森の中で笑い声が響いた。
その笑い声は、見た目からは人間だと認識してしまう、そんな男の妖怪のものだった。
その声は高らかに、だがどこか奇怪な、そして不気味な、そんな笑い声だった。
そしてそんな妖怪を見下ろす女がいた。
その女の眼は不気味に笑っている彼を見て、哀れみ、悲しみの感情を瞳に映していた。
女が男に対して想った感情は同情。
女は男に優しい言葉を投げかける。
しかし男はその女の声を聞き、さらに声を大きくして、笑う。
もっと奇怪に、もっと不気味に、笑う。
そんな男の様子を見ても、女は諦めずその男に声をかけ続ける。
男と女はこれが初対面。
女の方は別に男に構う必要など無い。
でも、女は男を何とか慰めようと努力し続けた。自分が彼に何かするたびに笑い声が大きくなっても、それを気にせず次の行動に移し、笑い声を今度こそ止めようと尽力し続けた。
だって、彼女は優しかったから。
そんな優しい彼女は、目の前で笑い、「泣き続けている」彼を放ってはおけなかったから。
だから、彼女はそんな彼にこう聞くことにした。
ーーーどうして泣いているの?
その質問の返答として男は、その理由を彼女に明かす。
そしてその後、彼と彼女は何回か言葉を交わしたーー
◆
「ーー苦しく、無いのですか?」
「ああ、全然苦しくないね」
本当は苦しい。
「ーー貴方の願いは、たとえ叶ったとしても、何も残らないことを理解していますか?」
「そんなの、叶わなきゃわかるわけないだろ」
……いや、本当はわかってる。
「ーーだったら…」
だったら?
「貴方は今、なぜ私を殺さなかったのですか?」
「……ずるいなぁ」
その質問は、ずるい。だって、その答えなんてもうわかってるくせに。
そして、その質問をするってことは、さっきした質問に対する、俺の本当の答えも理解しちまってるくせに。
ーーあんたが俺に、自分の本音を気づかせたくせに。
◇
「うーん」
初めての訓練から数日経ったが、妖夢はまだ岩を切ることができずにいた。
もう、通算何百回もこの大岩を斬ることに挑戦しているが、一度も岩に刃が通ることはない。何故自分は成功することが出来ないのか、と妖夢は岩の前に座り込み考える。伝蔵は斬れると思わなくては斬れないと言った。そんな、思い込みで斬れるわけがないとは思う。もし、思っただけで斬れたら苦労はしない。誰だって同じ事が可能になってしまうだろう。妖夢は伝蔵の言葉を聞いている時そう思っていた。
だが、妖夢は伝蔵が実際に岩を斬る姿を見て、「自分にも出来る」と何の根拠もない自信が胸を占めた。
本当に漠然と、自然とそう思った。
だからこうして諦めず何度も挑戦しているのだが……
「やっぱり、斬れないな…」
それはただ残念な結果に終わった。
はぁ、とため息をつきながら仰向けに地面に寝転がる。そして顔を横に向け、横にある伝蔵が斬った岩を見た。
その岩は見事に斜め一直線に斬れ、岩の断面は凹凸が無く平らだった。どうすればこんなふうに、綺麗に切る事が出来るのだろうと妖夢は思考を再度開始する。そして、すぐにそれを止めた。
これは理屈では理解出来ない、考えてもわからないに決まってる。妖夢はまた大きなため息をつき、仰向けの状態で左手に持っている刀を顔の前に上げた。
その刀の名は楼観剣。妖怪が鍛えた剣だと伝えられている業物。
その刀を見て、妖夢は自分にだけ聞こえるような、小さな声で言う。
「…斬れないものなんて、たくさんあるよなぁ……」
◇
また今日も、俺が昼食を作る。
別に料理は嫌いというわけではない。誰かの為に調理して、それを食べていただくというのはやりがいがあるし、それを「美味しい」と言って食べてもらうのはやはり嬉しいものだと思うからだ。
だが、
「伝蔵様ぁ…またこれぇ」
俺の作った料理を見て、幽々子は不満の声を挙げた。
まぁそれも当然のことだろう。男の俺に料理の知識などあるはずがなく、故に俺は一つの料理しか作れないからだ。
ここ数日昼食に同じものを持ってこられたら不満だって言いたくなるのも納得だ。
でもさ、一つ得意な料理があるんだからすごいよね?何も作れないというわけではないからさ、男の中では出来る方だと思うのは、僕の偏見でしょうか?
「これ、美味しくないのよねぇ…」
まぁそれもしょうがない。
人によって好き嫌いと言うものは存在する。自分が好きだからといって、相手もそれを美味しく感じるとは限らないのだ。
でも、紫は結構好きなんだけどなぁ、これ。友人だからといって味覚まで似てるとは限らないということか。
俺がそんなことを思っていると、幽々子は不満な言葉をそのまま続けた。
「でも…ご飯に麦茶をかけるのは、ないと思うのよぉ」
…そこだけは反論したい。
第一、ご飯に麦茶をかけてお茶漬けにするのは別の家庭だって行っている立派な製法なのである。俺が最初に考案し始めた料理ではないのだ。だから、幽々子がこれはないと思ってしまうのは独自の偏見によるものだ。よし、幽々子のその考えは徐々に矯正していこう。明日も麦茶漬けだ。
不満を言っている幽々子と一緒に昼食をとる。不満を言っていても残さず食べてくれるのは良いことだ。食材に感謝しているね。食べ物を残すということはいけないからね。ほんと。食べれない子達だっているわけだから、粗末にしてはいけないよ。うん。
「妖夢はまた自分が昼食を作るのをわすれているのねぇ」
「たぶんそうでしょう」
素で忘れているらしいから、怒るに怒れないのよねぇと幽々子さんは言葉を続けた。
妖夢ちゃんは基本しっかりしてるがどこか抜けているからなぁ。ここ数日で得たこの白玉楼での発見である。でもそこが年相応のものを感じて安心するところでもある。子どもってのはね、無理して背伸びしなくていいんですよ。無理するのは大人の特権。そして甘えるのが子どもの特権なのである。フッ、俺今いいこと言ったな。今度紫に言ってやろう。
だが、俺はここであることに気がついた。妖夢ちゃんって妖力持ってるんだから妖怪じゃね?と。
…それじゃあ、もしかしてもう何百年も生きてるのかなぁ。子ども扱いするのは良くないのかもしれない。今度さりげなく年齢を聞いてみる…いや、ダメだな。女性に年を聞くのはNGだったぜ。俺は学習能力が高いからね!一度、いや、二度した失敗は繰り返さないのだ!
「ちょっと俺、妖夢の様子を見てきます」
「ああはい、お願いしますねぇ」
だが、やはり昼食抜きでそのまま訓練しているのは好ましくない。しっかり食べないと元気がでないからね。よく食べ、よく寝る。これが上達の為の近道なのである。
そんじゃあ、麦茶漬け食べるように言ってきますか。…露骨に嫌な顔をするんだろうけどさ。
………
「妖夢」
「ああ、伝蔵さん。何か御用…って昼食作るのまた忘れてました!すぐに作ってきます!」
俺が妖夢ちゃんのことを見つけ名前を呼ぶと、すぐに妖夢ちゃんは自分の忘れていたことを思いだした。そして慌てて屋敷の方に走りだす。
「別にそんな慌てる必要はないぞー」
走っていく妖夢ちゃんに声をだしそう呼び掛ける。
すると、妖夢ちゃんは走ることを止めこちらの方を振り返った。
「もしかして…また伝蔵さんが作ったんですか?」
「ん?ああ」
「…また、あれを食べるんですか……」
そして顔を両手で覆い隠しそう言った。
……そこまでオーバーな反応することなくね?美味しいじゃん麦茶漬け!この白玉楼は好き嫌いが多すぎるよ。贅沢言わないで!俺に料理を作れってのが無理な話なんだよ!俺だって知ってました~お茶漬けが料理だって言えないことぐらい。でも、見栄はったって良いじゃない。虚勢だって、いつかは本物になるかもしれないじゃない。
「で、岩を斬ることについて何か掴めたか?」
「うっ」
俺が仕返しとばかりにそう聞くと、妖夢ちゃんは返答に困ってしまったようだ。こちらに目を合わせずさっきから瞳が泳ぎまくっている。
でも、まだ全然日は経ってないしね。ゆっくりやっていって欲しいな。焦ると結果はなかなかついてこない。じっくりと、だが確実に進んでいってほしいものだ。
そう俺が考えていた時、ふと妖夢ちゃんが持っている刀が目に入った。その刀は一目でかなりの代物だということがわかるものだ。
その刀の真っ直ぐな刀身。
華やかさはないが、しっかりと作られた鍔。
まるで刀から反射される太陽の光までが、この刀を構成しているように見える。
「…ほう…気づかなかったが、いい刀だな」
「ええ。これは妖怪が鍛えた剣、楼観剣と言います」
そう言い妖夢ちゃんは俺にその刀をよく見せるために、自分の目の前にそれを掲げた。
その刀は傷一つなかった。
もしこの刀を出来たばかりのものだと言われても、信じてしまうほどのものだった。
きっと、この刀は一般的な「剣」というカテゴリーには入らない代物だ。人はその類いを「魔剣」と言う。だが、この刀は「魔剣」というほどには「剣」から離れてはいない。信じがたい話だが、この刀はこの刀だけの、「個の属性」というモノをを形成している。
それほどのものだった。
「何か、その刀には能力が付加されているのか?」
そういう珍しいケースの剣には、何か特別なものが付加されていることが多い。この刀も例外ではないだろう。俺は半ば確信を持って妖夢にそう尋ねた。すると、
「能力かはわかりませんが……幽霊十匹分の殺傷力があります!」
そう、妖夢ちゃんは自身満々に言った。
なるほど、幽霊十匹分の殺傷力がある剣かぁ。
俺はそれを聞いてこう思った。
……それって、すごいの?
いや、そう思わね?いきなり「幽霊十匹分の殺傷力があります(キリッ)」と言われてもさ、こっちは基準が解らないんだよ。普通は幽霊一匹分に対してどれだけ労力がかかるのかわからないからね?というか第一に幽霊に対して殺傷力があるってどういうことですか?幽霊は死んでるから幽霊であって、殺せるものは幽霊じゃないんじゃあ…
「そ、そうか。それはすごいな」
「そうです!すごいでしょう!」
俺は何かやりきれない思いを感じながらもそう言った。別にこの刀がすごいって言うのは本当のことだしね。深入りする必要はないだろう。別にめんどくさいとかそんなんじゃあないからね!
「そういえば伝蔵さんの刀はどうなんですか?」
「ん?これか?」
妖夢は期待の眼差しをし、俺の身に付けている刀について聞いてきた。
その期待を裏切るようで悪いが、別にただの刀だからなぁ。自慢するほどのものでもないんだが…正直に言うか。
「下手すりゃどこかに落ちてる、そんな普通の刀だが?」
「そ、そうなんですか?伝蔵さんが持っている物ですから、何か特別な名があるような刀だと思いました」
…名、ねぇ
「別に剣に名前何か要らねぇんだよ、本来は」
「…え」
俺がそう言うと、妖夢は俺の言ったことに疑問を持ったらしい。すぐに俺にその理由を聞いてきた。
「な、何故ですか!?」
「ん?だってーー」
まぁ、当たり前のことなんだが、
「ーーだって、どの剣でもやることは同じだろ?」
俺はそう言った。
俺の言ったことに対して反論してくる奴はいるだろう。そんなことで納得できるわけがないと。それは当然のことだと思う。俺の言ったことは全然答えになっていないから。
でも、それはある程度刀に精通した人にとっては、だ。
想像して見てほしい。もし、自分が剣に全く興味がないと仮定する。そして二つの剣を見せられ、「形や色以外でこの二つの共通点は何?」と聞かれたとする。すると困ったことに共通点なんか他に見つからない。どちらの剣が本当は丈夫なのか、どちらの剣が本当は斬りやすいのか、そんなのは素人目ではわかるはずがないのである。
だが、結果として剣に何の関心がない者でも、最終的にある共通点を見つける。
「どちらも殺しの道具だ」と。
俺が言っているのはそういうこと。
凄かろうがショボかろうがどちらも物を「斬る」為の物。それを剣と呼ぶのだ。こしてそこはどの剣でも何の違いがない。これだけは覆ることはない。
だったら別にわざわざ名前なんてもんで区別を作らなくてもいいじゃないか、という
超横暴的解釈だ。
刀は刀。頭が良くない俺にとってはこれが一番シンプルで、しっくりくる。
「やることは同じ…ですか」
妖夢は俺の言葉を聞き、理解しようとしているのか、その言葉を復唱した。
いや、真に受けなくて良いよ!?こんなの別に戯れ言以下の代物だからね!ただの脳筋の発想だから!
「いや、お前が理解出来ないならわかろうとしなくていいぞ?」
「いえ!大丈夫です!」
俺がそう言っても、元気よく俺の求めていた返答とは別のことを言い返されてしまった。
くそう。何かもう妖夢ちゃんの考え覆せないみたいだよ。いつか誰かに同じこと聞かれたら妖夢ちゃんはこのままじゃあ痛い目で見られてしまう。痛い目に会うのではなく、確実に見られる。
どうすればいい。もう何言っても覆すのは無理か?それじゃあどうする?……あぁもう!適当なことを言ってうやむやにするしかない!!!
「妖夢よ」
「はい!何でしょうか伝蔵さん!」
「刀に名は必要ないと言ったな。だが、それよりも覚えておいてほしいことがある」
「はい!」
いいぞ。この流れで言えばうまく上書きされるな。よし、頑張れ!俺!
「当然、斬るのは剣だがーー何を斬れるのかを決めるのは、自分自身だということだ」
「何を斬れるのか……決めるのは自分自身…」
「ああ、それを忘れるな。そしてお前がいつかあの大岩を斬ったとき、俺はお前に問おうーー」
「ーーお前が、何を斬れるのかと」
……決まった。自分でもほれぼれするほどの出来。確実に妖夢ちゃんはもうさっきの俺の「どうせ斬るんだから剣なんてどれでも一緒じゃん(笑)」発言は忘却の彼方に消えたな。
後はクールにこの場を去っていけば完璧だ。フッ、何か最近脳の働きがいいな。気づかないうちにもう紫クラスまで行っちまったか?自分が恐ろしい。
そして俺はこの場を去っていく。自分の最初の目的は果たしたし、後の問題も上手く誤魔化せた。もう何も思い残すことはない。
△
「自分が、何を斬れるか…」
伝蔵さんは私にそう言った。
私はまだその答えがわからない。だけど、いつかはその答えを見つけよう。そして自信を持って、その答えを言うのだ。
「ーーよし!」
そう決めるとやる気が湧いてきた。
まだ、この岩は斬れない。でもそれはこれからも斬れないと決まったわけじゃない。
きっといつかは斬れる、いや、斬って見せるんだ!
そして、私は訓練を再開する。
絶対に、斬ることが出来ると信じてーー
「なぁんで、妖夢ちゃん昼食食べに来ないのー?」