風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結)   作:曇天紫苑

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貴女が何の心配もなく生きられる様に、私はただその為だけに存在する

 何処かから、意識が浮かび上がってくる。

 身体が起きたがっていた。両目がゆっくりと開いて、覚めた眠気が心地良さを感じさせる。柔らかいシーツの感触が、ベッドの寝心地をサポートしてくれていた。

 天井と、黒い髪が見える。まだまだ眠かったけど、何となく寝る気にはなれなかった。

 

「ふぁ……」

 

 上体を起こして、小さくあくびをした。濡れタオルがお布団に落ちて、慌てて拾う。

 時計を確認してみると、二時間くらい経っていた。結構寝てたみたいだ。頭はまだ少し痛むけど、さっきよりはずっと良い。喉が結構痛いのだけは、変わっていないけれど。

 どんな夢を見たかな。起きてみて、すぐに思ったのがそれだった。何か黒い物が飛び回っている様な、羽らしき物の存在を感じる様な。でも、そんなに怖い夢でも無かった気がする。

 あの黒いのは何だったんだろう。よく分からない、けど、決してわたしにとって悪い物では無いかな、と思える。

 

「んぅー……」

 

 腕を伸ばしてみると、思わず声が出た。リフレッシュした感じで、風邪の辛さは大分良くなってる。間接の痛みだって、かなり薄れていた。

 そういえば、誰かの手……ほむらちゃんの手だ。それが、わたしの手を握っている。寝ている間、ずっと手を繋いでいたくれたらしい。

 その手から先へ視線を移してみると、ほむらちゃんはベッドに顔を伏せて、小さく身体を上下させていた。

 

「……ほむらちゃん、寝てるの?」

 

 ほむらちゃんは、わたしの服を着ている。濡れた服のままじゃ良くないから、着替えてくれたのは良い判断だと思った。

 耳を傾けてみると、寝息が聞こえる。何時もとは違って、とっても可愛らしく、また凄く綺麗だ。寝顔も女の子らしくて、起きている時とはまた違う人がそこに居る。

 濡れタオルが、まだ冷たい。きっと、温かくなる毎に交換してくれたんだ。

 疲れて寝ちゃったんだろう。自分も雨に降られて服も酷く濡れていたのに、ほむらちゃんは構わずわたしを世話してくれたんだから。

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

「ぅ……まどか……」

 

 頭を撫でてみると、寝言で、わたしの名前を呼んでくれた。それが何より仲良くなれた証の様な気がして、思わず笑みが漏れる。

 そうしていると、わたしの部屋のドアがノックされた。誰だろう、そんな風に思っていると、声が聞こえてくる。

 

「入っても良いかい、まどか?」

「うん、良いよパパ」

 

 パパだった。

 わたしが返事をすると、パパは静かにドアを開けた。両手で小さなお盆を持って、湯気を漂わせた鍋を運んでいる。

 パパはわたしの後にほむらちゃんの姿を見て、静かに微笑んだ。

 

「ほむらちゃん、寝ちゃってるんだね」

「うん……パパ、帰ってたんだ」

「ああ、うん」

 

 パパは鍋をこちらへと持ってきてくれて、ほむらちゃんへシーツをかけた。

 よく見てみると、肩が少し濡れている。やっぱり雨で帰ってくるのが遅れちゃったんだろう。この調子だと、ママの帰りも遅くなりそうだと思える。

 何時も穏やかなパパだけど、今日は一段と柔らかい雰囲気を漂わせていた。その視線はどうしてか、ほむらちゃんへ向いている。

 

「パパ、ほむらちゃんがどうかしたの?」

「ん? そうだね……暁美さん、さっきまでずっと起きて、まどかを心配そうに見ていたんだ」

 

 そう言うと、パパは何だか嬉しそうにほむらちゃんを見た。

 アメリカから帰ってきた時、わたしが新しい学校に慣れるのかな、って心配してくれたから、きっと、ほむらちゃんみたいな人が居てくれるのが嬉しいんだと思う。

 

「ついさっきだけど、僕が帰った時、すぐに暁美さんがまどかの部屋から出てきてね。まどかが風邪を引いたみたいだから、薬や食べ物をお願いします、って」

「ほむらちゃんが……」

「身体も濡れたままだったから、まどかの服を着て貰ったけど、着替えも此処でしていたみたいだよ。それまでは、ずっと濡れた服を着たまま、ずっとまどかの手を握っていたんだ、って」

 

 思わず、手の温かさを確認してしまう。二時間中、殆どずっと握っていてくれたんだ。わたしを深々と心配してくれた事に、感謝の気持ちが浮かび上がる。

 

「良い友達だね」

「うん」

 

 まったく、凄く良い友達だと思えた。ほむらちゃんの看病は丁寧な上に心配する気持ちが強くて、しかも、恥ずかしい事でも逆らい難くさせてしまう。

 迫られたり、命令口調で言われたりするのは少し怖いけど、それがわたしを心配したからやってるんだって、すぐに分かる。だから、むしろ嬉しいくらいだった。

 

「じゃあ、まどか。お粥を作ったから、後で食べるんだよ」

「はぁい」

 

 お盆を机の上に置くと、パパはもう一度振り返って、ほむらちゃんとわたしを見比べる。

 何がおかしかったのか、そこで小さな笑い声を漏らすと、パパは部屋から立ち去った。タツヤの事もあるし、わたしの事はほむらちゃんに任せるつもりらしい。

 手を振って背中を見送る。パパは扉を丁寧に閉めていった。

 

「……んっ」

 

 扉が開く小さな音で、ほむらちゃんが顔を少しだけ上げた。不思議な事に、眼鏡を掛け直す様な手つきで指を動かしている。

 目が合った。ちょっとだけ『とろん』とした雰囲気が、何時ものほむらちゃんとは全然違う。目尻は下がっていて、大人しくて控えめな感じだった。

 

「ふぁ……おはようございます、鹿目さん」

「え、え? あ、おはよう。よく眠れた?」

「はい、鹿目さんが居てくれたから、とっても良い気持ちで……あっ」

 

 寝ぼけていたのか、ほむらちゃんの目に少しずつ何時もの冷たい感じが戻ってくる。でも、何だかとっても恥ずかしそうだった。

 まるで、誤魔化す為に表情を変えている様だ。そう考えると、ほむらちゃんの中の可愛らしい性格が見えた気がした。

 

「……鹿目まどか」

「あ、まどかで良いよ」

 

 ほむらちゃんはわたしの返事を聞くと、暫くの間目を合わせないまま、口を閉じていた。

 わたしの事をじっと見つめたまま、余裕の有りそうな怖い微笑みを表していたけど、やっぱり取り繕おうとしている風にしか見えない。

 自然と、わたしの目はなま暖かい感じになっていたんだろう。ほむらちゃんは自分の額を軽く押さえて、右手で髪をかき上げる。

 

「お、起きたのね、まどか」

「ほむらちゃんも、起きたんだね。パパから聞いたよ、ずっと此処に居てくれたんだって」

「それくらい、病人に対する物としては当然でしょう」

 

 ほむらちゃん自身は、まるで気にもしていない。

 目の下の隈をみていると、まだ少し眠そうな印象を受ける。ううん、それよりも少し寒そうに見えた。服を取り替えたからって、雨に降られた時の気分は抜けてないだろうから。

 わたしの事に手一杯で、自分なんか全然気遣ってないんだ。とりあえず、何か暖かい物が必要だと思った。

 

「ほむらちゃん、お布団使って?」

「いえ……遠慮しておくわ」

 

 わたしの使っているお布団を渡そうと思ったけど、ほむらちゃんは首を横へ振った。

 それから、机の上で湯気を立てている物に気づいて、「ああ」と小さな声を口にする。

 

「お粥ね。お父様が作ってくれたの?」

「うん」

「なら、早く食べなさい。そろそろ夕食の時間よ」

 

 そう言うと、ほむらちゃんは机の上に有るトレイを持って、こちらへ運んできてくれた。見た感じ、卵粥みたいだった。美味しそうだ。

 でも、風邪だし、寝起きだから食欲はあんまり無い。喉もまだ痛かったから、今は何かを食べたい気分じゃなかった。

 

「まどか、食べないの?」

「ん……それは、その」

 

 ほむらちゃんに責められている気がして、思わず目を逸らしてしまう。

 そこで、ほむらちゃんはトレイを床へ置いて、熱そうな鍋を素手で掴んだ。そんな事をしたら火傷しちゃう。そう思ったけど、平気そうだ。

 ほむらちゃんはスプーンでお粥を掬って、一滴も落とさない様に気をつけながら、私の目の前へ運んでくる。

 

「さ、口を開けて」

 

 そのまま、スプーンは私の口先に触れる前で止まる。無理矢理突っ込まれる様な感じじゃないけど、熱は此処からも強く伝わってきた。

 熱そうだけど、それ以上に、ほむらちゃんがわたしに食べさせようとしている事の方が気になる。

 

「そ、そこまでして貰わなくても。それに、今ちょっと喉が痛くて、あんまり食べたくないかも……」

「それなら……じっとしてなさい」

 

 ほむらちゃんがスプーンを戻して、両手で私の喉に触れた。首を押されている感じがしたけど、苦しくは無い、むしろ気持ち良い。

 すると、不思議な事に痛みが引いて、大分楽になった。これなら物を食べてもあんまり痛く無さそうだ、安心して食べられる。

 

「少しは楽になったかしら?」

「え……うん、これって、どうやったの?」

「手品よ、手品」

 

 気にするな、と言わんばかりにほむらちゃんは私の首から手を離し、また鍋を掴んだ。見た感じ、一人分だからそんなに量は入ってない。

 ほむらちゃんは小皿を使わなかった。片手で軽々と鍋を持ち、空いている手にはまたスプーンを持つ。

 

「そろそろ冷めたでしょう。これで大丈夫よ。さあ、口を開けて」

「あの、やっぱり自分で……」

「口を開けなさい」

「で、でも」

「開けなさい」

 

 命令口調で言われると、恥ずかしいとは言えなくなった。

 大人しく口を開けないと、口を開けさせられそうだ。それはもっと恥ずかしいから、従った方が良いんだと思う。

 

「ふ、ぁ……」

 

 口を開けて、お粥を待つ。風邪はまだまだ治ってないから、息はまだ少し荒くて、熱い。

 

「良い子ね」

 

 また褒められちゃった。こうしてちょっとした事で褒めて貰えると、自分が犬か何かになった気がする。ほむらちゃんに褒められただけで、尻尾を振って。

 でも、ほむらちゃんはわたしの複雑な気持ちを察する事は無くて、そのまま開いた口の中にスプーンを入れてくる。

 

「あーぁっ……ん」

 

 ちょっと熱い。けど、丁度良いくらいだった。これなら十分に食べられる。

 作った人の愛情が感じられる、食べやすい味付けだった。

 

「あ、美味しい」

「そうね、まどかのお父様はお料理が巧いから」ほむらちゃんは微笑んだ。「だから、食欲が無くても食べられるでしょう?」

「ほむらちゃんが食べさせてくれたから、もっと美味しい気がするよ」

「……そう?」

 

 分かり難いけど、ほむらちゃんは照れている様だった。この数時間の付き合いで、すっかり表情の中に隠されている物が見える様になってきた気がする。

 短い間の関係なのに、まるで昔から知っていたみたいに、ほむらちゃんの事が理解できた。不思議だけど、こういう不思議さは嫌じゃない。

 お粥はまだまだ有る。食欲はあまり無いけれど、少しくらいなら。

 

「あのね。だ、だから。もう一口貰えると、嬉しいな」

 

 口を開けて、舌を少しだけ出して待ってみる。もっと期待しているのが分かる様に、両手の人差し指で口元を広げた。

 人に食べさせて貰うなんて、何時ぶりだろう。作ってくれた人と、食べさせてくれた人、両方の気持ちが伝わってきて、とっても美味しい。もっと食べたくなってしまう。

 そんなわたしの顔をじっと見つめて、ほむらちゃんは戸惑う様に首を傾げた。けど、わたしの要求を聞いてくれたのか、笑いながらスプーンを握る。

 

「……まるで、餌を待つ小鳥さんの様ね」

 

 小鳥さん、だなんて。案外可愛い呼び方をするんだな、と思った。

 

「ふぁは……ほふらひゃん、たべはへてー」

「ええ、どうぞ、まどか」

「んーっ……」

 

 スプーンがまた口へ入ってきたので、舌で上手に受け入れる。

 怖くも冷たくも無い素のほむらちゃんが見え隠れすると、何だか良い気分になった。さっきの寝ぼけた時の顔なんて、ビックリするくらい可愛らしかった。

 でもきっと、それを言ったらほむらちゃんは逃げようとするんだろうなぁ。そう思うと、何だかおかしかった。

 

+---

 

 

 お粥を全部食べさせて貰って、少し時間が経った。具体的には三十分くらい。

 頭がぽやぽやする。ご飯を食べて眠くなっちゃうなんて、小さい子みたいで恥ずかしい。しかも、部屋の中にはほむらちゃんが居るんだから、そんな自分の幼い部分を見られていると思うと、恥ずかしさは三倍だった。

 今、ほむらちゃんはわたしの勉強机に向かっていて、何かをしている。

 

「ほむらちゃん?」

「何かしら」

「……ん、何だか眠くって……」

「なら、寝ていなさい。静かにしていれば、風邪なんかすぐに治るわ」

 

 机に向かったまま、ほむらちゃんは何かを書いている様だった。

 何をしてるのかな。好奇心にかられて、腰を浮かせる。立ち上がってみると、頭と足が微かに痛んだ。けど、無視できる程度の物だ。気にせずに歩く。

 後ろへ立つと、ほむらちゃんがペンを止めたのが見えた。

 

「あ、あれ? ほむらちゃん、何やってるの?」

「……貴女の宿題。風邪で提出出来なかったら困るだろうと思って」

 

 見てみると、確かにそれは今日出された宿題だった。数学のプリントだ。苦手な科目だから、渡された時に疲れた感じがしたのを覚えてる。

 でも、そのプリントに書かれた問題は、殆ど解かれていた。丸みを帯びた文字で、式も添えられていた。

 名前欄には『鹿目まどか』と入っている。ほむらちゃんの宿題じゃない。本当に、わたしのを代わりにやってるんだ。

 

「い、いいよ。そんな事しなくて」

「勝手にやってるだけだから」

「そ、それは。まあ、助かるけど、そういうの良くないと思うよ」

「だから、気にしないでと言ってるのよ。まどかは何も悪くない、貴女が気づかない内に、私が勝手にやってしまったんだから。全部私が悪いと思って、まどかは気楽に寝ていれば良いの」

 

 止めようとすると、睨まれてしまった。

 う、と。一歩下がってしまう。有無を言わさない空気で、口出しを封じ込められてしまって、怖い。

 そこで、わたしを怖がらせてしまったと思ったのか、ほむらちゃんは表情を緩めた。

 

「心配しないで、筆跡もまどかに似せているし、文字の打ち方や書き方も貴女そっくりになってるから、万が一にも私がやったと思われる事は無いわ」

「そ、そういう問題じゃないと、思うんだけど……」

 

 何より、何でもかんでもほむらちゃんにやらせるなんて、悪い。

 そう思っていたんだけど、ほむらちゃんはわたしの言葉が気に入らなかったのか、眉を寄せて静かにペンを置いた。

 怒らせちゃったのかな。

 何か怖い『お仕置き』をされるのかと思って、怖くなる。けど、ほむらちゃんはわたしへ笑いかけて、プリントを見せてくれた。

 

「宿題が終わったわ」

「……え、も、もう?」

「終わったわ。これくらいなら、頑張って勉強すればすぐよ」

「そう、なんだ」

 

 確か、まだ三十分も経ってない。それなのに、もう終わったみたいだ。プリントの解答欄は全部埋まっていて、その横には式も丁寧に書かれている。

 本当に早い。驚いている内に、ほむらちゃんは目を伏せて、悲しそうに頭を下げていた。

 

「どうやら、怖がらせてしまった様ね。ごめんなさい、貴女の気持ちも考えないで、勝手な事をしてしまったわ」

「い、いいよいいよっ! それくらい、気にしないで? それに、わたしの方こそごめんね。好意でやってくれたのに、止めたりして。その、宿題をやってくれたのは、助かるよ」

「……そう言って貰えると、ここまでした意味が有ったという物ね」

 

 良かった、全然怒ってない。それどころか、悲しい思いをしていたみたいだ。ほむらちゃんの表情が読み切れていなかった事を反省する。

 プリントをもう一度見てみた。ほむらちゃんの事だから、答えも間違ってないんだろうなぁと思う。良くない事だって分かっているけど、助かったのは確かだった。

 

「えっと、ありがとう。これで明日の宿題は完璧だね」

「間違ってるかもしれないわ」

「ううん。ほむらちゃんを信じるよ」

 

 実際、わたしがやるより正解は多いだろうし。心配はしない。

 プリントは鞄へ戻しておく。明日学校へ行くのかは別として、苦手な教科の宿題をやらなくて良いのは、肩の荷が下りた様な気がした。

 

「さ、まどか。早くベッドに戻りなさい」

「あ、うん」

 

 ほむらちゃんに押される形でベッドに戻り、お布団を被る。

 ほむらちゃんはまたわたしの手を握って、横へ座っている。寄り添う様に傍へ居てくれる、それが風邪の時はありがたい。

 

「ふぅ。ああ、やっぱりまだちょっとフラフラするかも……何かね、頭が熱い感じなんだ」

「熱が上がってるのかもしれないわ。もう一度計ってみなさい」

「ん、そうする」

 

 体温計を受け取って、脇に差しておく。

 時間はもう夜の七時半、空は暗くなっている。そういえば、わたしはお粥を食べたけど、ほむらちゃんは何も食べてない。

 

「ほむらちゃん、晩ご飯は?」

「好きでやっているんだもの、気にしないで」

「い、いや。何か食べようよ」

「そんな事はどうでも良いの。それより顔が赤いわ、喋らず静かにしていなさい」

 

 ほむらちゃんは何も食べないつもりらしい。それは駄目だ、何か食べないと、身体がおかしくなっちゃう。

 何とか説得しないと、そう思った所で、ドアがノックされた。たぶん、パパだ。

 

「まどか、暁美さんはそこに居るかい?」

「うん」

 

 パパはドアを開けず、ほむらちゃんが居る事を確認する。そして心配そうな声となって、ほむらちゃんへ話しかけた。

 

「暁美さん、ご飯を持ってこようか?」

「いえ、お構いなく。まどかが心配ですから」

「でも、お腹が空くだろうし、まどかの側から離れたくないなら……」

「大丈夫です、ご心配には及びません」

 

 やっぱり、パパもほむらちゃんが何も食べてない事に気づいたんだ。

 だけど、ほむらちゃんは頑なに遠慮していて、譲る気配が無い。どうしてそんなに、食べたがらないのか。不思議に思っていると、ほむらちゃんが静かに答えを口にする。

 

「お粥しか食べていないまどかの横で、私だけ美味しい物を食べるのは、気が引けます」

「そんなの、気にしなくても」

 

 むしろ、気にされる方がこっちとしても居心地が悪いんだけどなぁ。口には出さなくても、そう思う。

 ドアの向こうのパパも、同じ様な事を思っただろう。けど、そこは流石大人って言うべきなのか、声の中の感情は、家族にしか分からない程度の物に抑えられていた。

 

「そっか……じゃあ、まどかと同じお粥を作るよ。それなら平気じゃないかな?」

「……いえ、そこまで気遣って頂かなくても」

「はは、暁美さんを放って置いたら、僕が後でまどかに怒られるよ。どうしてご飯も食べさせなかったの、って。だよね、まどか?」

「ええっ!?」

「あれ、違うかな?」

 

 パパの口調は悪戯っぽい感じだ。

 何を言っているのかが、伝わってきた。

 

「あ、ああー……うん、そうだね。ほむらちゃんがご飯を食べてくれなかったら、わたし、反抗期になってパパを困らせちゃいそう」

「……それは困るわ。まどか、そこまで言うなら、お粥くらいは胃に入れておくわね」

 

 予想した通り、ほむらちゃんは頑なさを解いて、パパの居る方向へ頭を下げた。

 

「すいません、お願いします」

「ああ、任せて……というか、もう作ってきたんだ、実は」

 

 ドアの先から出てくると、パパはその両手にお皿を持ってきていた。今度のトレイの上には、鍋が一つに小皿が二つだ。二人で食べられる様になっている。

 最初から準備していたなんて。凄い。

 

「パパ、わ、分かってたの?」

「うん、暁美さんはそういう感じの子かと思ってね」

「ありがとうございます」

「いやいや、まどかを看病してくれたんだから、これくらいはしないとね」

 

 パパはまたトレイを机の上に置くと、わたしの元へ来てくれる。

 

「で、体温はどうだった?」

「あ、えっと……37.9℃。下がってるよ」

「そっか……良かった。上がって無いみたいだし、大丈夫そうだね」

「うん、平気」

 

 わたしの身体に問題が無さそうなのを確認すると、パパはほむらちゃんに笑いかけた。やっぱり、凄く嬉しそうだ。こういう友達がわたしに出来たのを、誰よりも喜んでくれてる。

 

「さっきより濃い感じに味付けしたんだ。暁美さんも美味しく食べられると思うから、どうぞ」

「助かります」

 

 ほむらちゃんはまた丁寧に頭を下げた。強い尊敬というか、そういう物を感じさせる動きだった。

 あんまり態度が良かったからか、パパは戸惑いがちな様子になっている。けど、「暁美さんは凄い子なんだね」と言うだけで、それ以上は言わない。

 

「じゃあ、まどか。ちゃんと休まないと駄目だよ」

「はーい」

 

 わたしが手を振ると、パパは手を振り返して部屋から出た。

 机に置かれたトレイの湯気が、食欲をそそる。けど、これはほむらちゃんの分で、わたしのじゃない。それに、一つやってあげたい事がある。

 

「ごめんね、ほむらちゃん。お粥を持ってきてくれる?」

「構わないわ」

 

 わたしが頼むと、ほむらちゃんはすぐにお粥を運んできてくれる。

 スプーンやお皿も二つずつで、量は一人分と半分くらいだった。二人なら普通に食べ切れそうな感じだ。

 そのお粥をスプーンで掬い、フーフーと吹いて冷ます。それから、スプーンをほむらちゃんの唇の直前まで近づけてみた。

 

「はい、ほむらちゃん口開けてー」

「え?」

「さっきのお返しだよ。さ、口を開けて?」

 

 ぐいぐい押し込んで、スプーンを唇へ着ける。金属越しでも伝わってくるくらい、柔らかで綺麗な色をした唇だった。

 

 

「わ、私は、いいわ。食べ足りないでしょう、まどかが食べれば……」

「た・べ・て?」

 

 さっきのお返しだから、ちゃんと食べさせてあげないと。

 

「……分かったわ。食べれば良いのね」

 

 わたしの目に不退転の決意を見て取ったのか、ほむらちゃんは諦めて、その口を開ける。ほんの少しずつしかご飯が入らないくらい、小さくて狭い口をしていた。

 かわいいなぁ、きれいだなぁ。そうやってわたしが心の中で感想を言っている間に、ほむらちゃんはもう少しだけ口を開けて、わたしの行動を待つ。

 早く食べさせてあげないと。何だか楽しいと思いつつ、ほむらちゃんのお口へご飯を入れる。

 

「ん、ふっ……あっ」

 

 一瞬だけ熱そうにしたけど、ほむらちゃんはすぐに口を閉じて、スプーンの上のお粥を丁寧に食べている。

 そっとスプーンを引き抜いてみると、僅かに唾が糸を引きそうになって、ほむらちゃんは慌てて口を拭った。

 

「美味しいわ」

 

 表情を変えない、あっさりとした感想だった。でも、そんな言い方は嫌いじゃない。

 

「そっか、良かったぁ。でも良いの? パパに頼んで、もっと美味しいものを持ってきて貰っても」

「まどかが食べるなら、わたしも一緒に食べるわ」

 

 きっぱりと言い切って、ほむらちゃんはトレイの上からスプーンを持ち出し、お粥を掬い上げた。

 今度はわたしが食べる番みたいだ。吹いて冷ましているほむらちゃんの顔を眺めつつ、また少し口を開いて待ってみる。

 期待で心がドキドキする。食べさせ合うなんて、本当に親友同士みたいだ。

 

「さあ、入れるわよ」

 

 ほむらちゃんが食べさせてくれる。

 

「んー……ん、美味しいね、やっぱり」

「熱くはなかったかしら」

「適度な感じで良かったよ。舌が痛くなっちゃうのは嫌だもんね」

 

 熱くなかったし、良い感じに美味しかった。パパが凄いのか、ほむらちゃんが丁度良い熱さに調節しながら食べさせてくれるのが凄いのか、どちらかは分からないけど、どっちも凄いんだから、どちらにしたって構わない。

 

「じゃあ、次はわたしだねー。はい、ほむらちゃん口開けて」

「……」

 

 ほむらちゃんは、黙って口を開けてくれる。

 もしかして、ほむらちゃんも楽しんでくれてるのかな。この素直な反応を見ていると、自分だけ楽しんでいる様な寂しさが薄れていた。

 

「はい、あー……ん」

「んぅっ!?」

「あっ、ご、ごめんね。喉まで入っちゃった!?」

 

 ほむらちゃんが苦しそうな声を出した。

 慌ててスプーンを抜いてみると、お粥はちゃんと食べられている。ほむらちゃんは軽く咳き込みながらも、「大丈夫」と言って手を振っている。

 

「ちょっと熱くて、驚いただけよ」

「そ、そっか。良かった、怪我は無い?」

「無いわ」

 

 本当に大丈夫そうだった。ほむらちゃんはそのままスプーンを握る。心なしか、手つきが鋭い。

 

「じゃあ、鹿目まどか。貴女も」

「え、あ、あの。熱いのは嫌かな、っていうか」

「良いから」

「う……や、優しくしてね」

 

 こじ開けられる様な気分で、大人しく口を開けた。

 きっと仕返しをされてしまう。喉の奥まで入れられちゃうのは、苦しいかも。

 ちょっとした不安を余所に、ほむらちゃんはあっさりと食べさせてくれた。

 

「あ、あれ? 普通?」

「何が?」

 

 わたしの呟きの意味が分からなかったらしく、ほむらちゃんはきょとんとした顔をする。珍しい表情を見れたと喜びつつも、何だか申し訳無い気分になった。

 ほむらちゃんがわたしに怖い事をするなんて、あり得ないのに、少しだけ警戒してしまった。今まで散々甲斐甲斐しく世話を焼いて貰ったのに。

 

「いや。その、ごめんね」

「どうして謝っているのかが分からないわね」

 

 ほむらちゃんはやっぱりよく分かってない。

 

「まあ良いわ、食べさせて」

「良いの? さっきみたいに熱かったりしたら……」

「問題無いわ」

 

 さっきの事が最初から無かったみたいに、もうわたしへ身体を任せてくれた。

 なら、続けよう。わたしはまたスプーンを握る力を強める。今度は、失敗しない様に注意を払おう。そう決意しながら。

 


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