「ーー守れなかった」
伝蔵は小さく、とても小さく言葉を呟いた。
「俺みたいなちっぽけな弱小妖怪じゃ、
伝蔵は自らの右手で壁を強く叩いた。隣でその行動を見ていた魔理沙には、目の前の彼の悔しさが手に取るようにわかった。
「俺にもっと力があればッ!こんなことにはならなかったはずなのにっ」
彼は顔をうつむかせ、叫ぶように言葉を紡いだ。
彼は、きっと必死に戦ったのだ。自分の全てをかけ、魂をけずって、力を尽くした。でも、奴には届かなかった。奴は何処までも愚かで、卑怯ものであったのだ。そう奴、紅 美鈴には敵わなかったのだ。
「すまない、魔理沙。……後で俺はまた奴の元に行く。俺の相棒と、お前の友達の借りをかえすために。でも、少しだけ時間をくれないか?俺は今から、残された仕事をしなくてはならない。それが、それが終わったら……絶対にアイツを倒すから…!今度こそ、アイツを倒してみせるから。だからッ!!!」
そう言う伝蔵の目に、魔理沙は強い意志を見た。
彼女にはわかった。彼のその覚悟の強さが、堅さが、輝きが。だからだろうか、彼女は笑っていた。さっきまで彼に向けていた冷たい顔はもう消えさり、暖かい、彼女らしい笑顔を彼に向けることができていたのだ。
「ーーすまねぇ伝蔵。勘違いして悪かったな」
「……!いや、悪いのはどう考えても俺だ。借りモンを守り通すことが出来ないなんて、な。……本当にすまない。次こそは絶対に奴をーー」
「いや、お前はその残業に集中して取り組んでいいぜ。奴のことは私に任せな」
「ぎったんぎったんにしてーーえっ?」
「だから、仇討ちは私に任せてくれていいぜ。お前のその仕事も大事なモンなんだろ?だったら後のことなんて考えないでやりな。その方が絶対に良い」
「え、いや、でも、やっぱり僕本人が仇を取りに行きたいな~、なんて……」
「その気持ちだけで十分さ。それにな、」
魔理沙はそこで言葉を区切り、両手を強く握る。そして、魔理沙という幼い少女からは信じることが出来ないような、とても重い声で、彼女は伝蔵に言った。
「ーー私ももう、自分を抑えることなんて、出来ねぇ……ッ!!!」
魔理沙は走って去っていく。その後ろ姿を黙って見送る妖怪の伝蔵。その彼の目は、何故か悲しげであった。そして、彼は一人静かに言う。
「マズイ、洒落にならん」
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◆
紅 美鈴は善、悪のどちらの妖怪なのかという問題があったとしたら、その問題の答えは間違いなく、『善』なのだろう。
そう断言出来るほど、彼女の行いは暖かみに溢れるモノだった。彼女は妖怪の中では珍しく、とても温厚な者であり、とても友好的な妖怪なのだ。彼女の良いところを探すことより悪いところを探す方が難しいだろう。つまり、彼女は
しかしそんな彼女は今、ある人物を怒らせてしまった。いや、正確には怒らせてしまったらしい。彼女には全く身に覚えのないことなのだが、それ(箒破損)が現実に起こっているのだ。美鈴はただただ困惑するばかりである。
「だっ、だから私はそんな事、してないって、言ってるじゃないですか~!!」
「うるせぇ!一発殴らせろォ!!!」
美鈴はその怒り追いかけてくる人物ーー魔理沙からの魔力による遠距離射撃を避けながら、必死に自分の無実を訴える。っていうか殴らせろと言ってるのに魔力で攻撃してくるのは何故なのでしょう、もしかして本気で殺りに来てね?っと思った彼女は聡明である。魔理沙はこのときマジであった。
「お前ッ、まずは誠意見せて謝れッ!そして箒直せッ!それから殴らせろォ!話はそれからだろうが!?っていうかまずは走らないで止まれぇ!殴れないだろうがッ!」
「嫌ですよ!なんで見に覚えのないことで殴られなきゃいけないんですか!まずは誤解を解きたいので話合いません!?」
「だまれぇ!お前がやったのを見たって言う証言者だっているんだ!!確定だろうが!!」
「り、理不尽だ!冤罪だ!!それでも私はやってないのに~!!!」
そう二人で叫び合いながら紅魔館の廊下を走る彼女達。その先には大きな扉があった。少し前に、伝蔵と魔理沙が通った扉ーーこの紅魔館への大図書館へと通じる扉が。
「もう我慢の限界だぜぇえ!!マスターっ……!」
「えっ?いやちょっとなにどでかい一発かまそうとしてるんですか?ちょっと待ちなさい、まままま、まって!」
「スパークーー!!!」
恋符「マスタースパーク」
それは魔理沙の必殺技とも言えるスペルであり、その内容はとてもシンプルなモノであった。
極太の光線を魔理沙が持つ八卦炉から出し、攻撃する。それがそのスペルの効果なのである。威力は凄まじい。
ーー結果、その光線は容易く美鈴を呑み込み、先にあった図書館へ続く扉ごと吹き飛ばした。図書館の中にあった本も巻き込まれたのか、辺りにはたくさんの紙切れがひらひらと宙を舞っている。
「フンッ!人のモノを勝手に壊した罰だぜ!」
そう、魔理沙は図書館の端まで吹き飛んだ美鈴に言った。それを聞いた美鈴は「私じゃ……ない、のに」と呟き、力無く気を失った。それを見て、やり過ぎたかもしれないと少しだけ反省していた魔理沙であったが、
「ーーそうよねぇ。人の
そんな言葉が図書館の奥から聞こえた瞬間、心臓が鷲掴みされたかのように感じた。感じざるを、えなかった。
その声の主はこの図書館の管理人(引きこもり)ーーパチュリー・ノーレッジであった。
魔理沙は恐る恐るパチュリーに声をかける。
「ま、待たせてすまなかったな!でも、まだ箒手元にないんだよ~!じゃ、じゃあ今度こそ取りに行ってくるぜ!!」
「いいえ、もう取りに行く必要はないわ。ーー見なさい、貴女のせいで私の本が、見るも無惨な姿へと変貌してしまったわぁ。……ねぇ、どうするの?これ」
「……すみませんでしたッッ!!!」
魔理沙は全力をだして謝った。地面に膝と手のひらと額をつけて、謝った。それを聞き、パチュリーは何も言葉を返さなかった。そのことに恐怖を感じながらも、魔理沙は顔をあげパチュリーの方を見る。
パチュリーはーー笑っていた。にっこりと。まるで聖母のような微笑みを浮かべていたのだ。
それにつられて、魔理沙も笑ってしまった。しかし魔理沙はパチュリーとは違い、両目を閉じ何かを悟ったように「フッ」と小さく笑ったのだ。
パチュリーの体に魔力が充満する。錯覚ではなく空気が、ゴゴゴ…!と音をあげる。
パチュリーの顔から笑みが消えることはない。それが、魔理沙に諦めをつけさせるのに十分だった。魔理沙が抵抗を無くすのには十分すぎたのだ。
パチュリーが弧を描く自分の口を開く、そして、魔理沙の罰を残酷に告げた。
「愉快な
◆
「あぶねッ!!」
「チッ!!」
何故自分と男の戦闘がここまで均衡しだしたのか、レミリアはその理由が分かっていた。
自分が、遅くなっている。
それが今現在五分五分といえる男とのーー伝蔵との戦闘を作り出しているのだろう。両者にあった絶対的な差はスピード。それが縮まってしまったから、状況は一変したのだ。
「オラァ!!」
「クッ!」
レミリアは歯噛みした。
自分が先程のように速く動けないのは、目の前のアイツのせいだ。それがよくわかっていた彼女は、射殺さんばかりに彼を睨み付けながら攻撃を続ける。
伝蔵がレミリアにしたカウンターによる右殴り。これはただのカウンターではなかったのだ。彼は自身の拳がレミリアの顔に触れた瞬間、拳に留めていた全部の妖力を彼女に移した。ぶつけたのではなく、移したのだ。通常であればその行いには何の意味もない。力をぶつけた方が相手にダメージを与える量が増えるに決まっている。
だが彼はそうはせず、レミリアに妖力を移し、妖力の循環を乱すことを選択した。
妖力の循環を乱す、それが出来れば彼女は自身の妖力のコントロールが出来ず、結果として十全の速さで動くことが出来ない。
そう彼は考え、行動したのだ。そしてレミリアにはその彼の行動は、驚愕に値するモノだった。あの一瞬の間に、妖力を流し、
自分の妖力を相手に流せば、相手の妖力の循環を乱せる。言うことは簡単だが、実戦でこれを成功させるのは難しい。何せこれは、針の穴に糸を通すよりも難しい、精密な妖力のコントロール術が必要となるからだ。理論上は可能なことだが、普通では有り得ない結果。目の前の男はその位まで踏み込んでいるのかと、レミリアは始めて伝蔵のことを称賛していた。
しかし、その件の伝蔵の体調は芳しくない。彼の体は少しずつではあるが、ぎこちなく動くようになっていた。
ーー彼は限界であった。
元々、伝蔵の保有妖力は少ない。それにも関わらず、自分の力を移すということは、自殺行為に等しいモノであったのだ。彼がレミリアの妖力の循環を乱しても、五分五分までしか戦況を拡大出来ないのはそれが理由であった。
彼はレミリアの攻撃を、確実には見切れていない。
例えレミリアが遅くなったとしても、先天的なスピード差を埋めきることは出来ていない。吸血鬼の性能としての速さは、彼にはどのような方法でも失わせることは出来ないのだ。よって、伝蔵はギリギリであった。しかし、彼は獰猛な笑みを浮かべてレミリアに声をかける。
「どうしたどうした。さっきより鈍いぞ?やる気出せやる気」
「この、奴隷の分際で……!!」
「ハッ」
声を出すのが、辛い。
「…ここまで私をコケにしたのは、お前が始めてだ。どういう風に死にたい?……おい、聞いてるのか!!!」
「ーーん、すまん。ぼっーとしてた。」
「ッ!!!」
「いや、わりと真面目にすまないでござる。」
目蓋が重い。
それでも彼が止まれないのは、譲れない意地があるからだろう。妥協してはいけないことだと、強く思っているからであろう。
ーー激しい攻防の中、間が生まれた。その時に伝蔵は、ある言葉を彼女に投げかけることにした。何でもないように、気軽に、
「まぁでもお前、もう気づいてるんだろ?ーーお前の妹がまだ、生きてるってこと」
音が止む。
伝蔵がそう言うと、レミリアは先程までの勢いを失い、静かに、地面に降りる。ゆっくりと、自分を落ち着かせるように、おとなしく。
「…………。」
「沈黙は肯定の証だろ?俺の知り合いの人形好きが言ってたことだからな。まぁ、実際そうなんだろう。うん」
そして、伝蔵は言葉を続けた。
ーーだったら、今本当にすべきことは俺と戦うことなのか、と伝蔵はレミリアに説いたのだ。
「違うよなぁ。これだけは、絶対に間違えてる。お前はまた、同じミスをしてる。
ーーいや、違うな。ミスをし続けてるんだ。」
「……ミスなんてしてない」
レミリアは伝蔵の言葉に小さく、とても小さく言葉を返した。二人は向かい合わせ静止し、会話を続ける。
「いいや、お前は全部理解できてて、何もしないっつう選択をしてるだけだ。それが、間違えてるんだよ」
「間違えてなんか、ない!!」
伝蔵を強く睨み付け、レミリアは声を荒げて言った。
「これが最良の選択だった!何をしない、ということが私がとれるベストの行動だった!だって、そうだろう!?私はあのとき、どうすればいいかわからなかった。自分の両親が、自分の妹に殺されて、もう、どういうふうにすればいいのか、わからなかった。……私は妹が大好きだった。でも、自分の両親だって大好きだったんだ。だから、」
続く声は小さく、だが重みを含めレミリアは言う。
「だから、何をするべきなのか、わかるはずがない。……あの子と前のように話がしたかった。でも、出来るはずがないんだ。私自身が、前のみたいに妹と接することが出来ないんだから。ーー妹の
レミリアはそう言い、自らの唇を噛んだ。それを見ている目の前の伝蔵は、静かにその話を聞いていた。レミリアはそんな彼に言葉を紡ぐ。
「わからなかったから、何もしなかった。いつか私がどうすればいいか、答えをだすまでは、何もしない。現状を維持する。それが私のとった選択だ。これは、間違えてなんて」
「いや、それだけは間違えてる。それだけははっきりと言えるっ」
伝蔵は断言した。
レミリアの言葉を強く遮った。
「……じゃあ言ってみろッ!!私はどうすれば良かったんだ!!どんな行動をすればよかった!?言ってみろよッ、その場に立ち会ってもいない、ただの他人のお前がッ!!!」
レミリアはまた声を荒げた。しかしその声は先程よりも大きく、だけど哀しく、紅い館に響いた。
きっと、彼女は許せないのだろう。自分が最適だと思った行動が、ただの他人の伝蔵に間違っていると断言されたことが。それが頭に来ているのだろう。伝蔵はそれを承知の上で彼女に言葉を返すことにした。小さく、ポツリと、だけど目の前の彼女にはしっかり聞こえるように、
「なんでも、良かったんだ」
そう小さく、レミリアに言った。
「……は?」
「いや、本当になんでも、良かったんだよ」
伝蔵の言葉に対し、ぽかんとしたままレミリアは、声をだす。
「なんだ、それは」
「厳密に言うと、お前が『何かをする』ことが出来ていれば、お前の妹は苦しまずに済んだはずなんだ」
伝蔵は拳を強く握った。
「重要なのはお前の妹が、妹自身が、自分のしたことを『知る』こと。それが姉にとってどれほどの意味を成すのか、実感することだったんだ。」
レミリアは伝蔵の話に口を挟まずに聞いている。伝蔵は俯きながら言葉を紡いだ。
「お前が妹に決して許さないって叱れば、きっと妹は、お前の境界線がわかっただろうし。逆にお前が、無理に笑って許したとしても、妹はその意味がわかったはずなんだ。……だって、あの子はお前のことが大好きだったから。そんなあの子が、大好きなお前の偽りの笑顔に、気づかないはずがないんだから……!」
言いきり、手に持つ木の棒を吸血鬼(レミリア)に向ける。そして彼女を睨み付ける。その彼の圧力を受け止めきることが出来ず、レミリアは視線を彼から外し、俯いてしまった。
「確かに『何もしない』というのは賢い選択ではあった。それを間違いだなんて、糾弾することの方が間違えてるのかもしれない。だけど、俺は言ってやる。お前は間違え続けてた。その間違えを認めることが、出来ていなかった。ーーだから、変えろよ。先ずは『何かして』から考えろよ。それでいいんじゃないか?なぁ?」
「……!」
ーー沈黙が場を支配する。両者の間にあった空気は、ピリピリとしたモノではなくなっていた。それはレミリアだけでなく、周りで観ていた博麗 霊夢、八雲 紫も同様にそれを感じていた。レミリアはそんな伝蔵の言葉に、どんな返答を返すのか、そこに周りにいた二人は焦点を合わせた。
俯いていたレミリアが前を向く、覚悟を決めたとわかる目で伝蔵を見た。そして小さな口を開き、答えを返すーーその時に、
「ーーじゃあそういうことで」
「ーーえっ」
「は?」
「うわぁ」
彼だけは、持っている木の棒を宙に放り、それをレミリアに向かって強く
「ーーー。」
木の棒がレミリアの右肩に突き刺さる。レミリアは茫然とした。痛い、痛くないなんてことは考えられなかった。ただ頭の中に浮かぶ言葉は「えっ、ナニこれ」だけである。
「まぁ、俺は言いたいことは言い切ったから満足でござる」
レミリアが茫然としている間に、伝蔵は距離を詰め、レミリアの右肩に刺さった木の棒に手を当てていた。そして、
「ーー妖力通し」
そこから自分のなけなしの妖力を、レミリアの体に流し込んだ。
その行為の一部始終を見ていた霊夢は、口元がをひきつらせ。紫は頭痛に堪えるように、額に右手をあてていた。
そしてレミリアは、
「まぁこれで動けなくなるだろ。あとは、……無理に頑張ってくれ。じゃあな」
そう笑顔を浮かべて言う伝蔵を見て彼女は、薄れ行く意識のなか、ただただ「お前、空気読めよ」と思っていた。
だがそれと同時にレミリアは、今までよりも、自分の肩が軽くなった気がした。彼女はそんな彼の行為が、可笑しいと思い、今この場で笑えたのだ。ーー不思議なことに。
◇
鍵がかかった檻の中にいる少女。
その鍵は、少女自身が持っていた。
ではなぜ少女は檻から出ようとしないのか。それは少女自身が、鍵を持っていることを忘れているからに他ならない。
だから鍵を開けるのは、至極簡単な話なのだ。
ーー少女に声をかけるだけ。
そうすれば、その声に少女が反応して、その拍子に鍵が音をたてて地面に落ちていくだろう。
そしてようやく、少女は気づくことが出来るのだ。
自分のセカイに、まだ救いがあることに。