そろそろ投稿しないとこのままずるずる引き延ばしてしまいそうなので、短い話ですが投稿いたします。
千雨が去った後の学園長室では誰も身動ぎ一つせず、静寂に満たされていた。
が、それは穏やかなものではなく、悲しさが積もりに積もり、圧力すら感じ取れるほどになったがために、口を閉ざしているに過ぎない。
沈黙の冷気に襲われたのか、ネギはその小さな身体をか細く震わせる。
場の雰囲気に耐えきれなかったのか、誰かが煙草を吸い出した。灰色の煙が広がり、ネギの鼻にも背けたくなるような臭さを届けた。
その香りが、ふと懐かしい記憶を引き上げる。
冬になるとスタンは毎夜の如くパブでパイプをくゆらせていた。カウンター席にどっかと座り込み、バーテンダーから渡される、琥珀色の液体がなみなみと満たされたグラスを干すや、顔を赤らめナギの悪口を言う。
それを聞いて怒るネギの隣にはユギがいた。
さらに思い出す。メルディアナの魔法学園で古書の匂いに包まれながら、禁書を読みふけた日を。大人たちから隠れて本を読んでいた、光源は窓からの星明かりと持ち込んだ古いランプだけだ。乏しい明かりでぼやけた文字を追っていく。それが父のようになる道だと信じ。
その隣にはアーニャか、うず高く積まれた本のどちらかがいた。ユギは、いなかった。
いつからネギの隣にユギはいなかったのだろうか。
「ユギ……」
吐き出す言葉は灼熱で、胸を焦がす。
父の偉大さに、その輝きに目が眩んだ。本当に大切な者を疎かにして、光を求めた。
その結果がこれだ。
自らの愚かさに、心底呆れる始末だ。
目頭が熱くなる。だが、それを零す権利はない。身体に力を込め、今にも溢れ出しそうな涙を堪える。
「ネギ君」
肩に手が置かれる。見上げれば、タカミチは悲痛そうに顔を歪めていた。
「自分一人を責めてはいけない。気づけなかったというのならば、僕もそうだ。あの子を苦手に感じ、きちんと見なかった」
「違うよ、タカミチ」
慰めに首を振って否定してみせる。
知人であったタカミチと、家族であったネギ。その立場は全く違う。
ユギ・スプリングフィールドにもっとも近かったのはネギ・スプリングフィールドだ。だというのに、何も知らず何もしてこなかった。家族を、たった一人の弟を放りだし、父の栄光ばかりを見ていた。
それが罪でないはずがない。
千雨が持ち出した鏡は、確かにネギの罪を暴きだした。
もう、無邪気に理想へ浸れない。彼は苦いながらも連綿とその轍を刻み続ける現実を知り、甘い妄想に浸るのは砂上の楼閣に籠もることでしかないことを学んだ。
自ら作り上げてしまっていた幻影の砦は崩れた。ならばもう、現実という嵐に翻弄されながらも、霞む地平線をめざし、歩き続けるしかない。
「学園長、お願いがあります」
魔法使いの一群から一歩前へ出る。
しかと近右衛門の顔を見据え、頭を下げる。
「……何かのう」
頭上から響く声に、頭を上げることなく頼み込む。
「僕を、……解雇してください」
ざわめきが起きる。
誰かが、「なぜ」と口にする。
「ユギ君を探すためかね?」
「はい」
「それは生徒たちを放りだしてまですることかね?」
「……はい」
再びざわめきが大きくなる。その中に、非難の色が混じっていた。
だが、たとえ軽蔑されようとも、侮蔑されようともネギは構わなかった。
生徒を預かっておきながら途中でほっぽり出す。無責任と詰られてもしかたがない。それでも、ユギを探したかった。
「お主の気持ちはわかった。じゃが、それはできぬ相談じゃ」
「どうしても、でしょうか」
「くどい」
今まで受けたことがない程厳しい口調だ。それでも引くわけにはいかない。
顔を上げ、近右衛門を見据える。
普段の好々爺とした表情は消え去り、険しい渋面をみせている。
一歩前に踏み出す。
「僕は、間違えてきました。身近な、大切な人を見失い、理想にばかりかまけていました。誰かが、ユギを止めなければなりません。そしてそれは、僕がすべきことです。僕だけの責任です」
「それは違うじゃろう。お主以外に身近な者はいた。儂もそうじゃし、マギもそうじゃ。誰もが罪を犯したのだ。それを君一人が背負う必要はない。彼は魔法使いが止めねばならぬ」
二人の間で火花が散る。
目で分かった。近右衛門が考えを翻さないのを。そして相手もネギが決して考え直すことはないと言うことを悟ったであろうことを。
先ほどまで騒いでいた魔法使いたちも、二人が放つ空気に気圧されたのか、息を潜めていた。
ネギと近右衛門の魔力が高まる。最大魔力ならばネギが勝る。しかし、近右衛門には熟練の技によりそれに追い縋ってみせている。
一触即発。誰もが次の瞬間を予想し、息をのんだ。
「そこまでです」
が、それも二人の間に割って入った人物により、現実とはならなかった。
「アルビレオ!」
「クウネルとお呼び下さい、と言いたい所ですが、今は緊急時です。学園長。今は争うときではないでしょう」
白いローブのフードを下ろした優男。常と変わらないすずしげな顔だ。しかし感じられる魔力はうねり、熱を孕み、ネギと近右衛門をも容易く凌駕してみせている。
当たり前だ。彼こそ、彼の大戦にて赤き翼の一員として名を馳せた英雄が一人、アルビレオ・イマなのだから。
「さて、どうやらお二人とも話を聞ける程度には落ち着いたようですね」
アルビレオがローブの袂に腕をゆるりと滑らせる。僅かな微笑みがこぼれる。
その朗笑がネギの煮だった頭を冷やす。この場で争うことになんら価値はない。
胸元まで掲げていた杖を下ろす。
「承知のことでしょうが、ユギ・スプリングフィールド改め、八雲黒と名乗る、真なる妖怪の手により、世界は揺れに揺れています」
「そんなことは分かっておるっ」
「いいえ、普通の魔法使いである貴方たちは、まだそれらを表面的にしか見えていません。だからこそ、今こうして身内で争えるだけの余裕がある」
「……アル、なぜ『普通の』と前につけたんだい?」
今まで黙り込んでいたタカミチが、問い掛けてきた。
アルビレオは、涼しげな顔を崩すことなく、何でもないことであるかのように、それを口にした。
「簡単なことです。この場に魔法使いがいないからです」
「何を言っておる!?」
誰もが驚きに息をのむ。怒気を顕わにする者、アルビレオに対し狂人を見るかのように視線を送る者、様々な者がいる。
だというのに、アルビレオは至極当然のことを言ったかのように肩をすくめた。
「本来魔法使いとは生まれながら魔法使いであるか、とある魔法を覚えた者を差す言葉です。それ以外は侮蔑の意味を込めて普通の魔法使いと呼ぶのです」
「我等が弱いと? だから魔法使いと呼ぶに値せぬと?」
魔法使いの怒りを前に、アルビレオは何等堪えた様子もなく頭を横に振り、否定した。
「そもそも魔法使いとは、魔法を扱う存在であるが故に強い弱いという概念は全く意味がありません。捨虫の魔法を収得し、不老長寿となった者たちです。殺されない限り、永久の時間を魔法に捧げていく。それが、魔法使い。人間を捨て去り、怪異へと変貌した真なる魔法使い。が、ゆえに普通の魔法使いと魔法使いの間では、位階が違うのです。たとえ、キティだったとしても、それは他者から与えられた命。決して自らが勝ち取った命ではありません」
周囲はエヴァンジェリンが怒り狂うだろうと予想した。プライドの高い彼女がそんな侮蔑を許せるはずがないと。しかし予想とは違い、彼女はとても静かだった。腕を組み、壁に背を預けているだけだ。
「なるほど。確かに貴様の言うとおりならば、私たちは『普通の』魔法使いだ。しかしそうすると疑問がある。六百年生きた私が知らないその知識。どこで知った?」
「……それにはとある話をする必要があるでしょう。長い長い時をかけて、世界中で繰り広げられた人類の抵抗。魔を乏しめ、偽りを真実へ塗り替えてきた世界の真実を」
アルビレオは静かに語り出す。
次回もきちんと投稿できるよう頑張ります。