その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~ 作:本間・O・キニー
「魔王を倒したら、女神様と結婚できるらしいですよ」
朝食後の緩やかなひとときを堪能する暇もなく、またいつものように唐突な話題が始まった。
「女神様って、あの愛の女神様ですか?」
「そうですそうです。ご先祖様が魔王を倒した後、愛の女神様を娶ったという言い伝えがあるんです」
「それは……なんというか」
神様が直々に何やってるんだとか、褒美は美女ですなんて神様のくせに俗物的すぎるとか、色々と思うところはあるけども。
「じゃあ、姫様って女神様の血を引いてるんですか」
「一応、そういう事になりますけど。そこなんですか、気になるところ」
そりゃ気になる。
女神のような顔だとは常々思っていたが、まさか本当に女神から受け継がれたものだったとは。
しかし、そう言われてみれば、思い当たる事もある。
美貌だけではない。微妙にズレた思考や感性。それに、ともすれば人間味がないようにすら感じてしまう、底の見えない慈愛。
姫様のそういった部分が神の血に由来するものだというのなら、少し納得できる気がした。
「それよりも、女神様ですよ女神様! そんなお方と結婚できるなんて、男の人なら憧れたりしないんですか?」
「そう言われましてもね……」
そこで、ちょっと思いついて。
「女神様なら、もう間に合ってますから」
冗談っぽく言ってみると、気づいたらしい姫様が、顔をほんのり赤らめて。
あっという間に、沈黙が訪れる。温かな沈黙が。
しばしの間、愛しい人と見つめ合いながら、穏やかに流れる時を味わい続けた。
「そろそろ、行きましょうか」
「……はい。行きましょう」
風が、強く吹き始めた。
巻き上がる砂埃の向こう、暗雲立ち込める空の下に、漆黒の威容がそびえ立つ。
それこそが魔王の居城。俺たちの目的地だった。
魔王は聖剣との対決を望んでいる、とは誰が言っていたのだったか。
その言葉が真実であると主張するように、城の内側から尋常でない気配が垂れ流されている。
そもそも、この城の場所も、向こうから教えてきたのだ。
近頃はちょっと知能の高い魔物に遭遇すると、どいつもこいつも親切に、この城の事ばかり話しやがる。
まったく、どこまでも舐められたものだ。
「必ず、あのふざけた魔王とやらを倒します」
「……騎士様なら、できますよ」
そして、二人歩きだした。
城の正面に位置する、固く閉ざされた城門。その両脇に仁王立ちする、見上げるほどの体躯の門番達。それらを纏めて、聖剣の一閃で両断した。
分厚い金属の残骸が崩れ落ち、轟音が撒き散らされる。それが、開戦を告げる太鼓の音となった。
城内に侵入すると、すぐに熱烈な歓迎をされた。
狭い通路や部屋を埋め尽くすような魔物の大群。それらが一斉に襲いかかってくる。
だが、問題は無い。
聖剣を一振りすれば、右陣の集団が消し飛んだ。返すようにもう一振りしたら、左陣の集団も消し飛んだ。
無人の野を行くように、長い廊下を駆ける。
頭上を飛び越えた魔物が、後方の姫様を狙おうとする。
無造作に聖剣を突き出せば、刀身から矢のように光が撃ち出されて魔物を貫いた。
聖剣から激しく光が迸っている。愛の光が。姫様への愛が、燃え上がっている。
もう、何者にも負ける気はしなかった。
広い階段を駆け上がった先、一際大きく豪奢な扉を斬り開く。開けた視界のその向こう、荘厳な大広間の最奥、玉座から立ち上がる一つの影。
最後の戦いが始まる。
戦いは、あっという間に終わった。
いや、それは戦いと言うには、あまりにも一方的だった。
問答無用で魔王の懐に飛び込み、無防備な胴体に聖剣を叩き込んだ。
その一撃が、あっさりと弾かれた。
負けじとがむしゃらに剣を振るい続けたが、魔王の肌に傷一つ付けられない。
そして、魔王がただ片手を上げただけで俺の体は弾き飛ばされ、こうして床を舐めている。
圧倒的な、力の差。
「先代の魔王が敗れ去った聖剣。それに打ち勝って初めて、余は魔王として立つことができる。そう思っていたのだがな」
魔王の冷酷な視線が、無様に地面に這いつくばる事しかできない、俺の姿を捉える。
「こんなものか」
敵とする価値もない。その眼が告げていた。
「姫様……どうか、逃げて……ください……」
魔王から顔を背け、思うように動かない体でなんとか後ろへと振り返り、懇願する。
この力の差、この状況で、それはあまりに望みの薄い願い。
それでも、今の俺にできることは、それしか残されていなかった。
「逃げてみてもよいぞ。期待外れの聖剣の代わり、余興くらいにはなろう。捕まったら、宣戦布告の書状代わりに加工して、貴様の祖国へ送りつけてやるがな」
守ると誓ったはずなのに、結局俺は姫様を守ることができない。
かつて魔王を倒したはずの聖剣が敗れた。純粋なる愛の力で、万物を断つと言われた聖剣が、敗れた。
それはつまり、俺の愛が、姫様への愛が、足りなかったということ。俺が、姫様への欲を捨てきれなかったということ。
その事が、ただ悔しかった。
「……すまない」
最後に漏れたのは、謝罪の言葉。
ぐにゃりと歪んだ視界の中の姫様は、逃げようとする様子もなく、静かに立っている。
俺の頭に渦巻く自責も後悔も、全て分かっているというような顔をして。
「騎士様、そんなに自分を責めないで下さい。人間、本当に純粋な愛なんて、そうそう持てるものじゃありませんよ。愛する人が傍にいれば、必ずどこかで欲が出ちゃいますって」
「でも……かつての聖剣の使い手は……」
「ええ、かつて私のご先祖様は、それを持てたはずなんですよね」
こんな状況でも、姫様は笑っている。
きっとそれは俺を元気づけるために。自分の身など、どうでもいいというように。
「私、言いましたよね。ご先祖様は、女神様をお嫁に迎えたって」
やっぱり、姫様の話は唐突で、何を言おうとしているのか、戸惑ってしまう。
「でも、それっておかしくないですか? ご先祖様には、純愛の聖剣を真に扱えるほどに、愛した人が居たはずなのに。その人じゃなくて、女神様と結婚するなんて」
ただ、よく分からない不安が全身を駆け巡った。
「きっと、その時も、こういう事だったと思うんです」
真っ赤な華が咲いた。
姫様の胸元から、そこに突き立てられた短剣の先から、赤い花弁がダラダラと伸びていく。
花弁が広がるにつれて、姫様の体が熱を失っていく。
その、最後の一片が落ちた時。
姫様は、息絶えた。
最後まで、いつものような笑顔で。
最後まで、俺は姫様の事を理解できていなかった。
後ろで誰かが喚いている。けれどその音が、頭に入ってこない。
目の前には、姫様だったものが転がっている。
その身体に散々心を乱された。その顔に何度も勇気づけられた。
その身体を好きにしたいと思わない時は無かった。その顔に、ずっと笑顔でいて欲しいと望んでいた。
でも、姫様はもうどこにもいない。ただの抜け殻しか残っていない。
ずっと心にあったいくつもの想い。願い。望み。
拠り所を失ったそれらが、心の中に白く溶けて消えていく。
最後に残ったのは、愛だけ。
ただ姫様を愛した、その心。それだけは、たとえ姫様がいなくなっても、きっと永遠に残り続ける。
それは、純粋な愛。
いつの間に立ち上がっていたのか、自分でも分からなかった。
視界の中、ありとあらゆる方向に、眩い光が渦巻き溢れている。その光は、自分の手の中から出ているようだった。
次第に勢いを増す光の奔流が、視界を埋め尽くしていく。何もかもが白く染め上げられていく。
真っ白な世界の中で、全てが消滅していく。
やがて、光が収まった時。
そこには、まっさらな大地だけが残されていた。
こうして、俺たちの旅は、終わった。