東方魔法録   作:koth3

42 / 110
あれ何か文字数が半端無い事に……


狗神の少年

 京都市内に炫畏古社(かがびこのやしろ)という、大神神社と似たように山自体をご神体としている神社がある。入り口は大きな石造りの鳥居が聳え立ち、その奥には数えきれないほどの、一番最初の鳥居と比べれば小さな、鳥居が並んでいる。周りはまっすぐ高く育った木々が生えており、行き来するには不便だが昔からの山岳信仰が見て取れる神社だ。

 そんな神社の鳥居の前に、ネギと明日菜とカモがいた。

 ネギたちは修学旅行三日目の自由行動時間を利用し、親書を届けることにした。そのために隙を見て、ゲームセンターに夢中となっている明日菜の班からこっそりと抜け出して、関西呪術協会があるこの神山を訪れていた。

 入り口から見ると先は遠く、山林が作り出す影で道の半ばから見えない。その薄暗さが作り出す不気味さは、入ってはならぬと警告しているようであり、三人をただ圧倒していた。

 

「ここが、関西呪術協会の本山なんでしょうか?」

「ううん、伏見神社ってのに似ているみたいだな。教会とは全然違うから良く分からないが、その神社と同じ神を祀っているのか?」

「私に聞かれても分かる訳ないでしょう」

 

 彼らはまっすぐと鳥居に近づいていく。人気のない神社とはいえ大きな道なので、二人が道の端にでも行かない限り、十分な広さがある。

 

「とにかく、さきを進みましょう。明日菜さん、ここから先は、最後の妨害が出来る場所です。警戒してもしたりないということはないでしょう」

 

 ネギの堅い口調に、明日菜も自然と体に力が入る。辺りを見回し隠れられそうな場所を探し、明日菜が見つけた鳥居の影にさっと隠れ、ネギを手招きする。ネギはこくりと頷くと、すぐに明日菜の後ろに回った。

 

「分かったわ。役に立つか分かんないけど、一応ハリセン出しておくわ」

 

 明日菜がアーティファクトを取り出し、隠れた鳥居の影から奥を覗き込む。そこから見える範囲には敵影は見当たらず、十分な確認をしたら勢いよく飛び出していく。

 それを見ている人間に気がつかずに。

 山に生えている木々のうち、特に高い木の枝に、二人の人物がいた。一人は着物をはだけさせた女性であり、木乃香を攫った天ヶ崎千草だった。その近くにいるのは前を開いた学ランにニット帽をかぶった、つまらなそうな顔をしているネギと同じくらいの少年だ。二人は鳥居から一直線に飛び出してきたネギと明日菜を見ながら話を交わしていた。

 

「あいつ等、アホちゃうん?」

「……そうやな、阿呆やな。隠れるんだったら、最初から隠れろっちゅうねん。何で道のど真ん中を堂々歩いてきて、鳥居に隠れるんや。とっくに見つかっとるわ。最初から隠れろっていう話や。頭痛くなってきた」

「あんな奴らにやられたって、恥やな」

「うるさいわ。あんな奴らだけならそれこそ満身創痍でも勝てるっちゅうねん。問題はもう一人や。そっちは私がやるから、あんたはあいつ等を蹴散らしい」

「うえ。俺もあんな奴らよりそっちの方がええわ。姉ちゃんが認めるんなら歯ごたえがありそうやし」

「阿呆抜かせ。一応これでもあんたの戦力は信頼しているんや。やるべき事はきちんとやれ。何のために雇った思うんや。ほれ、何枚か式をやるから、あの姉ちゃんの様子も調べや。調査し終わったら好きにせい。あんた女はできるだけ殺さん主義やったろう。目瞑っておいてやるさかい、その代わりあの坊やはさっさと仕留めや」

「応!!」

 

 にぃと獰猛な野生動物、それも犬の様に裂けた口から牙を見せ、少年はその場から消えた。

 

「やれやれ。こっちはこっちで色々せんとな。それに、なんや知らんうちに支部長たちが私たちを応援しておるんや。負けるわけにはいかんなぁ。ハッ! 東の田舎の奴らに教えてやらんと。陰謀渦巻く都の中で研磨され続けた陰陽術は、ぬくぬくとした平穏を生きたお前ら(・・・)よりはるかに優れておるとな」

 

 後を追うように、千草もその場から離れて行く。千草は鳥居のある方角とは全く別の場所から、京都の中心地へ目指して翼を持った式に乗って飛んでいく。

 

 

 

 自分たちがすでに蜘蛛の巣にかかっていることに気付くことなく、ネギと明日菜は鳥居の間を走り続けている。体力に自信のある明日菜ですら、だんだんと息が切れてしまい、いったん鳥居の影に隠れて息を整える。ネギもすぐさま明日菜のように影に隠れて、あたりの様子を探る。さわさわと風に揺れる木の葉の音しかしない。走って熱がこもり始めた体には、その風が涼しい。

 

「な、何も出てこないわよネギ?」

「魔力も感じないです」

「行けるんじゃないの、これ」

 

 明日菜の言葉に数秒考え、ネギは決断を下した。

 

「一気に行っちゃいましょう」

「OK!!」

「行くぜ、二人とも!!」

 

 精神的な重圧からか、それとも自身の索敵能力を過信してかネギは軽率な判断をしてしまった。十年も生きていない少年が、裏の世界で戦い続け生きてきた陰陽師を相手取るには役不足と自覚しないで。

 五感で探そうにも注意深く痕跡を消せば、人間程度いくらでも隠蔽できる。それはゲリラ戦法が軍隊相手にも有効なことからも分かる事だ。姿かたちをかき消すということは専門的な知識と練習が必要だが可能である。裏の世界で生きているならば、それくらいは出来て当然だ。待ち伏せというのは古来からあるもっとも有効的な策の一つだ。

 さらに魔力を探ろうにも人間が持つ魔力はそもそも神域であるこの場所には豊富に存在し、微量ならば周りの魔力にまぎれて分からなくなってしまう。敵影も、魔力の痕跡もなかったから、敵がいないというわけではないということをネギは認識できていなかった。

 走っていく二人とカモが潜った鳥居の柱に梵字が浮かび上がったことに、だからこそ誰も気がつく事が出来ない。

 それからしばらく二人は走り続けた。しかしいくら走っても終わりが来ない。明日菜ばかりではなく、魔力で身体を強化しているネギもだんだんと疲れ始め、息が切れかかっている。

 

「な、長すぎでしょ! 一体どれだけ長い石段!? さすがに疲れたわ」

「た、確かに長すぎです。もう三十分は過ぎています」

 

 とうとう明日菜は地面に手をついた。彼女は息を荒げている。そこまでいかなくとも、ネギにも大分疲れが見え始め、膝が笑っている。

 

「……」

 

 カモだけはネギの肩に乗っていたので疲れてはいないが、眉を寄せたばこを吸っている。自身が走っていないからこそカモは、二人と違い客観的に事象を見つめる事が出来ていた。

 

「兄貴、ちょっと確かめたい事があるんだが」

「確かめたい事? 一体何、カモ君」

「いや、簡単なことなんだがこのまま兄貴は走ってくれれば大丈夫さ。姐さんはこの場所にいてくれ」

「? 僕はいいけど、明日菜さんは大丈夫ですか?」

「私はここで少し休んでいるわ。何かするのならアンタらでやってなさい」

「じゃあ、行ってきます」

 

 座り込んで休んでいる明日菜を置いて、ネギは先を進んでいく。幾ら進んでもやはり鳥居が途切れる気配はない。変わらない景色に、だんだんと肩に乗っかっているカモの顔が険しくなっていく。

 

「兄貴――」

「お前本当に駄目な奴やな」

「なっ!?」

 

 カモがネギに話しかけた瞬間、一人の少年が横の林から飛び出してネギに殴り掛かった。奇襲に反応しきれなかったネギは、横っ面をまともに殴られその小さな体を吹き飛ばされる。道の両端にあった石でできた手すりに激突して、ネギの体は止まった。

 この時ネギはようやく気付いた。自分たちがすでに罠にかかっていたということを。

 

「はぁ、本当こんな依頼受けるんやなかった。おい、西洋魔術師。こっちはさっさと終わらせたいんや。さっさと立てや。期待はしてへんけど」

「グッ」

 

 顔を歪め、唾を吐き捨てネギは立ち上がろうとする。しかし先ほどの奇襲が効いたのか、膝は笑い今にも崩れかけている。吐き捨てられた淡は血で真っ赤に泡立ち、石段を汚している。

 

「君、はさっきの」

「なんやまさか気づいてへんかったんか。そうや、あのゲーセンでお前を倒した俺や」

 

 先ほどネギたちがここに来るまでいたゲームセンターで、ネギは目の前にいる少年を見た。自身が生徒と一緒に遊んでいた時に、乱入してきて打ち負かされた相手だ。

 

「それにしても、本当に西洋魔術師は弱いんやな。術師やから元々期待はおらんかったけど、それでも酷すぎる。罠は見抜けない、戦いの覚悟はできておらへん。敵の罠に嵌まったゆうのに仲間とバラバラになる奴がおるかっつーねん。こんなんがあのアラルブラの、ナギ・スプリングフィールドの息子なんか。ハァ、最強やって言うからいつかは闘ってみたかった相手なんやけど、この分じゃ期待できへんな」

「っ!! 父さんを莫迦にするな!!」

「うるさいわ。それに参道に唾吐くなや」

 

 父を侮辱され、怒りに染まって真っ直ぐに殴り掛かってきたネギに、少年は簡単にカウンターを合わせる。顎に右の掌底を当てられ、ネギの頭骨はミシリと軋んだ。先ほどよりも力の込められた一撃は、ネギが普段から張っている簡易的な魔力障壁をやすやすと貫いた。

 

「脆いなぁ。本当、お前は期待外れやったわ。あの姉ちゃんには大怪我まではさせんけど、その代わりや、お前さんには悪いけど死んでもらうで? 恨むんなら、力のないお前を恨め」

 

 少年の足が上げられ、ネギの頭めがけて振り下ろされる。

 

 

 

 

 ネギと別れた場所で座り込んでいた明日菜は突如体を襲う悪寒に、とっさに飛び起きて辺りを警戒しだした。何処から来ても対処できるように素人考えながらもハリセンを竹刀のように構えている。構えはめちゃくちゃで滑稽ではあるが、それでも彼女はできるだけの事をしようとしている。

 

「へぇ、覚悟はできておるんか。向こうの西洋魔術師よりかはよっぽどマシやな」

 

 どこからか声が聞こえる。その声の発生源こそ分からなかったが、明日菜でもその声を発した者が敵だということは分かる。明日菜の体が強張る。息が荒くなっていく。汗がふつふつと出てきてくる。いつもの喧嘩とは違う重苦しい空気。知らず明日菜はつばを飲み込んだ。

 

「だれ!?」

「こっちや、姉ちゃん」

「アンタは」

 

 林の中から大きな蜘蛛の上に載った少年が姿を見せた。好戦的な笑みを浮かべているが、敵意は発していない。その事に疑問を抱きながらも構える明日菜の前に、少年は足場としている蜘蛛に命令して蜘蛛ごと跳躍して降りてきた。そこに居た少年は、ネギと戦っているはずの少年だった。

 少年の瞳には敵意よりもどちらかという賞賛の色が含まれている。

 

「そうや、ゲーセンで会ったな」

「あの時から私たちをつけていたのね!」

「違うなぁ。最初からここで罠張っとったん。それにのこのこかかったのはお前たちや。ああ、安心せい。俺は女に手を出すのは趣味やない」

「はぁ? だったらどうするって言うのよ」

「こうするだけや」

 

 少年の学ランの裾から取り出された幾つもの符が、パラパラと宙を舞う。舞い上がって頂点に達すると同時に、全ての符が音を立てて煙を吐き出し姿を変えていく。

 そこには人の身の丈を悠々と超える蜘蛛の群れがいた。額にはそれぞれ異なる梵字が描かれており、ぎょろりとした幾つもの複眼が明日菜を捉える。

 

「姉ちゃんはこいつらが相手してくれるから、心配すんな。俺が相手するよりかは怪我をせえへん」

「なめているの」

「なめられる程度の力しか持ってないなら、なめられるのは当たり前や」

 

 蜘蛛は人には理解できない金切声をあげて明日菜へと八つの脚をしゃかしゃかと動かし突進してきた。

 

「なめんじゃ、ないわよ!!」

 

 

 

「避けてください先生!!」

「おおう!? 何で一般人がこんな所に!?」

 

 あと少しで頭を踏みつぶされるという瞬間、ネギの耳に届いたのは昨日自分に告白してくれた一人の少女の声だった。その声に、朦朧としていた意識が反応し、体をひねって転がることで、ネギは少年の足元から抜け出し少年の足元から離れて行く。少年の足は何もない場所を踏み砕いた。石段は亀裂が奔り、靴跡に沿って凹んでいる。

 間一髪のところで助かったネギを見た少女は、ため息を漏らした。

 

「はぁ。なんでこんな面倒なことになるねん。俺何か悪いことしたか?」

 

 おどおどしている少女を一瞥した少年は額を抑えていた。ネギを見ることもせず、ただなぜかいるいてはならない少女の方を向いて、少女とは違ったため息をついている。

 

「なあ、表の看板みえへんかった? あそこ、入っちゃいけませんってことで『立ち入り禁止』って書いとったはずやけど」

「……書いてはいました。でも、ネギ先生が――」

 

 もうそこまで聞けば十分だった。少年には。

 

「良いこと教えといてやる、嬢ちゃん。『好奇心は猫も殺す』ちゅう言葉を」

「え?」

 

 長く鋭い爪が少女、宮崎のどかを襲う。のどかは恐怖でしゃがみ込み、両腕で顔を守った。そのために、少年の一撃は両腕を掠める程度で済んだが、それでも鋭い傷が五筋両腕に刻まれ、血が流れ出す。少年の爪はのどかの血で染められ、赤くなっていく。

 

「痛いっ!!」

「悪いな、でもな、わざわざ忠告しとったのにルール破ったのはお前や。まあ、因果応報。自分の浅慮を後悔しい。世の中には触れちゃならんもんもあるんやで」

 

 追撃。右腕を振り上げる。少年の爪についていたのどか自身の血が飛び散り、彼女の頬を汚す。生暖かさがどこか現実味がなく、命の危機だというのに手の甲で血をぬぐった。

 

「あ、ああ……!!」

 

 赤い液体を見て、ようやく現状を理解して生きようと後ずさるのどかに、少年はもう一度爪を振り下ろす。

 その振り下ろした爪目掛け、一本の魔法の矢が飛んできた。爪を途中で止め、少年は迫ってくる魔法の矢をそのまま切り裂いた。

 

「おっと、何のつもりや」

「のどかさんから……離れろ!! ラス・テルマ・スキルマギステル 魔法の射手・連弾雷の矢――」

「遅いわ。ま、顔つきはマシになったみたいやけど」

 

 呪文詠唱の途中で、既に少年はネギを間合いにとらえていた。そこに武術の極意などはない。ただ速い。それだけでネギにとって唯一あったアドバンテージである距離を潰されてしまう。詠唱の速度を速めようとしたネギの腹部に、深々と少年の左拳が突き刺さる。鳩尾を打たれたことでネギの息が一瞬止まり、肺の中にある空気全てが吐き出されてしまう。くの字に体が曲がり、ネギは腹を抑え込む。

 

「あ、あがぁ!!」

 

 失った空気を求め顎が上がった瞬間を、少年は狙い撃つ。全体重を込めた少年が出せる最大威力の一撃に、ネギの障壁は簡単にぶち抜かれてしまう。顔面の中央を的確にぶち抜いたストレートは、確かな感触を右手から少年に伝えた。

 少年の拳の威力に、ネギの体は木の葉のように吹き飛ばされる。吹き飛んだネギはうつ伏せになったまま動かない。

 

「ネギ先生!!」

「ううん。やっぱダメか。立ち上がった時は何とかいけるかもしれへん思うたけど、やっぱりこの程度か」

「ま、て。のどかさんに手を、出すな!」

「おお、なんや気合はあるようやな」

「何でのどかさんを傷つけようとするんだ」

 

 力なく開いていた指先が砂利をひっかく。手を握りしめネギは震えていた。

 

「そんなん簡単なことや。確かに俺は女と闘うのは趣味やない。けどな、闘いと処分(・・)は別物や」

「処分、だと?」

「そうや。なんや、お前一度もしたことないんか? こんな家業に浸かっていると、一年もすれば死体の山を築く事くらい当然になるもんやで? お前と一緒にいたあの姉ちゃんは闘える。つまりは甘ちゃんやけど裏の人間や。やったら殺す殺さないにせよ、俺らの事を表に話すわけはないやろ。だったら無理に殺す必要はない。俺は女と闘うのも、殺すのも好きやない。けどな、こいつはちゃう。戦う事もできん、さりとてこの場で有った事をだまってろと言っても端から聞く気はなさそうや。なら、俺たちのような存在が表に出ないようにするには処分する必要があるやろ」

「そうか、君は」

 

 震える膝を拳で押さえつけてネギは立ち上がる。もう闘える体ではないことは、のどかにすら分かる。目の横を決して少なくない量の血が流れている。目は霞んでおり、光が弱弱しい。

 

「だ、駄目、ネギ先生!!」

「のどかさんは黙ってください!」

「――!!」

「僕は先生です。ですが一人の英国紳士として、僕を好いてくれた人を見殺しになんてできません!!」

「はっ! なんや、お前たちできとったんか。だとしてもどうするんや? お前に何ができるんや? お前の彼女守れる言うんか」

「それは」

 

 歯噛みしたネギは、力なく漏らす。守りたくともネギの力では守れない。その事実が分かるからこそ、何も言えなくなってしまい、ネギは顔を俯かせてしまう。握りしめた拳が震える。そんな時だ。助けが入ったのは。

 

「兄貴!! のどかの嬢ちゃんを抱えて逃げろ!!」

 

 ネギの背中から250㎖ほどのペットボトルが一本少年目掛けて投げつけられた。カモの為にネギが用意した水が入ったペットボトルだ。中にはなみなみと水が入っている。それをカモが引っ張り出して、投げた。

 少年は慌てることなく、しかし警戒をしたままそのペットボトルを叩き落とそうと手を振り上げた。その瞬間を狙い、カモは自身が使える魔法を使う。

 

「オコジョミスト」

 

 少年にはたかれる前にペットボトルが破裂して、中の水分がすべて濃い霧となって辺りに漂いだす。

 

「しもうた! 目くらましか!!」

 

 霧を晴らそうと暴れまわる少年を置いて、ネギは震える体を叱咤してのどかを抱えその場から離脱した。

 逃げたネギたちがたどりついたのは、少年がいた場所から少し離れた湧水の出ている場所の近くで、そこでネギは横たわらされていた。のどかは傷だらけのネギを甲斐甲斐しく介護している。

 

「ネギ先生、大丈夫ですか」

「ええ、のどかさんのおかげでだいぶ楽になりました」

「ありがとよ、のどか嬢ちゃん」

「いえ、そんな」

 

 ネギの体は、幾つもの布きれがまかれている。本好きののどかは以前本で見たことのある応急手当を、うろ覚えではあるがネギにしていた。幸い水は近くにあり、ハンカチやソックスを引き裂けば、包帯として十分使える。

 

「ところでよ、のどかの嬢ちゃん。何でこんな所にいるんだ?」

「その、昨日の景品でもらったカードが本になって」

「アーティファクトか!! 嬢ちゃん、ちょっとその本見せてくれ!」

「は、はい。構いませんよ。あの、ところで気になっていたんですがあなたは? それに今までの事は?」

「あ、すまねぇ。忘れていた。俺っちは兄貴の使い魔でカモっつうんだ。よろしく。もう一つの疑問に関しては後で詳しく説明するから待っていてくれ」

「はい、分かりました。それと私の方こそよろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げるのどかに、たばこを吸いながら親指を立てているオコジョと、かなりシュールな光景が広がっている。

 本当ならばもっときちんとした挨拶をかわしたいところだが、今はその余裕もない。カモはのどかがおずおずと手渡した本を、一度落としそうになりながらも受け取った。

 

「うお、結構でかいな嬢ちゃんのアーティファクトは。どれどれ、効果はっと。おお!! すげえ! これは名前が分かる相手の心を見れるのか!! あ、でも今は使えねえか。あいつの名前が分からねぇし」

 

 のどかのアーティファクトの強力さに興奮していたカモではあったが、その強大さの引換である代償にすぐにその興奮は消えてしまう。

 

「ご、ごめんなさい」

「あ、いや嬢ちゃんの所為じゃないんだ。別に責めている訳じゃないから安心してくれ。だが、どうする兄貴。このままじゃあ、あいつに見つかっても何もできないぜ。あいつはプロだ。幾らネギの兄貴でも、実戦経験の差は埋められないぜ」

「うん」

「少なくとも増援は期待できねぇし、姐さんがどうなったかも分からねぇ。現状は最悪の一言に尽きる。ここで取れる方針は二つだけ。一つは、あいつを倒してここから脱出する方法。もう一つはあいつを倒さずここから出る方法を探ること。この二つだ。どうする兄貴。俺っちは腹をくくったぜ。兄貴がしたい方を選んでくれ!!」

「あの、先生。私はまだ状況が良く分かりませんが、それでも先生がしたい事をしてください。私は先生の助けになりたいんです」

「カモ君、のどかさん。ありがとう。……これは僕の我が儘です。でもそれでも、勝算も何もないけど僕は彼を倒したい!」

 

 

 

 ネギは先ほどの鳥居がある道のど真ん中に陣取っていた。どこから奇襲が来ても対応できるように辺りを警戒している。杖を持つ手はじっとりとした汗で湿っている。のどかはカモを肩に乗せて道の端にいる。両手を胸の前で合わせ、祈っていた。

 少年はそう時間もかからずに来た。ネギを探し回っていたらしく、かなりの速度で鳥居をくぐりながら近づいてくる。先ほどの目くらましでとさかに来たのだろう。顔は真っ赤になり、体中を激流のように気が廻っている。

 

「ようやっと見つけたで!!」

「……」

「何や、言葉もしゃべれんようになったんか。まあええ。いくで!!」

 

 少年がネギに飛びかかった。かなりの距離があったというのに、少年は一秒もせずにその距離を潰した。手を出せば当たる接近戦(インファイト)の間合い。それでもネギの攻撃は当たらず、少年の攻撃が一方的にネギを打つ。

 

「くっ!!」

「トロいで!!」

 

 ネギの周りを旋回しながら、少年はネギをタコ殴りにする。確かにネギと比べてしまえば、少年は戦い慣れており強い。しかしそれだけならば、どうにでもなる。遠距離から魔法で攻撃するも良し、手当たり次第殴り掛かって無理やりにでも泥仕合にするも良し。ネギの魔力ならばそれでも勝てる可能性は高い。幾ら強くとも、人がダムに勝てる道理などない。しかしそれが出来ないのはひとえに少年の速度(・・)にあった。

 遠距離から魔法を使おうにも、詠唱を許さない圧倒的速度。そしてその速度は攻撃能力と回避能力に直結している。少年はネギが反応する前に数発打ってくる。それでいて反撃に拳を出しても、すでに少年は位置をずらしており、ネギの攻撃が当たらない。そしてまた数発カウンターの雨を入れられてしまう。

 ネギが反応できる限界をはるかに上回る少年の速度に、ただネギは圧倒されるしかない。威力は少なくとも、このままラッシュを喰らい続ければ、ネギは負ける。

 段々と手を出す事すらできなくなっていき、反撃する事も出来ずネギは磔にされていく。亀のように身を守るしかネギには許されず、次第に追い込まれていくしかない。

 

「頑張って、頑張ってネギ先生!!」

「兄貴、勝ってくれ!!」

「何や応援団でもできたんか。せやけど、いくら応援されてもお前は弱いまんまやな」

 

 ガードの隙間を縫うように少年の拳がネギに突き刺さっていく。顔面を守れば腹部を。腹部を守ろうとしたら顔面を。ときにはフェイントをいれて少年はネギを追いこんでいく。

 左のアッパーがネギの顎をかち上げ、ガードが緩む。

 

「もろた!!」

 

 緩んだネギのガード。開いたがら空きの顔面目掛けて少年は全力の一撃を放つ。唸りを上げて右手はネギの顔面へ迫る。踏みこんだ足から伝わる力は、少年の拳の威力を飛躍的に高める。連打で倒すものから、一撃で倒せるものへと。

 しかしそれは間違いだった。

 

「ようや、く止まった!」

「何!?」

「契約執行1秒間ネギ・スプリングフィールド」

 

 とどめを刺すために大降りになった少年の拳に合わせ、ネギは莫大な魔力を身体強化一本に絞った状態で、少年の拳をぎりぎりで掻い潜り、殴り返した。ようやくネギの一撃が少年にあたった。

 もし少年が今までのように足を止めずに闘っていたらネギは負けただろう。しかし少年は勝ちを目前に自分の持ち味を殺してしまった。その為にそこを狙われてしまった。

 

「ガッ!!?」

 

 最初のネギをなぞるように、少年もまた吹き飛んでいく。しかし先ほどのネギと違うのは、ネギには遠距離でも攻撃できる魔法があるということだ。

 

「ラス・テルマ・スキルマギステル 闇を切り裂く一条の光我が手に宿りて敵を喰らえ 白き雷!!」

 

 ネギの手から放たれた白き雷は宙を飛ぶ少年にあたり、そのまま広場の一角まで吹き飛ばす。

 

「どうだ、これが西洋魔術師の力だ」

 

 

 

 

 ネギが戦っている頃、明日菜の方でもまた戦いが繰り広げられていた。

 

「おー、おー。がんばるねぇ、姉ちゃん。さっさと諦めたらどうや? まあ、殺しはせんよ」

「冗談じゃないわよ!」

 

 すでに明日菜はボロボロだった。武器であるハリセンこそあるものの、魔力が無く生身で戦い続けて疲弊しきっている。最初は順調だった。式に対して絶対的ともいえる力を持つハリセンのお蔭で、蜘蛛を一撃で倒していった。しかし五体も倒した頃になると、蜘蛛の方も明日菜のハリセンを警戒して当たらなくなっていった。ハリセンを振り上げれば狙われた蜘蛛は離れ、背後などの死角から別の蜘蛛が襲いかかったり、離れたからと油断していたら糸を吐いてきたりなど、蜘蛛の式神たちの動きとコンビネーションに明日菜は翻弄されていた。

 

「あと三体なのに!! 当たれば一撃で勝てるのに!」

「無理や、無理。反応こそ良いけど、姉ちゃん経験なさすぎや。気の一つもまともにできんようじゃ、死ぬで?」

「うっさい! そんなに言うなら気の使い方っていうのを教えなさいよ!!」

「はぁ!? 姉ちゃんアホか! なんで敵対している奴に教えなあかんねん!」

 

 ギャーギャーわめく二人であるが、その実少年の方は驚きを隠せなかった。

 

「それにしても、素人同然だった姉ちゃんがまさかこんな短時間で半人前程度にはなるとはな。思いもせえへんかったわ」

「何か言った!?」

「なーんも」

 

 振るわれるハリセンは、一振りごとに速く鋭くなっている。さらには死角からの攻撃すらも反応し、受け流すことをし始めているアスナに、少年は体が震えるのを抑える事が出来なかった。

 

(これ程度の相手でここまで強うなるんや。もっと強い相手と闘ったらこの姉ちゃんどこまで行くんや? これで男やったら……!)

 

 少年が考え事をしている間に、明日菜の戦いは終わりかけていた。ハリセンに気を取られていた蜘蛛の脚を思いっきり力いっぱいけたぐり、よろめかせたところをハリセンで殴り、一体を還した。残り二体は、一体を還されて慌てている所を、全力で駆け抜けてその手で持つハリセンで殴った。

 

「でりゃあ!!」

「おう!!? まさか、低級とはいえ式八体を倒せるとは思わんかったで!」

「ハァ、ハァ、どんなもんよ」

「いや、正直すごいと思うで、姉ちゃん」

「あとはアンタだけね」

 

 明日菜がハリセンを少年に突き付ける。それに対して少年は動きはしない。ニット帽を左手で押さえながら、

 

「いや、その必要はないで。今の俺は影分身。言ってしまえばニセモノや。闘う力はあるんやが、姉ちゃん相手にそれは侮辱になりそうや。残念ながらここらで逃げさせてもらうで」

「あ、アンタさっき言っていた事と違うじゃない! じゃあ、騙したの!?」

「騙される方が悪いんやで。ほな、さいなら」

 

 少年は明日菜から背を向けると目にも止まらぬ速さで走って逃げていく。

 

「あ、ちょ、まちなさ、ああもう!」

 

 追いかけようとした明日菜だが、すぐに視界から少年が消えてしまい結局追いかけることはできなかった。だがみすみす逃げられたのが悔しいのか、明日菜は少年が消えて行った方へ走る事にした。

 

 

 

 

「ガッ、クソ!!」

 

 白い雷によって撃ちぬかれた少年の体は、帯電して動けない。無様に地面に倒れ、這いつくばる事すらもできずにいる。痙攣した体は陸地に上げられた魚のように跳ね続けている。

 

「す、すごいネギ先生♡」

「よっしゃあ! さすが兄貴だ!」

 

 しかしネギも体中を駆け巡った凄まじい魔力の影響で、荒い息をついている。体中を大粒の汗が噴き出ては、湯気になって蒸発していく。

 

「やる、なぁ。さっきまでの全て撤回するわ。認めてやる。俺が、犬上小太郎がその強さを認めてやる」

 

 倒れ伏していた少年がうめきながらネギに話しかけてきた。いまだ体中を流れる電流によって、時折痙攣して体を跳ねている。いまも電撃に苦しんでいるのか油汗をかき、歯を食いしばってる。それでも少年は言葉を止めなかった。

 

「なあ、ネギ(・・)スプリングフィールド(・・・・・・・・・・)

「?」

 

 少年の様子が可笑しい。苦しそうな顔の中に、笑みが浮かぶ。

 

「だけどな、この程度で負ける訳にいかないんや。切り札切らせてもらうで」

 

 少年の体が歪む。骨格が軋み変貌し、それに合わせて皮膚も伸びていく。体毛は白く長くなり、犬歯が鋭くとがって狼のような姿に変わっていく。姿が変わっていくに従い、服は破け少年から感じ取れる気が上昇していく。

 

「ぉおおおぉおおおぉぉぉおおお!!」

 

 遠吠えを上げ、小太郎は立ち上がった。いまだ彼の体は帯電している。ダメージは毒のように溜っていく。それでも関係ないと、小太郎は立った。

 

「最後の勝負や、ネギ!」

 

 そう吠えた小太郎の姿が掻き消えた。今までの速度の比では無い。すでにネギには小太郎がどこにいるかなど分からなかった。

 

「右の方から蹴りですネギ先生!!」

「っ!!?」

 

 のどかの叫び声にネギはとっさに杖を持ち上げて、言われた通り右の方から襲いかかってきた小太郎のかかと落としを防いだ。

 

「何やと!?」

「ぐぅ!」

 

 杖はぶるぶると震え、ネギの方へと押し込まれていくが、ネギもまた体に魔力を流し込み何とか小太郎を弾き飛ばす。

 

「お前俺の思考が分かるんか!」

「ね、ネギ先生!」

「やべぇ兄貴!!」

 

 思考が読み取られていることに気がついた小太郎は、標的をネギからのどかに切り替えた。

 怒筋を浮かべている小太郎は、のどかのいる場所目掛けて走る。ネギもそれを防ぐために走るが、小太郎の方が速い。

 

「死ね!」

「届いて!」

 

 小太郎の爪が、のどかの胸に近づいていく。ネギの手が小太郎の手首をつかもうと伸びる。小太郎の爪がのどかの服を貫いた。ネギの手はまだ小太郎の手を掴めていない。

 

「もろうた!!」

「何やってんのよアンタ!」

「ほぺぇ!?」

 

 ネギの顔が絶望で染まった瞬間、小太郎が横から白いハリセンに殴り飛ばされて吹き飛んでいった。ネギの手は空を掴み、凄まじい勢いで飛んでいった小太郎を呆然と見ている。

 小太郎は吹き飛ばされた先で、うつ伏せになったまま動かない。その小太郎を吹き飛ばした張本人は、地面をがりがりと削りながら、無理やり立ち止まり、力強くのどかの肩を掴みその顔を覗き込む。

 

「本屋ちゃん大丈夫!? 何かされてない?」

「え、はい」

 

 小太郎の貫手で空いてしまった穴をのどかは顔を赤くして手で隠しながら、目の前に突然現れた明日菜に目を丸くしていた。

 

「明日菜さん!」

「あ、ネギいたの。気がつかなかったわ」

「明日菜さん……。ってそんな場合じゃないです!」

「大丈夫、今何をするかくらい分かってるわ」

 

 千鳥足で小太郎は立ち上がった。頬は赤く染まっており、ハリセンで殴られた跡がくっきりと残っている。

 

「な、なめた真似してくれるやないか」

「はん! さっきの仕返しよ! それにこの餓鬼、本屋ちゃんに乱暴するなんて!」

「っち! ネギ! この勝負預けるで! それに姉ちゃん、俺は別に乱暴するつもりなんてなかったわ! 殺すつもりやったけど」

「え? 勝負を預けるって」

 

 小太郎は懐から一枚の式を取り出して投げた。現れたのは、猛禽類の口ばしを持つ翼人だった。翼人は何も言わず、しゃがみ込んだ。

 

「待て!」

「待たん」

 

 その式の背中に飛び乗り、小太郎は空から逃げる。その際に、ネギたちが迷い続けていた原因の結界をほどきながら。その結界は特殊な空間に作用するもので、半径五百メートルを球体上に通常空間から隔離し、異界と化す術の一つだ。これにより、ネギたちは同じ場所をぐるぐると回らされていた。それが今解除された。

 はるか上空、ネギたちから見えないところで小太郎の変化は解けた。力なく肢体は弛緩し、先ほどまであった覇気も感じられない。左腕を額に置き、青空を見ながらぽつりと小太郎は呟く。

 

「ああ、畜生。効いたなぁ、最後の雷。無理して変身したけど、もう動けへん。負けやな」 




ちなみにちび刹那はいません。それには理由があります。次回で明かしますが。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。