黄昏に染まる空の果て ― 紅《くれない》黙示録 ― 作:nyan_oh
山裾に光はなく、うっそうと茂る木々が昏い影を落としている。
夜のとばりは低く、重くのしかかるかのように辺りを取り囲み、時折聞こえるフクロウの声が、隙を突くかのように耳に届く。心臓の音すら、この静寂ではうるさく聞こえるほどに。
「休憩にしましょう」
先頭を行くアレスがショートソードを鞘にしまい、振り返る。
「そうですね」
ミリアムが疲れた顔をしてうなずく。
「――火をつかえぬのはつらいな」
「申し訳ございません。あれらに見つかる可能性を
「わかっている」
口にしてみただけだ、と言葉に出し、オリヴィアは足下に突き出ていた木の根に腰掛けた。
厚手のインナーに鎖で編まれたチェーンメイル。細い腰に巻かれたベルトには大小の短剣と、局所的な急所を守るために身につけた
「野宿に抵抗はない。これでも、傭兵家業でならしている」
「一国の姫が傭兵? どこの笑い話だよ」
アレスがミリアムの隣で皮肉に笑う。
バカにした言いぐさに、イャハムが怒気をはらんで前に立つ。
「姫さまの
「あぁ?」
「やめろ」
「やめなさい」
ともに格上の者からたしなめられ、にらみ合いながら距離をとる。
「ご無礼をお許しください、オリヴィア様」
「かまわん。それの性格はなおらないことも理解している」
「たった数日でわかったような口にきくんじゃねえ」
「それに、強行軍が一番つらいのは、ミリアム殿。そなたであろう」
親身になったその言葉に、3人から視線を向けられたミリアムが、
「いえ。これも、我が国のため」
「我らは体力には自信がある。しかし、貴殿のような学問に重きを置くものは、野外で長くいることも苦痛であろう」
「ミリアム様、ここらで野宿しませんか? お顔がすぐれません」
オリヴィアのときと打って変わった口調で、アレスがミリアムの体調を心配する。
「ありがとう、アレス。大丈夫だから」
「では、水をだしましょう」
背負っていたズックを引き下ろすと、革袋を取り出してひもをほどいたものをかいがいしく差し出した。
「ありがとう」
「偵察任務というのも大変なものだ」
「姫さま、こちらも水を出しましょうか?」
「いらん。……タメを張るな」
遊撃隊と言えば聞こえはいいが、実質小間使いにすぎぬのではないか、と思う。傭兵時代は身分を隠し、
そう、無知であった自分が、たった一人で野獣どもの中を生きていけるわけはなかった。頼りになる仲間がいたからこそ、わたしは己を鍛えることに集中できたのだ。
彼らは無事、逃げ延びただろうか。
「しかしミリアム殿。黒峰騎士団所属であるあなたが、われわれと行動をともにすることが理解できない。今は公国を化け物ども奇襲から守るため、警備を厳重にするべきではないのか?」
ヨークランドはヴィステリアの隣国だ。他の国へと流れる可能性もあるが、決して低い確率ではない。
「無知の知では策も練れません」
水袋をアレスに返し、ミリアムは強い光を放つ目を向けた。月明かりだけだというのに、彼女の瞳にはその光すら跳ね返すほどの気高さがある。
「そのためには、敵を知ること。戦略も、戦術も、すべてはそこからです」
「ふむ」
敵に回すと恐ろしい人物だな、とオリヴィアは思った。なにより、自ら危険を省みず、意志のために行動を起こす女性だ。ドンブル卿が一目おくのも必然か。
ミリアムからの要請により、ヴィステリア騎士・兵士たちはヨークランドの兵らとともに、領内に化け物どもの足跡がないか、偵察にかり出された。代償は、逃げてきた民たちの生活の
不便をかけていると思う。
「お
「怪物どもについて記述された本はないのか?」
「王立図書館にていくつか文献を見てみましたが、どれもおとぎ話の域をでない空想の産物で……魔法大国であれば、さまざまな実験から正確に足る情報がありそうなものですが――」
「あそこは魔神すら飼っていると聞くな」
かの国の技術は、周辺諸国のそれよりはるかに先をいっている。それらを用いれば、ヴィステリアやヨークランドといえど、太刀打ちできないかもしれない。それほどに不気味で底の知れない国だ。
唯一喜ぶべき事は、その技術が決して侵略という手段に用いられないことだ。ヴィステリアよりもさらに、他の国に興味がない国。
いや――
比べるべきではない。
たとえ隣国が滅ぼされようと、無関心を決め込む。そんな国だ。
「ミリアム殿は、なぜ魔法大国を――」
「姫さま」
するどくイャハムが叫んだ。
反射的にクレイモアーに手をかける。
「煙が上がっています」
イャハムがきつくにらむ先に、夜の色と異なる黒さで細々とのぼっていく煙が見えた。それらはいくつも立ちのぼり、わずかに朱いかがやきが見て取れる。
「――このあたりに集落があるのか?」
「はい。小さな村が」
強い決意を込めたまなざしでうなずくミリアム。
「化け物どもめ。もうオレたちの国にはいってやがるのか!」
「いくぞ」
クレイモアーから手を離し、銀髪を闇に踊らせてオリヴィアは駆けた。