静寂が場を支配する。
周りから聞こえる音はすべて気にならなくなり、目の前の物、自分よりも何倍も大きいこの大岩を切るために刀を構え、集中する。
しかし妖力などを使わない、使わずに切る。だが、もし妖力を込めても切れるかどうか。いや、きっと切ることは出来ないだろう。この岩の前に立って、改めてこの岩は巨大だと強く感じた。
この岩を切ることは不可能だ。これは岩を切れるという前提から始まっている。だから切れないことはないと思うのだが、それは現実的に考えて、もっと小さい岩のはずだ。まず、刀と岩の大きさからあっていない。切ったとしても岩の断面積の長さと刀の全長が違うのだ。刀の長さが圧倒的に足りない。これでどうやって切れと言うのだろうか。
理論がわからない。理屈があるはずがない。きっと、もしそれが出来てしまったのなら、それはこの世の決まりごとを、ルールを無視している。
極め付きに、それをただの腕力のみで、だ。
不可能だ。まず刀の刃が岩に食い込まない。妖力で何も強化していない刀では、確実に弾かれる、もしくは刀自体が岩の硬度に負けて、折れてしまう。なぜ、初めから無理だとわかっていることを実行しなくてはならないのだろう。
妖夢は刀を構えながらそう思っていた。
これは不可能だ、自分では無理だと。
自分は伝蔵ではない。伝蔵が出来ると言っているのだから彼は実際に出来るのだろう。だが、それは彼だからこそだ。
自分みたいな半人前、いや、自分以外の剣士だってそんなことは出来ないと断言出来る。そんなことは選ばれた者のみの特権だろう。この世界には確実に才能、というものが存在する。たとえ自分が出来るからといって、それが絶対相手にも出来るなどということはない。それは世界に生まれたときに決められたことだ。努力云々の話ではないのだ。
だが、自分に、「この大岩を切れ」と言っているのだ。切ることは出来ないだろうが、全力で取り組もう。
妖夢はそう思い直し、抜刀した、
ーーその抜刀した刀の速度は速い。
普段と比べると妖力を込めていない分速度は劣っているが、同じ剣士にこの速さで刀を振れと言われても実行に移せるものはそういないだろう。それほどまでの速さ。それは妖夢が今までどれだけ剣の訓練を欠かさず行ってきたのかがわかるものだ。
しかし、その刀が立ち向かうのは巨大な大岩。もちろん、その刃は岩に少しも食い込むことなくーー
「くっ!」
妖夢の声と共に岩に弾かれた。
妖夢はやっぱりな、と自分の思っていた通りの結果を見てそう思った。やはりいきなりこの岩を切れといわれても無理なのだ。それも、妖力無しで。いや、きっと自分では不可能なことだったのだ。だから、別にこれはしょうがないこと。あたりまえのことだ。
「すみません。やっぱり無理でしたーーー」
まぁ伝蔵は自分みたいな半人前が出来るとは思っていないだろう。別に予想通りの結果だと思ってーー
「……妖夢、お前、初めから斬れると思ってやったのか?」
しかし、伝蔵は妖夢のその結果を見て、責めるような口調でそう言った。
◇
イカン、イカンですよこれは。
俺は妖夢のさっきの行いについて不満を持っていた。
まぁ流石に成功はしないだろうとは思ってたよ?でもさ、あれはダメだと思うんだ。
俺が不満を持ったのは妖夢の岩を切るときの剣の軌跡だ。確かにあの剣には速さが十分にあった。確かにあの剣には力強さが十分にあった。
だが、あの剣が描いた軌跡からは、「斬る」という意志を微塵も感じることが出来なかった。
それは、「もう斬れない」という運命を暗示していた。
それじゃあダメなのだ。自分が斬れないと思っていたらダメ。そう思ってしまうと絶対そうなってしまう。
俺の剣とはそういうもの。
絶対斬れないだろう。
絶対理論上不可能だろう。
絶対真っ二つにはならないだろう。
絶対刃は弾かれるだろう。
それらを理解し、納得した上で、
自分は斬れる、と思わなくてはならないのだ。
でないと確実に斬ることは出来ない。
俺は何故切れるのか、と聞かれるとそのようなことを教える。そして、それを聞いた奴はいつも笑いながらこう言う。
そんな思い込みで斬れるはずがないだろうと。
……でも、俺は毎日斬れると自分に言い聞かせてきた。いつもいつも自分が斬っている姿を思い浮かべた。そして、何時しかそれは夢の中でさえ反復されていって、それから現実の様々なものを斬れるように成っていったのだ。
だから、先ずは妖夢の考えを変えなくてはいけない。でないとこれは確実に成功しない。
「妖夢」
少しずつ、最初は斬れるかも?と思わせることから。そして徐々に、斬れると断言出来るようにさせよう。何より、この子に足りないのは自分に対する自信だ。何故かこの子からはそんな、どうせ自分なんて、というような感情がいつもとりついて回っているように思える。だから、そこを変えさせてあげよう。何だ。別に剣は教えられなくても、教えられることはあるじゃないか。
「よく、見てろよ」
妖夢の切ろうとしたものとは別の、もう一つの岩の前に立つ。
「ーーいいか。大事なのは、見ることではなく想うこと。自分が斬った姿を夢想しろ」
そして、鞘から刀を抜く。
それは何も特徴のないただの刀。何の異名も無く、何の特別な力も無い。そんな刀。
「先を見るな。今を視ろ。そうすればーー」
そんな刀が岩に向かって右斜め一直線に振られた。
その刀に速さは無かった。
その刀に音は無かった。
だが、
「ーーお前にも、斬ることが出来る」
その刀は、確かに、この大岩を斬って見せた。
◇
「あら、妖夢は?」
「…まだ、あの大岩に挑戦してますよ。もう3時間は経ってます」
「夢中になってやってるのねぇ。…はぁ、流石にお腹が空いたわぁ」
伝蔵が妖夢の元から離れ屋敷のなかに戻ると、この白玉楼の主である西行寺 幽々子はぐだーっと力なく畳の上に寝転がっていた。
別に伝蔵はそれを見て特に驚くことはしない。いや、最初に幽々子のこのような姿を目にした時は「大和撫子が…」と言って泣き崩れてしまったが、彼の順応能力は高かった。もうこれこそが西行寺 幽々子なのだと認識してしまった。まぁそれは紫の友達だからしょうがないか、というような納得の仕方だったが。
「それで、伝蔵様は本当に妖夢があの岩を切れると思っているの?」
「さぁ?それは俺もわかりませんよ」
幽々子の疑問を伝蔵は軽く受け流す。その態度は、別に妖夢が出来るかどうかなどはどうでもいいといったような態度だった。
それを見て幽々子は更に疑問を投げ掛けた。
「あの岩が切れなくても、何か身に付くことはあるの?」
「いえ、別に剣術に関しては何のためにもなりません」
伝蔵はそう言いきった。幽々子は、だったら他の訓練をするべきではないか、と思った。伝蔵は時間の区切りをつけず、ただ妖夢の気がすむまであの大岩を斬ることに挑戦させている。でも、剣というのはただ固いものを切れるだけではダメなはずだ。
剣という物を使うのは戦闘のときだ。戦闘は互いに攻防を繰り広げ、そして互いに勝利を掴もうとするもの。では、戦闘では何がものをいうか。
幽々子はそれはどれほど戦闘の経験を積めたかだと思っている。
ただ単純に剣で何でも切れたら勝てるのだったら苦労はしないのだ。幽々子は妖夢に強くなって欲しいと思っている。強くなるということは、勝てるということ。戦闘で敗北しないこと。
あの大岩を切る訓練が勝利のためにならないというのなら戦闘形式での訓練を行うほうがためになるはずだ。
「なら、実際に訓練として剣による戦闘をしたほうが良いのではないでしょうか?この方法だと妖夢が戦闘に対し慣れることができ、戦い方も個人で確立することが出来るのでは?」
「……」
幽々子がそう案を出すと、伝蔵は静かに目をつむり黙った。
そして数秒後、目を開き言う。
「…剣術は身に付きませんが、それよりも大事なものが身に付きます」
伝蔵は静かに、だがはっきりと声にだしそう言った。
幽々子はその伝蔵の発言に対する答えを聞きだす。
「それは、何ですか?」
「なぁに、ありきたりなことです」
伝蔵は自分の右手の親指を立て、それを胸にあて言葉を続ける。
「ーーここ(心)ですよ」
そう笑顔をみせて言った。
「ここ(心)、ですか」
「はい。妖夢は観たところ、自分を卑下する傾向が強い子です。それでは自分より強い相手と戦うとき、消極的な行動ばかりとってしまう。これはその時の為に備えての訓練です。もし、妖夢があの岩を斬れたならそれは自分の自信にそのままなります。もし、あの岩が斬れなくてもその時は「あの岩を斬るよりは現実的だ」というような一種の開き直りをし、擬似的ですがそれが自信となるでしょう。これはそのための妖夢の訓練になるのです」
確かに、戦闘において気持ちというものは大事だ。もし、戦う以前に心が折れてしまったなら、それは、直接敗北に繋がる。伝蔵はまず、剣術よりも先に心を鍛えようとしてるのだろう。
この心構えがあったからこそ、幻想郷一の剣士と言われるようになったのかもしれないなと幽々子は感心した。
「遅めの昼食は俺が作りましょう。ではーー」
そう言い伝蔵は部屋を出ていこうとする。
「伝蔵様」
その前に幽々子が彼を呼び止めた。そして、静かに彼に向かって微笑み、
「妖夢のことを、宜しくお願いします」
正座をし、頭を下げてそう言った。そして、伝蔵はその幽々子の姿を見て答える。
「ーーはい。もちろんです」
そして今度こそ部屋から退出していった。
一人、部屋に残された幽々子は、足を崩し庭を眺める。そこから見える空はどこまでも透き通っていた。
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「…剣を使った実戦の訓練は妖夢ちゃんのためになる、か……」
三人分の昼食を作りつつ、伝蔵は一人静かに言う。
「その発想はなかった」