東方魔法録   作:koth3

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覚醒の兆し

 近衛木乃香は、涙を拭った。

 濡れた頬をはたき、気合いを入れる。じんじんとした痛みが木乃香を責め立てる。が、その程度の痛み、刹那の味わった苦痛を考えれば全然足りない。

 前を向く赤々と充血した目は、唯泣きじゃくっていた先程と打って変わり、強い決意に彩られていた。気を失っている刹那を安全そうな店へと連れて行き、机を合わせた即席ベッドに寝かせる。

 

「せっちゃん、ごめんな。ウチ、もっと強うなるから。きっとなるから」

 

 刹那の顔についた汚れをハンカチで綺麗にぬぐい取る。うなされる刹那に、木乃香はその額を優しい手つきで一度だけ名残惜しげになでた。

 そして刹那に背を向け、未だ強く光を放つ世界樹前広場へ足を向ける。

 

「お待ちなさい」

 

 声がした。それは先程のアルビレオの声だった。辺りを見渡すが、あのローブ姿は全くない。

 

「アルビレオさん、どこにおるん?」

「ここです……、貴方の足下の本です」

 

 確かに木乃香の足下に、一冊の大きな本が転がっていた。木乃香が足下の本を拾い上げる。革張りの本で随分と古びているが、その手触りは今まで触ったことがないほど滑らかだ。表紙には金文字で何か書かれていたが、言語が全く分からず、題名は読めなかった。

 その本を拾い上げたら、アルビレオの声が再び聞こえてきた。それは悲嘆に暮れているようにも、あるいは希望を前にしているかのようにも聞こえた。

 

「木乃香さん……そうですか。貴方が戦う覚悟を決めたというならば、私も覚悟を決めましょう。私を連れて行きなさい。きっと貴方方の手助けとなるはずですから」

 

 木乃香は一度頷き、これまた近くの店から拝借した紐でアルビレオと自身のベルトとを結びつけた。結び目をしっかりと確認し、世界樹前広場へ走る。

 

「木乃香さん。今回の異変は、言うなればクーデターです」

 

 世界樹前広場へ急ぐ中、アルビレオが話しかけた。木乃香は足を緩めることなく、しかしアルビレオの話に耳を傾けた。

 

「クーデター?」

「はい。普通の魔法使いによって虐げられてきた者たちが、存在の消滅を前に、結束し反逆したのです。本来彼らは手を取り合うなぞしません。それこそ例え消滅の瀬戸際であっても。ですがその瀬戸際においてありとあらゆる種族の橋渡しとなった、この異変の黒幕がいます。その黒幕により妖怪たちが集団となったのです。逆を言えば、黒幕さえ倒せば妖怪たちは瓦解するでしょう」

「そうなん。じゃあ、その黒幕は一体だれなん?」

 

 木乃香の問いかけに、アルビレオはしばし黙った。様子を窺おうにも、本の表情なぞ分かるはずもない。木乃香の足音だけがする。そんな中、アルビレオがまた口を開いた。

 

「貴方方の副担任、ユギ・スプリングフィールド、今は八雲黒と名乗る妖怪です」

 

 その言葉に、木乃香は足を止めた。

 

「ユギ君が?」

「そうです」

 

 二人の間に沈黙が続く。木乃香はアルビレオを掲げあげ、眼前まで持ち上げた。じっとその表紙を見詰める。

 

「そないこと、アルビレオさんはなんで知っとるん?」

「……それは……」

 アルビレオは言葉を濁す。何を言っても語ってくれそうにない。木乃香はアルビレオを下ろした。

 

「ええよ。信じるから。せっちゃん助けてくれたんは、アルビレオさんやし」

「……ありがとうございます」

 

 再び走り出そうとする木乃香。しかしそこにアルビレオが待ったをかけた。

 

「そうだ。一つお願いがあるのですが」

「? なんや、アルビレオさん」

「アルビレオではなくクウネルとお呼びください」

 

 木乃香の冷たい視線がアルビレオに突き刺さった。

 

 

 

 世界樹前広場に、木乃香がたどり着いたとき、すでに明日菜は倒れ、そしてネギもまたユギの手により敗北しそうになっていた。

 

「木乃香さん! 私を開きなさい!」

 

 紐を引きちぎり、魔導書が木乃香の胸元で浮かぶ。先程まで読めなかった題名が読める。『Grimoire of Alice』という題名が。

 木乃香は躊躇うことなく魔導書を手にし開く。開いたページの文字は虹色に輝いている。その不思議な輝きを目にし、木乃香は不思議な感覚を覚えた。体内の魔力が鮮明に知覚できる。そして、ある考えが浮かんでくる。その考えに従い、魔力を魔導書へと結びつける。

 

「ネギ君、諦めたらあかん!」

 

 だから叫ぶ。希望はまだ消えていないのだと。

 黒が何かを叫ぶ。しかし木乃香の耳には届かなかった。

 

「今です、木乃香さん!」

「うん! お願いや、クウネルはん! 『Grimoire of Alice』」

 

 輝く。魔導書が目映い虹色の光を放つ。数百万、いや数千万にもなる弾幕が、世界を埋め尽くす。

 だがそれだけの魔法を発動した代償に、木乃香は体内の残存魔力が搾り取られていく。

 

「う、うぅあああああ!!」

 

 経験したことのない脱力感が、虚脱感が木乃香を襲う。指先が冷えて、心臓の鼓動が遅くなったような気がする。視界の隅が黒く染まっていく。それでも木乃香は目減りしていく魔力を魔導書へと注ぎ込み、前を睨み続ける。

 

「『幻巣「飛光虫ネスト」』!!」

 

 五つの隙間が開く。黒の扇子の動きに従うように、そこから弾幕が放たれる。お互いの弾幕が相殺していく中、徐々に木乃香の放つ弾幕が押されていく。

 魔力が足りない。魔法を維持するのに必要な魔力が全くもって足りない。分かる。分かるのだ。『Grimoire of Alice』と繋がった今、木乃香には。今自らの放つそれが、本来のそれと比べれば霞にも満たない、失敗した魔法であるということが。木乃香では本来必要な魔力量を全く用意できていない。

 

「くぅうう!」

 

 極東最大の魔力を全て注ぎ込み、ようやく全力を出した黒と相殺が叶う。勝ち目がない。それは木乃香にもよく分かった。だけれども、もう下がれないのだ。下がるわけにいかないのだ。下がってしまえば、大切な人を守れない。

 

「ああ、そうか。そうなんや。これがせっちゃんの気持ちやったんやな」

 

 魔力を振り絞る。押されている弾幕を食い止める。全てを、有りっ丈を注ぎ込む。薄っぺらな魔法人生。僅か数ヶ月にも満たないそれ。だけれども確かに積み重ねたそれを全て使い切る。大切な、大切な人、いいや、大切な友達を守りたい、助けたいから。

 

「これは……! まさか、魔力の拡大? いえ、違う。これは、能力の獲得!? 神代の人間ならまだしも、現代の人間が! こんな奇跡を起こすなんて」

 

 力がわいてくる。使い切ったはずの力が。

 だが、だというのに、黒の放つ弾幕はより威力を増して――。

 

「巫山戯るな!! 都合良く英雄の誕生だと!? そんなことありうるものか、許すものか! 全てを費やしたこれを、ご都合主義の、人間贔屓の神々に邪魔をされてたまるか!!」

 

 黒の廻りが澱む。

 世界が変わる。

 殺気が全てを包み込む中、黒は一枚のカードを取り出した。

 

「変遷『失われし神代、創世されし人代』」

 

 幾つもの、幾つもの隙間が開く。世界を埋め尽くし、隙間が開き続ける。その隙間から瞳が覗き、手足が蠢きのばされてくる。まるで木乃香たちを捕まえようとしているかのように。

 そしてその隙間一つ一つから、今までの弾幕が遊びであるかのような弾幕がばらまかれた。

 

Lunatic(狂っている)……」

 

 アルビレオの掠れた声を最後に、木乃香は殺到した弾幕により意識を失った。


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