東方魔法録   作:koth3

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魔法録2

 鏡に映るは燃えさかる町並。見覚えのある光景。それも当然。そこはネギがかつて暮らしていた、ウェールズの山村に他ならない。

 悪魔たちに襲撃されたあの忌まわしい日だ。

 だが、ネギの覚えている光景と違うものが混じっている。

 その光景の中央にいるのは、ネギではなくユギだ。これはユギ・スプリングフィールドが逃げ惑う記憶だ。

 

「これは……!」

 

 しかしだ、しかしそれはありえない。確かに記憶を元にかつての光景を再現する、ないし追体験するという魔法は存在する。

 だがそれは最低限、この場にその記憶の持ち主がいなければならない。それが記憶に関する魔法を使うための前提条件。それが揃わなければ、そもそも発動すらしない。だというのに、眼前の鏡はこの場にいないユギの記憶を再現して見せている。

 あたりでは魔法使いたちが口々に否定の言葉を発している。現代魔法学を根底から覆すような内容だ。当然受け入れられるわけがない。

 しかしネギはこの光景が垣根なく真実であると直感した。

 

「これは、ユギの……過去……」

「そうだ。これは間違いなくユギ・スプリングフィールドが生きた証だ。そして終わりの歴史でもある」

「終わり?」

 

 千雨は何も答えなかった。ネギは鏡を見つめ直した。

 空は悪魔が跋扈し、地には崩れた建物の残骸が散らばる。凄惨極まる状況下、ユギは村の入り口へ逃げている。が、それも突然姿を現した悪魔によって、遮られる。

 悪魔は恐らく爵位持ちだろう。映像だけだからその魔力までは伝わってこない。しかしその言動は、間違いなく自らを強者であると自負したもの特有の、傲慢さを内包したものだった。

 脆弱な人間、しかもまだ幼いユギでは赤子の手を捻るように殺されてしまうだろう。

 

「逃げて!」

 

 それが過去の映像であると理解してなお、ネギはユギに向けて叫んでいた。

 いや、それどころか杖を構えて、魔法の詠唱すらしていた。

 杖先は、悪魔に向けられ微動だにしない。

 

「落ち着け、これは過去だ」

 

 そういって千雨が止めなければ、雷の暴風がこの学園長室にて解き放たれていたことだろう。それほどにネギは、激昂していた。

 止められてなお、その身から溢れ出す荒れ狂う魔力を抑えるのに苦労したほどだ。

 その一幕の間にも、過去のユギは、スタン翁の手により村から逃げ出すことには成功していた。

 だが、村から遠く離れたその先、そこで

 

「ユ……ギ」

 

 先ほどの悪魔の手で首をへし折られた。

 

「そんな馬鹿な……彼は今も生きている」

「だが、あれでは間違いなく死んでいる……」

 

 周囲からそんな音が囁かれ、ネギの耳を素通りしていく。

 ただ茫然自失に眼前の光景を眺めるしか出来やしない。

 ネギがスタンや父の手で救われたのと対照的に、ユギは誰にも助けられず、そこで死んでしまった。

 ネギは手にした杖を握り締める。何よりも頼りになる感触が、今だけは恨めしかった。

 ただ見ているだけしか許されない自分に対し、ネギは怒りを抱く。

 

「なんてことを……!」

 

 鏡に映る悪魔は、殺したユギの死体を投げ捨てていた。誰もが顔をしかめる中、ネギだけはただユギの姿を見守り続けていた。

 ネギが見守る中、ユギの死体に変化が起きる。へし折れたはずの首が元に戻り、その身から凄まじい力が放たれる。

 

『四天王奥義、三歩必殺!!』

 

 そうしてユギは自らの手で悪魔を殺した。

 だがそれは明らかな異常だ。誰もがユギに対して目を見張っている。

 そこで鏡の光景が途絶えた。鏡面は元の闇となり、光すらも反射せず、その暗影を湛えて寝静まっている。

 

「これがユギ・スプリングフィールドの肉体(・・)が死んだときだ」

「肉体が?」

「そうだ。このあとすぐにやってきたナギ・スプリングフィールドにより、助けられた」

 

「だが」と千雨は続けた。そして鏡が再び光を放つ。それはあの地獄から一年が経ち、メルディアナ魔法学校に入学する数日前だった。

 ネギとユギが何か話をしている。それは微かにネギの記憶に残っているものだ。確か近くに祖父とネカネがいたはずだ。

 そんな記憶を思い返しているうちに、過去の光景は進んでいく。鏡面に映し出されたネギはユギを急かしていた。

 

「それも完全ではない。なぜなら」

 

 鏡に映るユギの姿が一瞬ぶれる。見間違いかとネギが目を瞠るなか、再びその姿がテレビの砂嵐のようにかすれた。

 

「な、何が!?」

「すでにユギ・スプリングフィールドの肉体は死に、八雲黒という妖怪のものへ変化していた。妖怪は肉体の死には強い。なぜならその根幹は精神だからだ。どれほど凄惨な目に遭おうとも、心が折れない限りけして死にはしない。だが、その根幹が精神であるが故に、忘れられれば消えてしまう(・・・・・・・・・・・・)

「き、消える……?」

「そう。八雲黒という妖怪は生まれてから誰にも認知されてこなかった。故に、その存在を維持する限界が近付いてきている」

 

 千雨の言葉を肯定するように、鏡に映るユギの姿が日に日にかき消えていく。それどころか、終いにははっきりした姿を維持した時間の方が短くなり出してきた。

 それと同時に、ユギの行動も変わっていった。部屋に閉じこもり、心配して尋ねてきた人を追い返す日々。そして何かに耐えるかのように身体をかき抱いていた。

 そして独りごちる。

 

「嫌だ、嫌だ。妖怪なんて、なりたくない……」

 

 ネギは口の中が塩辛くなった。鉄臭い匂いが鼻の奥を刺激、始めて唇を噛み千切っていたことに気が付いた。

 なぜあのときの自分は気が付けなかったのだろう。たった一人、血を分けた兄弟だというのに。ユギの何も見ようとしてこなかった。

 

「何という、ことじゃ……」

 

 鏡のユギは、顎から血をしたたらせている。自らの腕に深々と突き刺した牙からこぼれ落ちていた。

 自らの腕を食むその顔には、明らかな飢えが満ち満ちている。

 

「学園長、それはどういう」

 

 途中、ただ一人何かを理解したのか、近右衛門だけはこの場にいる他の人間が浮かべる驚愕とは全く別の、哀れみの混じった表情を浮かべていた。

 

「忘れられないとはどういうことじゃろうか」

 

 その問いに、タカミチはたじろいだ。何も答えられないさなか、近右衛門は続きを口にした。

 

「儂が思うに、それは感情じゃ。たとえ記憶に残ろうとも、そこに感情がなければそれは記録じゃ。そう考えると、おそらく、八雲黒に必要なものは感情。誰かに妖怪として向けられる感情」

 

 ちらほらと何人かが顔色をさっと青ざめた。

 

「そうじゃ。妖怪として向けられる感情とは何じゃ? それは、恐怖じゃろうて。八雲黒が生き延びるには、人間に危害を与えなければならぬ。それも、生半可なものではない、根源的な」

「根源的? ……まさか!?」

「うむ。おそらくはそうじゃろう。詰まるところ、食われること。生物として絶対的な恐怖にして、高い知性を有すにいたった人間は、様々な食われる恐怖を抱くにいたった。誰もが子供の頃恐怖しただろう。夜一人でいると、まるで深い闇に食べられてしまうのではないかと。森に迷ったとき、見知らぬその木々が自らを食べてしまうのではないかと」

 

 そこで近右衛門は言葉を句切った。

 視線を向けられた千雨は首を振った。縦に。

 

「私は信仰によってその精神を支えられる。なぜなら閻魔とは地獄の裁判官。言うなれば神仏に値する存在だからだ。自らが犯した罪に対する死後の罰への恐怖こそが私の力となる。だがそれは長い間、閻魔大王という存在が信じられ、人々により膾炙されてきたからだ。一人一種の妖怪として生まれたばかりのあいつに、そんなものはない」

 

 故に食わねばならぬ。人間を。

 妖怪として個を確立するために。

 だが、それは同時に一つのことを意味する。

 

「人か、妖か……」

 

 どちらかを選ばねばならない。

 そして、ユギは黒となった。

 妖の道を選んだ。

 

「このときこそがユギ・スプリングフィールドが死に、八雲黒が真の意味で生誕した瞬間」

 

 誰も、何も言えずにいた。あまりに凄惨な生。のうのうと当然のように人として生きてきた者が何を言える。そんな恥知らずはこの場にいなかった。

 そんな中、ネギは千雨に問いを投げかけた。

 

「千雨さん、どうして貴女は僕にユギのことを教えてくれたんですか」

 

 その問いに、千雨はしばし何かを考え込むように目を瞑り押し黙った。

 

「私に真実を教えてくれた奴が、真実から目をそらしている。だからだ」

 

 それに、と続け、

 

「私は閻魔だ。噓吐きの舌は抜かなきゃならない。恩人の舌は引き抜きたくないものさ」

 

 それを最後に、千雨は学園長室から去って行った。




更新遅くなり申し訳ありません。
なんとか少しでも更新速度を取り戻したく思う今日この頃です。

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