東方魔法録   作:koth3

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長らくおまたせしてしまい申し訳ありませんでした。


全てを呪う、翼たち

 深い夜に閉ざされた麻帆良を刹那は翔る。

 木乃香を抱えたまま、疾風に乗った燕の如く飛ぶ。眼下の街角のこぼすほのかな明かりが輪転機のように視界を辷るが、それでもまだ遅いと言わんばかりに、休めることなく翼をはためかす。一刻も早く、詠春達から遠ざかるために。

 

「せっちゃん……」

 

 その頬を濡れそぼちらせた木乃香がそっと胸元を握ってきた。その指先は震えている。しかし木乃香の瞳におびえはなかった。ただ詠春を案じる色がひたひたと満ちている。その輝きは深い底に沈んでいるが、確かに綺羅星の如く光を発していた。

 その瞳をのぞき込んでしまった刹那は、後ろ髪を引かれる思いがむくむくと立ちこめてき、心が掻き乱された。

 詠春は捨てられた刹那を拾ってくれた命の恩人だ。木乃香の父ということを差し置いても、力を貸せるのであれば貸したいと思うのは人情だろう。

 しかし、刹那では詠春の力になれることなどない。

 遠のいていく背後から感じられる凄まじい気の高まりに、空気はひりつき羽根が逆立ち、雷鳴がゴロゴロと刹那の背中へのしかかる、離れてなおこれほどの剣気が届くのだ。未熟な刹那がその場にいれば、意識を保つことすら難しいだろう。できうる限り離れることこそ、詠春への最大の手助けになる。

 そして何より、木乃香を守るためには、こうするしかないのだ。

 奥歯をギリギリと噛みしめ、木乃香の声が聞こえないふりをし前だけを見た。

 再び名前を呼ばれる。腕に力がこもりかけるも、「大丈夫ですよ、お嬢様」とだけ告げ、刹那はさらに速度を上げようと降下した。耳元をびゅうびゅう風が吹き付けていく。

 しかしいくら速度を上げても、背後から感じられる剣気は強まるばかりだった。そして昂ぶったそれらはいよいよ破裂した。

――来る。

 刹那は来るであろう衝撃に備える。空中の一点に留まり、自らが持つ有りっ丈の防御札を使い、最大強度の結界を展開する。それは神殿並の霊壁だ。西洋魔法使いの最大級の攻撃呪文ですら防ぎきれる逸品。強固な護りが完成した瞬間、とうとう二つの力が激突した。

 閃光に包まれ辺りが白く染まるなか、刹那は確かにその眼で幻視した。二人の剣士が己が技をぶつけ合う様を。

 光に一拍遅れ、衝撃が襲いかかってきた。怒濤の勢いでやってきたそれは、刹那が展開していた結界を、瞬く間に砕く。結界が砕かれた瞬間、刹那は瞬間的に気を放出し、衝撃波の威力を僅かばかり減退させた。しかしそれだけでは雀の涙というもの。刹那は衝撃波によりあっさりと波に呑まれたように宙で踊らされた。

 吹き飛びいく最中、翼を目一杯広げ、なんとか制動をかけることに成功する。しかし桁外れな衝撃に五感という五感がグチャグチャになってしまい、辺りの様子が分からない。半狂乱に掻き抱いているはずの木乃香の名前を叫ぶ。

 

「御無事で!?」

「う、うん。大丈夫や」

 

 多少強張っているものの、それでも元気そうな木乃香の声が胸元からし、幾分かの冷静さが戻ってくる。

 また背後の力は(かん)に入ったのか、今すぐぶつかり合う気配はない。

 刹那はようやく胸をなで下ろせた。五感の回復を終えると、再び麻帆良の空を移動し始める。穏やかな疲労が寄りかかるせいで、翼の往復する頻度が僅かに減る。先程よりも顔を叩く風は柔らかくなり、後ろに流れる光景も、落ち着きを取り戻していた。翼で緩まった空気をぴしゃりとうつ。熱気と寒気をごちゃ混ぜにしような、奇妙な熱を孕む空気を羽根の一つ一つで捉え、うち、上昇していく。そして翼を広げると、緩やかに滑空を開始した。

 背中に衝撃が走り、視界が空転した。重力のかかる方角も分からなくなり、木乃香だけでも守ろうと身を丸くする。そして地面に落ちた。翼が熱い。

 刹那は真っ先に木乃香の無事を確認した。怪我を負った様子はない。しかし怯えているのか、震えている。そして、刹那の肩越しを青い顔で見詰めている。視線の先に敵がいるのかと、刹那は敏捷な動作で刀を抜き、立ち上がろうとするが、翼を襲う痛みに呻き声を漏らし膝をつく。翼が途中で折れ曲がり血の色が混じる骨が顔を覗かせていた。それでも怪我を押して立ち上がり、木乃香を背に隠す。

 

「ち、治療せんと……せっちゃん、すぐ治すさかい、そない動いちゃあかん」

 

 木乃香の声に混じり、微かに羽ばたきが聞こえた。見上げれば、近くの外灯の上に一人の女性が立っていた。刹那が白刃を突きつける。翼の痛みが増した。

 

「何者だ!」

 

 笑い声が辺りを満たす。

 その声音は澄み切っていた。あたかも度を超して水が澄むと生き物が生きられないように、他者の存在を拒絶するかのような、底の見えない暗闇の声音だった。刹那はその声を聞いた瞬間、胸のうちが揺らぐ。なぜだか心が落ち着くのだ。安心してはいけないはずなのに、理性が否定しようとも、本能とも呼ぶべき場所が、木乃香といるときのように暖かくなってしまう。

 そんな奇妙な感覚を振り払い、女性を睨み付ける。

 

「一夜にして二度も誰何されるとは。まあ、教えて差し上げましょう。八大天狗が一角、この世全てを怨み呪う大魔閻、崇徳白峰也」

 

 白峰は地上にふわりと降り立ち、刹那に視線をやった。荒んだ金色の瞳が、刹那の姿を捉え輝く。

 その瞳の輝きが、まるで月詠の瞳のようで、夕凪の柄を握りしめる刹那の手に、力がこもる。眼光鋭く、白峰の一挙手一投足を見逃さぬように、その全身を見据える。

 

「たかが烏天狗如きが睨むとはな」

 

 いつの間にか眼前に立っていた白峰が、刹那の顎を掴み持ち上げていた。

 一時たりとも目を離していないのに、刹那には白峰の動きが見えなかった。

 

「う、うわぁ!!」

 

 夕凪の刃が空を切る。白峰の姿が消えている。刹那は荒い息をつきつつも辺りを見回す。しかし白峰の姿がどこにも見当たらない。

 

「後ろや!」

 

 振り返りつつ夕凪を横薙ぎに振るう。影すら斬り落とすことは叶わなかった。

 そして目を見張った。白峰は刹那が振るった刀身の上に立っていた。

 白峰は小石を蹴るが如く足を振り子にし刹那の顔を蹴りつけた。気の護りにより痛みこそないが、衝撃で刹那の顔がのけぞる。その間にまたしても白峰はその姿を消していた。

 

「どこに!?」

「ここですよ」

 

 折れた翼が背後から握り締められる。鈍い音を立ててさらにいくつかの箇所が折れる。血が辺りに飛び散り、刹那の悲鳴が響き渡る。

 刹那は苦痛から逃れようと暴れ回り地を転げた。俯せに倒れ伏した刹那の片翼は血に染まり、真っ赤になっていた。

 その背中を踏みつけられる。余りの力に、身体中が軋む。胃の腑から消化液がせり上がり、喉と口を苛む。

 

「おや、せっかくの白が汚れてしまったじゃあないですか」

 

 刹那はぴたりと全ての動きを止めた。その様は火山の噴火寸前のシンとした静けさのようだった。刹那の身体が細かく震える。するとその目が血走り、髪が伸びだした。それは嵐のように荒み、乱れていた。

 そして、理性を投げた。

 身体の奥底からこみ上げる力に任せ、白峰の足を力尽くにふりほどく。すぐさま雄叫びを上げ、白峰に斬りかかった。それは迅雷だった。技術もへったくれもない、力業による突撃だ。だというのに、今までの刹那よりも遙かに速い。

 だがそれでもなお、その刃は空を切る。白峰の姿が消え去る。速すぎる。転位の術を使っているのではないかという速さだ。

 しかしそれほどの速さを前に、刹那の朱色に染まった瞳は白峰をしっかりと追っていた。

 身体中の筋肉を限界以上に酷使し、無理矢理反転する。気ではない何かが刀身を伝い、赤黒い雷を放つ。

 

「シネ!!」

 

 唐竹割りの一撃は、今までの技と比べ、威力が跳ね上がっていた。夕凪が深々と大地を切り裂く。

 それだけの威力を発しながら、雷は未だ刀身から消え去らず、二の太刀を繰り出す。

 

「やれやれ、犬はいらぬ」

 

 刹那の変貌を前に、白峰は鼻白む。そして翼からもぎ取った羽根を無造作に投げつけた。だというのにその羽根は余りに速く、迫る影を捉えたものの身体が動かなかった刹那の肩を貫き、後ろにある壁へと縫い付けた。

 貫かれた箇所が砕かれたような衝撃が襲う。刹那の息が詰まる。が、それでも身体の内側で暴れ狂う衝動は止まらなかった。しかしさらに幾つもの羽根が身体を貫いた。刹那がどれほど力を込めようとも、完全に壁へと縫い止められてしまい、もはや微動だにすることすら出来なかった。それでも怨嗟の念を込め、白峰を睨む。

 白峰は刹那の怨念をむしろ心地が良いとばかりにその口角を穏やかに上げた。

 

「まあ、そう憤るな。何も知らない小娘よ」

 

 白峰はしばし辺りを見、正面がガラス張りの店の中から、比較的傷のついていない、上等な椅子を引っ張り出してきて、座りこんだ。その間に木乃香が刹那を助け出そうと無駄な努力を重ねていたが、それを一瞥するや鼻で笑う。

 

「哀れよなぁ。吉兆の証として生まれながらも、不吉の証と誣言(ふげん)され、周りに苦しめられた」

 

 穏やかに話しかける様とは反対に、その声音は底知れない闇をますます深めていた。刹那は知らず知らずのうちに唾を飲み込んでいた。

 白峰が頬杖をつき髪を梳いて弄び、遠い目をする。その瞳にはどす黒い暗黒がたゆたい、今にも瞳から涙として迸り、溢れ出し、この世全てを黒海へ沈めんとするかのように、底の知れない何かが腐り沈澱していた。

 

「お前は私によく似ている。周りが私たちを悪へと仕立て上げた。我らはただそこに生きていただけだというのに。下らぬ権威や浮ついた誇りなどとやらのせいで」

「どういう、意味だ……!」

「烏とは黒い鳥だ。されど、時折白い烏が見つかる。それを時の権力者達は吉兆の証として扱った。解るまい。白い烏とは本来ありえぬ希少な存在。けして不吉な存在ではない。それは妖怪にも当てはまる。黒でない烏は、強い力を有す。お前もそうだ。その白に恥じぬ類い稀なる才覚を有しておる。それこそ時を経れば、大天狗にまで至れるほどの才覚だ。しかしいつの世も、無能は妬むことしか出来ぬ。特に妖怪と人間のハーフであるお前の存在なぞはな」

 

 故に、捨てられた。お前の両親は殺され、赤子であるお前は捨てられた。愛も知らず、この世で尤も残酷に死に絶えるだろうとほくそ笑まれて。

 

「うそ、だ」

「嘘なものか。この私が自ら調べたのだ。間違うはずがなかろう。……のお、刹那。お前は私とよく似ている。どうだ、一緒に来ぬか? 全てを憎み、全てを呪おうぞ。我らを虐げた者たちが苦しみ死に絶える様は、格別の甘露だぞ」

 

 口角を吊り上げる白峰は、おぞましい笑みを刹那へ向けていた。

 その笑みを見た瞬間、刹那は頭の中が真っ白になった。全てがぼんやりとしていた。その中でただ白峰だけがはっきりとしてきて、聞かされた言葉が反響しつつも刹那の耳に何度も入り込み囁く。戒めが解かれ地面に落ちる。ふらふらと立ち上がり歩き出す。

 視界の片隅で誰かが手を伸ばしているのが見えた。しかしそれよりも、白峰の手だけが刹那の意識にあった。何かが足にひっついた。唯、邪魔だと思った。

 そして白峰の手を握ろうとした瞬間、刹那の手首が誰かに捕まれた。

 

「いけませんよ、刹那君。それ以上は」

 

 その言葉を耳にすると、刹那は意識をふつりと失った。

 

 

 

 今日という日を木乃香は生涯忘れることないだろう。何も出来ないという罪深さを突きつけられたこの日を。

 東洋一の魔力を持ちながら、その力を磨くこともせず木乃香は安寧に生きてきた。その魔に引かれたであろう妖の存在を知ることもなし、その力と権力を欲した人間の悪意を見詰めることもなしに。

 魔法を知ったのがつい最近だったというのは、言い訳にすらならない。平和に生きてきた影で、大切な友人が戦い続けていた。一体どれほどの傷を負っただろうか。一体どれだけの苦痛を乗り越えたのだろうか。

 その犠牲を知らず、知ろうともしてこなかった。そしてそれを知ってなお、魔法と向き合うことはしなかった。ただ、面白そうだと幾ばくか杖を振るう程度。覚えた魔法は初歩の初歩にあたる治療魔法が一つ。

 それでも膨大な魔力に任せることで、多くの傷を癒やすことが出来た。それで天狗になっていたのかもしれない。もう刹那の痛そうな姿を見ることはないと。刹那の傷を治すことが出来ると。とんだ思い上がりだ。

 小さな傷を癒やせるのがなんだというのだ。自らの身を守ることなどは出来ず、刹那ばかりが傷を負う。木乃香さえいなければ、そんな怪我を負う必要はなかっただろうに。

 近衛木乃香こそが、桜咲刹那にとっての疫病神なのだ。

 木乃香は顔にかかった血を拭うこともせず、折れた翼を握られ苦痛を漏らす刹那の姿を見続けながらそんなことを考えるしかなかった。

 そして、敵である白峰の告げる言葉に打ち据えられた。

 知らなかった。刹那の両親が殺されていたことを。ただ詠春が友達として連れてきてくれ、そして一緒に遊んだ。実家に同い年の子なんていなかった。だからうれしくて、いつも一緒に遊んでいた。まりをつき、カルタを遊び。とても大切な友達だった。だから麻帆良で避けられていた時期は辛く苦しい思いだった。友達なのに、なぜ?

 でも、それは本当だったのだろうか。本当に友達ならば、刹那の苦しみの一つでも知ろうと、一緒に背負おうとしたのではないか。ただ自分は、享楽を運んでもらったから、友達ぶっていただけなのではないか。もし幼い子供の時、刹那以外の子がいたら、刹那と友達になっただろうか。分からない。分からなければならないのに、分からなかった。それがどうしようもなく悲しくて、悲しくて。そして自らの薄情さにほとほと嫌気がさし。一筋の涙を滔々と流した。

 

「せっちゃん……駄目や、アカン。お願いや、せっちゃん」

 

 だから、止められないのだろう。友達の言葉ではないから。友達のふりをしてきた薄っぺらな偽物の絆の言葉だから。

 白峰に差し出された手。それを握ってしまえば、刹那はもう取り返しのつかない場所にいってしまう。必死になって押しとどめた。みっともなくとも泣き叫んだ。足に縋り付いて止めようとした。しかし、刹那の歩みは止まらなかった。止まるはずがなかった。

 それを止めてくれたのは、木乃香ではなかった。刹那の腕を掴んだのは、かつてネギと戦ったクウネル・サンダースだった。

 闘技大会の時同様の胡散臭い姿ではあったが、纏うローブはぼろぼろにすり切れており、縁から僅かに見られる端正な顔も、傷や埃だらけだった。大会中浮かべていた軽薄な笑みはなく、唇はキリキリと一本線に引き絞っている。

 意識を失い崩れた刹那の身体を抱えると、木乃香のそばまで一息に飛び退った。そして、刹那を木乃香へと手渡した。

 刹那の身体は傷だらけで、木乃香は震える手を刹那の頬に当てた。

 

「ゴメンな、せっちゃん。今度こそ、ウチ、強うなるから」

 

 木乃香は刹那を抱え、肩を震わし続けた。


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