風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結) 作:曇天紫苑
「これ、見てみてっ」
まどかが指したのは、可愛らしい肉球柄のシャーペンだった。
ペン先が薄桃色に加工されていて、白地にデフォルメされた猫や犬の肉球が惜しげも無く散りばめられたデザインだ。それをまどかが持つと、可憐さが何倍にも高められる。
「良いわね」
「でしょー。最近使い始めたんだけど、これすっごく書き心地も良いんだよ! ほら、ほむらちゃん。使ってみて?」
まどかと可愛いペンの組み合わせ。ぴったりだ。こんなに似合うのに、私に使わせても仕方無いのに。
そう思っていたけど、まどかは私にそのペンを手渡して、使わせようとする。どうやらこれは試し書きに使う為の物らしく、下には、これもまた試しに使う為の紙が置かれている。
これに書け、という事なのだろう。確かにこのペンは指の触れる部分を柔らかな素材で作っていて、持ちやすいけど、やっぱりデザインが私には不釣り合いだ。
「私には似合わないと思うけど……」
「そうかなぁ……凄く似合ってるよ?」
まどかは不服そうだが、私の目にはどう考えても似合わないとしか思えない。
いや、客観的に言えばまどかが正しいのだろう。しかし、私自身が似合っていると思うかと言えば、それはまた別の話だ。
「デザイン的には、好きよ。ただ少し、その」
「うーん……ほむらちゃんのキャラには合わない、とか」
「そう、それよ」
まどかが口にしたのは、今の自分の気持ちに合う言葉だった。
それでまどかは納得してくれて、ああ、と声を上げている。
「なら、しょうがないね……あ、でもでもっ、一回くらい使ってみて欲しいな。わたしのお勧めだもん」
それでも私に使って欲しいのか、彼女はペンを手渡して来た。彼女が持っている時は、そのペンは何倍も愛らしく見える。
勿体無い事だ。そう思いつつも、落とさない様に注意しながら受け取り、一度だけなら、と紙へ向かう。
中央部分は無地だが、周囲には紫色の編み目の縁がプリントされていて、飾り気の強い紙だ。好みのデザインなので、買っておこうと考える。
そんな綺麗な紙に練習で字を滑らせる事に微かな抵抗を覚えたが、そこは言葉に出さないまま、まどかに問いかけた。
「……何を書けと言うの?」
「何を? うーん……」
まどかはどう答えるべきかで悩んだらしく、暫く考え込んでから、思いつきを口にする。
「そうだ、好きな物を書いてみて?」
「好きな者? ……ええ」
好きな者と聞いて少し抵抗が有ったが、まどかの頼みとなれば仕方がない。
私は、何も隠さず鹿目まどか、と書いた。
最初、まどかは何を言われているのかを理解していなかった様だが、瞬く間に顔を赤くして、俯く。
少しやり過ぎか。内心でそう思ったが、まどかは曖昧に笑いつつも、顔を上げてくれた。
「……い、いや。そうじゃなくて。違うよ、えっと、その、ありがとう」
「違ったの?」
まどかとのデートの為に色々と知識を収集してみたけど、これが正しいのだろうか。
私には分からない。そんな経験は無いし、有るとすれば入院していた頃や退院後の平穏だった時期に見ていたドラマと、つい昨日調べた知識だけ。残念ながら、人並みにそういった事が出来る人間ではないのは自覚している。
今のも失敗だったのか、それとも成功だったかすら判別出来ない。分かるのは、まどかが怒っていない事だけだ。そして、まどかが不快な思いをしていないなら、成否は関係無かった。
「確かに良いペンだったわ。他のデザインは有る?」
「あ、ちょっと待っててね……」
まどかは私からペンを受け取ると、楽しげに元に有った場所へと戻しに行って、同じ様な物を持って戻ってきた。
構造も形も殆ど同じで、同じシリーズの製品だろう。違うのはデザインだけだ。
「これとかどうかな。黒い背景で白い羽の」
まどかの持っているペンは、黒単色の中に純白の羽が彩られ、まるで光っている様な美しさを演出していた。
さっきのより、こちらの方が私には似合うだろう。特に今の私には黒の背景と羽、という組み合わせが何やら運命的な物を感じさせる。
「良いわね。これを買うわ」
購入を決めて、私はペンを小さな買い物かごへ入れた。まどかと二人で共有しているカゴだから、支払いは私がやれば良いだろう。
「気に入ってくれて良かった。わたしも買うんだ、お揃いだね」
「ええ。お揃いのペンを使って、一緒に勉強しましょうね」
「えー。そこは絵を書いたりする所だよ?」
「残念ながら、絵を書いたりするのは苦手なのよ」
本当に残念だが、事実だ。それを伝えると、まどかもまた心底残念そうにしながらも、納得した雰囲気を見せてくれる。
買ったペンを彼女が勉強に使うかどうかは知らないが、お揃いの道具を使う、というのが何やら嬉しさを感じさせた。
良い商品に出会えた満足感と共に、私とまどかは文具コーナーを出る。大きめのお店だから、まだまだ見ていない商品は沢山有った。
「まどか、次はどのコーナーを見る?」
「ほむらちゃんは何処にしたい?」
「そうね……面白いグッズとかは有るかしら」
まどかに問われて、私は少し考えてから答えた。折角、まどかと一緒なのだから、何か楽しめる道具でも見ておきたい。
一応、こういうお店を回るのは初めてじゃないので、面白そうな物が売られているのは知っていた。まどかにも心当たりが有ったのか、私の手を引っ張っている。
「それなら、こっちだよ」
文房具コーナーを抜けて、小物家具が並ぶ場所を通る。電子メモ帳のコーナーを過ぎると、紙で出来たお城や切り絵が飾られた場所へ辿り着いた。勿論、手は繋いでいて、腕も組んだままだ。
あまり人に見られるのが良くないのは分かっている。が、まどかは少し恥ずかしそうにしながらも、とっても楽しそうだった。
今更離れようとは言えそうも無い。逃げ出したい気分だったけど、ぐっと我慢した。
まどかは置いてある商品の一つを手に取って、興味津々といった顔で眺めていた。
「こういう、組み立てられる小物って、ちゃんと作れるのかな」
「商品として出しているんだから、大丈夫だと思うわよ」
「でも、完成品を見てると、こんなに上手く出来るのかな、って思っちゃうんだ」
「そうね……確かに。こういう見本って、とても上手に作られているから」
まどかは手先が器用だから、きっと綺麗に仕上げるだろう。そう確信していたけど、それは言わずに別の言葉を口にする。
「今度、二人で作ってみましょうか」
「二人で? 良いね、作ろっか」
「じゃあ、これは私が買って家で保管しておくから、気が向いたら言ってね」
これで遊ぶ口実が出来た、と私は少しだけ喜んでから、すっかりまどかとの接触に慣れてしまった事を自覚する。
やはり、一ヶ月の制限や魔法少女の事が無いと、ある意味で安心してまどかと付き合っていられるから、話すのも遊ぶのも楽しい。
ただ、付き合う、という言葉を思い浮かべた時、軽い頭痛がした。そうだ、今日はまどかとデートをしているのであって、友達同士の遊びじゃないんだった。
「わたしも何か買わないと……あ、これ良いかも」
「……」
「ほむらちゃん、これなんかどう?」
「あっ……ええ、良いと思うわ。まどかにぴったりね」
まどかの持っているぬいぐるみは、クマなんだか犬なんだかよく分からないデザインだったが、どちらにせよ、ぬいぐるみとまどかの取り合わせは、とても愛らしい。
こんなに愛らしく、優しく、素晴らしい子が、私に恋。とんでもない話だ。光栄だし、嬉しくも有るが、余りにも悲し過ぎる。
「ほむらちゃんは、これとか似合うと思うよ」
「え?」
まどかは私と腕を組んだまま、傍に置いてあるぬいぐるみを私の胸元に近づけた。
それを片手で受け取ってみると、黒いイルカのデザインだった。何故か羽が生えていて、つぶらな瞳が私を見つめている気がする。
どうしてこんな物を。私が戸惑っていると、まどかは何度か頷いて、満足そうにしていた。
「うんうん、やっぱりよく似合うよ」
「あ、ありがとう」
「そうだ、その子を撫でてみて? きっと触り心地も良いよ」
言われた通り、イルカの背中を撫でる。現実のイルカに触れた経験は無いけど、このぬいぐるみのイルカはそれなりに高級な素材を使っているのか、弾力と肌触りの良さ、抱き締めた時の気持ち良さを完璧に実現していた。
まどかの持っているぬいぐるみも、似た素材なのだろう。夢中でクマか犬か分からない頭を撫でていて、気分良く目を細めている。
確かに素晴らしい素材だ。しかし、これより触って気持ち良く、幸せになれる物を私は知っている。
「ほむらちゃん?」
私は気づけばまどかの腕をつつき、撫でていた。弾力と肌触りを完璧に仕上げた、価値が表現仕切れないくらいに魅力的な肌だった。
「く、くすぐったいよ」
「ああ、ごめんなさい。でもやっぱり、貴女の方がずっと触り心地の良い肌をしているわ」
「あはは……ほむらちゃんの方が凄いと思うよ、ほら」
まどかが、私の頬を撫でた。どうやら照れている様で、頬がとても赤くなっている。
変な気分だ。このまま、まどかの中に私が溶けてしまえば良いのに、なんて。表情をしっかり保っていないと、私がどうにかなってしまいそう。
この気持ちがまどかには伝わっているのだろうか。彼女もまた、慌てた様子で立っていて、誤魔化した雰囲気の笑みを浮かべていた。
「つ、次! 次の商品を見よう!」
「そ、そうね」
このままでは不味いのは分かっていたので、まどかの言葉に同意して、ぬいぐるみを元の場所へと戻す。少々後ろ髪を引かれる物を感じたが、考えない事にした。
ふと、そこで近くに置かれていた商品が目に入る。楽しげなタイトルを読んで、私は自然と引き付けられた。
「面白そうな物を見つけたわ」
「どれ?」
「こっちよ」
まどかを連れて、その商品が有る所へ行く。といっても数歩離れているだけだ。ぬいぐるみの横の棚から一番下。そこに丸みを帯びてレンズがはめ込まれた物が有る。
隣に、その商品の説明と使い方、それに箱が置かれていた。本体は機械類だからか、万が一落ちても大丈夫な様に、一番下へ置かれている。
だから、私達が本体に触る為には、大きくしゃがみ込まなければいけなかった。まどかと私はゆっくり膝を落とし、黒い箱に囲まれた機械に触れた。
「これは?」
まどかはまだ分かっていない様なので、私がその商品の内容を告げる。
「家庭用プラネタリウムよ」
「へぇ……家庭用。凄いね」
興味を持ったのか、まどかもその機械を手に取ってレンズの中を覗き込んでいる。目に悪いから止めようとも思ったけど、スイッチを入れなければ光は出ないので、大丈夫だった。
何だか物欲を刺激されて、値札を探してみる。すぐ下に有ったので見つかりはしたが、そこに書かれていた値段こそ、問題だ。
「……四千円……それなりに安いけど、ちょっと厳しいわね」
「うん。ちょっとね。でも、スイッチは入れられるみたいだよ。試しに見てみよっか」
「そうね、そうしましょう」
私が同意すると、まどかはその機械を小さな黒い囲いの中へと戻す。そこに投影する事が出来る様だ。
まどかは機械のスイッチを入れて、位置を調整する。それを終えると、私に手招きをした。
「ほむらちゃん、見ようよ」
「ええ」
二人で一緒に、小さな囲いの中を覗き込む。人の頭程も無い機械が何とか入る大きさだから、見るだけでも大変だ。
「んんー……?」
よく見えないのか、まどかは顔を更に寄せる。その間にも、私は緊張感を高めていた。
まどかが、近い。この大きさの物を二人で見ているのだから当然だが、顔も頬も近くて近くて、もう少し寄ったら頬がぶつかりそうだ。
私自身にはそういうつもりは無い。けど、まどかが望んでくれるなら、私はまどかに恋をする事が出来る。だから、この心は自然と脈を早めて、恥ずかしさや照れ、それにまどかという少女の存在に対する歓喜が押し寄せていた。
ともあれ、残念ながら黒い箱型の囲いには、光の点が大量に表示されている様にしか見えない。値段相応、という感じだ。
「やっぱり天井とかに映さないと、ちゃんと見えないのかな」
「流石にこの場じゃ綺麗には見えないと思うわ」
この明るい店内で、しかもこんな小さな場所では、この商品の真価は発揮出来ないのだろう。
綺麗に見えたらムードも良くなって、まどかは喜んでくれるだろうな。そう思ったけど、買うのは止める事にした。
「だよね。うーん、残念」
「また今度、お金が有る時に買いましょうか」
「そうだね、また今度」
まどかが私の方を振り向いて、ようやく近い事に気づいたのか、ほんのり赤くなって目を逸らす。
「あっ……そ、その。ほむらちゃん! えっと。うん!」
「……ふふ」
「わ、笑わないでよぉ」
まどかの顔は恥ずかしそうで、とても可愛らしかった。まどかの魅力を知っている私にとっては、喜ばしい物だ。
この頬にキスをしたら、あるいはまどかは喜んでくれるだろうか。そんな風な発想まで浮かんでくる。
流石に、そんな急な真似をしたら、まどかが困ってしまうだろう。だから言葉には出さず、ただ静かに立ち上がる。
「まどか、そろそろレジへ行きましょうか」
「うん。これを買ったら、次は……」
まどかは買い物カゴから自分の入れた商品を取り出そうとする。そこで私は腕を引いて、カゴを自分の方へ寄せた。
「?」
「私が一括で払っておくから、後で渡せば良いわ」
「良いの? ありがと、ほむらちゃん」
「礼には及ばないわ」
私の言葉を聞くと、まどかはまた腕を組んできた。今度はもっと積極的に、微笑みもさっきまでより明るくなっている。
無理に作った物ではないか。私と一緒で退屈させているのではないか。そういう、自分のどうしようも無く弱い部分が首を上げていた。
しかし、まどかは私の不安を吹き飛ばす様な笑顔を見せつけてくれて、レジまで着いてきてくれる。
「そうだ、払い終わったら服でも見に行こっか」
「服……良いわね。行きましょう」
思いつきからか、まどかは雑貨店の反対側に有る洋服店を見つけて、そちらに向かって興味の対象を移していた。
とっても活発で、楽しそうで、はしゃいでいる。まどかが喜んでくれているならば、私にとっては何の問題も無い事だった。
+----
+----
気遣われているのは、分かってる。
でも、やっぱり楽しく感じてる自分が居るのは確かで、わたしは更衣室の中で着替えつつ、今までの事を考えた。
ほむらちゃんはずっとわたしの事ばかりで、自分の主張なんて殆どしていなかった様に見えた。でも、ほむらちゃんは時折本当の、素の優しい笑顔を見せてくれたから、退屈はしていない筈だと思う。
雑貨屋さんに居る時、ほむらちゃんはずっと楽しそうだった。思い出すだけで見とれる様な表情が、沢山見られた。
「えへへ」
ほむらちゃんの気持ちが、わたしの所へ伝わってくる。嬉しいのと辛いのが一緒になって、胸に沢山の物を響かせてきた。
そうしている内に、すっかり着替え終わっていた。ちょっと可愛過ぎるデザインに抵抗を覚えながら、わたしは仕切りを開けて外へ出る。
「お待たせ」
「待ってないわ」
ほむらちゃんは目の前で壁にもたれかかって、わたしを待ってくれていた。
「じゃん! どうかな?」
「凄く似合うわよ。買ってみたらどうかしら」
「うん、これは欲しいかも……ほむらちゃんが選んでくれたんだしね」
一回転してみると、足下のフリルがふわりと揺れる。その余韻を目で追っているのか、ほむらちゃんの瞳が左右に動いたのが分かる。
何だろう。他の人よりもずっと、ほむらちゃんの事がよく分かる。この人が何を見ていて、どう考えているのかが、何とはなしに伝わってしまう。
今だって、とっても優しい目でわたしを見守っている。どんな事が有ってもわたしが傷つかずに済む様にって、とても気遣ってくれている。
そんなに警戒しないで良いんだよ。って、そう言おうと思ったけど、口が上手く動かなかった。
「さあ、次は私の番ね。まどかが選んでくれた服、ありがたく着させて貰うわ」
わたしが何も言えない内に、ほむらちゃんは少しだけ恥ずかしそうに服を持って、仕切りを開いた。中は鏡も無い真っ白の空間で、無理をすれば二人は入れそうな大きさをしていた。
「大丈夫、ほむらちゃんにはぴったりだよ」
「そうかしら。少し派手な印象も有るんだけれど……」
「わたしだって、ほむらちゃんに渡された時は派手じゃないかって思ったけど、着てみたら凄く良かったから。大丈夫、絶対似合うから。保証しても良いよ」
お世辞なんか欠片も無く、絶対に似合う。わたしはそう信じていた。だって、ほむらちゃんはこんなにも綺麗なんだから、わたしには着こなせない様な派手めの服だって、絶対にいけると信じられる。
熱意を持ってその気持ちを伝えたのが効いたのか、ほむらちゃんは一瞬だけ困った風な顔をしたかと思うと、勢い良く中へ入っていった。
ほむらちゃんがしてくれたのと同じ様に、わたしも目の前で壁に寄りかかって待つ。中でほむらちゃんが着替えている間に、何となく周りのお客さんや服を眺めてみる。
結構、年上の人達が多かった。美人な人達ばっかりで、何だかわたしが浮いている気がする。
ほむらちゃんなら、ああいう人達の中でも輝いて見えるのに。もしカップルになるなら、凄く釣り合わない組み合わせだと思った。
でもきっと、こんな事を考えてるって気づいたら、ほむらちゃんは怒るんだろうなぁ、なんて予想する。
まどかは私なんか比べ物にならないくらい可愛くて素敵で眩しくて、人々を魅了する程に輝いているのよ、とか。平然とした顔で言って来そう。
その声や姿を想像している内に、恥ずかしくて顔が熱くなった。でも、きっと、言う本人は全く恥ずかしがったりしない。ほむらちゃんはわたしの事を大切に、本当に大切にしてくれる。そんな人だから、わたしを誉める事は息を吸うのと同じくらい簡単に出来てしまうんだ。きっと。
この服、このまま着ていたいな、なんて思った。値札が着いたままだけど、ほむらちゃんが選んでくれた、特別な服だから。
あ、でもさっきまで着ていたのはほむらちゃんの服だった。洗って返したいし、この服が有るからって、そのまま返す訳にもいかない。
今までの服は、腕の中に有る。そこからは洗剤の香りがするだけで、ほむらちゃんの匂いはしない。いや、嗅いでる訳じゃないけど、着ていたんだから知ってる。
そう、嗅いだ訳じゃない。
恥ずかしくなって、周りを見回した。やっぱり、わたし達より少し年上の人が多い。こうやって注意して見ていると、やっぱりお洒落な人が多かった。
カッコいい姿の人や、可愛い人。綺麗な人に、仁美ちゃんと上条君……
そう、カッコいい姿の人や、可愛い人。綺麗な人に、仁美ちゃんと上条君。
仁美ちゃんと、上条君!?
「ほ、ほむらちゃん。ごめん!」
「えっ」
見慣れた二人の顔を見つけた途端、わたしは勢い良く仕切りの中に飛び込んだ。
ほむらちゃんは着替えの途中で、わたしの選んだ服を半分まで着た所だった。わたしが入って来たのを見て、一気に驚きを露わにした。
「まっ、まどか!?」
「し、しっー。静かに……ごめん、ちょっと静かにしてて」
声をあげそうになった所で、ほむらちゃんの口を覆う。
手のひらが、ほむらちゃんの唇に触れた。ふに、という柔らかい感触が来て、思わず飛び退いてしまうかと思った。
「むぅっ」
「ご、ごめん。息苦しいよね、でもお願い。大きい音を出さないで……良い?」
「……む」
わたしが頼むと、ほむらちゃんは少しずつ冷静さを取り戻して、小さく頷いてくれる。凄く重要な事だって察してくれたのか、冷静な反応だ。
これなら大丈夫。わたしは、安心して手を離す。ほんの少しだけど、手のひらが湿っている気がした。
ようやく解放されたほむらちゃんは、半分着崩した服装のまま、大きく息をする。
「ふはっ……まどか、いきなり入ってきて、どうしたの」
ちゃんとわたしの頼みを聞いてくれたのか、本当に小さな声で尋ねてくれる。その気遣いに感謝しながら、耳元で答える。
「あ、あのね。ちょっと待って」
「分かったわ」
仕切りが少し開いていた。そこを閉めて、見つからない様にほむらちゃんへ密着する。
あれは確かに、仁美ちゃんと上条君だった。二人でデートに来たんだろうけど、こんなタイミングで会いたくは無かった。だって、今、わたしはほむらちゃんとデートしているんだから。
もし見つかっちゃったら。そう思うと、ほむらちゃんにもっと身体をくっつけてしまう。
「まどか、息がかかってくすぐったいわ……」
「ご、ごめんね。ちょっとだけ我慢してね」
気づけば、ほむらちゃんの横顔が目の前に有った。
頑張れば二人入れるくらいの更衣室じゃ、こんな風に詰め込んで、密着しているしかない。ここまで近づくのは初めてじゃないけど、意識しているから、今までよりずっと恥ずかしい。
ち、近い。近い近い近いよぉ……!
ほんとに近い。凄く近い。滅茶苦茶に近い。もう少し近づいたら、わたしの唇がほっぺたに触れちゃう。
何だろう。柔らかそうで、キスがしたくなる様なほっぺだった。
このほっぺたにキスをしたら、ほむらちゃんは喜んでくれるのかな……やってみようかな……そうだ、してみよう。
「……」
少しずつ、少しずつ。こっそり顔を近づける。勢いに任せて一気に行けば良いのに。そう思ったけど、それをする勇気が無くて、ゆっくり、本当にゆっくりと近づくしかない。
ほむらちゃんの吐息が聞こえる。上下する胸を感じる。この人が生きているのが、分かる。
ほんのり赤いほっぺた。ここに、キス。
あと、ちょっと。あと少しで、ほむらちゃんのほっぺたに、届く。
「まどか、外で何か有ったの?」
そこで、ほむらちゃんがこちらを向いた。
「ぇっ!? いや、何もしようとしてないよっ!?」
「いえ、まどかが、じゃなくて。外に誰かが居たの?」
慌てて顔を遠ざける。勢いが良すぎて壁に頭をぶつけそうになったけど、間一髪でほむらちゃんが手を滑り込ませて守ってくれた。
わたしが頭をぶつけずに済んだのを確認して、ほむらちゃんは安心した風に笑みを浮かべてくれる。
良かった。キスしようとしたのはバレてない。もし気づかれていたら、ほむらちゃんは照れてくれる筈だから。
「あ、あの」
「どうしたの」
「あ、えっとね。ちょっと待ってて?」
ほむらちゃんが気づかない様に、仕切りの先から外を見る。そこからじゃよく見えなくて、ゆっくり、ちょっとずつ、少しだけ頭を出して、周りに二人が居ないかを探した。
一応、何度も見て回ったけど、居ない。二人は他の階か、お店に行ったのかもしれない。
「……うん。大丈夫そう」
頷いて、顔をほむらちゃんの方へ戻す。
わたしが二人が居ないのを確認している間に、ほむらちゃんは着替え終わっていた。よっぽど急いだみたいで、服のボタンが幾つか付けられていなかった。
やっぱり、想像通り凄く似合う。むしろ期待以上に素敵な格好で、自分の服選びが間違っていなかったんだって、そう感じた。
ほむらちゃんはそのいつも浮かべているクールな表情を潜めて、何となく戸惑っている風だった。それと同じくらい、わたしを心配している感じも有って、説明が必要に思える。
「あのね、仁美ちゃんと上条君が歩いてた気がして」
「? それに、何か問題でも有るの?」
ほむらちゃんは分かっていないみたいだった。それどころじゃないよ、と思って、わたしは慌てて話しを続けた。
「あ、有るよ! 有るに決まってるよ。だって、その、ほら、わたし達が二人一緒に居る所を見られたら……」
もし、ほむらちゃんに悪い噂が立ってしまったら、きっとわたしは耐えられない。
ほむらちゃんは強い人だから平気かもしれないけど、わたしは嫌だ。わたしの事でほむらちゃんに嫌な思いをさせたくなかったから。
だのに、ほむらちゃんは納得した様子を現しつつも、苦笑気味になっていた。
「ああ。そういう事。まどか、大丈夫よ。こう、やっても……」
ほむらちゃんがわたしを引き寄せる。肩が当たって、そのまま全身が触れ合った。
後ろから抱き締められている。でも、嫌じゃない。嫌じゃないけど恥ずかしい。周りの人の目が気になって、自分達が変な人だと思われてるんじゃないかって、不安になる。
けれど、ほむらちゃんはわたしの頭を撫でて、そっと周りを指さして回った。よく見てみると、他の人達はわたし達の事を殆ど見ていなくて、買い物の方に集中していた。
そこで、ほむらちゃんが腕を解放してくれる。そこで振り向くと、ほむらちゃんは安心させる様に肩を叩いてくれた。
「ほら、他の人からは、ちょっと仲の良すぎる友達同士にしか見えないわ」
「で、でも」
「気にしなくても良いんじゃないかしら。普通、女二人が一緒に歩いていても、そういう関係だと思う人はそう居ないわ」
ほむらちゃんの言葉を聞いて、わたしは何だか納得してしまった。
「……あ、あれ。確かに、そうかも」
よく考えたら。ほむらちゃんの言う通りだった。女の子が二人揃って抱き合ったりしていても、普通のスキンシップに見えると思う。
冷静になってみると、あんなに酷く慌ててたのがバカらしくなった。別に、仁美ちゃん達に見つかったって、問題は無かったんだ。
デートだっていうのを、意識し過ぎたのかも。
……あ、いや。でも。ほむらちゃんと二人っきりの時間だし、他の人が入って来なかったのは、良かったかもしれない。
「まどか?」
「えっ。う、ううん。何でもないよ、なんでも」
頭の中に浮かんだ変な考えを振り払って、ほむらちゃんと密着したまま、息を吐いた。
良かった。仁美ちゃん達はやっぱり来てない。でも、もしかしたらこっちの階にも来るかもしれないし、他へ行きたくなった。
「あ、安心したらお腹空いて来ちゃった」
移動する為に言った事だけど、言葉にしてみると、本当にお腹が減ってきた気がする。
お店に備え付けられた時計。それを見てみると、時間はもう十一時三十分くらいだった。楽しい時間は本当に早くて、もうこんな時間だ。
「ああ、もうそんな時間かしら」
ほむらちゃんは腕時計を持って来ていて、それを確認した。顔を上げた時には、もうあの恥ずかしがる雰囲気は残っていなくて、ほんわかした物が残ってる。
「それなら、ご飯を食べに行きましょうか。この服はどうする?」
「わたしはこのまま買って行くよ。ほむらちゃんは?」
ほむらちゃんが選んでくれたこの服。折角だから買って大切にしたい。
わたしが選んだ服を、ほむらちゃんはどうするのかな。
「まどかが選んでくれた服だもの。ありがたく使わせて貰うわ」
ほむらちゃんに似合う、とっても可愛らしいお洋服。黒を基調にしているけれど、襟元やフリルの純白が清楚さをイメージさせる。わたしが着たら派手だけど、この人ならぴったりだ。
それでも、ほむらちゃんはその服に納得してないのか、首を傾げながら、襟を摘み上げる。こっちからだと、胸の中を覗き込んでいる様に見えた。
「でも、どうかしら、この服」
「似合ってる! すっごい似合ってるよ!」
「でもこれ、私には少し派手な気がするのだけれど」
ほむらちゃんはその服の背中に手をやった。
この服、色々な場所に薄桃色のリボンが沢山付いていて、背中には一番大きな、肌触りの良いのが有る。
そこに違和感が有るみたいで、ほむらちゃんはそのリボンを何度も触って、気にしていた。
「着心地、悪いの?」
「いいえ、着心地は良いわ。ただね、少し……この色合いが強くて。可愛いとは思うけど、私には釣り合わない様な」
「大丈夫だって。ほむらちゃんは美人だもん。着こなせてるよ」
「……そう?」
「うん!」
本心から思い切り頷いて見せると、ほむらちゃんはやっと納得してくれて、服を触るのを止めた。
ほむらちゃんの好きな服を着て貰った方が、思いやりだったのかも。ちょっと反省しつつ、こんなに綺麗な人が、もっと綺麗になれる服を選べた事が誇らしい。
「ほむらちゃん、もっと自分に自信を持とうよ」
「貴女こそ。もっと自分が可愛らしいと自覚なさい」
ほむらちゃんの反撃で、わたしは照れくささに俯いた。
そんなに褒められたって、何も出ないのになぁ。そんな事を考える。私に出来るお返しなんて、そんなには無い。例えば、ほっぺたにキスとか。
このまま勢いでキスしちゃうのも、良いかも。
「……」
「まどか?」
「あっ。い、いや、違うよ。ほむらちゃん」
「ふふ……変なまどかね」
頭の中に思い浮かんだ発想を振り払っていると、ほむらちゃんが微笑んだ。
あ、こういうのが一番良い。ほむらちゃんの笑顔の中で、これが一番自然で、これが一番素直で、これが一番それらしかった。
暁 美 ほ む ら に 素 通 り さ れ る 王 R G M 7 9 社 の 電 子 メ モ 帳
という忍殺ジョークは置いておく(あ、言っておきますけど私はあの電子メモ帳の使用者ですからね。どの電子メモ帳かは言いませんが)として、デートシーンは難しいですね。彼女達の好みがよくわからないし、あの二人ならどういう場所を選ぶだろうと考えた結果、無難な所に落ち着いた気がします。