その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~ 作:本間・O・キニー
式典というものは苦手だ。ましてや、自分がその主役になった時なんて。
「これより魔王討伐に赴く勇敢なる騎士殿よ。貴公に、我が国に代々伝わる聖剣、ソード・オブ・ピュアハートを授けよう」
一段高い座席からこちらを見下ろしていた初老の男、この国の王たる男が高らかに宣言する。同時に覆いが取り払われ、一振りの剣が目の前に姿を現した。
見渡す限りの群衆が、割れんばかりに歓声を上げる。その大音量に包まれながら俺はゆっくりと歩を進め、剣に手をかけ持ち上げる。
そして――危うく、取り落しそうになった。
この剣、妙に重い。
外見はただの装飾過多な細身の剣。さほど鍛えていない女性ですら、簡単に振り回せそうな華奢な刀身。
それなのに、腕にずっしりと伝わってくる重みは、明らかにその程度のものではなかった。普段使っている肉厚の直剣と変わらない、見た目と乖離した重量。
視覚と体感の不一致。奇妙な感覚に困惑する俺へと助け舟を出すように、国王が再び口を開く。
「それは邪欲を嫌い、愛を尊ぶ剣。欲望にまみれた者が持てば重たいナマクラと化し、純粋な愛を心に宿す者が持てば羽のように軽くなるという。清廉潔白にして優秀な騎士と名高い貴公であれば、見事その聖剣を使いこなせるであろう」
持ち主を選ぶ剣。確かに、古い伝説にはそういった武具が数多く登場していた。この聖剣もその一つだというのなら、この不思議な性質も理解できる。
だが、一つ大きな問題があった。
「お言葉ですが陛下、私は剣を振る以外に能のない男。この歳になるまで、女性とは無縁の暮らしをしてきました。そんな私が愛の聖剣を頂いても、到底扱えるとは思えないのです」
魔王討伐を命じられた騎士が、公衆の面前で主張するにはあまりに場違いで情けない言葉。
だが、目の前の男は気にした様子もない。
「無論、その事も把握しておる。確かに愛する者が居なければ、愛の聖剣は扱えぬだろう。故に、もう一つあるのだ。貴公に受け取ってもらう、品がな」
そう言って国王は、笑った。式典の間ずっと厳格な顔を崩さなかった男が、ニタリ、という音の聞こえてきそうな顔で、口を歪めて。
そして、その手が挙げられるのを合図に、一人の少女が壇上へと登ってくる。
まだ年若い、美しい少女だ。夜空に輝く星を集めて織り込んだかのような銀色の髪。極上の宝石をはめ込んだようにきらびやかな瞳。整った顔に浮かぶのは、慈愛に満ちた笑顔。
愛の女神がここに降臨したと言われても信じられる程に、その容貌は優美であった。
「我が娘だ。預け先の神殿では聖女などと呼ばれておるらしい。この娘を、貴公に与えよう」
「それは、どういう」
「わからんのか? この娘を愛せと命じておるのだ。それも、純粋に。そして共に旅をして、その愛で聖剣の力を解き放ち、魔王を討伐せよ」
とんでもない命令を、平然と言ってのける国王。
魔王を討伐するために、この少女に愛を捧げる。
目眩がしてくる。
「愛するなどとそんな簡単に……そもそも、彼女の意思はどうなるのですか!」
「前々から貴公の事は伝えておった。この娘も貴公を憎からず思っている様子。貴公が聖剣を託される理由は、武勇や人柄だけではないという事だ」
いつの間に、と言う他ない。退路は周到に潰されていた。おそらく、首を横に振らせてくれる気は無いのだろう。
もちろん、彼女ほどの美少女に好かれていると言われて、悪く思うわけはない。
危険な旅に同行させるという点には疑問が残るが、聖女というからには治癒魔法の心得くらいあると考えていいだろう。
王命を拒否するほどの理由などない。しかし。
「後は貴公の意思だけだが……もしや、この娘に何か不満でもあるのかね?」
「い、いえ。不満などありません。私にはもったいない程の女性です」
「ならば、よろしい。早速旅支度をして、出立せよ」
こうして、全ては決定事項となった。
魔王討伐パーティー二名様の壮行式は粛々と終了し、知らぬうちに準備されていた二人分の荷物と聖剣を背負うと、同じく準備されていた馬車に一緒に乗り込み、流れるように王都から送り出されたのだった。
「騎士様! これからよろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします。姫様」
溌剌とした声で、ようやくの最初の挨拶をする少女に、つっかえながらもなんとか返事をする。
第一印象の超然とした態度が嘘のように、少女は実に屈託のない笑顔で話しかけてきた。
くるくると表情を変えながら言葉を紡ぎ、ぎこちない俺の返事にもいちいち喜び、はしゃぎ、微笑んでくる。たまに思い出したかのようにうつむいて、頬を染めながらこちらを見つめてくる、その仕草がこの上なく愛らしい。
可愛らしさを人の形にしたような、そんな少女だった。
そして、その胸は異様なほどに大きかった。
尻もデカくて、ふとももはムチムチだった。
聖職者の身分を示す純白の衣装は、その豊満さを隠すにはあまりに貧弱だった。
女神の顔をしたお姫様のその身体は、どう見ても淫魔のそれであった。
この少女を愛する。
この少女に欲望を持たず、純粋に愛する。
いや、無理じゃねえの。
背中の聖剣、邪欲を嫌い純愛を尊ぶ聖剣ソード・オブ・ピュアハートはそんな俺の思考を咎めるかのように、ずっしりと重くのしかかってきていた。
丸一日かけて街道を馬車で走り抜け、国境沿いに位置する城塞都市にて一泊。巨大な城門脇の通用口から外に出れば、そこから先は人の支配の及ばぬ広大な世界だ。
このずっと向こうに、魔王の居城がある。
奴らが伝える歴史書を信じるならば、百年以上にわたる魔物界の戦乱を制した覇者、第十七代魔王。人間にとって確かな事は、魔王と呼ばれる存在が、今まさに人間界への侵攻を企んでいるという事だけ。
だから、その前に聖剣で魔王を滅ぼす。それが、俺の使命だ。
魔物界に入って最初のお出迎えは、早速現れた。
歩き続けて、城塞都市の姿が丘の向こうに隠れていった頃のこと。少し前の地面が突如として盛り上がり、人間並みに大きい、流線型の頭をした毛むくじゃらの獣が飛び出してくる。見覚えのある低級の魔物だ。稀にトンネルを伸ばして、国内にまで侵入して来たりする。
「騎士様! 頑張ってください!」
こちらが指示するより早く、飛び退いて魔物から距離を取る少女。事前の打ち合わせ通りの動きだった。このお姫様、思っていた以上に飲み込みが早い。
後は俺が手早く魔物を倒すだけ。それだけなのだが、一つだけ、本当に一つだけ、シンプルでありながら、重大な問題があった。
魔物にまっすぐ対峙した俺は、ずっと背負っていた聖剣を抜き放つ。しっかり力を込めて、ゆっくりと、万が一にも落とさないように。
この聖剣、昨日よりずっと重い。
この一日ちょっとの旅路の思い出が、走馬灯のように蘇ってくる。
馬車の中。ガタガタ揺れる座席の上で、ぷるんたぷんと豪快に揺れる肉。
頬を赤らめて「名前で呼び合うなんて、恥ずかしいです」などとのたまいながら、無自覚にくねくね蠢く肢体。
街に着いて、当然のように用意されていたダブルベッドの上で、無邪気に押し付けられる温かさ。
目覚めて真っ先に視界を埋め尽くした、無防備な肌。
気がつけば俺の欲望の重みは、片手で構えれば手が震えそうなほどに増大していたのだった。
そして、心の中は涙で溢れていた。あまりにも無慈悲な聖剣と、あまりにも薄弱な自分の理性に。
しかし、いつまでも嘆いているわけにもいかず、改めて目の前の獣に意識を向ける。
俺が一人で悶々としている間にも、大型獣はジリジリと距離を詰めようとしてきていた。剣をまともに振れない今の俺には、非常に危険な状況。
と、いうわけでもなかった。
実のところこの魔物、非常に弱い。かつて遭遇した同僚は、素手でも平然と殴り倒していたくらいである。
ただただ聖剣を満足に扱えない自らの問題が、この戦闘をややこしくしていた。
いっそこの重たいゴミを投げ捨てて、拳で倒す。それでいいんじゃないだろうか。
そんな、短絡的な方向へと思考が傾きつつあった時――後ろから突き刺さる、熱い視線に気づいた。
お姫様は、キラキラとした眼で、こちらを見ていた。
その視線は、どう見ても俺の手の中の重たいナマクラ剣に向けられている。
その様子を見て、頭の中に一つの言葉が蘇ってきた。
「騎士様の私への愛が、その剣の力になるんですよね」
この旅の中で、彼女が幾度となく呟いた言葉だった。
何度でも確かめるように。俺の心に刻み込むように。少女自身に刻み込むように。
その言葉を口にする時だけ、少女は一瞬とても空虚な眼をする。
それが何を意味するのか、俺には分からない。
だが、もし俺がこの剣を投げ捨ててしまえば、彼女は何を思うだろうか。どんな顔をするだろうか。
そう思った時、手の震えは自然と止まっていた。
真っ直ぐに剣を構え、目の前の敵を捉える。
そして力の限り振り下ろした。
ただ彼女の期待に応えるために、口先だけの言葉を叫びながら。
「これが! 聖剣の力だ!」
袈裟斬りになった獣は、純白の光に包まれて消滅していく。
それを見届けて振り返ると、そこには桃色に染まった大輪の花が咲いていた。
今もまだ、聖剣は重たいままだ。
こうして彼女を見ている俺の心は、汚い欲望にまみれている。
でも、この旅をしているうちに、いつか辿り着けるだろうか。
純粋な愛、というやつに。
「さあ、姫様。先を急ぎましょう」
そう言って、聖剣をしまいながら、手を差し伸べる。
ちょっと気取った顔をして。まるで愛に生きるおとぎ話の騎士様のような真似をして。
そして姫様はその手をガン無視して、飛び込むように全身で抱きついてきた。
「騎士様! 騎士様! 騎士さまぁ!」
間近で戦闘を見た興奮からか、昨晩より上気した肉体が全力で擦り付けられる。背中の重みが急激に増加し、前からは押し込まれ、もつれ合うように大地に転がった。
なおも蠢く重荷の主は、当分は俺の声を聞いてくれる気が無さそうだ。
顔にかかる銀の糸の隙間から、どこまでも青い空を眺めてしみじみと思う。
やっぱり、純愛とか無理じゃないだろうか。