「ーーああ、ようやく終わりを迎えるわ」
八雲 紫はそう、一人静かに言葉を紡ぐ。妖艶な笑みを浮かべ、自らの口元を扇子で隠しながら。これから始まる出来事が、楽しみでしょうがないと傍目からでも分かる声色で、
「ようやく、後に紅霧異変と言われるであろう、この異変がーー」
◇
大人ってのは大変だ。
自分が子供の時は微塵もそうは思わなかったが、やがて自分も子供から大人になった時、その責任の大きさを実感した。
子供は自分の行動を縛られない。それはもし何かに挑戦し、失敗しても、咎められることがないからだ。「次からは気をつけろよ」この一言で大体のことは許される。失敗は子供にとって悪いことではないからだ。その失敗を糧とし、子供は成長していくことが出来るから。
でも、大人は違う。
大人ってのは自分の行動を制限される。もし失敗したら、もし間違っていたらの場合を考えて常に行動する。ハイリスク、ハイリターンの道は極力選ばない。失敗してしまうのが怖いから、失ってしまうのが恐いから。
だが、そんな大人でもいつかはその縛りから脱け出し、闘わなくてはいけない時がくる。それは自分が、自分自身が「そこだけは譲れない」という意志を、誇りを護る時だ。
子供は多くのモノを守ろうとしてしまう。それが例え自分には抱えきれない数だったとしても、それがまだ自分には理解出来ていないから。
大人はそこが理解出来ている。だから、多くは守ろうとは思わない。自分が一番大切にしているモノ、自分がいつでも抱えていなくてはいけないモノを護るのだ。まぁ、それすらも、この世の中じゃあ難しいものだけれど。
でも、良いじゃないか。大切なたった一つのモノを護り通そうとするのは、すごく格好いいだろ?
たとえ護れなかったとしても、その生き方が素晴らしいんだと俺は思うんだ。そして、そんな姿を子供に見せていくのも、大人の仕事の一部だと俺は思っている。やり遂げなくてはいけないことだ。
うん。だからね?
「……あれ?この道、さっきも通ったような……」
未だに姉ちゃん吸血鬼を見つけることが出来なくて、スタートラインにすら立ててない俺は、最っ高に格好悪い大人だよ!!
◇
「あんたがこの異変の首謀者で間違いないわね?」
「ええ、まぁそうね」
幻想郷の巫女、博麗 霊夢と吸血鬼のレミリア・スカーレットは赤の絨毯が敷かれた大広間で対峙していた。場には一つの雑音も響きはしない。あるのは静寂のみ。それが、これから行われる出来事の重要性を感じさせた。
どちらの表情にも笑みはない。ただ、両者から感じられるのは「目の前の敵を討つ」という強い意思だけだった。
「人間って聞いてたから大したこと無いと思っていたけど……貴女、中々ね」
「そう?私はアンタの姿がもっと恐ろしいもんだと思っていたから、なんか、がっかりだわ」
何が面白かったのか、レミリアはそう言う霊夢の姿を見て、クスッと少しだけ笑う。その笑みから霊夢は何を感じたのか、彼女は目の前の吸血鬼に対してより一層強い警戒を始めた。それは幻想郷の博麗の巫女としての直感からか。それとも、霊夢自身にそうせざるをえなくさせたレミリアの在り方からだったのかもしれない。
「ーーああ、それにしても、今日はこんなにも月が紅いから」
レミリアは目を閉じそう囁く。その言葉は重いモノに感じられるが、どこか一種の美しささえ感じられた。
ーーようやく動きだす。この異変の終結に向かって、歯車は動き続ける。だが、終わりとは始まりだ。何かが完結したのなら、また違う別の何かが開始されていくのは必然だろう。では、この異変が終わってしまったのなら、次は何が始まると言うのだろうか。それは博麗 霊夢にも、レミリア・スカーレットにも、八雲 紫にもわからない。次に歯車がどの方向に回りだすのか、知ることはできない。
ーーその先にあるのは正か負か、光と闇か、絶望と希望か、見えないモノには目を向けることはできないだろう。それはきっと、確率論から導かれる運命からではなく、結果という掴めない未来によって理解しえるモノだからだ。
レミリアは自らの両目を開く。その瞳で目の前の人間を見つめる、いや、睨みつけるという表現の方が適切かもしれない。その吸血鬼からの巫女に向ける視線には、明らかな敵意、殺意を感じることが出来たからだ。そして、レミリアは鋭い声で霊夢に言う。
「ーーー本気で殺すわよ」
◇
「……そういうことか」
ようやく、気づいた。
だって、これは明らかにおかしい。同じ場所をぐるぐると回っていることも変だとは思っていたが、今現在の俺の状況は、決定的だ。
「…そういうことだったのかよ、ちくしょう!!!」
もし俺の考え通りだったとしたら、状況は最悪と言っていいだろう。まんまと敵の術中に嵌まってしまったというわけだ。くそっ、どうする?まさかこの短時間の間に俺の位置を捕捉し、こんな作用を起こすことが出来るなんて。相手は相当のやり手に違いない。でなくては、俺が『違和感なく館の外に歩かされることなんてない』。ちっ、なんで気づかなかった。こんなことが出来る奴なんて、身近にいたじゃないか。なぜ、敵に「そいつら」がいないと仮定していた?もし、いると思っていたら、対策だってたてられたのかもしれないのに。
……後悔は止めだ。今そんなことをしたって、現状が変わってくれるわけじゃない。打開策を考えろ。奴らの作った迷路から脱け出すための。俺の目的は奴らを倒す事じゃない。もっと小さな、だけど当事者には大きく見える、そんな問題を解決するためなんだ。
急げ。時間は待ってくれない。
紅の館の全貌を外から眺める。俺にはその館が、自分に見える姿よりも遥かに大きく感じた。
きっと、ここからなんだ。
本当の意味でこの館に挑むのは、今からなんだ。俺は気を引き締める。
よし、最初にやることは決まった。先ずは奴らが作った迷路の攻略からだ。でなくては、ここから脱け出すことは出来ない。そう、「奴ら」ーーー
「ーー待ってろよ、『魔法使い』…!」
「いや、きっと違いますって」
……へ?
「いや、何が違うんですか?美鈴さん」
「…さっきの伝蔵さんの話を聞いて思ったんですが。……きっと原因はパチュリー様ーー魔法使いではないと思われますよ?」
美鈴さんはなぜか苦笑いをしてそう言った。
ちなみに美鈴さんと言うのは、俺が先程館の外に出てしまった際にバッタリと出くわした妖怪のことである。緑色の華人服と長い紅の髪が印象的な女性だ。口調も穏やかで話しやすい。どうやら「この館に住んでいるのは偉そうな奴ばっか」という俺の自論は完全に間違っていたのだろう。反省します。
「少し、言いにくいんですけど……」
美鈴さんは申し訳なさそうに言葉を濁す。
「何ですか?遠慮なく言ってくれて構いませんよ?僕は何を言われても驚きませんから(笑)」
「そうですか…それでは言わせてもらいます!」
何か自分でフラグを建ててしまった気がするが、気のせいだろう。だって魔法使い意外にこの現状を説明できることなんてないだろうしね。もしかして「魔法使い」じゃなくて「魔術師」とかそういう言い方の問題かな?別に俺には厳密な違いとかわからないんだけど。やっぱり微妙に違うんだろうね。知らんけど。
「たぶんですけどね……」
美鈴さんは俺の方を見て言葉を紡ぐ。その目からは、何故か俺のことを哀れんでいることがはっきりと認識できた。そしてーー
「きっと、伝蔵さんはーーー方向音痴なんです」
そう、言った。
…ごめん。ちょっとお兄さん、言ってることがわからない。今の俺の心中を上手く言葉に表すとしたら「君、面白いこと言うね~!(爆笑)」である。だって、俺が、方向音痴?ハハッ。そんな、そんなのは、嘘に決まってる。確かに、今まで生きてきて道に迷った回数と迷わなかった回数では前者が圧倒的に多いが、でも、そんなのって、……そんなことが、許されるのか?許されてしまっていいのか?(それが普通です)
「……はっはっは。大した推理だ。君は小説家にでもなった方が良い」
「伝蔵さん!?しっかりしてください!目が虚ろになってますよ!?」
……まだだ。まだ、諦めてはいけない。方向音痴なんて称号がつけられるなんて嫌でござる!超嫌でござる!!これから俺が一人でどこかに行こうとするときに「大丈夫?一人で行ける?」なんてこと言われたくないでござる!この年でそれを言われてしまったら末代までの恥になるでござる!
「フッ、確かに美鈴君、君の推理は筋が通っているよ。でもね、証拠がない。この僕が方向音痴だと言える決定的な証拠が!」
「なんかさっきからキャラがぶれまくってますよ!?伝蔵さん!?」
今はキャラなんかに構ってられない。自分の全力を尽くすのだ。
……考えてみてほしい。俺はこの館に来るのは初めてなんだ。だから道がよくわかっていなくて同じ所をぐるぐる回ってしまうのもしょうがないし。故に迷子『扱い』されてしまっても当然だと言えるのだ。
……『扱い』だよ?俺は迷子じゃないからね。絶対、完全に、必然的に違うから。第一、どこからどこまでが迷子と言えるのだろう?
相手に指摘されたら?道を合計百回以上間違えてしまったら?一人で目的地に到達することが出来なかったら?
いいや、違うね。迷子というのは、方向音痴というのは、そんなもので決まるのではない。そんなもので、決めてはいけない。
迷子とは、方向音痴とは、自分で『認めた』時。その時にようやく、名乗ることが出来るのだ。自分で理解し、受けとめる。そんな覚悟が無い俺は、そうだと認めることは、出来ない。
…絶対に!
そんな紙のようにペラッペラな理論で身を固めている俺に対して、美鈴さんは暖かい眼差しを向ける。その目からは「大丈夫です。私はわかってますから」という同情の気持ちを多分に感じた。そして俺もそんな彼女に笑みを返す。
へっ、なんだ。この館の住人は礼儀正しいだけじゃなく、空気を読んでくれる暖かい心でさえ持っているんだな……ああ、本当、助かるよ。こんなちっぽけな俺じゃあ、その称号からの重圧に耐え続けることは出来ない。そこを察してあの眼差しを向けてくれたんだ。…フッ、人と言う字は人と人とが支え合って出来ていることの証明だな。まぁ、俺と美鈴さん妖怪なんだけども。
「ーー伝蔵さん!」
すると突然、美鈴さんは俺の両方の肩に自らの手をおき、元気に俺の名前を呼んだ。
ん?何ですか?いきなり。なんか流れ変わった気がするのですが。
そんな俺の考えなど挟む余地無く、美鈴さんは言葉を続けた。天真爛漫な笑みを顔に浮かべ、元気いっぱいに声を張り上げて、
「現実を見てください♪」
…………ハッハッハ。
「ちっくせう!!!こんな館の住人なんて大っ嫌いでござるぅぅ!!!!」
そう言い美鈴さんに背を向け走り去る俺。
きっと俺は逃げているのだろう、あの明らかに悪気のない笑みを浮かべている美鈴さんから。そしてなにより、方向音痴だと認めてしまいそうな自分自身から。
ーーそして俺はまた、吸血鬼探しを始める。
どこにいるのか、どんな姿なのか知らない相手を探し続ける。それは無駄なことなのかもしれない。これは決して、俺自身が触れるべき問題ではないのかもしれない。余計なお節介だと、糾弾される確率の方が高いだろう。
でも、今の少女達の状況は天気に例えるとしたら、空全部が雲に覆われ光が射し込まず、雨が降り続いてる、そんな状況だろう。そして、その雨は中々止まないんだ。強くも弱くもない雨の日が、長い間続いているんだ。
だったらその雨がどんな方法であれ、止まってくれたのなら嬉しいはずだ。少なくとも、悪くは思わないはずだ。
ーーだって、長い間雨が降り続けていた空は、晴れるといつもより透き通って見えるのだから。
◇
ーーそして、霧雨 魔理沙は動き出す。
強く床を蹴り、落ちる自身の黒い三角帽子に気をとめることなく。自らの右手に藁の束を握りしめ、長い紅の廊下を走り抜ける。
ーーーただただ、友(箒)のために。
次回の更新は一週間ほど後になってしまうと思います。これからが本番だと思っているので、頑張ります。