黄昏に染まる空の果て ― 紅《くれない》黙示録 ― 作:nyan_oh
「わたしは、この場にて待機しております」
おびえる少女にすがりつかれ、イャハムは苦笑しながら告げた。
「そうですね。入り口がふさがれようものなら、逃げ場はありませんから」
ミリアムが冷静に相づちを打つ。
「うむ。頼む」
「ニイサン、武器を姫さんにくれちまってよかったのか?」
ショートソードを肩にかつぎ、アレスが首をかたむけて尋ねた。
「丸腰じゃ、その子一人守れねえだろ」
「心配ない」
背後に回したその手の中に、手品のように小刀の柄が握られていた。
ヒュゥ、と口笛がなる。
「やっぱ、貴族さんってな、立派なもんもってんな」
刃渡り50センチ程度の”グラディウス”。だが、貧相な素材ではなく、一流の細工師が技巧と技術を駆使して作られた業物だ。
「家宝の刀剣だ。唯一持ち出せた、な」
「そうか――ならば、貴公の父と母が守ってくれるであろう」
帰ってきた家紋の剣にふれて、目を閉じる。
お父様――わたくしをお守りください。
「お気をつけて」
「ああ」
「明かりをつけましょう」
ミリアムが短くつぶやくと、宙の一点に青白い光が収束し、ほのかな光が満ちた。
オリヴィアとイャハムが身構える。
「ライトの魔法です。たいまつの光よりも、遠くまで見通せます」
「そ、そうか。うむ」
「なにやってんだ? おまえら?」
アレスがあきれた声を出す。
さきほどの業火の威力に、魔法に対する畏怖がしみこまれてしまったようだ。それほどの衝撃だったのだが、アレスにとってはごく当たり前な光景らしい。
「なんでもない。いくぞ」
「お気をつけて」
後ろから、イャハムの言葉が投げかけられた。
「鍾乳洞だな」
ポト、と
洞窟は狭く、オリヴィアを先頭にミリアム、アレスと続く。戦闘の不得手なミリアムを守る陣形だ。
急襲に備え、鞘走らせてブロードソードを抜きさる。手入れの行き届いた刀身は魔法の光を反射し、暗闇に矢のような光を放った。
「人の気配がないな」
「はい……」
「生きてる気配がねぇ、ってか?」
「まだ先はある。死体もないであろう」
言葉とは裏腹に、心の中で歯噛みする。たしかに、人の気配がなさすぎる……
この洞窟自体、どれほどの深さがあるかわからないが、村人たちはどこまで逃げたのだろうか。すでに入り口で待つイャハムの姿は見えない。
「――岩が多いな」
ゴロゴロと、所々に目立つ岩がいくつも転がっている。明らかに鍾乳洞とは別の素材でできた岩だ。
「待ってください」
ミリアムの声が先をいくオリヴィアたちをとどめた。
「これって――」
「!」
視界のはしを影がよぎる。
「なにかいるぞ!」
ブロードソードを構えて警戒を呼びかけるが、向き直った方向にはなんの変哲もない岩が転がっているだけだ。
「気のせい、か」
警戒を解いた途端、また視界の隅でなにがかうごめく。
しかし、見覚えのある岩しかない。
疲れているのか?
ポタ、と肩の上に水が落ちてきた。
ジュッ
焼け焦げた臭いが立ちこめる。
それがすぐに、自分の肩当てだと気づいた。
「オリヴィア様!」
言われる前に肩当てをはずし、投げ捨てる。焦げる臭いは止まることなくシュウシュウと鉄を腐食させ、やがて大きな穴をあけた。
「なんだこれは――」
「離れてっ!」
ミリアムがぶつかるように体当たりしてきた。
鍾乳洞が作り出した水たまりへ押し倒され、水の中にしりもちをつく。
それが幸いした。
「なんだ……あれは」
見上げた光景に唖然とした。
自分のいた場所の真上に、人がぶら下がっている。
いや、ぶら下がっている、というのはふさわしくない。足を上に、頭を下にした人間が、まるであえぐかのように口を開いたまま、取り込まれている――岩のような形をした怪物の内側に。
彼か、もしくは彼女は苦しげに身をよじらせては、ブクブクとおぼれるように岩の内側でもがき続ける。性別がわからなかったのは、あるはずの皮膚がのこらず溶けて、赤い筋繊維がむき出しになっていたからだ。その筋繊維すら、じっくりと溶けてじわじわと失われていく。やがて、骨だけになるだろう。――骨すら、失われるのかもしれない。
ひと思いに殺したほうが、どれだけ楽か。
「しくったな……囲まれてるぜ」
その岩のような生物は、至るところで犠牲者を丸飲みしていた。おそらく彼ら彼女らは、救い出しても生きることは絶望に等しい。
「剣が効くとは思えねえな」
溶かされた肩当てを見て、苦々しくアレスがつぶやく。剣も鉄の合金だ。斬りつけたところで溶かされるのがオチだろう。
「どうするよ?」
アレスに問われ、オリヴィアは紅い瞳で得体の知れない敵を睨んだ。