麻帆良学園の生徒が全員修学旅行の自由行動の為に出発してしまい、熱気あふれ騒がしかった先ほどと打って変わり物静かになったホテルで、黒は教職員が使っている部屋にある布団を敷き眠っていた。すうすうと穏やかな顔で寝息を立てて、黒は布団の中で体をネコのように丸めている。その金色の、腰まで伸びている髪が布団を色鮮やかな金色に染め上げている。昨日の疲れと今朝無理に起き続けた反動なのか、深く眠っており、目を覚ましそうにはない。
仕事中ではあるが、今日は生徒たちが自由行動のため、教師が引率をする必要はない。それでも起きているのが当然ではあるが、黒は見た目は子供だ。周りの教師も連日の疲れで眠っていると思っており、こうして黒は惰眠を貪れていた。
眠っている黒の近くには、同じようにホテル内で待機をしている先生方がいた。彼らも暇を持て余しているのか、それぞれ好きなことをし始めている。中には穏やかな顔で眠っている黒に、母性本能を刺激されたのか微笑ましそうな顔を浮かべた中年女性の教員がそのさらさらとした金糸の髪をなでた。そして膝から崩れ落ちた。
「髪の毛がさらっさら! 私よりも……」
悲嘆にくれている教師に同じ女性の教員が近寄り、肩に手を置く。絶望に染まり切っていた教員は、目の前で悲しそうに顔を歪めている教員にすがりつく。
「男の子に、男の子に負けたのよ!!」
「あの子はきっと特別なのよ。見なさい、顔立ち何て西洋人形か何かみたいでしょう? 私たちじゃ、手に入らないのよ」
「若さって一度失うと二度と手に入らないのね」
眠りにつく黒の周りは、いつのまにやら大勢の女性が暗い顔をして取り囲んでいた。
「……何をしているんだ、彼女たちは?」
「あ、新田先生。どうしてこちらに?」
「少しユギ先生に用がありまして。ああ、眠っているなら起きてからで良いです」
「何で私はホテルの布団の中じゃなく、京の都を散策しているのだろうか」
少し前まで眠っていた黒は、何故かホテルではなく京都の町にいた。というのも昼ごろにようやく起きた黒を新田教諭が
「先生も京都の町を出掛けたらどうです? 日本固有の文化が根付く街です。かけがえのない経験になりますよ。生徒たちは私たちが見ますから」
とすすめ、半ば無理やりにホテルから追い出したからだ。その際、周りの教師たちも率先してユギをホテルから追い出そうとしていた。というよりも、お小遣いとして一万円を持たされてしまっている。半ば寝ぼけていた黒は素直にホテルの外を出て、気がついたら京都の町を散策していた。
「この年になって観光地で騒ぐというのは、それはそれは恥ずかしいものだし。だからと言って帰っても新田先生にどこかへ行ってきなさいと言われそうだし、一体どうしようか」
古い商店が並ぶ地元の商店街で、黒は思案していた。観光地ではないのでそれほど人は多くないが、やはり黒のような幼子がスーツを着ているという物珍しさに幼いながらもはっきりと分かるその美麗さに注目を集めてしまっている。見世物のような現状の中、背後から「ユギ坊主」という聞きなれた声が飛び、黒はそちらを振り返った。
「やっぱりユギ坊主アル」
「おや、クーフェイさん。ここらには特に見るものはありませんがどうしてここに。いえ、なるほど、そういえば貴方達は。なるほど二班はこの商店街で肉まんの材料探しと言ったところですか」
「そうアル。良く分かったアルネ」
そこにいたのは、麻帆良学園3-Aの二班だった。四葉・春日・楓・葉加瀬・超・クーフェイの六名だ。春日は朝の黒の雰囲気をまだ覚えているのか、少しおろおろしていた。
このうち、クーフェイに四葉、そして超は超包子と呼ばれる屋台を経営していることを知っている黒は、おそらく京野菜を使った肉まんの構想でもしているのかとあたりを付けたが、それはあたっていた。
――先生はどうしてここへ? 何か買いに来たのですか?
「いえ、特に何も考えずに歩いていたらここについてしまっていました」
「それなら、先生も一緒に来ますか? やはり私たちとしても、意見を出してくれる人は大勢いたほうが有りがたいというものです。科学的なアプローチも、データを多くとる事から始まりますから」
「ええ、私も暇ですから構いませんよ。まあ、新田先生にはいろいろ言われるかもしれませんが、生徒と一緒に食べ歩くというのも京の街を堪能したことになるでしょう。ああ、それとリクエストとして甘い肉まんを作ってください」
「「「「「「流石にそれは無理『アル』『でござる』『です』」」」」」」
「何でこんなに私の味覚は否定されるのでしょうか?」
その後、商店を巡り、様々な京特産の食材などを見て回った黒達は、地元の人お勧めの甘味所で舌鼓を打っていた。もちろん、そのお金は黒の財布から出されることになるが。
「先生ごちそうさま」
「まあ、これでも給料はもらっていますからね。この程度ならば問題にはなりませんし、生徒から奢ってもらう方が恥というものでしょう」
そういう黒達の前には、店お勧めの団子の皿が幾つも置かれている。机に置いてある皿のうち、十皿までは生徒達が食べた分だが、残りの四十皿程は、黒が一人で食べきった皿だ。店の従業員は、その小さい体のどこにあれだけの団子が入るのか分からず、目を丸くして黒を凝視している。
「さて、それで肉まんの構想は出来たとしてあとはどうするんですか?」
「ううん。どうするネ、皆。予定より早く構想が出来上がってしまったからネ。今から帰ったら早すぎるヨ」
確かにまだ時計は三時をさして間もない。今日の自由行動時間は、ホテルに六時までにつけば良いことになっている。それほどの時間をホテルでただ待つというのは面白くない。
「しかしどうするでござる? 拙者たちは今日一日肉まんの案を作る事にしていたのでござるよ? 予定より早くなってしまったでござるが、いまから遊ぶ予定を作ろうにもそれでは遅すぎるでござる。それにあまり神社仏閣へ行ったとしても正直ありがたみなどはないでござる」
「そうアルネ。私が信ずるのはこの体だけネ。神や仏に祈って強くなれるわけではないネ。一体どうするアル?」
悩む二班をよそに、黒はさらに団子を追加で注文していた。
結局彼女たちはホテルに早く帰り葉加瀬が作って持ってきた、持ち運び用の簡易キッチンで肉まんを作ることにした。二班の部屋では肉まんからわずかに漂う香りが広がっている。
黒とはさきほどの店で別れている。というより、まだ団子を食べているのでおいてきたというのが正しいが。
「それにしても、ユギ先生意外と優しかったね。今日の朝があんなだったから、あった瞬間思わず腰が引けちゃったけど」
「そうでござるな。拙者も少し予想外だったでござる」
「もしかしたら朝はただ単に機嫌が悪かったのかもしれませんね」
わいわいがやがやと完成した試食品を口に運びながら、姦しく二班の人間は話に華を咲かせている。話題はさっきまで一緒にいた黒の話だ。
「というより、普段が怖すぎるアルネ! 答えを間違っても笑わずに丁寧に教えてくれるのは有りがたいけど、授業中話し声一つ許さないというのはやり過ぎネ!」
――まあ、先生は先生ですから。授業をしている方としては騒がしいのは許せないのでは?
「まあ、バカレンジャーにはきつくても、他の生徒は別に特に厳しく怒られている訳ではないからネ。私みたいな天才ならば、怒られるようなへまは踏まないから新田とは違ってやりすごしやすいネ」
「超は頭が良いから問題ないけど、私みたいなバカにはキツイアル。ネギ坊主みたいに授業中に眠れるのならまだ楽アル」
――そんなことばかりしているから怒られるんですよ
「うぐ! 五月の正論はきつすぎるネ」
そうこうしているうちに、近くの部屋から大きな声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと待ってください!! 貴方方は何を仰っているんですか!?」
「この声、新田アルカ?」
「そうでござるな。公共の場でここまで声を荒げるなんてそうそうないでござるが。様子を少し伺ってみてくるでござる」
そう告げて、楓はその場から姿を消した。再びその姿を見せたのは、教師に用意されている部屋の前だった。扉に耳を当てる必要もなく、中からは興奮した新田教諭の声が聞こえる。閉じている様な糸目を僅かに開いて楓は中の話を聞き取り始める。
「だからどういうことなんです!! 木乃香さんがご実家に今いるということ事態、可笑しいんですよ!! 今は修学旅行中です。ご実家に戻るのは夏休みなどでも十分にできます。それに、百歩譲って木乃香さんはまだしも、何故木乃香さんのご実家に生徒とネギ君が泊まるというんですか!?」
「何が起きているでござる? というより、木乃香殿は京の都に実家があるのでござるか」
「あっ!? くそ、切られた!! これも学園長がネギ君にやらせていることが原因なのか!!」
「ふむ。何やら色々込み合った事情があるようでござるな。一旦、報告に戻るでござるか。このままだと誰かに見つかってしまうでござるし」
またもや姿を消した楓は、すぐに二班達の前に現れた。
「あ、どうだったの新田は?」
「かなり怒っているでござるな。今日はあまり新田を怒らせない方が良いでござる。昨日の比では無いほど機嫌が悪いでござるよ」
「ええ、マジで! うっわ、皆にも一応伝えておくか」
まだホテルを照らす陽が明るい時のことだった。
麻帆良学園の生徒達が修学旅行を楽しんでいる頃、エヴァンジェリンと近衛近右衛門は学園長室で囲碁を打っていた。学園長が黒石で、エヴァンジェリンが白石を打っているが、すでに碁盤は白が圧倒的な優勢になっている。
「ぬう。まいった。儂の負けじゃ」
「ふん。賭けは私の勝ちだ。私の言うとおりにしてもらうぞ」
「分かった、分かった。儂の負けじゃ」
「さて、それじゃあ貴様が知っているユギ・スプリングフィールドについて教えろ」
「ほ?」
二人は賭け碁をしていた。暇というのもあるが、この二人ならではのコミュニケーションでもある。彼らは良く秘蔵の酒を賭けて碁を打つなど、日常的にこの賭けをしている。今回は珍しく近右衛門からではなくエヴァンジェリンから賭け碁を持ちかけられ、もめ事をよく引き起こす3ーAがいないので暇で仕方がなく、喜んで近右衛門は碁を打っていた。近右衛門はどうせ酒を要求されると思っていたからこそ、エヴァンジェリンの言葉に首をかしげた。
「なんじゃ、儂秘蔵の酒じゃなくても良いのか?」
「別にそれくらい幾らでも手に入る。それよりも、アイツの事を知りたい」
「構わんが、それは儂から巻き上げるという意味じゃなかろうな。教えるのはやぶさかではないが、その理由が分からんのじゃが?」
「簡単なことだ。あいつが分からないからだ。坊やは言ってしまえば簡単に理解できる」
ぱちりと全ての碁石を片付けた碁盤上に、エヴァンジェリンが白石を置く。そしてその上の方、近右衛門の方に黒石を一つ置く。
「この白石が坊やだ。坊やは常にこの黒石、つまりはナギを目指している。だが」
そう言い、エヴァンジェリンはもうひとつ白石を取り出すと、今度は碁盤にではなく机の上に置いた。
「これがユギ・スプリングフィールドだ。父親にあこがれているかは知らんが、少なくとも、父親を目指している訳ではないようだ。ではアイツの中には何がある? 坊やがあれだけ歪んでいるのだ。同じ環境下で生きてきたアイツも何かしら歪んでいるはずだ。しかしその歪みは私ですら分からない。だからこそその歪みを知るために、バックボーンを知ろうとしているにすぎん」
「それは、ユギ君に興味を示したということかの?」
「ああ、何せメガロメセンブリアの元老院であるクルトがバックについているのだ。興味を持たないはずがないだろう。お前もそう思っているからこそ、ひそかに調べているのだろうが」
「ばれておったか」
近右衛門は自身の机まで行き、一番下の引き出しをあけ、中にある全ての書類を取り出して底を外す。底が外れた場所には、ひとつの書類が置かれている。表紙には、『ユギ・スプリングフィールドについて』と書かれている。
「これで良いか?」
「十分だ。さて、ユギ・スプリングフィールド。貴様はその腹に何を抱えている?」