風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結) 作:曇天紫苑
夜。私はまだ眠っていなくて、ただ静かに天井のシミを数えていた。
いや、シミなんか無いのだけれど、有るという事にして数えるフリをしていた。
時間はまだ八時で、寝るにはまだ早過ぎる。割と夜更かし気味な私は、風邪であってもそう易々とは眠れなかった。他に何もする事が無いから、ただ静かにしている事しか出来ないのだ。
「……」
天井へ手を伸ばして、何度か開き、閉じてみる。その中に有る何かを捕まえて、閉じこめる様に。
もう咳は出てこない。気絶する程の頭痛も殆ど消えていて、後は眼球の奥が僅かに痛むだけだ。それであれば、何の問題も無い。
熱もかなり引いた様だ。やはり、通常の人間よりも遙かに治癒が早い。無意識下で私を動かす魔法の力が、治癒を早めているのだろう。これなら明日には完璧な状態で学校へ行ける。
折角私が弱っていたのに、美樹さやかはそれを好機だとは思わなかったらしい。全く、勿体無い事だ。そう思うと、少し笑いが漏れてしまう。
「まったく、平和ボケでもしているのかしらね、彼女は。私なら容赦しない所だけど、やっぱり甘いのね」
美樹さやかは今頃寝込んでいるだろう。杏子辺りが看病しているに違いない。
元々感染していたのだろうから、私の風邪を貰った訳ではない。が、まあ、元気になれば良いと思う。今日は色々とお世話になったし、少しくらいは心配しても良い筈だ。
別に彼女が倒れても構わないけれど、その時はお見舞いに行ってあげた方が良いだろうか。一応、あれでまどかのクラスメイトで、友達だ。
昔は彼女が死んだってまどかが無事ならそれで良かったけど、昔と今では目的意識が違う。
「……何をあげれば良いのかしら」
まどかの好みだって把握してないのに、美樹さやかの好みなんか知らない。
どうせ彼女の家にも置いてあると思われるので、自宅に有るお粥や薬を持っていっても仕方無いだろう。何を渡せば喜ばれるのか。
よく分からないので、適当に何か持っていけば良いと思う。というか、私が行かなくても良いのではないか。杏子とまどかに任せておいた方が、悪い事にはならない筈だ。
「ま、いいわ……明日、まどかに聞けば良いでしょう」
私に向かって色々と散々に言ってくれた美樹さやかに対して、何かくれてやるのも悪くない。
ちょっとした親切と意表返しの気持ちで、私は気分を楽しませた。
それから、もう一度虚空で何かを掴んで、両手でそれを捕まえて、胸の前で自分の心と一緒に抱き止めた。そのまま目を瞑ると、世界の全てが見えてくる気がした。
まどかは今、何をしているのだろう。
実は、私には見えている。彼女はお父様とタツヤ君の三人でご飯を食べていた。どうやら、お母様はまだ帰宅していない様だ。
それでも家庭はちゃんとしていて、明るい。お母様が帰れば、もっと明るくなるだろう。
でも、不思議とまどかやお父様は、帰りを待っている様子ではない。今日は帰りが遅いのだろうか。
まどかのお母様。私と昨日、じっくり話をしてくれた人。あの人はまどかの憧れで、とてもカッコいい人だと聞いた。そして私も、あの人が大好きだ。
「そう、気づいているのは、貴女だけじゃないのよ、美樹……さやか」
その最も大きな例が、まどかのお母様だった。
円環の理が生まれた世界ですら、自分の娘を微かにでも覚えていた、あの親愛の深い人。あの人は、夢という形でまどかの居ない世界を捉えていた。
そして、私の事を覚えていた。あの川辺でまどかについて話した事や、リボンの事を。
だから、私に、言ってくれた。私に……
「『ありがとう、まどかを、連れ戻してくれて』……か」
言葉にしてみると、気分がとても良くなった。
現金な物だと、思う。私のやった事を、誰かに認められたい訳じゃない。それでも、あんなに立派な人に、まどかのお母様に、私を知って貰えた。喜んで貰えた。
誰かに、自分を認めて貰える。自分の想いを知って、応援して貰える。それがどんなに嬉しい事なのか、私はすっかり忘れていた。
「ああ……良いもの、ね」
まどかのお母様は、私の話を信じてくれた。諸々様々な魔法を使って証明もして見せたが、その課程が有ったとしても、あんな突拍子も無い話をよく聞いて、理解してくれた。
幾ら記憶を持っていたとはいえ、そう簡単に信じられる物ではないだろうに。
「ありがとうございます。お陰で……まだまだ、頑張れそうですよ」
まどかのお母様に向かって、大きな決意を伝える。
あの人が私を認めてくれるという事が、どれほど助けになれるのか。すこぶる良い気分で、素直に話して良かったと思えた。
気持ちが良くなったからか、気分も改善する。これなら、今から眠るのも悪くない。
お布団を被り、目を瞑ってみた。まどかが今も傍に居てくれる様な錯覚が有って、よく眠れそうな気がする。
少しだけうとうとと、そんな風に眠気を覚えていると、チャイムが鳴った。
こんな時間に誰が来たのか。佐倉杏子か、まさか、まどかか。まどかなら、注意しないといけない。いや、まどかという事はあり得ない。彼女は自宅に居る。
佐倉杏子は、多分美樹さやかの看病をしているから、違うだろう。なら、誰だ。接点の少ない巴マミは有り得ないし、他の誰という可能性も無い。
何にしても、折角眠くなっていた所なのに。そう思いつつ、上体を起こす。私の正体を知る何者かによる襲撃という線も考えて、即座に反応出来る姿勢を作っておいた。
玄関口まで歩いていくのは、それほど辛く無い。足早に向かって、すぐに扉の前へ到着する。
警戒を隠しつつも、チェーンロックを締めたままで、軽く扉を開けた。
「よう、ほむらちゃん」
がちゃり、と。驚いて、思わず閉めてしまった。
そういえば、まどかが来た時もこんな反応をした様な気がする。
ある意味、私の正体を知る何者か、だった。何故、どうして。こんな所に来るなんて、一体誰から話を聞きつけたのか。そもそも、私の所に何か来る必要が有るのだろうか。沢山の困惑が現れてきた。
だが、早く扉を開けないと失礼だ。慌ててチェーンロックを開けて、また開く。
そこには、まどかのお母様こと鹿目詢子さんが居る。
「ビックリさせちゃったかな?」
「ま、まどかのお母様!?」
「長いからお母さんでも良いぞ? いや、君には君のお母さんが居るか」
まどかのお母様が笑っている。レディーススーツに身を包み、革製の鞄を手に持った姿は、はっきりと会社帰りである事を表現していた。
本当に、どうして来たのだろう。
私の困惑が伝わってきたのか、まどかのお母様がふふ、と笑った。
「いや、風邪になったって聞いたからさ、会社帰りのお見舞いに。まどかに家の場所を聞いてね」
「まどか、連絡していたんですね」
「ああ、早退したって、お昼頃にね」
「……申し訳有りません。まどかを早退させる様な事になってしまって」
「ああ、いいよいいよ。あいつだって病院に行かなきゃいけなかったんだ」
気にせず手を振ってくれて、私の心は確実に軽くなった。こういった気楽そうな仕草が、平穏と大人を感じさせてくれる。
「あがっても?」
「どうぞ、勿論です」
拒絶などする筈が無い。そんな思いで、私はそっとまどかのお母様を招き入れた。
まどかのお母様は私の家の中へ躊躇せず入って、まどかと同じ様に周囲を少しだけ眺めた。まどかとの違いは、その仕草がとても自然で、私を気遣わせない様にという対応が感じられた所だ。
「良い家だね」
「貴女の家の足下にも及びませんよ」
「いや、そんな事は無いさ。とっても綺麗にしてあるし、清潔感が有って居心地も悪くない。良い香りがするしね。住んでいる人の性格がよく分かる、良い家だよ」
まどかのお母様は優しい表情をしてから、ふと気づいた様に取って付けた様な事を言う。
「……って、こういうのはまどかが言った方が嬉しいかもしれないけど」
「いえ。とても嬉しいです。でも、わざわざ来ていただかなくても、私は平気です。会社帰りなら、家で休んだ方が」
「いいのさ。ほむらちゃんのお見舞いなんだから、遠慮するなよ」
まどかのお母様は付け加えた。
「平気って言うけど。それでも、やっぱり誰かが一緒に居た方が嬉しいだろ?」
「でも、まどかが……」
「タツヤは知久が見てるし、まどかはもう中学生だからね、そういう心配は要らない。君だって、本当は分かってる筈だよ」
私の背を軽く押して、まどかのお母様は頭をそっと撫でてくれた。いや、熱を計ってくれている様で、とても心地良い手つきだ。
抵抗する気は起きない。むしろこのままされるがままにしていたいけど、やっぱり、折角来てくれたまどかのお母様に対して、何かお礼をしなければ、という気持ちが勝る。
とりあえず、お茶でも出せば良いのだろうか。この人の好きな物は知らないから、どうすれば良いのかを迷ってしまう。
そんな中、私は少し思いだした。まどかは、まだ起きているけど、お母様の帰りを待っている様子は無い。
「……ああ、だからまどかはお母様の帰りが遅いと思っていなかったんですね」
「ん? ああ、見えるんだったか」
「はい、見ようと思えば何時でも……気持ち悪いですよね」
「そうでもないさ。少なくともほむらちゃんならね」
自分の娘を何処からでも見張る事の出来る存在。そんな気持ち悪い物に対して、この人は優しく好意を持って接してくれている。
久しく感じていなかった何かを刺激される様な気がして、私は顔が緩むのを抑え込んだ。
「どうぞ」
「ああ、うん。お邪魔します」
急に私の声音が冷たくなったのを察知したのか、まどかのお母様は戸惑い気味に私の後へ続いてくれる。
部屋も殺風景だから、きっと呆れられただろう。まどかの可愛らしいお部屋と比べて、私の部屋には生活感すら見られないから。
でも、まどかのお母様は何も言わないまま、私がベッドの上に座る所を眺めていた。
「それにしても、風邪か。魔法で直せるんじゃないのか?」
「出来ます。けど、私の力はまどかを救う為だけに有りますから」
「そっか。でも無理はしちゃいけないぞ。長続きさせたいなら、無理せずペースを考えなきゃな」
「心に留めておきます」
まどかの維持に生涯を賭けて力を尽くすつもりの私にとって、そのアドバイスはしっかりと胸に届いた。
「でもさ、君みたいに特殊な力を持っているなら、風邪なんてそんなに辛い物じゃないと思うんだ。やっぱり、気持ちの方では、気づかない内に何かしら抱えちまってたんじゃないか?」
「そう、かもしれませんね」
強がっても仕方が無い。確かに私は風邪になって、今も心に色濃く残る、自分の弱味を見つめ直す事が出来ていた。
事実として私はまどかが傍に居てくれると嬉しいし、居なければ悲しいのだ。彼女が居れば風邪なんかまるで塵の様に飛んでいってしまうし、居なければ巨石として私の心の上にのし掛かってくる。
心が弱まったお陰で、自分を客観的に眺める事が出来る様になった。だから、今までの自分がそれなりにストレスを溜めていたのだ、というまどかのお母様の指摘も、胸の中に自然な形として入る。
「幾ら私がそういう存在だからと言って、やっぱり単なる女子中学生だというのは曲げられないみたいです。まだまだ未熟で、弱味が抜け切りません」
「そっか。だよな、私の半分以下の歳なんだから、それくらいで当然だよ。気にする事じゃない。それにほら、弱さを無くしたら、その方がもっと辛いよ」
まどかのお母様は、何やら安心している風だった。
私が人間らしい弱点を持つのが、そんなにも安堵出来る事実だったのだろうか。
この人は私よりずっと大人だから、よく分からない。
「ああ、まどかがお世話になったみたいだね、あいつ結構積極的に行くタイプだから、もしかすると、迷惑になったかもしれないけど……」
「とんでもない。とても助かりました」
「なら、良い」まどかのお母様はにこやかに笑う。「やっぱり、友達同士で助け合えるのが一番だしな」
「まあ、寝てなよ」とまどかのお母様は私の両肩をそっと掴んで寝かせて、その上に布団をかけてくれた。まどかも、同じ様な手つきで私に布団をかけてくれた事が有る。
デジャヴを覚えつつも、私は大人しくした。相手が明らかに自分より上の立場に居る相手、しかもまどかの母親だと思うと、弱い所を見られるのが恥ずかしいとか、そういう気持ちは余り浮かばない。
「それで、ご飯は?」
「お粥を。知人が買ってきてくれたレトルト食品ですが」
「お粥だけ? 知久から聞いたけど、昨日もお粥だったんだろ?」
「はい。ただ、まどかのお父様が作ってくれたお粥の方が美味しかったです」
「はは、本人にほむらちゃんが喜んでたって言っておくよ」
朗らかに笑うまどかのお母様。その姿を捉えつつも、私は深々と息を吐いて布団を肩まで被った。少し暑いが、それくらいが丁度良い。
まどかのお母様は、少し前までまどかの居た場所へと座って、私の額に手を当てた。多分、まだそれなりに熱いだろう。
「んー。もう結構良くなってるみたいだけど、安静にしてなきゃ駄目だな」
「はい。明日には学校へ行ける様にしたいですから」
「ほむらちゃんは真面目だな」
「いえ、まどかに会いたいからです」
はっきりと告げると、まどかのお母様は一瞬だけきょとんとした顔になって、それからすぐに小さな声で笑い出す。
「そんなにまで言われるまどかが羨ましいよ。君は良い子だしね」
「いえ、そんな……」
「そういう風に自分を悪い物だ、なんて思ってる辺り、まだまだ子供だよ、君は。まあ、そんな子に自分の娘を背負わせてる私は、最低の大人なのかもしれないな」
それこそ、そんな事は無い、だ。私が勝手にやった事で、まどかのお母様が気に病む必要はまるで無い。
そう言おうと思ったのだが、その前にまどかのお母様は私の頬へ手をやって、撫でてくれる。ずっと感じていなかった、母親という物を与えられている気がした。
「な、私には確かに不思議な力なんか無いし、そういう意味じゃほむらちゃんの役にも、まどかの役にも立てない。けどさ、君らは女の子で、私は女だ。話を聞いて、相談に乗って、何かしら言ってやる事は出来る」
優しい言葉を聞きながら、私はそういえば、まどかも同じ様に言ってくれた事が有ったのではないかと思い返す。
まどかのお母様は静かに立ち上がり、私の布団の端を掴んで持ち上げる。そのまま、出来た空間へ自分の身体を滑り込ませた。
「ほむらちゃんもまどかも、まだ中学生じゃないか。そんな心に、そんな重い物を乗せて欲しくない。まあ、親が嫌になる年頃かもしれないけどさ……それでも、ね?」
「っ」
「泣きたいなら、泣いて良いんだ。此処には、君が泣いたって、責める奴なんか居ないんだから、さ……」
包容力と年上の余裕を感じさせる言葉。それに聞き入っている内に、抱き締められてしまった。
だが、嫌な気は全くしない。それどころか、懐かしく幸せな気分を覚えた。
そういえば、私はずっと両親に会っていない。当然だ、あの一ヶ月を繰り返していた私に、会える筈が無い。
甘えても絶対に大丈夫だと思える相手が居るなんて、何時ぶりだろう。
「ほむらちゃんの心が少しでも軽くなりますように、なんてな」
冗談めかしつつも、まどかのお母様は私を抱いたまま、背中をそっと、労る様に撫で回してくれる。
こういう所が、まどかを思い起こさせる。この腕の感触も、優しい手つきも、そうやって私を受け止めてくれる所も。その全てが、鹿目詢子という女性こそ、鹿目まどかの母親なのだと知らせてくれた。
「親子揃って……底抜けに優しいん、ですね」
「優しいんじゃないさ。ほむらちゃんが倒れたら、まどかが居なくなっちまうからね」
「それをわざわざ言ってくれるのが、優しいんです……」
そうだ。こうやって自分を隠さずに接してくれる相手が居る事は、私にとって酷く嬉しく、幸せで、気持ちを楽にしてくれる。
それがまどかのお母様だなんて、私には許されない程の贅沢で、自分自身の弱さを受け入れてくれる人物がこの人で本当に良かったと思えた。
まどかのお母様は私と目を合わせた。目の奥に、驚くほど嬉しそうな顔をした私の姿が見える。
「実際、少なくとも。私はもう、まどかの居ない世界で生きていたくない。まどかが犠牲にならなくて良いのなら……あの子が笑っていられるのなら、私は、他の全てが泣く事になったって……構わないと思ってるよ」
「……母親って、凄いんですね」
「ふふ、ほむらちゃんの歳じゃ、そういう気持ちは間違ってるって、悪い物だって、そう感じるのかもしれないな。分かるよ、私も昔はそういうのはいけない事だって思ってた。けどね……それが、母親って物なんだ。誰かを……自分の子供達を愛するって事なんだ」
詢子さんは、少し悲しげに話していた。
「自分の命よりも大切なまどかと、タツヤ。二人が幸せに生きてくれるなら、他の何もかもが壊れちまっても、それで良いって思えるんだよ」
まどかのお母様は真面目な顔をして、強い声音で告げてくる。
他の全てを犠牲にしても、自分の子供達を大切に思う気持ち。それは私が持っていない、恐らくは一生抱けないであろう、母の愛という物だった。
その母の愛が、私の行為を肯定して、認めて、賞賛してくれる。やっぱり、改めてそう言われると、涙が出そうになるくらい嬉しい。
「私はさ、まどかが遠い所へ消えて誰かを救うのが良い事なんだって言う奴が居たら、そんなのは違うって言い返してやる。きっと、何時までだってそう言い張ってやれる。それは、私があいつの親だからで、君が、あいつの友達だからだ」
何処かから引っ張りだした様な事を言って、まどかのお母様は私に向かってウインクをする。
「な? 実の親だってこうなんだ。ほら、ほむらちゃんも胸を張りなよ。君がやった事は、少なくとも鹿目詢子を幸せにしたんだから」
そう言って、まどかのお母様は私を強く抱いてくれた。
こんなに密着したら、風邪を移してしまう。そう危惧していた私だが、既に対策は済ませてある。
それよりも、私はまどかのお母様が口にした言葉の強さに感心していた。私の愛情とは違う形で、私の愛情よりも深みが有る物を見せて貰った。
「それが、母の愛、ですか」
「まあね。ほむらちゃんのは?」
「これは、友愛、ですね」
「はは、恋愛だったらどうしようとか思っちまったよ」
まどかのお母様は悪戯っぽい顔をしていた。つい先日私に向かって「まどかに恋してるのか?」と聞いた事は、この人の中では無かった事になっている様だ。
「まどかの事、これからもよろしく頼むよ、ほむらちゃん」
「……はい」
私は小さく頷いていた。
こんなに素直に言葉を聞ける相手は、久しぶりだった。
その私の返事を聞くと、まどかのお母様は満足げに頷いて、両手を私の頬へ置く。今気づいたが、スーツで布団に入ったら皺が酷くなってしまうのではないだろうか。
本人は気にした素振りも無く、ただ楽しそうに私の頬に指を沈み込ませた。
「ほほう、これが噂のやわらかほっぺか……うん、まどかが自慢するだけは有るね」
「ひゃへてくだはい」
「ふふ、ごめんごめん」
軽く謝りつつ、私の頬から手を離す。
軽いスキンシップだった様だ。そんな風に気軽な対応をして貰えるくらいの関係になれたと思うと、何やら胸の内が暖かくなる。
「風邪が治ったら、また遊びに来なよ……いや。そうだ、ほむらちゃんさ。いっそ家に泊まりに来なよ。歓迎するよ?」
「ええ、機会が有れば」
「ん、その時になったら連絡してね。確か連絡先は教えたよね?」
「はい。ご連絡させていただきます」
まどかの家でお泊まり。とても楽しみだ、そういう付き合いをするのは何時ぶりだろうか。
自然に涙が出そうな気がしたので、目を細めておく。私の姿に何を見たのか、まどかのお母様は思いついた様子で手を叩いた。
「よし、今度泊まりでまどかと私とほむらちゃんの三人で寝ようか」
「タツヤ君は、どうするんですか」
「タツヤは知久と。流石に男親と添い寝はきついだろ」
「私は、別に」
「知久が嫌がるって。でもタツヤは喜ぶかもな、ほむらちゃんの髪に興味を持ったりして」
面白がっているのか、まどかのお母様は明るい顔をする。
「だけど、その日のほむらちゃんはまどかと私のほむらちゃんだよ。タツヤには悪いけど、譲ってやる気は無いね」
愉快そうに話していると、まどかのお母様は一つ思い出した事が有ったのか、「ああ」という声を出す。
「そうそう。あのリボン。ほむらちゃんが持ってたけど、元々はまどかの、だろ?」
「……気づいたんですね」
「色々と話を聞いてたらね、何となく分かったんだ。私の好みに直球のリボンだったし……いや、あの時貰わなくて本当に良かったよ。娘のを使うなんて、恥ずかし過ぎるよな」
「きっと、今でもお似合いです」
「はは、良いって、そういうお世辞はさ」
「私は、本当に似合うと思ってます」
まどかのお母様が謙遜するのを見て、私は少し不満に思った。こんなにカッコいい人だ。私などよりはよっぽどあのリボンが似合う筈。
とはいえ、一番似合うのがまどかである事は疑うべくも無いのだが。
「ともかく何時でも大歓迎だ。何なら、ウチに住んでくれたって良いぞ」
「ご迷惑でなければ、また遊びに行きます」
「迷惑だなんて、そんな事言うなよ。私にとって、ほむらちゃんは、まどかを運んで来てくれた幸福の青い鳥なんだからさ」
まどかのお母様が不意に口にした言葉。その意味がよく分からず、私は戸惑ってしまった。
「? えっと……それは」
「あ……伝わらないのか、これ。地味にカルチャーショックだな」
何やらショックを受けているみたいだった。青い鳥、青い鳥、聞いた様な記憶は有るけど、内容はまるで思い出せない。
小さい頃に読んだ、何かだった気がする。本当に昔の事で、まどかと出会う前だったから、どうでも良い記憶として処理してしまったらしい。
やはり、私は骨の髄までまどかに浸かってしまっているのだろう。それを喜ぶべきなのかを迷いつつも、私は話を続ける。
「じゃあ、今度。まどかに頼んでみます」
「私から言っても良いんだよ?」
「いいえ、そういう訳にも行きませんから」
そんな事でまで、まどかのお母様の手を煩わせる気は無かった。
早く風邪を治して、美樹さやかのお見舞いに行って、風邪の流行が終わったら、まどかにお泊まりを頼み込もう。
そう決心すると楽しくなってきて、早々と風邪を消し飛ばしてやりたくなった。
「おお、ほむらちゃん良い顔してるよ」
「……そうですか?」
「ああ、楽しみ! って感じだった」
顔に出ていた様だ。恥ずかしくなって、思わず目を逸らしてしまう。
そんな反応がまた面白かったのか、まどかのお母様が愉快そうにした。
「それにしても、楽しみだなぁ。まどかとほむらちゃんが成人したら、三人でお酒が飲みたくってさ。きっと楽しくなるよ」
「ふふっ、私も、まどかのお母様とお酒が飲めるのを楽しみにしています」
お酒なんて飲んだ事は無いけれど、この人やまどかと生まれて初めてのお酒が飲めるなら、それはどんなに幸せだろう。
この幸せな家庭を守れるのであれば、私は、誰の敵になる事も厭わない。自分の、全存在を賭けられる。
改めて決意を確認していると、まどかのお母様は私に顔を近づけた。
「ああ、まどかのお母様じゃなくて、詢子さんか、お母さん……は駄目か、うん、詢子さん、って呼んで欲しいな」
「分かりました……詢子さん」
人の母親を名前で呼ぶのを気恥ずかしく思いつつ、私ははっきりとその名を口にした。
「ほむらちゃん」
「詢子さん」
お互いに相手の名前を呼ぶと、おかしくなって二人で一緒に笑いだしてしまう。
「さあて、今日はずっと一緒に居てやろうかな」
「明日、お仕事じゃ……」
「大丈夫。そろそろ、って時間になったら帰るよ」
「夜中の女性の一人歩きは……感心しません」
「はは、だろうね。だからずっと一緒に居るさ」
詢子さんは帰る気が無いらしい。
しかし、私はそれを許容する気が無い。引っ張ってでも家に帰って、明日をちゃんと気分良く迎えて貰わないと。
「……分かりました。それなら詢子さんを気絶させて家まで背負っていきます」
「い、いやぁ。それはちょっと。娘ぐらいの子に酔っぱらいの世話でもさせる様な事は……」
「ごめんなさい」
謝ってから、軽く手拍子を打つ。
即座に魔法を使って、詢子さんを眠らせた。危害は一切加えず、痛みも無い。完璧に安全な方法で意識を飛ばす。ベッドに寝ていてくれたので、詢子さんはそのまま目を瞑っていた。
早く帰って貰おう。詢子さんが優しくしてくれたお陰で体調も完全な状態に至っているから、大人の女性一人背負うくらい何の事も無い。
背丈の違いで運ぶのが大変だけど、特に苦では無い。まどかを彷彿とさせる香りが鼻孔をくすぐり、気分を良くしてくれた。
「さて……まどかの家まで、行きましょうか」
詢子さんを避ける形で、背中から翼を出現させる。このまま飛んで、まどかのお家へ直行だ。
その羽の色は、どう見ても真っ黒。
だけど、時折。翼が、青く輝いている気がした。
まどかマギカLOVE 悪魔ほむらキュゥベエ版を読みました。
……あれ? これ、悪魔ほむら単体の話で、キュゥベエ関係無い?
やっぱりファーストテイクの話が乗っていましたが、ロールシャッハめいた意思の中に不完全さや少女らしさを持つ事が暁美ほむらの素晴らしい所であり、彼女を彼女とする部分。やっぱりセカンドテイクで正解だったと思います。……でも、人気が云々とかは書いて欲しくなかったなぁ。いやまあ、理由がどうあれ結果的には暁美ほむらというパーソナルを完全に完成させる事が出来た訳ではありますが。
まあ、よく考えると「円環の理」の対として悪魔が存在するなら、彼女もまた表向きは全く平気そうな顔をしているべきなのかもしれない、とも思います。少なくとも鹿目まどかは、その選択をした事を後悔はしていなかったし、胸を張れていましたからね。ただ、周りの人や家族がそれを受け入れるかどうかは別問題で、だからこそ暁美ほむらも本人自身は自分の行動に胸を張っているべきなのかもしれません。やっぱり、周囲の人がどう感じ、どう行動するかは別問題ですが。
さて、作品の話ですが。目下、悪魔ほむらの最大の理解者となれる人は、間違いなく鹿目詢子さんだと思います。
大人であり母親である彼女は、「他人の死に際を良くする為に自分の娘がこの世から消える」なんて許さないでしょうし、「それを否定して自分の娘を連れ戻した少女」に対しては理解と感謝を示すでしょう。というか、そうじゃなかったら親じゃないと思います。
魔法少女でも無い大人の女性である彼女にとっては、世の中にはまどかが嫌がる様な『そういう事』がありふれているのをちゃんと解っている筈ですし、別に円環の理が有っても無くても世界が滅んだりするわけでもない。まして聖人でも救世主でも無い、普通に生まれたただの女の子である自分の娘が、ごく限られた誰かの為に死ぬより酷い選択をするなんて、普通に自分の子供を愛している親なら、許さないでしょう。勿論、自己犠牲を出来る娘の勇気と優しさ、尊さは自慢に思うでしょうが、それでも自分の命を大事にして欲しかった、そう思うのが親ではないでしょうか。
例えば、誰かを助ける為に死んだ、トラックに轢かれそうになっていた人を助けて……とかなら。二度と帰って来ないなら自分の子供の強さを悲しみながらも誇りに思って生きていけるかもしれません。が、一度消えてしまった子供が帰って来るとしたら? そんな方法が有るとしたら、実際に帰ってきたとしたら。どうでしょうか。もう一度誰かを庇ってトラックに轢かれても良い、なんて言う親は、親でしょうか。
少なくとも、鹿目家の人達は、それしか方法が無いと解れば、他人を犠牲にする事を許容してでも自分の子供を大切にするタイプでしょう。勿論、自分の子供の決意をある程度は尊重できる人達だとは思いますけどね。テレビ版11話でも、そういう側面が出ていましたし。だからといって命や存在を犠牲にする選択肢を許すかって言われると、そんなのは違うと思います。
そして、大人の女性でありまどかの母である彼女からの応援は、暁美ほむらにとって最高の助けになると思います。中学生の彼女達には見えない所から世の中を見ていて、それでいて自分を褒めて、認めてくれる。それが人の意思決定をどれだけ助けるかは言うまでも有りません。
さて、この次は「勘違いした二人が勘違いデートするだけ」になります。色々な意味で、気持ちが盛り上がってます。疑似百合でいちゃいちゃします。