東方魔法録   作:koth3

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修学旅行三日目の朝

 修学旅行三日目の朝、麻帆良学園の生徒たちは前日と同じように朝食を摂っていた。朝食の献立は、京野菜をふんだんに使ったおひたしに、ほかほかと湯気を立ててふっくらと美味そうに炊きあがっているつやつやなご飯。そして白味噌を使い、きちんと鰹節から削って昆布も使ってだしを取った香り豊かな味噌汁だ。昨日の食事が惜しかったからか、座っている生徒たちは今か今かとそわそわしている。新田教諭の挨拶が終わり、全員で『いただきます』と唱和し、それぞれが食器を取った。

 

「これ、美味しい! ほら、この野菜すごくおいしいよ!」

「こっちのお味噌汁も。普段と違った味がしてなんか新鮮!!」

「いや~、子供たちの味覚もバカにならないものですねぇ。私なんて酒にやられたのか、昔はわかった味の差異がさっぱり分かりませんもの」

「俺もそうだよ。まあ、俺の場合は辛いものを食いすぎたせいかもしれんが」

 

 古めかしくとも風情溢れ、古の絵巻物を思い浮かべさせる京の都に相応しく、どこからか小鳥のさえずりがする。

 多くの教師たちは和やかで平和な朝の空気に笑みをほころばせ、今日も無事生徒たちが伸び伸びと、しかし楽しい思い出を作って過ごせることができるようにと願う。生徒たちは生徒たちで、麻帆良では聞こえない鳥の鳴き声に興味を示していたり、これから回る場所をがやがやと騒ぎながら班で話し合っている。全員が明るく笑っていた。

 しかしそんな清々しく和気藹々としている朝だというのに、周りと比べてどんよりとしている集団がいた。3-Aの生徒達とネギだ。彼らはとても居心地が悪く、通夜のような面持ちで食事をしている。何せ、彼らのすぐそばには、絶対零度の目で彼らをにらみ続ける人物がいるからだ。生徒たちを冷え冷えとさせているのは教職員の席に座り、ネギの隣に並んでいる背が誰よりも低い黒だ。しかし威圧はこの場にいる誰よりも大きい。ぐつぐつと煮え立った火山が背後に見えてしまい、生徒たちは気圧されている。

 眠たげにしていた昨日とは違い、ぶすっとした顔で黒は食事を進めている。普段ならば下手な日本人よりも洗練された作法に乗っ取って食べる黒ではあるが、今日は違う。むしろかなり荒々しく箸を動かしている。

 黒が箸や食器を降ろす度に、生徒とネギはどきりと肩を震わせて、恐々と様子をうかがうのだが、その度にあの冷たい、まるで夏場に大繁殖する黒い蟲を見るかのような目を直視してしまい、すぐに顔をそむけて冷や汗を垂れ流す。

 生徒たちは一言もしゃべらずただ遮二無二食事を急ぐ。今口にしているものがどんな味をしているかなど誰も分からない。それでもたとえ小食だろうが、早食いを嫌っていようが彼女たちは急ぐ。一人、一人と食事を終えた者からそそくさと何も言わずにすぐ部屋へ戻っていく。まだ食べているものは、去っていく少女を恨めしそうな目ですがり、それを背に一身に受けている少女は涙を呑んで振り切る。救いたくとも、今動くわけにはいかない。すでに導火線には火がついている。その火をより強めるなど誰もしたくはない。故に食事を終えた3-Aの生徒たちは、足早に逃げていく。

 お嬢様育ちであり、早食いなどをしたことなどない雪広や、のんびりとした性格の五月などは食べるのが遅くなりがちで、最後の方まで残っている。彼女たちには、雪広は別として、めったに浮かばない涙が浮かんでいた。もう3-Aの生徒たちはほとんど残っていない。そんな中をネギは何とか食事を終え、立ち上がる。残された周りの生徒からはまだいかないでと視線で訴えられが、ネギも我が身は可愛い。必死に出入り口しか見ないようにして、ネギはその場を抜け出した。

 無言地獄から抜け出せたネギは、誰にも見つからないように隠れながら通路を行く。五分くらいしたところにある自動販売機と長椅子の所には、明日菜と刹那と朝倉がいた。それを見たネギは涙をためながらアスナに突進して抱き着いた。

 

「う、うう。どうしましょう、明日菜さん。ユギが、ユギがすごい怒っているんです」

「私に言われても分かる訳ないでしょ、莫迦ネギ」

 

 すがりつくネギに明日菜はため息すらつきそうにして突き放そうとする。しかしネギはより一層強く明日菜の足にしがみついてしまい、明日菜からしてみればうっとうしいことこの上ない。

 

「兄として、兄としてあの目は辛いんです!! 僕はお兄ちゃんだからユギのお手本とならなきゃいけないのに!!!」

「ああ、もう! 分かった、分かった! だから足から手を放して元気出しなさい!」

 

 しがみ付くネギを力づくで引きはがし、明日菜は自分たちを呼び出した昨日の事件の主犯を睨む。

 

「アンタらもアンタらよ、カモ! それに朝倉! ネギ何も悪くないのに、ユギ先生から睨まれているじゃない!」

「あはははは……」

「いや、それに関しちゃ、俺っちも予想外だったんだ(忘れていたともいうけど)。ま、まあ、一寸姐さんに渡したいものがあるんだよ」

 

 そういってカモはネギが持つカードと全く同じものをみんなに見えるように差し出した。

 

「何これ?」

 

 興味を引かれたのか、今さっきの怒りをすっかり忘れたままカードを受けとり、裏返したりして観察している明日菜に、カモがたばこを吸いながら詳しい説明をし始める。

 

「それは仮契約カードの複製さ。これさえあれば念話だけではなく、姐さん一人でもアーティファクトを出せるようになるぜ」

「へえ」

「出し方はアデアット、しまい方はアベアットって言えば良い。そうすれば、姐さん専用のアーティファクトが姿を見せる。兄貴がいなくても武器が出せるんだ、戦力は一気に上がるって寸法さ」

「へぇ、普段役立たずのくせに珍しく役に立ったわね、アンタ」

「役立たずって、酷くねえっすか?」

 

 感心して何度かアーティファクトを出し入れする明日菜の様子に、周りにいた刹那もネギも朝倉もそれを興味深そうに見ていた。それで気がつく事が出来なかった。彼らを覗き見る瞳が会った事に。通路の曲がり角、そこにいた宮崎のどかがネギの様子を伺っていたことに、最後まで彼らは気づくことが出来なかった。

 

「何をしていたんだろう。えっとアデアットがどうたらって」

 

 廊下の角で淡い光が飛び散った。

 

 

 

 ホテルの裏口で、黒はネギを待っていた。黒は子供用のスーツという珍しいものを着ながら、裏口に体を預けるように寄りかかっている。大方生徒から逃げるために裏口を通るだろうとネギの行動を予測し、黒はこうして待っている。しかし、予想よりネギが来るのが遅く、すっかり待ちくたびれていた。それに、昨日の疲れに、帰ってきたら聞かされた馬鹿騒ぎの所為で朝機嫌が悪く、十分な睡眠をとったとは言い辛く、かなり黒は眠かった。

 うとうととまどろみ始め首が傾き始めたころ、ようやく黒の推測通り、ネギは裏口からホテルを出ようと黒が待っていた場所へ向かって来た。誰にも見つからないようにひっそりと裏口に向かっていたのに、そこに黒がいてネギはびくりと大きく体を震わせた。そして朝の事を思い出したのだろう、あたりを見回して逃げ道を探し出した。その様子に気がついた黒は、呆れとあくび交じりにネギへ話しかける。

 

「落ち着きなさい、みっともない。もう怒っていませんよ」

「えっ、本当に!?」

 

 こくりと黒がうなずくと、喜色満面で今にもスキップしそうにネギは今黒から逃げようとした事すら忘れて、近寄ってくる。

 

「少し、渡すものがありまして。はいこれです」

 

 黒の言葉にネギは首をかしげながらも、素直に手を差し出した。弟からもらえるものを断るということは、ネギの頭にはない。黒が懐から取り出したのは、丸底フラスコに入れられた緑色の薬品だ。僅かに漂う魔力から、ネギはそれがあるものだということを確信した。

 

「これは魔法薬?」

「ええ。いざという時使ってください。効果は私のお墨付きです。ただし、これは兄さんに合わせたものです。他人に使えばひどいことになりますから。何やらきな臭いことに巻き込まれているようですしね」

「あ、ありがとう! 僕頑張るね、ユギ」

「ええ、頑張ってください兄さん」

 

 弟からの励ましによって、勢い勇んで走っていくネギを裏口から見送りながら、ポツリと黒は漏らした。

 

「今あなたに死なれると、隠れ蓑がなくなって困るんで」

 

 ネギが見えなくなるまで、黒はずっとそこにいた。


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