風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結) 作:曇天紫苑
勢いよく、出来るだけ元気良く、わたしは玄関の扉を開けた。
ほむらちゃんが入り易い様に、玄関口のスペースを確保するのも忘れない。
「たっだいまー!」
「おっ、帰って来たな。お帰り、まどか。ほむらちゃんも一緒か?」
真っ先に顔を出したのは、ママだ。タツヤと遊んでいたみたいで、心なしか、普段よりテンションが高くて、はしゃいでる様な気がする。
ママの言葉に応える様に、ほむらちゃんは玄関の扉を閉めながら、わたしの横へ並んだ。
「お邪魔します」
「おぅっ、あ、別に良いんだよ、自分の家だと思ってさ、『ただいま』って言ったって」
「そういう訳には……あの、嫌ではないです。むしろ嬉しいくらいで。でも、此処は、まどかの家ですから」
やっぱり、二人は仲が良いのか、ママが気楽に手を振っている。
この間から、ママはほむらちゃんに会うと楽しそうな顔をしていた。ううん、ほむらちゃんの話をする時も、凄く嬉しそうにしてるんだ。
「はは、相変わらずだね。いやこの間会ったばっかりだけど」
「私は変わりませんから。でも、今日は招待してくれて、本当にありがとうございます」
ほむらちゃんが深く頭を下げた。
友達同士なのに、雰囲気はまるで、その、結婚前にお嫁さんの実家に行く旦那さんみたいな。そういうのに近い気がした。
でも、ちょっと違うのは、ママはほむらちゃんの事をとっても気に入ってるし、ほむらちゃんとママの間には、穏やかな空気が漂ってる事だ。
「ほらほら、私にお礼を言ってもしょうがないって。何なら、まどかに言ってあげな」
「そうですね、そうします」
二人の話を内心で緊張しながら見守っていると、ほむらちゃんが私の方へ顔を向けた。
ママにするのとは違って少し浅かったけど、それでもほむらちゃんはしっかりと頭を下げる。
「改めて、私の頼みを聞いてくれてありがとう、まどか」
「あ、ううん。いいのっ。わたしもほむらちゃんとお泊まりしたかったし!」
その言葉を口にした時、蓋をしていた、目を背けていた葛藤が幾つも蘇ってきたけど、わたしはそれを極力気にしない事にする。
このままほむらちゃんと見つめ合っていたら、いずれ目を逸らして、ほむらちゃんを悲しませる。それが嫌で、わたしはママに話を振った。
「ママ、ほむらちゃんとすっかり仲良くなったんだね」
「お、嫉妬か? 心配するなって、ほむらちゃんはまどか一筋だからさ」
ママにまでそんな事を言われて、わたしは照れを隠そうと頬を掻いた。でもきっと、バレバレだ。
わたしの顔を見るママの目が、何だか楽しそうに輝いている。あんまり深く聞かれると、自分の中の迷いを口に出してしまいそう。
「そ、そうだ。ママ、風邪のほむらちゃんに背負われて家に帰ってきたよね。あの時の話、聞かせてくれる?」
「いや、それはその……はは、まあ、忘れような」
ママが目を逸らした。
あの日、ほむらちゃんが家に来たと思ったら、ママを背負ってたんだ。わたしはもうビックリして、ほむらちゃんが帰ったその後で、ママにちょっとだけ怒った。
ほむらちゃんの家にお見舞いに行ったのに、なんで看病する相手に背負われて帰ってくるの、とか、そういう感じの事を言ったと思う。
でも、ママがどうしてお酒も飲んでないのに寝て帰ってきたのかは、結局教えて貰えなかった。今だって、その話になると、ママは困った風に目を逸らす。
「ま、まあそれは良いとして。なあ知久! ほむらちゃんなら『ただいま』でも良いって、そう思うだろー?」
「ああ、そうだね。暁美さんは僕らの家族みたいな物さ」
キッチンから顔を出したパパが、ママの言葉に頷いていた。
パパまで、ほむらちゃんの事をよく知っている人みたいに扱ってる。わたしが風邪だった時に色々とお話をしたのかな。
「って、訳だよ。ほむらちゃんは家の子になってみないか?」
「ご迷惑をお掛けしてしまいますから」
「そうか? 確か、ほら。誰だっけ……さやかちゃんだ、あの子の家も、友達を居候させてたろ? 前例も有るんだし大丈夫さ。それに、ほむらちゃんなら大歓迎なんだけどなぁ、色々な意味で」
「色々な……ああ、そういう事ですか」
ほむらちゃんが納得した様子を見せた。
よく分からないけど、きっとママとほむらちゃんの秘密のお話なんだ。変に聞こうとはしちゃいけない。
「ほむらちゃん、わたしの家に住むの?」
「それは……そうね、確かに素敵な事だと思うわ」
ちょっと嬉しそうに答えると、ほむらちゃんは口元を緩めた。ただ、すぐに真顔になって、首を振る。
「でも、駄目よ。まだ落ち着いてもいないのに、居候を入れるのは早過ぎるわ、まどか……そう。つまり、早すぎると思います、詢子さん」
「ほむらちゃんさえ良ければ何時でも構わないのになぁ……残念、誘うのはまた今度にするか」
とても残念そうな様子で、ママは諦めていた。ほむらちゃんをすっかり気に入ってるみたいで、視線が凄く穏やかだ。
親からの同意も有るし、将来的には結婚を前提にお付き合い……なんて、変な考えが頭に浮かんで、慌てて振り払う。
「まどか、どうしたんだ?」
「ふぇっ。あ、ううん、何でもないよー」
変な感じになっていたから、ママに気づかれてしまった。何とか誤魔化そうとしてみたけど、ママは結構鋭いから、多分、隠せてない。
「まどか?」
「何でもないんだって、ほむらちゃん」
「そう、なら良いわ」
ほむらちゃんはわたしの横で、いつもより穏やかな顔をしていた。いつもの怖い笑顔じゃないのは、パパやママの前だからかもしれない。
怖い笑顔のほむらちゃんと、クールなほむらちゃんと、今の穏やかなほむらちゃん。どれもよく似合ってる。でも、強いて言うなら今のほむらちゃんが一番自然に感じる。
「……?」
「ママ?」
「ん、ああ……」
自然なほむらちゃんの微笑みを眺めていると、ママが不思議そうにわたし達の間を見つめてきた。
「……? まどか? 確かお前、ほむらちゃんから貰った服を着て行ったよな?」
ママはわたしの服を気にしているみたいだった。確かに、家から出る時に着ていた服と、今のは全然違う。
着ていた服は、鞄の中に入っている。
「あ、これ? ほむらちゃんが選んでくれた服だよ」
「ちなみに、私が着ているのは、まどかが選んでくれた服です」
わたしの言葉に付け足す形で、ほむらちゃんが自分の服を見せつける様に、その場でふわりと一回転をする。飾りのリボンが揺れて、とっても綺麗だった。
それを見たママは、わたしが着ている服と、ほむらちゃんが着ている服を見比べた。
もしかして、似合ってないのかな。と不安になったけど、次の瞬間には、ママはわたしの不安を笑い飛ばす様に、親指を立てる。
「ははっ、良いね。二人とも可愛い感じに仕上がってるよ」
「そ、そうかな」
「そうだって! ほむらちゃんの目は確かだな、うん」
ママはわたしの傍へ来ると、遠慮せずに体中を眺めた。
そこで、うんうんと頷いて満足そうな顔をすると、次はほむらちゃんの周囲を歩く。ほむらちゃんの背中や肩、足下なんかも眺めると、わたしに向かって笑って見せた。
「まどかも結構センスは有るね。いや、こんな派手なのを着ても似合うほむらちゃんも凄いな。触っても良いかな?」
「どうぞ」
「じゃ、遠慮無く」
興味が有ったのか、ママはほむらちゃんの背中のリボンをわしわしと撫でる。柔らかくて、とっても気持ち良い布だから、触っていて楽しいと思う。
ママはとっても楽しそうな笑顔になって、ほむらちゃんにウインクをした。
「良いね。やっぱほむらちゃんは美人だわ」
「詢子さんの方がずっと美人ですよ」
「いやいや、ほむらちゃんの方が凄いね。絶対」
わたしも、この服を見つけた時は、手触りの良さに驚いた。でも、それ以上にほむらちゃんならきっと似合うという予感が有って、それは正しかった。
ママに見られているのが恥ずかしいのか、ほむらちゃんは少し下を向いている。学校では怖い笑顔、私と一緒の時は澄まし顔のほむらちゃんだけど、こういう場面だと、分かりやすいくらい照れたりする。
困ってるならママを止めようかと思ったけど、ほむらちゃんは嫌がってる訳じゃないみたいだ。
「……じゃあ、まどかが一番美人で可愛いという結論で落ち着くのが良いと思います」
「そうだな。うん、そうするか」
知らない間に、ママが娘自慢をしていた。しかも、大切な友達の前で。
「ま、ママ。ほむらちゃんの前でそんな事言われたら、なんか凄く、恥ずかしいんだけど……」
「大丈夫よ、まどか。詢子さんが言うまでも無く、わたしは貴女がどれだけ素晴らしいかを分かっているわ」
「あ、あのね。そういう事じゃなくてね……」
やっぱりちょっとズレてる答えをするほむらちゃん。
それを見たママは楽しそうに笑って、ほむらちゃんの肩を何度か叩いた。
「やっぱ良いなぁほむらちゃんは。よし、今日はまどかの事で語り合うか?」
「良いですね」
あっと言う間に息の合った様子となって、話し出している。
ママとほむらちゃん、わたしより仲良いんじゃないかな、と少しだけ嫉妬を感じつつ、わたしは逃げる様に、こっそりとパパの元へ向かった。
二人の会話を聞いていると、頭が変になっちゃいそうだった。
「パパ、今日のご飯は?」
キッチンに居るパパへ話しかける。
ほむらちゃんが来るのはパパもママも知ってるから、いつもよりもっと美味しいご飯が出る。筈。
そんなパパは顔を出して、いつもより楽しそうな声音で答えてくれた。
「まどかの好きなクリームシチュー、暁美さんが来るって聞いてたから、沢山作ったよ」
「わぁ……パパ、ありがとう!」
「はは、どういたしまして。暁美さんの舌に合えば良いんだけど……」
パパは少しだけ心配そうに、ほむらちゃんの方を見る。
ママと話しながらも、ほむらちゃんはその視線に反応した。顔を上げて、首を横へ振っている。
「ご心配には及びません。まどかのお父様の料理は、何でも美味しく食べられますから」
「ああ、知ってるんだね?」
「……お粥が、美味しかったですから」
「そうか。なら、良かった。安心して食べて貰えるよ」
何かを納得して、安心したのか、パパは料理へ戻っていった。
パパとほむらちゃんの会話に、何か別な意味が有る気がする。でも、ほむらちゃんが凄く機嫌の良さそうな雰囲気だったから、変に聞いたりはしない。
それよりも、ほむらちゃんの前だし、ちょっと見栄を張りたくなってきた。パパ一人にご飯を作って貰っているのも、何だか格好悪い気がする。
「あ、パパ。何か手伝える事とか無いかな?」
「んー……そうだね、サラダの野菜を切ってくれるかな?」
「はーい!」
丁度良く出来る仕事が有った事に喜んで、わたしは冷蔵庫を開けて野菜を取り出した。包丁はまな板の前に入ってるから、そちらも出しておく。
まな板の上に野菜を置いて、わたしは腕を捲った。ほむらちゃんも食べるサラダだと思うと、やる気がとっても上がる。
「まどか、私も」
「ほむらちゃんは座ってて! 折角のお泊まりなんだもん、歓迎させて!」
立ち上がりそうになったほむらちゃんを止めて、わたしは野菜を切り始める。丁度良い大きさに、不格好な形にならない様に。
気づけば慎重に切っていた。ほむらちゃんが食べる物だと思うと、変な形の野菜になってしまったりするのが恥ずかしい。
まどかは野菜の切り方が綺麗ね、なんて言われたいな、と、ちょっと考えながら、ゆっくり切っていく。慎重に、丁寧に。
「まどか、怪我をしないように気をつけるのよ」
「だ、大丈夫だよ?」
「心配くらいさせなさい。指を切ってしまったりしたら、すぐに言うのよ」
いつの間にか、ほむらちゃんがわたしの横で心配そうにしていた。
わたしが野菜を切る度に、ハラハラとした様子で見守っている。
まな板と包丁がぶつかる音がする。
「……っ」
野菜が切れる音がする。
「っっ……」
一度切る毎に、ほむらちゃんはわたしの指を心配している。
「あ、あのね。ほむらちゃん、そこまで心配しなくても……」
「そうかもしれないけど、ちょっと……ね」
そこまで料理が苦手だと思われてるのかと、ちょっと不満に思う。一応、これでも手芸部だから、手先は割と器用な方だと思ってるのに。
ちょっとした反撃がしたくなった。
「ほむらちゃん」
「なに?」
「こうやってほむらちゃんの前で野菜を切ってると、ほむらちゃんと結婚した気分になっちゃうね」
「そ、そうかしら」
言ってから、ちょっとだけ後悔する。冗談じゃ済まない言葉だった気がした。
ほむらちゃんは衝撃を受けた様な顔をして、心なしかふらふらとママの元へ戻っていく。ちゃんと冗談だと言っておかないと。
「え、えっと。今のはちょっとした冗談だよ!」
「え、ええ。分かってるわ」
本当に? と思ったけど、怖いので聞かないでおく。
ほむらちゃんは椅子へ座って、一度顔を大きく覆った。きっと、表情を隠したいんだ。
「ほむらちゃん? 大丈夫か?」
「……はい。平気です」
ママに顔を見せた時には、ほむらちゃんは何時も通りの顔色に戻っていた。無理矢理作ってるのかもしれないけど、あの怖い笑顔が出ている。
大人の人、というかパパやママが相手だと、ほむらちゃんは穏やかで素直になっている気がした。どれがほむらちゃんの素なのか、時々分からなくなる。
そこで、考え事をしながら野菜を切っているのは、少し危ない事に気づく。
「わっ……と」
「まどかっ?」
わたしが声を上げると、ほむらちゃんが椅子から立った。
でも、わたしは怪我をしてない。
「あ、平気平気。ぼんやりしてただけだから」
手を振って怪我をしていない所を見せると、ほむらちゃんは安心した様に座り直す。
本当に心配性なんだから。心の中でちょっとだけ呆れながら、わたしはまた野菜へ意識を戻す。それなりに均等に切れていて、上手く行っている。
「ちょっと心配し過ぎだって」
「……そうですね、私も、自分自身をそう思います」
ほむらちゃんはママとの話を続けているみたいだった。よく見ると、座り方が行儀良くて丁寧だ。膝に両手を置いている姿が、いつもより子供らしく見える。
きっと、ママから見ればほむらちゃんは子供なんだ。わたしからは、ちょっと遠い様な、すぐ傍に居る様な、不思議な人だけど。
少し、ママが羨ましい。わたしよりも深く、ほむらちゃんを理解出来ている気がする。
「そうだ、タツヤも挨拶しないとな」
「うー……」
ママは、タツヤに話しかけた。
タツヤはもうほむらちゃんの顔をじっと見つめていて、何かを言いたがっているみたいだ。ママもそれを見て、タツヤの背中を撫でた。
「ほら、タツヤ。ほむらちゃんに挨拶しよう」
「あー……?」
「こんにちは、タツヤ君」
丁寧に、それでいて怖がらせない様に、優しげな笑顔で挨拶をするほむらちゃん。
相手が小さい子だから、わたしやクラスのみんなに話す時よりも、ずっと穏やかな顔をしていた。
タツヤは、やっぱりほむらちゃんの顔を見ている。
それを、暫く続けた時。何かを思い出した様に、タツヤはほむらちゃんの顔を指さした。
「ホムラ! ホムラ!」
「ええ、私はほむらよ。どうしたの?」
タツヤが大声をあげた。人の事を指さしちゃ駄目だよ、と思ったけど、ママは何か真剣な顔をしていて、タツヤには何も言わない。
きっと、重要な事なんだ。でもほむらちゃんは何も分かってないみたいで、ただタツヤの顔を、穏やかな表情で見つめている。
「ホムラ! ……マドカ!」
タツヤはほむらちゃんから、わたしの方へ指を向けた。
呼び方がおかしい。いつもは、ねーちゃ、なのに。
ほむらちゃんも異変に気づいて、あくまで小さい子に接する優しさを保ちながらも、疑問を浮かべていた。
「ええ、まどかね。でも、まどかかが、どうか」
「マドカ、いるね!」
「っ……!?」
タツヤのその言葉を聞いた途端、ほむらちゃんは一瞬、強い驚きで目を見開いて、深く息を呑んだ。
その時のほむらちゃんは、まるで別人みたいな表情をしていた。大きく開いた目は色々な感情が渦巻いていて、笑っているのか泣いているのかも分からない顔は、まるで、人間じゃない様に見えた。
そんな反応に驚く事も無く、タツヤは嬉しそうに腕を振った。
「いるの!」
「そう、ね」
じわり、じわり。少しずつ、ほむらちゃんの目から涙が溢れていく。
怪物みたいだった笑い顔と泣き顔がどんどん表情が人間らしくなっていって、弱さと強さが一体になった様な、そんな表情だ。
涙からはほむらちゃんの全てが溢れているみたいだった。初対面の時の怖さと不気味さも、看病をしてくれた時の厳しさと温かさも、看病した時の弱さも。みんな、全部が今の涙の中に有る様な気がした。
「ほむら!」
タツヤは、そんなほむらちゃんに向かって、戸惑いも無く話しかけた。
涙を浮かべて、赤くなった頬を隠しもせず、ほむらちゃんは顔を上げる。涙で濡れた瞳が、光りでキラリと反射した。
「な、っなあに。タツヤくん」
「ほむらはいーこ! まどか、かえってきた!」
タツヤは手を伸ばして、ほむらちゃんの頭をそっと撫でた。
自分より小さい子にする様な手つきで、嬉しそうな笑顔と一緒に撫で続ける。ほむらちゃんに失礼じゃないかと思ったけど、ママはやっぱり真剣な顔で二人の間を眺めていて、止めようとしない。
それに、撫でられているほむらちゃん自身の反応は、一番強烈だった。最初は少しずつ浮かんでいた涙が、どんどんと大きく、大量になっていって、最後には溢れ出す。
沢山泣きながら、ほむらちゃんは感極まった様にタツヤへ手を伸ばす。小さい子を抱き締める時の力加減が分からないみたいで、慎重にしているのが分かる。子供に慣れてないんだ。
「うん……そうだよ、まどかが、居るんだよ……っ」
「よあったね!」
「うん……うんっ……!」
抑えていた分の何もかもが爆発した様に、ほむらちゃんは大きく泣き出した。
静かに嗚咽を堪えているから、声をあげているわけじゃない。でも、それは確かに号泣だった。
「ほむらちゃんっ」
すぐに何かしなきゃいけない気がして、わたしは包丁をまな板の上に置いて、ほむらちゃんの元へ駆け出そうとした。
けど、その前にママがわたしの手を掴んで、止めた。ママは大きく首を振っていて、タツヤとほむらちゃんを優しい目で見つめている。
「そっとしてあげな、タツヤとほむらちゃんにしか分からないものってのが有るのさ、きっと」
そう言いながら、ママは何かを言葉の奥へ隠している。
横を見てみると、パパも、何か暖かな視線で二人を見ていた。この家の中で、今起きている事が何なのか分からないのは、わたしだけなんだ。
「ママには、分かるの?」
「さあね。私に分かるのは、お前もタツヤも、それにほむらちゃんも、凄く良い子だって事だけさ」
はぐらかす様な返事をして、ママは静かにほむらちゃんの泣く声とタツヤの笑い顔を捉えている。
パパが料理を続ける音と、ほむらちゃんの啜り泣く様な声以外、何も聞こえなくなった。わたしだけが取り残された様な、阻害感を覚える。
それは多分、数分くらいは続いた。
気づけばほむらちゃんは涙を拭って、優しく落ち着いた笑顔で、タツヤの頭を撫でている。あそこまで暖かな表情は、わたしも滅多に見せない物だった。
タツヤの事、よっぽど気に入ったんだろうな、と思う。わたしの家族とほむらちゃんが仲良くしてくれるのは、純粋に嬉しい。
「さ、ほむらちゃん。涙を拭いて、まどかの部屋にでも行ってきな。ご飯まではまだ時間が有るから、パジャマとかも出しとかなきゃ、だろ?」
「はい……お騒がせしました」
「いいやいいや、ほむらちゃんだって泣きたい時くらい有るだろ。まあでも、今日は笑って楽しくやりなよ?」
ほむらちゃんの背中を勢い良く叩き、ママはとっても明るく元気な笑い顔を見せた。
「まどか、サラダは後で良いからさ、ほむらちゃんを部屋に連れていってあげな」
「うんっ。さ、行こ、ほむらちゃん!」
「え、ええ。そうね……」
包丁を元の場所へ戻して、後はパパに任せる事にする。一応、野菜は大分切ってあるし、わたしが手伝えるのはもうあんまり無さそうだ。
手を洗って野菜の汁を飛ばしてから、ほむらちゃんへ近づく。わたしが手を伸ばすと、ほむらちゃんは尊いくらい仄かな微笑みになって、手を繋いでくれた。
「ほむらちゃん、パジャマはどうする?」
「一応、持ってきてるけど……」
「いや、折角だしまどかのを着て貰えば良いんじゃないか?」
「だよね。ほむらちゃん、良い?」
「それは……まどかと詢子さんがそう言うなら、構わないわ」
ほむらちゃんの了承を得て、わたしは頭の中で、自分の部屋に有るパジャマを浮かべた。
ほむらちゃんに、わたしの部屋に有るパジャマを使って貰いたい。きっと似合う筈だから。
「ほむらちゃんは、どういうパジャマが好き?」
「強いて言うなら……黒で、肩が紐になっているのをよく着ているわ。冬場はもう少し暖かい格好をしているけど……」
「あ、やっぱり黒好きなんだ」
「そうね、割と好きな色よ」
黒かぁ、と家の中に有るパジャマを頭に浮かべる。黒は有った様な、無かった様な。
でも、ほむらちゃんには白とか紫色も絶対に似合う。そういうのは部屋に有りそうだし、探してみよう。
「なかよし?」
ほむらちゃんと二人で手を繋いでいると、タツヤが声をかけてくる。
わたし達二人を見て、興味が有る様な目をしていた。
わたしは自信を持って、タツヤに返事をする。
「そうだよ、ほむらちゃんとわたしは、とっても仲良しなんだよ!」
……それがどういう意味の仲良しなのかは、今はまだ置いておくけど。
タツヤ君絡みの展開は、幾つかの作品を参考にしていますが、特に『ほむら 「丸あげよう」』から影響を受けています。暁美ほむらの肯定、という意味で好きな作品ですね。彼女の行いで幸せになった人が居る。彼女のした事には意味が有った。決して彼女だけの自己満足じゃない、っていう所が、本当に。
台本形式なので、此処を使っている人の中にはそういうのが苦手な人も居るかもしれませんが……元々が映像媒体であるまどかマギカは台本形式と親和性が高いし、そちらの方が感動もダイレクトに伝わってくると思います。ちなみに私は自分で書いたのより、あちらの方が好きですね。「泣き」の表現が特に。地の分では難しくって。
本作は多くのまどかマギカSSから影響を受けているのですが、基本的には台本形式のほのぼの系と、漫画形式が主となります。
個人的に、まどかマギカSSの到達点は「この世界に幸あれ」だと思いますが、ストーリーの雰囲気や性質からして、私には書けないジャンルですね。そういう意味でも、本作はほのぼの、ギャグ系の作品からの影響がかなり強いです。
追記
鹿目タツヤは鹿目まどかを本当は覚えていない、というのが公式だと後で知りましたが、この作品を書いた時を保存しておく意味で、そのままにしておきます。