麻帆良学園に存在するすべての明かりから光が消えていく。蝋燭の火が風に吹き消されるように、人が苦心して作り上げてきた光が電気が供給されないというだけで消えていく様は、何かの幻を見ていたかと思わせる。
静寂な闇に包まれて、麻帆良はひと時の間静粛な空気に満たされる。誰もこの空気をかき乱そうとはしない。本来人は闇を恐れる生物なのだから。闇を恐れて日が出るまで安全な寝床で隠れるように身を休めるのが人間という生物だ。
しかしこんな時、麻帆良の学生は必ずと言ってよいほど外に出て騒ごうとする。闇を恐れるということを、人としての本能すら忘れて。
だが何故かお祭り気質な彼らはこの日に限って外に出ない。何故なら彼らは外へ出るという意思を、知らず知らず奪われているのだ。今外へ出られると困る学園側の思惑によって。
そうして生まれた人ひとりいない麻帆良の地は、寂しい。寂しくて、錆びれてしまっている。
麻帆良を囲む人の手が加えられていない深い森。その森を通り越すと突然現れるレンガ造りの古い町並み。そしてそこらに転がっている路面電車や、有り得ない程に進んでいる科学技術で作成された機械の類い。様々な歴史と世界が無理やり混ぜ込められ、共存することを強いられ、壊れている世界。
そんな中を、誰も外を歩けないはずなのに一人の少年が歩いていた。
陰陽対極図の描かれた前掛けを付けた服を着た黒だ。彼は先ほどから麻帆良を回り、ある決まった場所で立ち止まり、そこの地面に何かの図形を、チョークとあらかじめ用意しておいた符に、さらに魔法薬を使って書いていた。
それは複雑な模様を描いている図だ。外周は幼い黒の手のひらぐらいしかない円で、その内側に五芒星が描かれている。さらにその中に、五行を意味する字と四方を司る四聖獣の名も刻まれている。それらの文字が月明かりに照らされて麻帆良に散らばっている図形と同調するように光っていたが、黒が世界樹前の広場の中央にそれらの図と同じものを描くとすぐに光は図と一緒に消えていってしまう。
「これで術式は書き終わった。あとは、呼び寄せるだけか」
ぽつりと黒が呟き、空を飛ぶ。音が置き去りになるほどの速さで上昇し、麻帆良が上空写真のように見えるほどまで飛び、そのばに止まる。
麻帆良に電力が供給されないために、今現在黒のいる空は星と月がその光を一層強めて輝いている。それでいながら、暗闇は優しく黒を包み込み、懐かしい友を歓迎するかのように抱擁する。
黒はその空の上から麻帆良を
白い紙の鳥を模したそれは、陰陽師が使うものに非常によく似ている。しかし、性能や性質は大違いだ。陰陽師が式を使うのは魔を祓うため。しかし、この式は違う。使用者が妖怪であるがゆえに、その性能はむしろ魔を招き入れるという奇怪な代物になってしまっている。
式は黒が作り出したスキマを通じて、どこかへ消えていく。その際、スキマからわずかに見えたのは山の中にある施設だった。かつて黒が訪れて、そこにいた全ての人間を虐殺したあの関東魔法協会の。
「あと少し。あと少しで完成する。だから利用されろ。貴方たちは」
誰にとはなく黒は話しかける。その場に誰もいないというのに。目を瞑り、歯を喰いしばる黒。その姿は神に懺悔する罪人の様でありながら、言葉は自分のエゴを貫くために他者を犠牲にする独裁者だ。
そうしている間にようやく式が帰ってきた。式の下に、霊脈の中を移動する黒い何かをひきつれて。
それは魂だ。人が死に、そこで生み出された怨念が集い、霊魂となった人間の最後。怨霊と呼ばれるそれらは、全てたった一つの思いで式を追っている。復讐を果たすために。
彼らは式からにじみ出る黒の妖力に引き寄せられて式を追いかけているのだ。かつて黒に殺された憎しみ、恨み。それらの念によって生まれた彼らは、だからこそ黒にしかその執念を示さない。逆を言えば、彼に対してはどんな状況下でも復讐しようとする。
だからこそ恐ろしい。彼らは何も考慮せず、復讐しようとする。彼らはお岩の亡霊よりもなお復讐心は強いのだ。そしてその強い思いは、大妖怪である黒ですら相手にしたくないと思わせる程。
「だけど、それは何の対処も用意していないとき」
麻帆良に入った彼らは、黒を見つけて彼のいる地点へ向かい流れ込んでいく。空を飛んでいる彼に襲い掛かっても、逃げられないように布陣を作っているのだ。
霊脈から霊脈を移動して、黒を囲んでゆっくりと確実に近づいていく。猫がネズミにそっと近づくようなさまはまさしく狩りだ。
だが、それは黒が何もせず、獲物であることを許容した場合の話。彼らの魂全てが有る地点を越して世界樹にまで近づいた時、彼らを囲むように円状の光が出てきた。その光を浴びると、霊脈の怨霊はだんだんと動きを鈍くしていく。次第に光は腕のような形に変化し、彼らを掴んで抑え込み、引きずり込もうとする。一つの巨大な陣に。
先ほど黒が描いていた図は、この陣を形成するために必要なものだ。そして陣の役割は封印。土地に縛り付けて、決して逃がさないようにする一種の結界。それにとらわれた彼らの魂、怨霊は逃げる事すら許されずに、麻帆良という土地に封印されてしまった。
「さあ、すべての準備は整った。これで幻想は救われる!」
麻帆良の地を空から見つめながら、黒はそう言葉を漏らした。
麻帆良のはるか下、地下にある特殊な空間。そこに一人の人間に似た何かがいた。
「おや、誰でしょうか? こんなものを麻帆良に招きよせ、あまつさえこの地に封印するとは」
ローブに隠れてその素顔は見えないが、発したその声で男だという事がわかる。そんな彼は、麻帆良の魔法使いが分からなかったことを、最強種と呼ばれるエヴァンジェリンですら気が付かなかったことを、あっさりと知覚したのだ。この麻帆良に何が起きているのかを。
彼は少し気だるそうに椅子に座り、一冊の本を机の上に出す。
「まさか、このご時世に同類、いえ私以上の力を持つ幻想が動き出すとは。彼らは力が強すぎるがゆえに、めったに大きな活動をしないというのに。いや、こんな時代だからこそ、彼らは動き出したのかもしれませんね」
それだけ言い残し、煙のように彼はその場から消えてしまう。残っているのは蝋燭についた火と机に置かれている本だけだった。