「ニャー!車輪の部分が壊れちゃったのニャー!やけに不安定だとは思ってたけど……あーもーボロいのはこれだから駄目ニャー!」
「あんなに揺れたの初めてです―――いっぱい揺れて、楽しかったですね」
「…夜は意外に…じゃじゃ馬だったんだな……これが楽しいとか―――うっ、…」
「す、スウィーツさん!?大丈夫ですか!?…あ、あの、飼い主さんは……飼い主、さんは…」
「………(咲の背中から、人を何人か殺してきたかのような覇気が…)」
「…………」
「に、にゃー…咲さん、申し訳ないけど、ちょっと待ってて欲しいのニャー」
「…………」
「……ご、ごめんなさい、にゃ」
「……………」
――――飼い主さんの背中にくっつきながらこんにちは、元兎の夜です。
あれから飼い主さんは無言で少しばかりナルガっていたのですが、今の(不機嫌さからくる)あまりのナルガっぷり(怒気というか何というか)にネコタクの猫も怯えています……。
「い、今、修理するから……待っててほし…くださいませ、ニャ…」
「………」
飼い主さんは待つのが嫌いな方だから、口にはしないけど態度に出るのです。空気が非常に重苦しいのです。
ですがその空気(思えばあの激しい揺れも)を物ともせず、チェダーさんは荷物と腕を枕に器用に寝ています…。
肩を貸そうかとチェダーさんに(顔色真っ青なのに)声をかけていたスウィーツさんは、やがて体調が治ると何処から引っ張り出したのか、何度も石を投げて(多分ペイントボールの)練習をしていました。
「あ、そうニャー!近くに綺麗な滝があるニャ、見に行ったら如何ですかニャ!?その間に僕が直しておくニャっ」
「………」
「あ、俺はいいや。チェダー起こすのもアレだし」
「………」
「………にゃ…」
尻尾の毛が逆立ってしまっている猫が、助けを求めるように私を見るので―――思わず、「見たいです…」と飼い主さんの装備を引っ張って強請りました。
引っ張る手がびくびくしていたのはきっと、飼い主さんにもバレてる事でしょう……一向に振り向かない飼い主さんの代わりに、スウィーツさんは何故か投げた石を急カーブさせながら了承してくれました。
「ああ、じゃあ言っといで。俺がチェダーと荷物、見とくから」
「ご、ごめんなさい…」
「いや、別に良いんだ―――咲、連れてってやれよ」
「………」
「ぴっ」
振り返った時の飼い主さんの顔(※ナルガ頭装備)が恐ろしくて、変な声が口から弾けるように飛び出てしまいました。
奇声を上げる私に降りるようにジェスチャーした(それもそれで怖かったです)飼い主さんは無言で太刀を引っ張り出すと、軽やかにネコタクから降ります。
「あ、私の―――」
「此処は危険なモンスターが出ないから大丈夫だ。何かあっても咲がすぐ終わらせるさ……"下位クエストだし"」
「………」
ぼそっと呟くスウィーツさんを睨みつけますが、飼い主さんは一言も発しません―――それってかなり機嫌が最悪ですよね、二人で滝を見に行くの、よくなかったんじゃ………。
「か、飼い主さん、あの、私、そこまで滝を見t」
「行くぞ」
「はい……」
やけに早足な飼い主さんの背中を見失わないように、私は滝に続く道を下りました……。
何度も背後にあるネコタクを振り返ると、ペコペコ頭を下げる猫さんと、相変わらず寝ているチェダーさん、間違って道祖神様に石を当ててしまったスウィーツさんが見えて―――思わず、走って引き返したくなりましたが、途中で飼い主さんに強く手を引かれました。
いつもは何かの弾みでスルっと解けてしまいそうな程軽く握りしめるのに、今回は切羽詰まったというか、耐えるようにきつく握りしめるし、雰囲気が恐ろしいしで泣いてしまいそうです……。
ちなみにその雰囲気の怖さは…「お呼びかね?」とひょっこり顔を出したモンスターがパッと何処かに消えていく程です。
(―――な、何か…お気に触ること、しましたか…?)
クエストの注文も一人で出来ない子だから苛々させたのでしょうか?ナルガ装備にビクつく情けない子だから、呆れてしまったとか……ちょ、飼い主さん早いです、早すぎま――――あっ
不意に、飼い主さんの身体が傾き(この時まで、私は飼い主さんが躓いたのだと思っていました)、慌てて引っ張ろうとした私ですが、当然飼い主さんの身体を支える事は出来ず……数歩、よろめいた所で、草の中。を越えて、
(落ち…てる…!?)
あまりの事に声が出ず、何も考えられなかった私がガクンと宙に留まれたのは、とっさに崖に生えていた木の枝を掴んだ飼い主さんのおかげです。
遠くでパシャンと飼い主さんの頭装備と太刀が落ちる音が耳を打ちましたが、私の全ては飼い主さんの顔に注がれていました―――…だって、
「…か、いぬし、さん。顔…真っ白です…」
「……ったんだよ」
「え?」
「何でもない…下手に動くな」
そうは言われても、風のせいでブンブンと私の身体は振り子時計のようになっているのですが…。
「飼い主さん…」
「……大丈夫だ、夜」
軋む木の音に私が青褪め、縋るように飼い主さんの名前を呼びますと、飼い主さんは努めて落ち着いた声で、空元気な優しい声で私の"名前"を呼びました。
飼い主さんは私がパニックに陥りそうになったり、ただただ私が泣きじゃくる時は決まってこの声で私の名前を呼ぶのです―――「黒」ではなく、「夜」と。
力むせいか白かった飼い主さんの頬に朱が浮かび、どうしようもなくて腕が震えても、飼い主さんは精一杯の虚勢を張ってくれていました。
「飼い主さん、私の事、離しても、構わないのです」
「馬鹿ッ何勝手に諦めてるんだ!」
「私なら大丈夫なのですよ。私が手を離せば、飼い主さんはきっと無事に上がれます」
「ふざけんな―――…ッ」
「ほら、手が…」
「うるさい!!」
木の尖った部分に手を刺してしまったのか、飼い主さんの腕に赤い雫が伝っているのが見えます。
それでも飼い主さんは腕を緩めてくれなくて。木が嫌な音を立てても、熱くて痛い手の温度は変わらずそこにありました。
「飼い主さん、」
「絶対、離す――――」
か。と続くのでしょう言葉は、下に落ちたせいで聞こえませんでした。
「黒っ!?」
ボキリと折れた木の残った部分に何とかしがみつけた飼い主さんですが、一瞬だけ腕の力が緩んでしまったのです。
私としてはこれでいいわけで―――先程まではガクブルしてましたが、腹をくくってしまえば心臓が痛いぐらいで済みます。
(ハンマー…持って来なくて良かった)
持ってても何の得にもなりませんし。双剣の方が役に立ったかも……あれ?
(飼い主さん!?)
何であの人――――落ちてるんですか!?
あのままなら無事に上がれたではないですか!私としてはそのまま上がって迎えに来て欲しかったのですが。
ぽけーっと飼い主さんを見れば、飼い主さんは風圧に負けじと手を伸ばそうとしていました。
これは手を伸ばすべきなのだろうかと思った頃には水面が迫って来――――た、なんて確認する時にはもう水の中。ちょっと痛い入り方をしてしまいましたが、まあしょうがないです。
私は兎の頃を思い出して水中でくるんと回り、近場の岩に足を着くと、水泡に埋もれるように沈む飼い主さんの所に跳ねました。
私は軽やかな装備というか生地だったのでこんな簡単に動けましたが、飼い主さんは重い装備な訳で―――ものすごくもがいています。
(飼い主さん…そんな風に動いたら攣っちゃいますよ…)
沈む身体に手を伸ばし、堅く瞑った目に指を這わせ―――飼い主さんはそっと、青い世界で目を開きました。
そして私の指に触れて、ぼこり、と何かを呟きます。
(何を―――…いえ、そんな事より上がらないと)
飼い主さんの頭を胸にしっかりと抱いて、兎の頃とは勝手が違う浮上の仕方でしたが、何とか無事に生還しました。
滝の激しい音に耳がやられそうなので、ゆっくりゆっくり離れます。
耳も身体も落ち着いた所で、飼い主さんは大丈夫かと見ればゆっくりと頭を左右に―――あ、水滴を払おうと頭を振、……ろうとして、固まりました。
(………ん?ああ、飼い主さんの頭、抱いたままだ)
そりゃあ水滴払えませんよね、と離れようとしたら、何故か飼い主さんが自分から離れて沈み始めました。
勿論、吃驚した私が救助しましたけどね。
*
インナー姿でもごもご潜り続け、やっと飼い主さんの太刀を見つけました。
頭の装備はもう見つけたのですけど、中々太刀が見つからなくて困っていたのです。
(―――でも、飼い主さん、可愛らしいのです)
探しに行くと言った時の飼い主さんの顔、気まずそうな顔だったのが、ごめんと謝ってから―――恥ずかしそうに、小さな声で「泳げないんだ」、なんて。
飼い主さんに出来ない事なんて無いと思っていたからとても新鮮で、ちょっと安心しました。
「……ぷ、はぁ…」
水中から頭を出して、ブンブンと頭を振っていると飼い主さんが遠くから私を呼んでいます。
返事の代わりに飼い主さんの太刀を持ち上げて見せれば、いいから上がって来いと返されました。
見れば飼い主さんの近くに焚き火があって、その前には防具が一式と飼い主さんの頭と上半身の装備が置かれています。
私に目を向けてばかりで火に当たっていない飼い主さんの為にも、私は急いで泳ぎます―――と、水中に美味しそうな魚が。
(飼い主さん、喜ぶかな…?)
太刀を先へ流し、ひょいっと潜って胸に挟んだ剥ぎ取りナイフ(念の為に入れて泳いだのです)を抜きますと、スピードを上げて近づいてグサリと一突き。
飼い主さん、今はだいぶ顔色も良くなりましたが……念の為にも、精をつけて頂かないと。
(あ、この石、綺麗なのです)
ついでに拾った鉱石の欠片を胸に入れて、私は太刀の陰に向かって上昇しました。
やっと太刀に手が届いて、ザバッと顔を出せば岸がもう近くで、……飼い主さんが近くにいました。何故か水の中に胴から下を入れて此方に歩み寄ってきます。
「黒ッ急に潜るな、心配するだろうが!!」
「ご、ごめんなさい…」
「早く上がれ、風邪引くぞ―――太刀寄こせ」
「はい……」
やっぱりツンツンしたままの飼い主さん。私の手から太刀を受け取るや装備の近くに放り投げ、私に手を伸ばします。
それに私がそっと手を伸ばせば、今度はあの時と違って強いけど優しく、痛くないように引っ張ってくれて。私が上がりきると、急いで火に当たれと背中を押します。
押して―――私の片腕、剥ぎ取りナイフに刺されて死んでいる魚に気付きました。
「……何だ、これ」
「お腹の足しにして貰おうと…あと…」
「ちょ、馬鹿ッなんつーとこに手を――あん?」
「落ちてたので」
「マカライトか…小さいが上質だな」
「差し上げます」
「お前が採ったんだからお前のだ。…ほら、さっさと火に当たれ」
「……(´・ω・`)」
しょんぼりと火に近づく私の傍で、飼い主さんは魚からナイフを引き抜いて鱗を落とし始めました。
何だかその背中が寒そうだったので、失敗したかなと―――ちょっと申し訳ないので、温めて差し上げようと、
「おい、調理中だから近づくな」
「……はい(´・ω・`)」
近づこうとしたらそう止められました。…私、する事ないのです。
しょうがないので丁度いい太さの枝を探し、手でいい形に折って水に付けて洗い、軽く火に焙りました。枝を探しに行く途中で茸(ちゃんと食用ですよ!)とかを見つけたのでそれも採集して一緒に洗いましたよ。
真っ赤な実の野苺を綺麗に洗って、同じく綺麗に洗った葉っぱの上に盛ると、茸を木の枝に刺して焙ります。
「おま……何処から拾ってきた?」
「あそこですよ」
「……お前って採集得意だよな」
「兎の頃となんら変わりませんからねえ…」
加工した魚に枝を刺して焼き始めた飼い主さんに丁度いい塩梅の茸を差し出すと、すごくガン見されました。信用されてないのでしょうか…(´;ω; `)
「食えるのか?」
「兎の頃、たんと食べてましたよ……その度にナルガに虐められましたが」
「何で凍土から孤島に出て来てんだよ」
「食料が無くて(´;ω; `)」
「切実だな……あ、甘い」
私がもしゃもしゃ食べたことに釣られたのか、飼い主さんも恐る恐る口に入れてくれました。
「凍土からここまで来るとか、身体は平気なのか」
「色んな子に虐められました…」
「それは何か想像できるんだが、そうじゃなくて―――気温の変化とか、…知らない土地での食料の見分け方とかどうしたんだ」
「ペッコ師匠が教えてくれました…唯一私に優しく接してくれた子です」
「師匠ってお前……」
「……でも、ペッコ師匠はだいぶ昔に亡くなられました……ぐすっ…」
「……狩られたのか」
「いえ、死因は食中毒です」
「ぶ―――っ!!!」
「か、飼い主さぁん!?」
思いっきり咽た飼い主さんに慌てると、急に茸を火にくべました。茸さ―――ん!!(´;ω; `)
「殺す気か!?」
「ち、違いますっ、ペッコ師匠は木の実を食べたのです。茸は山菜のお爺さんも大丈夫って言ってましたから、安心して下さい!」
「本当だな……?」
私が何度もコクコクと頷くのも疑いの目で見るので、私は黙って食べかけの茸を頬張って飲み込みました。
「ね?」
「遅行性かもしれない…」
「じゃ、じゃあ、茸はいいですからお魚を食べて下さいな。野苺もあります…」
しょぼんとした声で進めると、飼い主さんはしばらく無言で―――ややあってから、野苺に手を伸ばしてくれました。
匂い、形、色と見てから口に入れた飼い主さんは、凍土から孤島に行くまでの「気温の変化」について尋ねてきます。
「そうですねぇ、ちょっと暑いなーとは思いましたよ?」
「それだけか」
「耐えられなかったらざぶーんと水に飛び込めばいいのです。さっきみたいに」
「……もしかしてお前、兎の頃から…?」
「あれぐらいの崖、全然怖くないのです!」
むしろ後ろからド突いてきたナルガさんの方が怖かったです…特に目が。
「泳げる兎って…つーかお前、ナルガとやり合ったことあるのか?」
「最初は遊んでくれるのかなって……『死ねデブ』って吐き捨てられました(´;ω; `)」
「デブ……」
「ケルビと仲良くしてたら目の前でその子を食べるし……ドスファンゴと同じ匂いがしました」
「苛めっ子の?」
「はい」
仲良くしたかったのに一方的に私を追い立てるのです…と鼻を啜ると、飼い主さんは魚を噛み千切りながら「亜種同士なのにか…」と呟かれました。
「う?」
「いや、亜種同士なら仲が良いかと思ったんだがな」
「……私だって、猫パンチされて尻尾で殴られて崖から落とされなければ仲良くしていました」
「よく生きてたな」
「紫色の子に助けられたのですよ―――え?」
すいっと目の前に突き付けられた、齧られた跡があるお魚(上手に焼けましたー!)……これはもしや、食えという事なのですか…。
「お魚嫌いです」
「身体に悪いぞ」
「茸食べてるから平気なのです」
「いや、そうじゃなくて。もう少し肉を付けんと―――」
不意に飼い主さんの姿と声が掠れて、途切れて、目をパチパチとしたら元に戻りました。
「黒?」
飼い主さんはほんの二秒三秒の私の変化に気付いてしまったらしく、魚を引っ込めて私の隣に腰掛けます。
「顔赤い…のは火に当たってるからだと思ったんだが…おい、気分は?」
「…分からないです?」
「気分が分からないってどういう事だよ―――吐き気とかは?」
頭痛いとか、どうなんだ?と顔を覗きこむ飼い主さんの顔は心配げで。じーっと見ていたらやっぱり視界が霞んできて。
飼い主さんの顔がしっかり見えない事が何だか恐ろしくて、私はするすると飼い主さんに近づきました。
―――少し痛んだ髪、怖く見えるけど、とても優しい目。整っている何もかも。
……少しカサついた、唇。
(割れそう…)
割れたら痛いし、何かで湿らせませんと。―――そう思った私は、飼い主さんの唇に、
*
夜ちゃんのファーストキスが―――!…の、巻。
補足:
咲ちゃんはカナヅチで車酔いしやすい子です。船は平気なんだけどね!
夜の前では「強い飼い主さん」でいたいので、具合の悪さを出さずに耐えていたら「怖い」とか色々と夜に思われてるという……。
夜が泳げる子で助かったけど、男のプライド的にちょっと微妙な咲ちゃんでした。