黄昏に染まる空の果て ― 紅《くれない》黙示録 ―   作:nyan_oh

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―― 《道標 ―みちしるべ―》 ――

 アレスの()ぶ声で起こされた。

 

 ずいぶんと疲れがたまっていたようだ。ひさしぶりに安心できる寝床へついた途端、意識をなくしてしまった。

 起きてみれば、ひどく汗をかいていた。

 部屋に湯を用意してくれと扉ごしに話すと、間も立たぬうちに女中があらわれ、王族用のゆぶねへと案内された。

 服を脱ぎ、あたたかい湯に身を(ひた)すと、緊張したからだがじわりとほぐれていく。

 

――悪い夢を、見た気がする。

 

 逃走に次ぐ逃走。

 緊張の連続で、心も、体も、休まることなどなかった。

 常に奴らの襲撃におびえ、片時も愛用のクレイモアーを手放すことはできなかった。

 振るうこともなかったというのに。

 

――わたしは、逃げたのだ。

 

 対峙することなく、背中をみせてぶざまに逃げたのだ。

 父のように、勇敢に立ち向かうことなく。

 刈り取られた首を、取り返すこともなく。

 屍となった父を、置いて逃げたのだ。

 

――こんなわたしが、誰を率いるというのだ。

 

 自嘲(じちょう)する。

 昨日のヨークランド王の言葉は、頭を冷やす良い機会をあたえてくれた。

 あのときのわたしは、狂っていた。

 復讐という狂気に。

 他国の兵を犠牲にし、復讐の中で己の命を果てようとしたのだ。

 

――なんのために逃げ延びたのだ。

 

 犠牲となった者たち。

 彼らに背を向け、わたしは一人助かることを選んだ。

「…………」

 父の背中を見ていた。

 ずっと。

 そうありたいと思っていたのに。

 わたしは、己の弱さが憎い。

 弱さに負けようとする、心が憎い。

 

「王亡き今、彼らを率いるのは、もはやあなたしかいないのです」

 

 姉さま。

 あなたすら、わたしを責めるというのか。

 ふがいないわたしを責めるというのか――

 

 (おさな)い頃、一人でいたわたしの手を取ってくれた、優しい手。

 泣いていた自分に投げかけてくれた微笑み。

 唯一、心を許すことのできた女性。

 

 あからさまな政治的配慮により、遠い異国へ嫁ぐことが決定したときも、否定することなく微笑みを浮かべてうなずいた。

 誰も味方のない場所へ嫁ぐというのに、己の行く末よりも、残される妹の心配をするような人だった。

 今思えば誰より、父に近い考えを持っていた気がする。

 

 そうなのだ。

 

 最初から、わかっていたのだ。

 姉さまは、わたしにやるべきことを教えてくれたのだ。

 絶望に、押しつぶされないための(みち)を――

 

 湯船から立ち上がる。

 迷いはなかった。

 

 たとえ、どれほどこの身が傷つこうと。

 ()すべきことを()すために。

 

 父の跡を継ぐ。

 

 そう、決めた。


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