろされる刀。とっさに前へ行こうとした体を無理やり横へと動かす。ぶちぶちと足の筋線維から音がするが、刹那はそれをすべて無視した。

 神鳴流の太刀筋ではなかった。それどころか、その太刀には気が存在しない。気を込めていないただの鉄の塊だ。それでも刹那はそこから漂う圧倒的な斬るという執念を感じとり、避けずにはいられなかった。そして次の光景に顔を青ざめた。

 ただの刀は地面を切り裂いていた。十メートルほども。今まで刹那が相手した月詠の技ではない。それ以上のなにかだ。

 

「お前――「話している余裕があるんどすか」っ!」

 

 刺突された二撃目を、刹那は夕凪で逸らしながらなんとか躱す。しかしこれでもう終わりだ。完全に体勢を崩しており、既にもう一度月詠が振りかぶっている刀で切り裂かれる。

 

「でやぁああああ!!」

 

 神楽坂明日菜がいなければ。

 ハリセンが月詠の顔を横から風を起こしながら迫る。それを避けるために月夜見はバックステップで刹那から離れて行った。

 

「分かったですか。彼我の実力差を。これでもウチ、本気やないどすからね」

 

 あれだけの馬鹿げた技量を見せながら遊びだと言う月詠に、刹那は化け物を見る目をした。そこには確かな怯えすらある。剣を知っているからこそ、刹那は目の前でたたずむ剣鬼を信じられず、恐ろしく思う。鍔迫り合いなどしようものならば、夕凪ごと斬り捨てられる。それを理解したがゆえの(おそ)れだった。

 だがそれでも戦わなければならない。木乃香を取り戻すために。心が熱く燃え上がる。恐怖も何もかもを捨てて、刹那は前へ飛ぶ。

 

「ぉおおおおお!!」

「はは。残念どす。貴方が私と同類じゃないのが」

 

 

 

 森を流れる水が辿り着く静かな湖畔の中央に、厳島神社の高舞台のように神楽舞を踊るための舞台がある。その前には巨大な岩があった。その岩は注連縄をされ、磐座(いわくら)のように扱われている。その舞台に、天ヶ崎千草と犬上小太郎、そしてフェイトがいた。

 

「なあ、姉ちゃん。俺ずっと気になってたんやけど、なんでさっきから補助術式ばかり幾十とかけてんの? そこの嬢ちゃんが持つそないな魔力ならば、いくら神と言われる存在でも御しきれるやん」

 

 頭の後ろで腕を組み、小太郎はつまらなそうに作業を見つめながら千草へ尋ねた。

 確かに千草は木乃香を攫ってから一向に召喚の術を使わず、それどころか馬鹿みたいな量の術式を補助するために存在する補助術式を作動させ続けている。これだけの術式があれば、一人で地形を変えられる魔法を行使できるとまで思えるほどの量を。

 

「阿呆抜かせ。お前は、ああ、そうやな。仕方がない。あんさんみたいなやつならば、そう思うのも仕方がないか。知らんのやから。忘れたんやから。良いか、今からするのはかの大鬼神リョウメンスクナノカミの降臨に近いものや(・・・・・)

「はぁ? なに言うてんねん。これからリョウメンスクナを嬢ちゃんの魔力で呼び出して支配するんやろう?」

「阿呆。そないなことしてみい。良くて私とお嬢様の魂が砕けるわ。悪くて存在したという歴史すらもかき消されるわ。神を人間の尺度で考えるなや。これからするのは、行ってしまえば封印されているリョウメンスクナノカミの息吹を引き出すだけや」

「はぁ!? 息吹やと! たかだか呼吸やないか! いくら神の名を与えられたからやったとしても!」

「呼吸ひとつで人間なんぞ幾らでも殺せる。例えそれがかのサウザンドマスターであってもな。それが神や。忘れしまった者は多いがな。お前こそ、神を馬鹿にしすぎや。ウチらが使う式神なんぞと一緒にしているんやないだろうな。式神なぞ、神からしてみれば埃と同じや。そないな存在いくら東洋一の魔力だとしても、雀の涙も意味が無い。操れるはずがないやろう。やから、息吹をお嬢様の魔力で無理やり引っ張り出し、召喚する。息吹事態に神性はあっても、意志はない。それならば無理すればなんとか方向性程度ならば指示できる。その罰は下されるやろうが」

 

 ――ああ、駄目や。これはあかん。

 小太郎は語る千草の目を見て悟った。そこにあるのは、死ぬ覚悟をした目だ。すでに命を使い潰す覚悟をしてしまっている。止めようがないその目を。

 それでも小太郎は、言葉を紡ぐ。

 

「姉ちゃんは、それでええんか?」

「ええんや。それですべてが変わるなら。たったひとりのちっぽけな命で大勢の、未来の命を救えるなら。関西呪術協会は存在しなければならんのや。少なくともその目的が果たされるまでは」

「俺、馬鹿やからよぉ分からん。でもな、姉ちゃんそれ俺より馬鹿やで」

「知っとる。さあ、そろそろ行きぃ。アンタならあの小僧くらい軽いやろう」

 

 言葉はなかった。小太郎はこぼれ落ちる涙を乱暴に袖で拭い、その場を去っていく。

 その後ろ姿を千草は優しく見つめている。

 

「ウチみたいな輩より、アンタみたいなもんが生きる方がええ。その礎となれるなら陰陽師本望に尽きるっちゅうもんや。なあ、小太郎。がんばれや。これから先どんなつらいことあっても、負けちゃならん。私みたいに。ああ、父様、母様。今行きます。閻魔様のお裁きを償い終えるまで、どうかお待ちください」

 

 湖面に映る月は寂しく震えた。 




千草さんが大分格好良くなってしまいました。

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