黄昏に染まる空の果て ― 紅《くれない》黙示録 ― 作:nyan_oh
「人の入った形跡はあるか?」
「はい。踏み荒らされたあとがありますね」
地面を調べていたイャハムが言葉を返す。水気を含んだ雑草が荒らされ、いく人ものひとが駆けたあとが見て取れる。
「人だけか?」
「おまえは皮肉しか言えないのか」
イャハムの強い視線に肩をすくめるアレス。蒼《あお》い顔色をした小柄な少女が、不安げに
「用心に越したことはないな」
オリヴィアはクレイモアーに手をかけ、ズシリとした存在を確かめた。
「姫さま、洞窟内でそれは使えないでしょう」
優しく少女の手をほどき、腰に差している片手剣をはずす。
ヴィステリア王家の紋章が鞘に刻まれた
「こちらをお持ちください」
「――昔、おまえに譲ったものだな」
「はい。姫さまに打ち勝ったときの贈答品にございます」
微笑するイャハム。
当時、騎士見習いたちに混じって剣の修練をすることが日課だった。自分たちの仕えるべき姫君が、同じ修練の場で汗水を流すことに最初とまどっていた彼らも、日が経つにつれ、当たり前のようになっていった。
武術の訓練をすれば、試してみたいと思うのが人情というもの。
見習いたちは毎週のように剣術の練習試合を開いた。それは練習場の一角で行われ、見習い以外の正規の騎士たちも見物にやってくることも多かった。
オリヴィアも参加を願い出たが、いつも見習いたちでなく、見物人である騎士たちから猛反対された。万一姫君の身に、が二の句だった。見習いたちはいずれ従者として仕え、彼らから一人前の免状をいただく必要がある。それがために正騎士の言葉に逆らえず、オリヴィアは
しかし、例外はどこにでもいる。
イャハムは王族の次に並ぶ
「では、わたしと試合をしましょう」
それは決闘の申し出というより、舞踏会にでも誘うような口上だった。
侯爵という地位に適うものなどそうはいない。彼の挑戦状に誰もけちがつけられるはずもなく、オリヴィアは生まれて初めて、実力をふるう機会を与えられた。
結果――惨敗した。
自分とそう変わらない歳なのに、剣術の腕前ははるかに格上だった。二、三回剣を交えただけで、木刀が宙を舞い、突きつけられた刃の向こうに、草原のような微笑みが吹き抜けた。
「あなたは、守られるほうがよいですか? それとも、守るほうがよいですか?」
真っ白なあたまに、柔らかな声が差し込んだ。
守るほうがよい、と答えた。
守られることなど、まっぴらだった。
「それでは、あなたは立つべきです。わたしは全力であなたをサポートしましょう」
イャハムはひざを折り、まるで正騎士たちが父にそうするように、
くやしさで胸がいっぱいだったが、みっともないところなど晒したくはなかった。試合にのぞむためにはずした護身用の剣が目に入り、父の姿を思い出して
そして”賢王”である父から贈られた剣は、イャハムの手に授けられた。
それ以来、この剣は彼のものとなった。
「まさか、再びこれを手にするとはな」
「いつか姫さまが、わたしよりも強くなったなら、お返しするつもりでした」
「強くなったか? わたしは」
「ええ」と、イャハムはうなずいた。
「思い出話もいいけどよ、今はそんなときじゃねえだろ?」
「わかっている」
ブロードソードを腰に差し、表情を厳しく洞窟の中へ定める。
「民を守るためにこそ、わたしの剣はある」