風邪になった鹿目まどかが悪魔ほむらに看病されるだけ(完結) 作:曇天紫苑
ベッドに寝転がって、携帯電話を天井へ掲げてみる。
画面には、さやかちゃんの連絡先が表示されていた。後、一回でも操作をすれば、向こうへ電波が届くだろう。
連絡を入れたい。入れたい。だけど。
「……だめだよ、そんな事しちゃ」
画面を消した携帯電話を机の上に置いて、わたしはまたベッドに戻る。時間的にはもう寝なきゃいけないんだけど、眠れるとは思えない。
わたしは両手をだらんと投げ出して、シーツの上に乗せた。
こうして考えていると、自分がどれくらい大変な状況に居るのかが分かって、凄く難しい気持ちになってしまう。
「どうしよう……どうすれば、ほむらちゃんを傷つけずにいられるんだろう……」
ほむらちゃんは、きっとわたしの事が好きなんだ。
思い違いだと、都合の良い妄想だって、自分の中で何度も誤魔化していたけど、現実のほむらちゃんはそんなわたしの気持ちを簡単に越えていくくらい、強く優しく熱い気持ちを現してくれた。
困ってしまった。どうやって返事をすれば、何を言えばほむらちゃんを傷つけずに解決出来るのか、まるで分からないから。
だから、さやかちゃんに相談しようと思った。でも、もしそこからほむらちゃんの悪い噂が流れちゃったりしたら、たまらない。
勿論、さやかちゃんは良い人だから信じたい。けど、簡単には聞けない。クラスのみんなが知って、ほむらちゃんを変だ、なんて思う様な事が有ったら、わたしはもう、ほむらちゃんに何て謝れば良いのかも分からなくなってしまう。
「ううぅ」
抱き枕に入れる腕の力を、強める。
これを、ほむらちゃんだと思ってみる。すると自然に腕は緩んで、背中となる部分を撫でていた。
「……でも、きっとかわいいんだろうな、ほむらちゃん」
誰かとお付き合いをしたり、お嫁さんになったりする、そんなほむらちゃんの姿を想像してみる。
それはきっと、いや絶対、とても可愛らしいに違いないから。
でも、どうしてか。それは、とても浮かび上がり難い光景だった。
パパとママの結婚式やデートの写真を見せて貰った事は有るから、ウェディングドレスとか、恋人同士っていうのは想像出来る筈なのに、そこへほむらちゃんを当てはめようとすると、途端に難しくなるんだ。
まるで、ほむらちゃんにはそういう未来が許されていないみたいで、そんな風に感じる自分が、嫌だった。
「ひどいよね……ごめんね、ほむらちゃん」
思わせぶりな態度を取ってしまったから、ほむらちゃんはきっと、気持ちが通じた、と喜んでくれている。
でも、本当はそうじゃない。わたしは、ほむらちゃんの事が確かに好きだけど、それは大切な友達としてであって、恋人じゃない。だから、その気持ちには、答えてあげられない。
でも、あんなに素敵なほむらちゃんを傷つけたくない。下手に断ったら、ずっと気にしちゃうかもしれない。
だけど、嘘を吐いて頷いたって、それはそれでほむらちゃんを傷つけちゃうと思った。
こんなの、ママには言えない。パパにも相談出来ない。
誰かに相談して、ほむらちゃんが傷つく様な事になったら、きっと、わたしは一生あの人に謝り続けなきゃいけなくなる。
そもそも、わたしはどうしたいんだろう。ほむらちゃんに抱いている物が友情なのは分かってるけど、その気持ちが恋愛感情に変わる様な事が、有ったりするのかな。
「どうしよう……」
何をどうすれば、解決するのか。さっぱり分からない。誰に相談する事も出来ず、ただ、約束の土曜日に向かって時間だけが過ぎていく。
枕を抱いたって、答えは返ってこなかった。
それでも考えて、考えて、土曜日までには答えを出さないと。
焦る気持ちを押さえて、誰かに聞きたくなる気持ちも我慢して、わたしはベッドで目を瞑る。こんな状態なのに、寝てなんかいられない。
今頃、ほむらちゃんは土曜日を楽しみにしてくれてるんだろうな。
そう思うと、がっかりさせたくない、裏切りたくない、傷つけたくない、そういう、沢山の気持ちが浮かび上がって、わたしを悩ませた。
+----
今頃、まどかは土曜日を楽しみに待っているに違いない。
服を準備して、ベッドに寝転がって笑っているに違いない。その姿を見るべきかと思ったけど、止めた。幾ら私でも、そういったデリカシーくらいは持っている。
まどかの危機には即座に反応出来るから、今は見ないでおきたかった。今のまどかの顔を見たら、私はきっと自分の判断を誤ってしまうだろうから。
「……私は、どうすれば」
布団を掴み握りしめても、良い方法は思い浮かばなかった。
まどかに、表現的には迂遠で少しばかり分かり難くは有ったが、それでも確かな好意を向けられてしまった。今、私の心は全てがそれで埋められている。
土曜日はもうすぐに来る。目の前にやってきている。着ていく服も、予定の集合場所も決めておいたし、食事の場所から予算まで完全に、なおかつ完璧に事前調査を済ませたけど、一番肝心な私の気持ちだけは定まらない。
まどかが私に好意を寄せている。気のせいだと思いたいけど、その予感は確実に私の中で大きくなっていた。
何せ、この間からまどかは私と目が合うと、赤くなって目を逸らすのだ。嫌われているのかと思ったけど、まどかは相変わらず私と親しくしてくれる。
となると、やはり、好かれていると思う他は無い。
嬉しいけれど、対応が難しかった。何を言えば良いのかも、どう反応してあげたら喜んで貰えるのかも、まるで分からない。
問題は、私にその手の知識がまるで無い事だった。パソコンを使って情報を入手するのも考えたけど、そういう問題ではない事には直ぐに気づいた。知識ではなく、生の感情を知らないのが一番の問題なのだ。
誰かに話を聞く。それが一番に良い選択だろう。が、こういう時、話を聞く価値が有りそうな人物は誰だろうか。
佐倉杏子、駄目だ、これに関しては助けになりそうもない。
巴マミ、無理だ。多分、そういう経験は無いだろう。
巴マミの近くに居るベベらしき小学生は、論外だ。
まどかのお母様には、相手が相手だから相談出来ない。
残るは一人。明確に恋愛という物を知っていて、失恋もきっちり経験している人物。
彼女にしよう。
そう決めて、私は携帯電話を取り出した。一応、連絡先を押さえてはいる。
恋愛方面では私の百倍は詳しい相手だ。良くも悪くも、という前置きをする必要は有るけど、彼女の知識を今は利用したい。
「……ふふ」
思わず、笑い声が漏れた。誰も頼らない、なんて言っていた私が、よくもまあ人の助けを借りる気になった物だ。
が、仕方が無いだろう、戦闘ならまだしも、恋愛絡みの事なんて、私には何一つ、まるっきり理解出来ないのだから。
そして、私は迷わず操作をして、美樹さやかへと電話を掛けた。
コール音が幾らか響く。さっさと取ってくれないかしら、と、不満に思った。
いい加減に出なさい。苛立ちかけていた所で、電話の先から聞き慣れた、しかし別に聞きたくも無い相手の声が耳に入ってくる。
「ほむら? 何であたしの所に電話なんか掛けてくるのよ」
「……美樹さやか、一つ、謝罪をしておくわ」
「は?」
唐突だが、先に言っておくべきだ。私は携帯電話を握り、今までの気持ちを隠さず明かした。
「今まで、あなたが恋愛なんてくだらない上に弱くて馬鹿な気持ちで勝手に魔女になる、と見下していたけど……当事者になってみると、本当に辛いのね」
「ちょ、え? 何、なんか有ったの?」
余りにも急な謝罪に、向こうは完全に混乱している。向こうに冷静な考えを持たせる暇など与えない。情報は少なく、あくまで致命的な部分を読まれる事の無い様に。
この隙を突くつもりで、私はさっさと次の話へ以降した。
「一つ教えて。失恋すると、どんな気持ちになるの?」
「ま、待ってよ。あんた人に何語らせる気なのよ」
「駄目かしら」
「だっ……駄目に決まってんでしょうが!」
「耳元で怒鳴らないで」
余程嫌だったのか、美樹さやかはかなり大きな声で叫んできた。電話越しにそんな事をされたお陰で、耳に強い不快感を与えられる。
どうやら、こちらの質問は聞こえている様だ。それなら構わない。電話を耳元から少しだけ遠ざけつつ、私は言葉を続けていた。
「じゃあ、聞き方を変えるわ。失恋は、辛い事なのね」
「……何なの、一体」
「答えて。別にあなたと世間話をしに電話をかけた訳じゃないのよ」
「あたしも、あんたと仲良くお喋りなんてお断りだね。でも、何でそんな質問が出てきたのかは聞いておくべきだと思うけど」
「そんな説明をする義理は無いわ。早く答えなさい」
「じゃあ、あたしも教えてやる義理は無いね」
言い方が不味かったか。
焦って嫌な言い回しをしたが、こちらから謝罪する気は無い。敵対する可能性の高い美樹さやかに対して、自らの弱みは成るべく見せたくない。
だから、私は素直に一つ言ってやる事にする。
「……恋の悩みよ」
「は、はぁ? あんたが、恋? ……冗談でしょ」
「冗談だったらどんなに気持ちを軽く持つ事が出来たでしょうね」
「……」
美樹さやかが黙り込んだ事を察知して、私は自分の言動が間違っていなかったのを確信した。
電話の向こうでどれほどの考えを巡らせているのか、美樹さやかは小さく呼吸をする音を響かせると、呆れた雰囲気で語り出す。
「……まあ、辛くない訳無いでしょ。自分の気持ちが相手に伝わらないって、あんたにだって色々覚えは有る筈だよ」
「分かるけど、それと恋愛感情の辛さはまた別物でしょう」
「まあ、そうだろうけど」
自らの過去を思い出しているのか、彼女は口数が少ない。背後から声が聞こえない所を見るに、同じ部屋に佐倉杏子が居る訳ではない様だ。
同じ部屋に住んでいるのだから、居ないのは変だ。少し力を張って、佐倉杏子の行方を探る。
……巴マミの家だ。彼女達は知らない小学生を含めた三人で、楽しく喋っている。何故、そこに美樹さやかが居ないのか。
除け者にされている訳ではないだろうし。そう思った所で、私は無意識に美樹さやかの居場所を見ていた。自宅で、勉強机に向かっている所だ。
ああ、明日提出する宿題がまだ終わってないのか。だから巴マミの家に遊びに行けなかったのだろう。そんな時に電話してしまって、少しだけ、可哀想に思える。
だが、向こうは私が状況を探り終えたとは知らず、ただ静かに声を続けていた。
「凄く悲しいし、辛いし、人によってはずっと心の傷になるかも。でも、それは凄く幸せなんだ。人を好きでいるのって、心が温かくなるし、相手を思いやったりする気持ちにも繋がるんだよね。あたしだって人間だから、相手に自分の事を好きになって欲しい、とは思うけどさ」
「私はそうは思わないわ」
「あんたは、もう人間じゃないでしょ」
「……そうね」
私の返答に何を思ったのか、美樹さやかは黙った。そこに秘められている感情は、何だろうか。
同情、あるいは畏怖。何でも良いが、それより今は、恋愛についての知識が欲しい。
携帯電話を握り締めて、彼女が続く説明をするのを待った。だが、相手は声の調子を変えてしまい、愉快そうに喋り出していた。
「で、相手は誰よ? クラスメイト? 杏子、って事は無いだろうし、まさかあたしじゃないよね。いや、まさかまどかって事は」
「どうも、助かったわ」
余計な事を探らせる訳にはいかない。
反射的に、美樹さやかの僅かな期間の記憶を奪い取る。私が妙な相談をしたという、そんな記憶だけだ。
向こうは少しふらついた様だが、直ぐに自分が記憶を消されたと気づいたのだろう、怒気の籠もった唸り声が聞こえてきた。
「……っの、また記憶消したな! 今度は何をやったの!?」
「別に、私に不都合なちょっとした会話の記憶よ。その証拠に、途切れてるのは一分程度の記憶でしょう」
「だ、だからってそんな」
「じゃあね」
「おい、待てって、あたしの話はまだ」
切ってやった。
良かった。美樹さやかは、きちんと記憶を失っている。
まあ、万が一覚えていたとしても、私がまどかに恋をしている、と勘違いをする可能性の方が高いだろう。それでいい。そう取られる様に喋ったのだから、当然だ。
まあ、言い触らす様な事はしないだろう。あれで一応、まどかの親友だ。その点は信じられる。まあ、不味い時には関係者全員の記憶を消せば、それで済む話だ。
携帯電話をベッドの端へ放り投げて、私は枕へ顔を押しつけた。
「……そんなに辛い事なのね」
美樹さやかの言葉には実感が有って、沢山の苦しみや悲しみを覚えた人間の声が私の胸に届いていた。
つまり、恋愛関係のトラブルは、人を魔女にする程の絶望なのだ。私には縁遠い気持ちだが、まどかは普通の女の子だから、きっと失恋すれば泣いてしまうし、傷つくだろう。
「……まどかに、そんな経験はさせたくない」
曰く、初恋は実らない、らしい。
だから、ただ恋をして失恋するだけなら。まどかの甘酸っぱい思い出となるなら、それで良かった。
だけど、相手が私なら、話は変わる。
だって、私はまどかを一秒たりとも傷つけたくない、いつまでも笑顔で、曇り一つ無い幸福の中に居て欲しい。私自身がそれに反する事をする訳には行かない。
私は誰かに恋をした事は無い。いや、有ったかもしれないけど、そんな気持ちはまどかへの感情の前に消し飛び、無用の物として姿を消した。
まどかに対する物以外は、悪魔になった時に捨ててきた。此処に残っているのは暁美ほむらじゃなくて、悪魔なのだ。
そう、今の私はまどかしか見えないし、まどか以外の存在なんて、まどかの為になるか、ならないか、という視点……ゼロか、イチか、という単純な二つ以外では見る事も出来ない。
でも、その絶対的な存在であるまどかが、私に恋をしたとしたら?
女の子同士がいけないなんて、思わない。世間は好奇の目で見るかもしれないが、この世界はまどかにとって都合の良い様に回る。だから、誰もまどかを傷つけない。
なので、私もまどかを傷つけたくない。まどかの人生に、こんな私を好きになったという汚点を作らせたくない。だが、失恋もさせる気は無い。
全ては、私の気持ち次第だ。まどかの想いを受け入れるか、それとも拒絶するか。どちらにせよ、一長一短だ。
なら、受け入れた方が傷は浅い、筈だ。
ならば、私は、まどかの気持ちに応えよう。それが例え嘘でも、あの子が恋の夢から覚めるまでは、付き合わないと。
「恋は冷める物、なのよね……まどかの気持ちが冷めるまで、頑張らないと」
自分の気持ちを誤魔化して、恋心という偽りで塗り潰す覚悟は、もう決まっている。
まどかを騙して偽りの気持ちで応えるのは、辛い。でもその程度が何だというのか。
まあ、まどかもいずれ自分の間違いに気づいて、私の事を避ける様になってくれる。そして、恥ずかしい経験の一つとして、記憶の中で溶けていくに違いない。
暫くは避けられるかもしれない。でも、それで良い。あの子が泣くよりずっと、良い。
失恋の経験で傷つけるより、恥ずかしい過去になる事の方が、余程良いと思えた。だって私は、まどかを泣かせたくないんだから。
「……決まりね」
方針が決まってみると、心も体も軽くなる。
さて、決断したからには、まどかを出来るだけ不快にしない様に、恋人同士という物を知っておかなければならない。
勿論、私にそんな経験は無いので、聞くべき相手はただ一人……いや、彼氏持ちの志筑仁美にするべきかとも思ったが、生憎彼女の連絡先は知らない。
やはり、当ては一人しか居ない。
もう一度、携帯電話を操作した。彼女は適任ではないと思ったが、異性の幼馴染みが居る訳だし、私よりはまあ知識も経験も有る筈だ。
「はーい、何さ、ほむら。あたしの記憶を戻すなら」
今度は、すぐに出た。
私が記憶を戻してやると思っているのだろうか。だとすると見通しが甘いと言わざるを得ない。しかし、今は彼女だけが頼れる相手だ。
頭に浮かんできた質問を、素早く口にする。
「美樹さやか。カップルって、何をするの?」
「何、いきなりどうしちゃったのあんた!?」
そんなにまで私らしくない質問だったのだろうか。美樹さやかが椅子から立ち上がる音と、唖然とした声が響いてくる。
やはり、うるさい。耳元でそういう大きな音を立てられるのは、不快だ。しかし、私自身の不快さは今はどうでも良い。優先すべきは、まどかに良い思いをして貰う為の方法を得る事だ。
「教えなさい。カップルって、何をする物なの?」
もう一度質問をしてみると、美樹さやかは暫く黙った。
やはり、答えるか否かを悩んでいるに違いない。たっぷりと沈黙した後で、彼女は静かに答える。
「……付き合う物」
「具体的には」
「そりゃ、手を繋いだり、キスとか……その、色々あるじゃん」
「色々? その色々が聞きたいのよ」
「い、言わせんな!」
私の質問は余程答え難い物だったのだろうか、美樹さやかは凄まじい勢いで声を上げて、即座に電話を切られてしまった。
携帯電話の向こうから響く音を聞きながら、私は内心で首を傾げた。何が美樹さやかの怒りを買ったのだろう。私の知らない何かが、彼女の心に触れた様だ。
その何かを知りたくて電話したのに。
こうなっては、話を聞く価値が有りそうなのは美樹さやかだけなのに、切られてしまっては仕方が無い。素直にパソコンで調べよう。生まれて初めて爆弾を作った時も、そうやって調べたのだから。
「……ああ、今の会話も忘れさせておかないと」
力を使い、美樹さやかの記憶を僅かに、ほんの少しだけ奪い取る。代わりに、お礼として宿題の答えを頭の中に植え付けておいた。
ふと、私は美樹さやかの重要な記憶を奪っていない事を思い出す。
これはきっと、私の弱さだ。本当の私を知っている人を残しておきたい、そんな、私のどうしようもない部分だった。
さあ、パソコンで調べよう。
+----
集合時間は十時、ショッピングセンター一階のエスカレーター前だった。
開店時間が九時だから、もう他のお客さん達が中に居る。お休みの日だからか、子供連れの人が多く居て、わたしも昔はそういう時代が有ったなぁ、なんて、走りながらも懐かしさに微笑みが漏れた。
今は、九時三十分。集合までは後三十分有るけど、わたしの直感は、もっと急がないと、と言っている。
そこの曲がり角を行けば、集合場所はすぐそこだ。急いで曲がり、誰かとぶつからない様に気をつけながらそこへ向かう。
到着した。あんまり慌てて走ったから足が疲れて息を切らせてしまったけど、安心する気持ちの方が強い。
まだ、ほむらちゃんは来ていないみたいだった。意外に思いつつ、わたしの方が早かった事で、安堵した。
「はぁ……は、良かった。まだ来てなっ……!?」
突然、誰かに目を覆われた。
背中に誰かの体が密着して、凄く良い香りがする。わたしは、その香りを知っていた。少し前、ほむらちゃんの家で使わせて貰ったシャンプーの物だった。
「誰だと思う?」
「ほ、ほむらちゃん」
「正解よ」
覆われていた目が解放されて、わたしは急いで振り返る。予想した通り、ほむらちゃんだった。
ほむらちゃんは何時も通りクールで冷静な表情をしていたけど、その口元が今までより少しだけ緩んでいて、それが微笑みにも見える。
やっぱり、ほむらちゃんの方が早かったんだ。三十分早く来たのに、と思いながら、手を挙げる。
「お、お待たせ! ご、ごご、ごめんね。待たせちゃって」
「……気にしないで、私も今来た所だから」
「そ、そうだね。あ、えっと。こういう会話、恋人同士でよくやるよね!」
「そ、そうね。そう思うわ、まどか」
しまった。ちょっと急ぎ過ぎて、変な事を言っちゃった。
あんまり急に変な事を言った物だから、ほむらちゃんを驚かせてしまったみたいだ。目を丸くする姿は、確かに可愛かったけれど。
「でもビックリしちゃった。急に目隠しされちゃうんだもん」
「そっ、そうだね! ちょっと悪戯心が過ぎたかな?」
「あはは、良いの。楽しかったよ」
「……そう、なら良いわ」
今、一瞬だけほむらちゃんの口調が別人みたいになった気がしたけど、あえて尋ねるのは止めておく。
変に聞いちゃって怒らせたくないし、それ以上に、ほむらちゃんの今の姿があんまりにも気合いが入っていたから、冗談を言える気分じゃなかった。
ほむらちゃんは、何時もより数倍素敵な雰囲気を漂わせていた。おめかしも万全で、とっても丁寧にお化粧をしているのが分かる。
上から下まで真っ黒の服を纏っているのに、全体的には清楚な印象が有って、純真そうな可愛らしさと、黒の綺麗さが完璧に混ざり合っている。
百人居たら、五百人は振り返りそうな美少女がそこに立っていた。
かなり頑張っているお化粧に、とっても気合いの入った服装。そんな事しなくたって、ほむらちゃんは綺麗なのに。そう思ったけど、口に出すのは冗談じゃ済まないから、止めておいた。
何より、わたしもママに聞いてお化粧のやり方を教わって、手伝って貰ったから、人の事は言えないんだ。
「ほむらちゃんと遊びに行くのに、化粧するのか?」とママは戸惑っていたけど、そこは勢いで押した。多分、ほむらちゃんと一緒に歩くのに、わたしみたいな地味な子じゃ釣り合わないよ、とか言って誤魔化した様な気がする。
「綺麗だよ、ほむらちゃん」
自然に、言葉が溢れていた。
慌てて口元を隠した。あんまりほむらちゃんが綺麗だったから、素直に言ってしまったんだ。
「まどかだって、可愛いわ」
お返しとばかりに、ほむらちゃんも同じ様な事を言ってくる。
ほむらちゃんの褒め言葉から本気を感じて、恥ずかしい気持ちになってしまった。
きっと、私と同じくらい、ほむらちゃんも恥ずかしがっているだろう。伏し目がちになったかと思うと、すぐに顔を上げている。
「そ、そうだわ。まどか、それは確か私の服よね?」
「あ、っごめん。まだ返してなかった……」
そういえば、デートの為に一番可愛い服を着ようと思ったら、気づいたらこの服を着ていたんだ。
ほむらちゃんの服だという事を、何故か忘れていた。その事に罪悪感を覚えたけど、ほむらちゃんはまるで気にせず首を横へ振っていて、むしろ嬉しそうだ。
「良いのよ、むしろ着て来てくれて嬉しいわ」
「あ、あの。明日にはちゃんと返すね」
「だから、別に良いのに」
ほむらちゃんは、本当に気にしていない様だった。
それなら、これ以上はこの話をしてデートの時間を台無しにはしたくない。わたしは気持ちを切り替えて、今日の予定について話す事にする。
「あ、ええと。そう……ほむらちゃん、今日はどうする?」
「そうね……まずは適当に遊んで、ご飯を食べましょう。その後は、どう?」
「あ、あー……そうだね。お昼からは映画とか、どう?」
「良いわね。そうしましょう」
想像していたより、スムーズに決まった。
事前準備だと、遊ぶ場所を決めたり時間を決めるのは結構難航したし、結局内容は現地で決めようなんて結論になっていたのに、いざ来てみると三十秒もしない内に決まっていた。
「ほむらちゃん、行きたい所が有るなら言ってくれて良いんだよ」
「特に無いわ」
「あ、あの。別に我慢しなくても良いんだからね?」
「我慢はしてないわ。そう……まどかと一緒なら、何処でも天国だから」
前から準備してあったのか、その台詞は感情が籠もっていたけど、何かを読み上げる様でもあった。
しっかり準備を整えて、変な事を言わない様にしている感じが伝わってくる。ほむらちゃんは、わたしとのデートに全力を注いでいるんだ。
どうしよう。
「……」
「気持ち悪かったかしら」
「い、いや! そんな事無いよ! 嬉しいから!」
自分の中で生まれた焦燥を誤魔化して、勢い良く首を振った。
「そう、良かった。まどか、私が嫌になったら、直ぐに言ってね」
「嫌になんて、ならないよ」
答えながらも、ほむらちゃんの顔を直視出来なかった。
ほむらちゃんがあんまりにも本気過ぎて、冗談じゃ済まされない所まで来ている。
どれくらい誠実にわたしとのデートを楽しもうとしているのか、どれくらい強い気持ちでわたしを想っているのかが、服装やお化粧で、何となく分かってしまう。
友達だから、なんて。そういう言葉では逃げられそうも無かった。ほむらちゃんの全てが本気でわたしを愛してくれていて、わたしとの触れ合いを全力で満喫しようと考えていて、そういう気持ちが理解出来てしまうから。
「少し顔色が悪いわ。まどか、無理をしているのなら、先に何処かで座って休みましょう。時間は、まだまだ有るんだから」
「大丈夫だよ。楽しみで眠れなかったから、ちょっとだけ寝不足なだけだもん」
「そうなの? でも、私と一緒ね。私も今日はとても寝不足よ。隈はお化粧で隠したけど、どう? 見えない?」
「んー……大丈夫だと思うよ」
「そう。なら良かった」
ほむらちゃんは無理に笑おうとしたのか、かなり怖い表情になった。
でも、それを言って傷つける気は無いから、わたしも笑い顔で答える。
「まどかも素敵なお化粧をしているわね。詢子さんから聞いたのかしら?」
「ど、どうして分かったの?」
「あら、まどかはお化粧なんかする必要が無いもの。やり方を知っている筈が無いわ」
遠回しに褒められて、恥ずかしくなった。そういえば、ここは他の人も沢山通る場所なんだし、もし聞かれていたらと思うと、思わず息を潜めてしまう。
そんな私の警戒心を見ると、ほむらちゃんはクスクス笑った。今度は無理をした感じじゃなくて、本当に心から漏れ出した笑い声だった。
「まどかは恥ずかしがり屋さんなのね」
「そ、それはその。えへへ……」
「じゃあ、もっと恥ずかしくなりましょうか」
そう言うと、ほむらちゃんは僅かにわたしの指先へ触れて、躊躇ったのか一度離れる。
けど、次は意を決した様にわたしの指と自分の指を絡めて、わたしに微笑みかけてくれた。
ほむらちゃんの細くて一つの汚れも無い指が、わたしの指を捕らえてる。他の人にはただ手を繋いでいる様にしか見えないかもしれないけど、それはまるでお互いの神経と心が繋がってしまった様で、何もかもが一つになれた様な心地良さが、わたしを夢見心地にしていた。
「まどか……このまま、歩いても?」
「ふぇっ!? え、ええっと。いいよ、うん、ほ、ほら。もっとしっかり繋ご?」
一瞬、意識が溶けそうになった。
ただ触れ合っているだけなのに、こんなにも通じ合った様に感じるなんて。
何か不思議な物を感じる。なんでだろう、ほむらちゃんの中に、わたしが居る様な、そんな気分だった。
「ち、近いね」
わたしとほむらちゃんの間は、殆ど隙間が無いくらい密着している。これまで、何度か近づいてみた事は有るけど、今ほど近づいているのは初めてだった。
心も体も温まる。緊張は、今までより少し楽になった。後は、心臓が静かに高鳴って、幸せな空気を吸わせてくれるだけになって。
すると、そんな様子をわたしの顔を眺めていたほむらちゃんが、思いついた風に問いかけてきた。
「……近くて、ドキドキしてるの?」
「はうっ……う、あの。あの、ほむらちゃん、は?」
「私も、まどかが傍に居て、とてもドキドキしているわ……別の意味で、だけど」
別の意味で、という意味はよく分からないけど、ほむらちゃんがドキドキしているのは、伝わってきた。
絡み合う指から伝わる微かな脈が、それを教えてくれる。ほむらちゃんも、緊張しているんだ。途端に、この澄ました綺麗な顔が、無理をしている様に思えてきて、親近感を抱く。
「ほむらちゃんの指、ほ、細くて綺麗だねっ」
「ま、まどかの指は柔らかくて、かわ、可愛らしいわ」
唐突に褒めたからか、ほむらちゃんは慌ててわたしを褒め返そうとして、言葉を詰まらせた。
余裕ぶってるけど、やっぱり凄く焦ってるんだ。芸術品みたいだったほむらちゃんが、とっても身近な女の子に思えた。
「そ、それじゃ! そろそろ動こうよ!」
「そう、ね」
「ま、まずは何か見て回ろっか。ほら、あそこの雑貨屋さんに行ってみよ?」
「何処まででも着いていくわ」
ほむらちゃんは、わたしに任せるつもりの様だった。
もちろん、わたしだってこの辺りのお店は調べて来てるけど、わたし任せなんてほむらちゃんにしては珍しい。
そういう疑問がバレていたみたいで、ほむらちゃんはわたしに向かって、ウインクをしてくれた。ちょっと、無理をした感じだった。
「まどか。私、誰かと二人だけで遊びに行くなんて、本当に久しぶりなの。だから、エスコートをよろしく頼むわね」
「う、うん! ま、任せて!」
「ああ、はぐれない様に、もっと身体をくっつけておきましょうか」
「う……うんっ」
恥ずかしいから、わたしが先にほむらちゃんと腕を組んむ。
すると、肩と腰が軽く触れ合った。ほむらちゃんの髪がわたしの肩に掛かって、良い香りがどんどん近づいているのが、よく分かった。
これで良いかな。その時、ほむらちゃんがわたしの耳元で囁いた。
「もう少し、近づきましょう」
「えっ」
わたしが戸惑いの声をあげると、ほむらちゃんは素早く腰に手を回してきて、そっと身体を引き寄せてきた。わたしの全身はされるがまま、思いのままになってしまう。
まるで、本当に恋人になってしまった様だった。ほむらちゃんだってはっきりと告白した訳じゃないのに、すっかりカップルみたいな状態で。
「さ、行きましょうか」
「うん……あはは、ほむらちゃん、今日は、何だか……」
「変?」
「そう、じゃなくて……何かな、積極的、って言うか」
そう、今日のほむらちゃんは凄く積極的で、遠慮が無かった。
お店までエスコートするのはわたしの役目だけど、そのわたしは、こうしてぴったり密着した状態で、何も出来なくなっているんだ。
「ふふ、まどか。今日の私はとても積極的なのよ」
「ほむらちゃん。何か、したの?」
「そうね……色々な物で知識と情報を仕入れてきたのよ、そう……折角のデートだもの。女同士のデートというのは、どうすれば良いのかって」
「だ、だからデートじゃないって」
「ふふ。そうね、デートじゃないわ。分かってる」
本当に分かってくれてるのかな。ほむらちゃんの顔を見ていると、どうもそうは思えない。
これは、一応デートじゃない。わたしとほむらちゃんがもっとお互いを分かり合う為に、一緒に遊びに行こうって頼んだんだから、違うんだ。
でも、こんなに気合いを入れて楽しもうとしてくれているほむらちゃんの笑みを見てしまうと、今更デートじゃない、なんて言えるわけも無かった。
「さあ行きましょう。まどか、そこの雑貨屋さんね?」
「そっ、そうだよ。早く行こ!」
「まどか、そう慌てなくても良いのよ」
「えへへっ。楽しみ過ぎてね!」
せめて、目一杯ほむらちゃんを引っ張って、エスコートしてあげないと。
わたしは、とりあえずこの時間を楽しむ事にした。
問題を先送りにしている気がして、心の中だけで、ほむらちゃんに謝った。
本作は性癖に関しても原作準拠です。なので、悪魔ほむらの愛は友愛だし、鹿目まどかにもそういうのは無いです。
だけれど、きっと。まどかに告白されたら、暁美ほむらは自分の感情を偽ってでもそれを受け入れるでしょう。失恋させて泣かせるくらいなら、自分の気持ちを別な物にした方が楽だ。そう考えるのではないかと、私は思います。まどかの幸せになれる世界の為なら世界だって滅ぼせるし、百合カップルにもなれる。それが悪魔ほむらの意思ではないかと。勿論、そこに徹しきれないからこそ暁美ほむらの弱さと魅力が引き立つのですけどね。
鹿目まどかの側も、大切な友達に『好き』という表現を受けたら、物凄く戸惑いつつも、どうにかして傷つけない様な道を選ぶと思います。断って嫌われたくない、という気持ちも有るでしょう。いや、そもそも。彼女なら優しさの余り受け入れてしまうかもしれないね。彼女は、良い子過ぎる良い子ですから。