イースが森の中に入るのは、昼食を食べ終わって二時間後程の事なのです。
本当は朝早くに遊びに行きたいけれど、朝は忙しい(何せお婆さんと二人暮らしですからね)と思うし、お昼時には一旦帰らないといけないし、…相手に気を使わせてしまうかもしれません。
事実、女の子はお婆さんの手伝いや籠を編む仕事をしていましたから、彼の考えは正しいのですけれど、―――それに感情が伴うかは、難しい所です。
だから今日は、逸る気持ちを抑えきれずに早めに家を出て、森への一本道へと歩……
「あっ」
―――森に入って幾らも経たないうちに、彼が取り返した薄ら汚れた帽子を被ったエリスと、ちょうど鉢合わせたのです。
彼女の声は初めて家に出向いた時と違って明るく、そっと帽子のつばを上にずらして顔を顕わにすると、照れ臭そうに笑いました。
「こんにちは」
「…………ちは」
ぼそぼそと挨拶をするイースに、やっぱり癖なのかおどおどとエリスは近寄ると、三歩程の距離を開けて「良い天気だね」と差し障りのない話題を口にしました。
「イース君は、どんな天気が好き?」
「……………」
「私は晴れが好きだよ。特に秋の日の晴れ。…変わってる、てお婆さんに言われるけど」
「………………僕も」
「!…そっか…!」
本当はイースはしとしとと降る雨が好きです。晴れはあまり好きではありません。…が、長く考え空気を読んでいくつもの返答の中から、結局安易な「同意」という選択をしました。
だけどその返答は間違いでは無かったようで、エリスは碧と金茶の瞳に柔らかい光を湛えています。
「…………用事?」
「えっ、ああ…薬屋さんに行ってね、注文された薬を渡しに行くの」
「…………」
「昨日初めて秘薬を作ったの。二個失敗しちゃったけど、三個成功したんだ」
「…………頑張ったね」
「うんっ」
ちなみに、「頑張ったね」は彼の本心です。
だって彼女のお姉さんがあっちこっちに被害を出しつつ、(主にお兄さんに被害がいきます)しっちゃかめっちゃかに調合している姿を見てきましたから、彼の中では「調合=危険行為」の式が出来ているのです。
思い返すと気が遠くなるような思い出を振り返っていると、女の子はバスケットの中から箱を一つ、取り出しました。
「これ、お姉さんに…お礼に、あの…」
「……………」
もじもじ、と顔を染めて差し出すその箱に、イースは受け取れずにいました。
―――この前エリスに話の流れ上「あのお姉さんはイースの姉弟」なんて教えてしまったばっかりに、エリスは間が開くとお姉さんのことを聞いてきては頬を染めるのです。
……はい、イースはそれがとても面白くありません。
エリスはイースにも"お礼"を渡して来ましたが、頑固者だったらしいイースは受け取りませんでした。
…が、今にも泣きそうなエリスにぎょっとして、のろのろと受け取らない理由を、恥を忍んで告げたのです―――駄目でしたが。
結局その"お礼"は折半案で二人仲良く食べる事にしたのでした…。
「……だ、め…かな…」
………やっぱり、彼は受け取ってしまいました。
「おじさん、注文通り持って来ました」
「おお、お嬢ちゃんありがとね。ふむふむ…うん、確かに。これお代ね」
「はい」
「次はこれとこれ、再来週までにはこんぐらい作っといてくれ」
「分かりました」
渡された注文票を手に、真剣な顔をするエリスから1.5m離れた所で、イースは箱を小刻みに揺らしながら待っていました。
彼の周り―――というか、店内は謎の植物に干した何か、天上から吊るされて網に乗っている何かと、少しばかりおどろおどろしいです。
「おまたせ」
―――若干引いていたイースにパタパタ近寄ると、エリスはおじさんに頭を下げて店の扉を開けます。
その瞬間の、ベルの軽やかな音と彼女の揺れる髪を、彼はきっと忘れる事は無いのでしょう。
「付き合わせてごめんね。…ええっと、」
「………………お金も貰った後だから、早めに帰った方がいいよ」
「……うん、ごめんね」
―――こんなに、天気が良いのに。
他の子供たちのように、そこらできゃっきゃと遊べなくて。…そんな意味を込めた謝罪に、イースは無言で首を振りました。
イースは内向的というか、あまり外で遊ぶのが好きではありませんでしたし、彼女の都合を考えれば当然の選択です。
「……森で遊ぼう」
ぽそりと追加して言えば、エリスはやっぱり嬉しそうに、だけど今度は帽子を目深に被ってしまいました。
「――――おい、そこの親無しと鬼畜女の弟!」
びくっと肩が跳ねたエリスに、胃がもたれてきたイース。……の、後ろで、鼻面を折ってやった男の子が仲間を連れてやって来ました。
怖がらせるように肩を張ってどすどすとこちらに向かってくると、男の子はまずイースの―――持っていた、箱を叩き落とします。
「あっ」
と、言ったのがイースなのかエリスなのか、二人には分かりません。殴られるのだろうと予想していたイースが当てが外れて思わず固まっていると、男の子は思いっきりイースの顔を殴ります。
「もっとやっちゃえー!」
「この前のお礼、そんなもんかよー?」
「ばーかっ」
どうにも、例の喧嘩でひ弱なイースに鼻面を折られて、この男の子は天辺からここまで転落してしまったようです。
イースはそこまで察して、何もせずに黙っていました。
「おらっ」
だってここは真昼間の、この前と違って村の端ではないのです。あえてやり返さずに居た方が断然良いです。―――なにより、そうしていればエリスには手を上げな、
「やめてっ」
い、……はず、だったのに。
イースの予想に反して、エリスは割って入って横っ面を殴られました。
今まで殴る蹴るといった直接的な(小石を背中に投げたりはしましたが)事はしたことがなかったせいか、それとも女の子特有の柔らかい頬に思いっきり入れてしまったせいか、男の子は「え、あ、え?」と言葉にもならない音を呟きます。
周囲の男の子も、黙り込むの半分、にやにやしているのが半分で、その中の一人が「もう止めんのかよ」と唆しました。
「!」
男の子はその言葉が魔法の呪文のように、もう哂われたくないばかりにその拳を振り上げて――――
「ヒャッハー!汚物は消毒だ―――!!」
………銀髪の、鍛えられたお兄さんの蹴りが腹に入って、吹き飛んでしまいました。
そして片手に持った酒を飲んで周囲を―――固まる男の子に、近くを通りかかったばかりの婦人も固まって、殴られたイースとエリスを最後に―――見て、唆した一人を指名しました。
「おい、そこのお前」
「えっ」
「ジャンプしろよ」
「…えっ!?」
………何故にここまで似ているのでしょうか…。
このお兄さんの姉、つまりイースの姉と、まったく同じ言葉で命じる所に、血のつながりというか何と言うか、姉弟なんだなぁとイースは現実から目を逸らしました。
「全部出せよ」
そんなイースを残して、運が悪くもコインが鳴ってしまったその子は恐る恐るお金を差し出し―――「隠してんだろ、あと四枚はあるな」と無駄に耳の良いお兄さんは笛を使うハンター初心者です。
ですがやってることはハンターらしくありません…けれど、女性人気のある人なので、声を聞きつけたお姉さん方が「きゃー!」と黄色い声を上げていました。
「おい、そこのババコ…ガキ!」
「へいっ」
「一発芸しろよ。ババコンガの真似な」
「……えっ」
それは小さい子でも知ってる、モンスターの名前です。
男の子は「えっえっ」とおろおろして、黄色い声を上げていたお姉さんたちのくすくす笑いに顔が赤くなって―――他の子達にぶつかりながら逃げ出しました。
他の子もつられるように逃げだして、「キャー!イーノ様格好良いー!」とお姉さま方が黄色い声を送る中、お兄さんは声援に手を振って弟の方に振り向きます。
そこではあまりのことに吃驚して声が出ないエリスにおろおろして、彼女の切れた唇から伝う血を拭ってやりたくて、色々考え過ぎて何も出来ないでいるイースがいて、……お兄さんは呆れた顔で近づくと、エリスに背中を向けました。
「せっかくの顔が台無しだ。おにーさんの家で冷やさないと」
「…………ごめんなさい」
くしゃ、と顔を歪ませて、エリスは同じく殴られたイースに頭を下げました。
イースは頭を下げさせてしまう自分の不甲斐なさとか、弱さを突きつけられたような気がして、何も言えませんでした。
やがて痺れを切らしたお兄さんがエリスを無理矢理背負って三姉弟の家に連れて帰ったのですが、……その間、イースはとても虚しくて惨めで、お兄さんの逞しく男らしい背中と、エリスの華奢な身体を見比べては、目頭が熱くなったのです。
だから、
「……エリス」
「…な、に?」
彼は、決めたのです。
「僕、君を泣かせない、…から、絶対強くなるから。だから―――」
*
「―――…でねwwwイース君www公衆の面前でwwうぇっうぇwwww」
「すっげーwwwパネェっすイース君wwww」
「今まで家族なのに似てねーって思ってたけどwwwこれはwww似てたかも分からんw」
「あーwwwそういやアンタ、酒場でだぁいすきなリノちゃんに告白したんだっけwwwロリコンwwwくたばれwww」
「ロリコンじゃねーっすwww…あ、おふくろお帰りー!」
「なぁにあなたたち、庭先で真っ赤になって黙り込んでる若いの放って何ニヤニヤしてるの?」
「あのねwwwイース君がねwww立派な大人にwww」
「大人の階段のーぼるーww君はまだーwww」
「シwンwデwレwラっwwさwwww」
「ちょっとー、それじゃあ分からないでしょー」
「だからー、………なのよ」
「えっ!?あの無口でシャイで将来大丈夫かしらと不安に思っていたあたしたちの末っ子が!?」
「ただいまー」
「「「お父さんお帰りー」」」
「お前らそんな砂糖にたかる蟻みたいに集まって何してんだ?」
「まあwww否定はしないwww」
「俺達クズ過ぎwwww…あんな、―――」
「えっうそ、お父さんショックー」
「「軽っ」」
「……ていうか、何だかんだ言ってリア充とやらっぽいあんたたちより、物静かなイースが先にゴールインかー」
「母さん気が早過ぎー。…あと、私は出来ないとかじゃ無くて私のお眼鏡にかなう王子様wwがいないからフリーなだけだからね」
「姉貴必死過ぎwww…俺は今アプローチ中なだけなんだからね!」
「はっはっは。お父さんがお前らの頃なんて毎日お母さんに求婚しては殴られに行ってたもんだ」
「やっだー!あなたったらー!」
「……母さんあんな容貌なのに昔ヤンキ―だったんだよな…」
「ヤンキ―母さんに惹かれるお父さん凄すぎ……」
「何か言った?」
「「いえ」」
*
青臭い初恋の話。