ネギが学園長室の扉を開けると、すでに多くの魔法使いが集まっていた。誰もが硬い表情をはり付けている。ネギたちの入室に気づいているのだろうが、一瞥すらもしない。
以前世界樹前広場での顔を合わせた時も、気張っている魔法使いは多かった。しかしこれだけ余裕のない者はいなかった。空気の重さに、ネギは息苦しさを感じる。
戸惑いを隠しきれず、ドアノブをつかんだままのネギに、声がかけられる。奥の机に座る近衛門だ。
「おお、ネギ君。目覚めたか。それは重畳」
言葉こそ温かであったが、その眼光は鋭く、まとう雰囲気は冷ややかだった。あふれ出す魔力の圧も、地吹雪のように吹き付けてくる。しかしそれらは、ネギ一人に向けられたというよりも、抑えきれず無差別に漏れ出しているようだ。
ネギは「そっちじゃ」と促され、魔法使いに混じる。
周囲の魔法使いは、所々に治療の跡を残している。それらを目にしたネギは、身を縮こまらせた。
がたり。
近衛門が立ち上がる。その音に、場の雰囲気が引き締まる。ネギも襟を正す。
「さて、皆の者。麻帆良に未曾有の事態が降りかかっておることは周知の通りじゃ」
ネギはほぞをかむ。脳裏によぎるは、一人の姿。超をも上回った、妖怪だ。
それに、麻帆良はめちゃくちゃにされた。あの学園祭の日に。
周りの魔法使いもそれが分かっていながら、けしてネギを責めようとはしない。それはうれしくもあり、同時に自らを責める要因となっていた。
「先の戦いで人員が不足し、侵入者が増加しておる。また表の世界に魔法の存在が流出し、急速な魔法使い排斥論が形成されかけておる」
それはタカミチの車で見聞きしたことだった。ラジオでも、そして取材に来たマスメディアも、まるで魔法が危険極まりないかのように扱っていた。
魔法使いを理解しようとせず、一方的に。
「……無念じゃ。立派な魔法使いの理念が否定されたようなものじゃ。しかし、そこで諦めても明日は開かれん。儂らは力を出し合い、この艱難辛苦を乗り越えねばならぬ」
だからこそ、学園長が顔をゆがめたとき、ネギも表情を歪めるのを押さえられなかった。
魔法使いは危険ではない。いや、せめて立派な魔法使いという理念が存在する、それくらいは知ってもらいたい。
ネギがうつむいていると、突然魔力が揺らいだ。何かの魔法が使われたのだ。
顔を上げると、空中にスクリーンが投影されている。スクリーンの中央には、ネギの知らない中年の魔法使いがおり、背景には麻帆良学園の警備システムモニタールームが見える。
おそらく電子妖精を使用した、念話の一種だろう。
「学園長、大変です」
つながったのを確認した中年が、つばを吐き散らす。あまりの剣幕に、学園長は話を中断した。
「何があったのじゃ」
「あの事件以来消息を絶っていた、長谷川千雨が姿を現しました」
「ち、千雨さんが! どこに、どこにですか!」
ネギが食いつく。スクリーン越しの魔法使いは、ネギに気がついたのか、わずかにためらう様子を見せた。
「よい、報告してくれ」
「分かりました。先ほど麻帆良大橋付近の監視カメラに、長谷川千雨の姿が確認されました」
「彼女は何をしておる?」
「いえ、それが……ただ歩いているだけで。何かをしようとする気配はありません」
向こう側で何らかの操作をされたらしく、スクリーンに映された光景が切り替わる。
薄暗い中、モニターの青白い光がギラつく光景から、爽やかな陽光を受け、優しげにきらめく川面が見える。その川縁に、長谷川千雨がいた。
ただ、その格好は、学園祭の夜と同じ服装だ。眼鏡も外している。
ざわめきが学園長室に広がる中、ネギは千雨の姿から目を離せなかった。
身ぎれいで、どこもやつれていない。数日間行方不明だったようだが、ひどい生活はしていなかったようだ。
そのことが分かり、ネギは安堵に胸をなで下ろす。
そして再び千雨に注視したとき、ふと違和感に気がついた。
千雨は止まっていた。そして空を眺めている。いや、こちらを見返している。
そのことにネギが気づいた瞬間、千雨の姿がかき消えた。あたかもはじめからそこには誰もいなかったように。
同時、扉が叩かれる。
はじかれたように、その場にいた者が扉を凝視する。
こすれる音もなく、開かれる。そこには、先ほどまでスクリーンに映っていた千雨がいた。
「なっ!」
「何か、ようか。そんな大人数でじろじろ見てきて」
驚愕から一転、入り口近くにいた魔法使いの二人が千雨に飛びかかる。
だが、それは止められた。
「不敬であるぞ」
二人の首に輝くは鈍い銀の半月だ。蛍光灯のまぶしいくらいの明かりにギラギラと光る。
それはデスサイズ。死神がもつとされる緩やかに湾曲した鎌。それが二人の喉仏あたりにかかっている。
「何者じゃ!」
二人の後ろに、真っ黒なローブを着込んだ者がいた。
それは口をつぐんだまま、油断なく周囲を牽制している。少しでも動こうものならば、刃は滑り、赤い花が咲くだろう。
ネギも武装解除呪文を無詠唱で用意する。しかしそれを撃てそうにない。魔法使いを見捨てるわけにいかない。
「そう警戒するな。私に敵意はない。それにそいつは死神でな。閻魔である私を守る使命があるから、過剰反応したのさ。仕事熱心でね。放してやれ、小町」
「はっ」
鎌がひかれる。瞬間部屋中の魔法使いが動こうとする。
「やめいっ!」
近衛門の一喝に、誰もがその身をこわばらせる。金縛りの魔法を込めた大喝だ。初歩の魔法であるが、近衛門ほどの術士ともなれば、一喝で五十人以上を縛ることもできる。
膨大な内包魔力から、呪いに対する抵抗が強いネギですら、指一つ動かせない。
近衛門は頭を振った。
「相手が手を引いたのじゃ。それ幸いにこちらが手を出してどうする」
千雨は目を丸くした。そしてわずかに笑んだ。それは馬鹿にしたようでもあり、まばゆい者を見るようでもあった。
「へぇ。変わったな、あんた。以前なら、これ幸いにと黙認しただろうに」
近衛門はふぉふぉとひげをさする。
「人は変わるものよ」
どこか遠い目をしていたのは、ネギの気のせいだろうか。
「なるほど。それはそうだ。なら話は早い」
千雨がネギを見る。
そして小町と呼ばれた死神に合図を出す。すると死神が一瞬姿を消し、再び現れた。そのとき、大きな姿見を持って。
それは大人一人よりも大きい。縁は金でできており、肝心の鏡面は真っ黒に染まっている。
「これは浄瑠璃の鏡。すべてを映す、閻魔の鏡。さあ、先生。これから見るは、一人の妖怪の話だ。人間であることを許されなかった、哀れな妖怪の」
千雨の指先が触れるや、鏡が光り出す。あまりの白光に、ネギは目をつぶってしまった。再び瞼を開くと、鏡面には燃えさかる故郷で逃げ惑う、ユギの姿があった。