「京都に父さんの別荘があるんだ! 一緒に探しに行こう、ユギ!」
目を輝かせたネギは、カフェの屋外に設置されているプラスチック製の白いテーブルに身を乗り出して、掴みかからんばかりに、一方的な勢いで黒に話をしていた。
麻帆良大停電から数日経過した今日、ネギは黒に突然会いたいと電話で伝えてきた。黒自身は最初断ったのだが、如何にもネギの押しが強くて断り切れず、こうしてわざわざ会う羽目になってしまった。
ネギが黒を呼んだ理由は父親の手掛かりが見つかったからだ。ネギにとって父親に関することはとても大切な事だったのだ。それこそ、自身の中で優先する事の第一になるほどに。その為、弟である黒にも伝えたかったのだ。一緒に探してくれると思い込んで。もっとも、黒本人はその情報に対してどうも思っていなかったが。
黒は組んでいた指を一度ほぐしながら、ネギに一度落ち着くよう言ってから尋ねた。
「それで、如何するつもりなんです? まさか、修学旅行中に行くとでも言いませんよね?」
「え? ダメなの? 僕はそのつもりだったんだけど」
呆けた表情をさらすネギに、顔を覆うように手で抑えながら黒は、努めて冷静な声で教える。
「ダメですよ。私たちは一個人でもありますが、その前に教師なんです。何処の世界に生徒を放って自分の事を優先する教師がいるんです」
「そ、それは……」
「もちろん学園からの許可を得たのなら別ですが、今回私たちが向かう京都では、あくまで麻帆良学園の教師であることを求められています。それを父親のためとはいえ、勝手に放棄するわけにはいかないでしょう?」
「そ、そうかもしれないけど」
黒の正論に対しそれでもネギは諦めきれないのか、か細い声でぼそぼそと否定の言葉を口に出そうと何度も口を開こうとする。だが、幾ら考えても結局黒を論破するだけの話をはネギの中にはなく、最終的には押し黙ってしまった。
それをしばらく紅茶を飲みながら眺めていた黒だが、項垂れたネギを見てまた一つ違う提案を話した。
「どうしても行きたいのなら、学園長にでも頼みなさい。学園長の許可があれば、誰一人文句は言わないでしょうから」
びっくりした顔を黒に見せながら、ネギはしばしの間固まっていた。
「本当にユギなの?」
「それは如何いう意味? 場合によっては……」
「う、うん! ユギだよね。うん。そうそう」
慌てて手を振りながら何度も手を前に出して横に振るネギ。黒は一度ため息をついた後に、伝票を取ってレジへ向かう。
「あっ! 一寸――」
「代金は私が払っておきます。貴方は早く学園長に許可でも取りに行きなさない。ああ、それと私の許可は要りません。さすがに担任と副担任が一緒に居なくなるのは拙いですからね」
それだけ告げて黒はさっさと一人カフェを出て行ってしまう。置いてかれてしまったネギは、てもちぶたさに視界をあっちこっちに向けた後、テーブルの上にある温くなった紅茶をちびちびと飲み始めた。
ネギと別れた黒は、麻帆良学園の学園長室にいた。もともとネギよりも先に学園長に呼び出されていたのだ。それをネギの為に彼は無理をしてスケジュールを変えていた。もしこれがほかの人間なら、これほど温情にまみれた判断はしなかっただろう。
先ほどのカフェの安っぽいテーブルと比べて、はるかに高額な、品格の漂う机を挟んで、黒は近右衛門の前に立っていた。
近右衛門は笑いながら、自身の長いあごひげをさすっていた。その姿を黒はただ黙って見つめて続けている。
「君にはこれを、修学旅行の時にある場所へ届けてほしいのじゃよ」
そう言って近右衛門は、年齢が刻まれた皺だらけの手で一通の手紙を黒に渡す。それを受け取った黒は、なめるように一度全体を観察した後、反論した。
「関東魔法協会に所属していない私にこの手紙を届けるのは無理です。それに、修学旅行でさすがに生徒からここまで離れてしまうのは拙いのでは?」
黒が握る手紙には、封の所に関東魔法協会を示す印が使われていた。それも、魔法で複製することが不可能なように作られた最高級の物が。つまりこの手紙は関東魔法協会の正式な外交の一つであり、それを渡しに行く使者は魔法協会に所属しているものだという事を示している。
それを渡すよう伝えられた黒は、しかし関東魔法協会に所属していない。未だ魔法世界的な身分としては修行中の身である黒が、関東魔法協会の使者をするのは身分不相応すぎるのだ。
だが、近右衛門はそれを理解していながら無視した。この手紙を利用して、黒を関東魔法協会の名前で取り入れようとしていたのだから。
「ああ、それには及ばんよ、ユギ君。向こうたってのお願いでな。君以外には任すわけにはいかなくなったのじゃ。もう一つ特使が必要な場所はあるんじゃが、そっちの方、関西呪術協会にはネギ君に行ってもらう事になっての。君には向こうのもう一つの組織、神道関連の組織へ向かってもらう。何、安心してもらって構わん。関西呪術協会と違い、向こうは儂らに対し、悪意を持っておらん。危害を加える者はおらんから、君でもこの任務は達成できるじゃろう」
答えたように思えながら、何も答えていない回答だ。確かに黒が特使なる理由は説明した。しかし、その理由は趣旨をすり替えているだけで、実質一つも理論的な回答をしていない。さらに、生徒に関しての回答もない。だというのに、それで完結したかのように近右衛門は立ち上がり、黒に背を向けた。
「では、頼んだぞ。向うの組織については後で資料を届けさせるからの」
「……ええ、わかりました」
だからこそ近右衛門は気が付かなかった。策が成功したのは近右衛門ではなく、歪にゆがんだ笑みを近衛門の後ろでうっすら浮かべていた黒だという事を。
「成功したようだな」
「まあね」
麻帆良学園から数駅先の住宅街の一軒で、黒とその式である蒼は大きな黒い旅行用バッグに荷物を詰め込みながら話をしていた。彼らは床に座りながら、周りに並べた衣服や様々な小物を手に取りながら、修学旅行用のしおりと見比べて入れていく。一週間後にある修学旅行の準備をしているのだ。
「どうやって彼のお方とお目にかかる機会と時間を作るか。それが問題だったのですがね。蒼がいてくれて助かったよ」
「ふん。別に問題はない。それくらいの事ならば、私にとっては簡単な事だ」
近右衛門は一つ失敗をしていた。なぜ急に相手側が黒を指定したのかを考えなかったのだ。これがネギのように、父親譲りの魔力を持っていて、つい先日に悪の魔法使いと言われるエヴァンジェリンを倒したというのなら分かる。それは裏の世界でも知れ渡るには十分な実績だからだ。
だが、黒はこれといって何もしていない。確かに黒の魔法薬はまほネットでは有名だ。しかしそれもハンドルネームを利用していて、黒にたどり着ける情報は一度もまほネットに乗ったことはない。言ってしまえば、黒は英雄の子供であるが、別に有名ではない。誰も知らないと言ってよい。なのに、彼らは黒を指定したのだ。親書の特使として。
確かに近右衛門も多少訝しみはしたが、それでも彼にとっては都合が良かった事と、相手先は昔から政治に直接関与しようとした事がなく、安心してしまい流してしまったのだ。
「あの人に頼み、その旨を伝えてもらった。私がしたことはそれだけだ」
「それだけでも、かなりの成果。あなた以外にそんな事ができる者はそうそういないからね。やはり彼のお方と会えるのならば、早いうちに会った方が私もやりやすいし」
手にしていた服をたたみながら、黒はバッグの中に詰めていく。
よどみない手口で詰め込みながら、黒は蒼にいつもよりも饒舌に尋ねる。
「私の話は与太話と笑われるか、それとも現実的と思われるか。一体如何なると思う?」
「知らん」
そっけない言葉に、肩をすくめながら魔法協会の親書に黒自身が厳重な封印をかける。その届け先を確認しながら。そこには近右衛門の達筆な文字でこう書かれていた。『八雲立つ出雲にある大社』と。