―――みんな、全部、死んじゃえばいいんだ。
そうしたら平等だろう?誰かが無いとか、有るとか、そういう事が無くなるんだから。
汚いも綺麗も一緒くた、全部が全部、意味も無くなるから、皆、無垢になれるとも。
(……俺にとっての無垢は、チェダーだった)
大体の人が―――チェダーだって、きっと無垢の言葉が最も似合うのは夜だと言うだろう。
疑わず慈愛がある、怖がりはしても憎む事を知らない―――その真逆の咲が好きになって、真綿で包んで自分の懐に隠すほど、愛した夜を。
だが夜は月明かりのように儚くて、あまりにもおぼろげで、掴む為には強引で無くてはならない。夜自身はそうではないのに、病的な恋が彼女の隣で微笑んでいる。
だから俺は、チェダーに無垢さを感じるのかもしれない。
陽のまどろみのような、夏に咲く花のように明るく笑うチェダー。その突き刺すような明るさに恋した。…手を伸ばしてみたかった。触れたら火傷してしまったけど、どうしても、…手を、伸ばしたい――――。
…………なのに、俺の恋した無垢は。
「は、はは………ははははっ!あっはははははは、ははっ、あはははははっ!!」
――――嗚呼、おかしい。目の前のデカイ顔してポカーンとしてるコイツが笑える。
絶対強者だなんだって言っておいて、不意打ちに目玉を潰されてぽかんと間抜け面!どこに恐れる要素がある!小汚い腐臭だらけの獣を、恐れるなど馬鹿げてる!
――――ほぉら逃げてみろ!鳴いてみろ!俺が後ろからお前を落とし穴に突っ込んでやるよ!そしたらチェダーの身を裂いたのだろうその爪を剥いでやる!剥がれた爪に突き刺して、唐辛子でも上からふっかけてやろうか?
―――逃げるなよ、そこでどんと構えてろ!絶対強者の名が泣くだろう?安心しろよ、目はもう潰さない。両目とも見えない相手を嬲ってもつまらないからな。俺が屠るその時まで牙を剥け!
――――そうしたらチェダーを噛み砕いただろう、その牙を叩き折ってやる!お前の斬り獲れる全ての個所を奪い、そこらに放置してやる!お前の生などまったく意味が無いのだと教えてやる!お前が喰らった人間の方が天ほども価値があったのだと哂ってやる!!
「ははっ……はは、哂ってやれるくらい、俺はッ」
………全然、怖くなんか、無いんだ。
怒りに染まった目も、真っ赤に湯気の立つ爪も、辺りに散らばる死体も。俺が一人で、病院から離れた所で一人、逃げ惑う人を背に、戦ってる事だって。全然怖くない。寂しく無い。
研ぐのを忘れても斬りつけたから、双剣の片方なんてぽっきり折れてる。もう片方なんてガタガタだよ。だけどここまで出来るんだ。下手すると咲を越えたかもな?
…そしたら今度は、俺を優先してくれるかな、大事にしてくれるかな。
……いや、チェダーは俺の事、大事にしてくれてた。―――本当は、分かってたんだ。
お前が本当に料理が駄目で、看病するにも俺の猫達は優秀で、何よりお前は身体が弱くて、俺には近づけなかった。
俺が迷子になった時も、山を荒探ししてモンスターを騒がせる方が危ないって、俺の実力を信じて、朝まで待ってたんだって、咲から聞いた。
咲を優先させるのも、自分の価値が低い咲は放っておくと死に急ぐから、まだ夜は咲のブレーキ役になりきれてないから。だからお前がちょくちょく面倒を見てるんだって、分かってたよ。
……お前が、俺の前では甘えん坊でいたかったんだって、分かってたよ。他の面ではまだまだお姉さん面だけど、俺と過ごす何でもない時を、女の子らしく。ただ甘えてみたかったんだ。
―――――ごめんな。もう、何もかも、遅いよな。
『駄目な子め―――☆』
―――――もう一度、そう叱って欲しいよ。
俺は泣きながら、吠える獣の首を掻っ切った。
*
「やった……やったぞ!ハンター様が倒してくださった!」
「ありがとうございます、ハンター様―――」
(………うぜぇな)
自分でもゾッとするほど、怨念の籠った声が、胸の内で吐き捨てた。
(お前らが救助の申請を出さなければ)
(お前らがそのまま野たれ死ねば)
(チェダーは、生きていられたんだ――――)
……そんな、俺の怨嗟の情を感じたのか、それとも血を浴びた俺に慄いたのか、周りの老若男女は皆、沈黙を守った。
そしてその沈黙を破ろうと、夢見心地の冷えた俺が、口を開く。
「きゃああああああ!!」
その音を掻き消して、絹を裂くような女の声が響き。
全員が一斉に見つめる先、現れたのは――――
「まだ一匹いたのか!?」
そう叫んだ老人が叫んで逃げて来た女の代わりに弾き飛ばされ、べしゃ、と壁に散った。
老人の死を合図に皆が散り散りに逃げる中、俺だけは突っ立っていた。相変わらず身体は熱く、陶然とした心地と麻痺しかけた恐怖だけがある。
(弔い合戦、てか?……面白い!)
―――お前も、あの獣みたいにその目を潰してやる!惨めな敗者に引き摺り下ろしてやる!
そう、走り出した俺は、最後に残った双剣にすら罅が入り、危うい片手剣となっても斬りかかった。
体力だって切れたし、ボロボロだったけど、―――もう、そんなの、どうでもいいんだ。
「うおぉぉぉぉぉ――――!!」
飛び上がり、全てを込めて、斬りつける。
ザパッと血が溢れるのと同時に、刃がキラキラと反射して、バラバラに割れた。
睨むその目に僅かの刃を刺し込み、咆哮と爪で吹っ飛ばされ、ゴロゴロと転がった。
――――もう、何も出来ない。
亜種の混沌とした叫びも、その血濡れた牙も。ただこの身に受けるしかない。……避ける気は、無い。
(あと少しで、殺せたのにな…)
―――考えなしが、と咲は眉根を寄せるだろう。ぼろぼろとその澄んだ瞳から、夜はたくさんの雨を降らせてくれることだろう。チェダーは……、
血生臭い体臭も遠く感じる中、俺は瞳を閉じる。
(迎えてくれるのか、怒るのか―――…どちらも、ありえそう……)
風を切る音に本能的に身を竦ませ、頬に熱いモノが伝って、
「――――――ガッ」
………銃声がひとつ、飛び込んで来た。
形容しがたい音に目を開けば、亜種の米神に、神懸かり的な程に的確に、……徹甲榴弾、が。
少しの間の後、爆発する亜種の頭の中身や血が俺にかかって、……俺は目を開いたまま、固まった。
小走りに駆け寄る足音は若干フラついてて、白い喉元に伝う汗から察するに、とてもとても大変だったのだと知る。
あの綺麗な、お揃いの装備は薄汚れてて、髪も頬も汚れてた。だけど、薄紫の瞳だけは力強く、美しく、正しく、――――俺を、射抜く。
「……まったくもう、スウィーツったら本当に、駄目な子なんだから」
俺の頬に張り付いた肉片を払い落して、手の甲で優しく血を落として、俺の願った通りに、叱ってくれた。
ライトボウガンを放り捨て、呆然とする俺をぎゅっと優しく抱きしめ、あやすように髪を梳く――――時折防具に引っかかる痛みが、
「――――ちぇ、…ぁ、ちぇだぁぁぁぁ!!」
子供に返ったようにわんわんと泣きだした俺の涙を拭き、髪を梳き、おでこにそっとキスしてあやしながら、チェダーは「ごめんね、」「本当にごめんなさい」と謝る。
「吃驚させちゃったね。怖かったね。……置いてって、ごめんね」
「…う゛、ぅぅぅ……!…な゛んでッ…っ…俺のごと!」
「スウィーツは双剣だから相性悪いと思ったの。それに手を怪我したくないって言ってたから…でも、……うん、何も言わなかったのは、気まずくて、…ごめんね」
「馬鹿っばかぁぁぁぁぁ!!」
「うん、ごめん。ごめんね――――私は悪い子だ」
……ああくそっ、こんな時まで立場が逆なのか。抱きしめたいというか抱きしめてるけど、これじゃあ縋ってるようなものじゃないか。
「泣かないでイリス、……私はイリスの笑った顔が好きだよ」
血でカピカピの唇に、チェダーはまるで子供同士のような、この場に似合わないほどに可憐なキスをしてくれた。
情報がこんがらがってる中で、不眠不休の医師が間違ってチェダーが重傷と書いてしまった事から始まり―――例の銀髪の死体は、兄妹でハンターをやっていた、街から派遣されたハンターの事らしい。
チェダー曰く、今回集まったハンターは暴れ回る二匹に踏ん張り切れず、遠方で狙撃していたチェダーを置いてほとんど全滅してしまい、……チェダーと共に来たハンターだけが(重傷ではあるものの)生き残ったとの事。
全滅はしたが亜種の方は弱っていたので―――寝ずにちまちまと遠くから狙撃していて、病院には一度も顔を出していなかった。(俺の)混乱も加わって、「チェダーが死んだ」になったワケだ。
――――俺は治療してもらった後、チェダーに膝枕をしてもらって、よしよしと頭を撫でられながらどんどん質問していた。
「あんな凶暴な、しかも回復したティガを一人で、…双剣で倒すなんて、イリスは凄い子だね」と喉元を撫でられて、ちょっと幸せだったのは、………内緒。
「……なあ、」
「んー?」
「………名前」
「ん?」
「お前の名前、……あの受注の用紙で、知った」
「そう」
「………」
文字にすると冷たいが、実際は春風のようなのどかな声だった。
俺は何度も失敗しながら、照れながら、ツンとして、上ずった声で、宣言した。
「でも、お前の口から聞かない限り、呼ばないから」
「へえ?」
「……よ、呼ばないから」
「そう」
「………」
「………」
「………………」
「………聞きたい?」
「………………………」
「…その、可愛らしいお口から、おねだりして欲しいな」
俺の荒れた唇にはもう、チェダーがリップをたっぷり塗ってくれて。
ぷっくりした唇に指を当てて微笑む姿は女神なのに、俺には小悪魔に思えた。
*
―――――と、病院内でイチャイチャしてたわけですはい。……だけど案の定、無理をし過ぎて体調を崩したチェダーと一緒に慌ててユクモ村に戻り、皆にド突かれたり事の顛末を俺が語ったりしてる間にチェダーは俺を置いて自宅に逃げた。
……その間ずっと、チェダーは煙管を咥えて部屋から出なかった。
逃げた亜種を追いかける為に全力疾走して(多少は近道を使ったらしいが)仕留めたりしたから、だいぶガタがきてるのだ―――。
………。
…………ていうか、全力疾走して息つく間もなく狙撃って、凄くね?
チェダーの家の居間で、俺は少し、いやかなり、泣きたくてしょうがなくなった。
でも腕は塞がってる――――俺の、何日もかかって出来あがった『贈り物』でな。
「ふぁ……おはよー」
「もう"こんにちは"の時間だろうが」
シャツの上に黒いガウン、ショートパンツから伸びる足に目がチラッチラしたけど、ぐっと堪えた。
チェダーは煙管を片手にソファに寝っ転がる。……客人を前に、いい御身分だな。
「今日のご飯は?」
「クラムチャウダー……かもしれない」
正直言うと、お前にこのプレゼントをどう渡そうか、何て言えばいいのか悩んで、何も考えて無い。
―――俺はゆっくりと身体を起こしたチェダーにずいっと、とりあえずプレゼントを差し出した。
上品に花が咲き乱れ、ビーズが煌めく、我ながら可憐なバスケットを。
「わあ…!可愛い!」
「そ、そっか…」
「丁寧だね、……本当に」
そっと花をなぞる指先と、見つめる瞳がとても女の子らしくて、俺はチェダー以上に頬を染めた。
掠れる声で「開けてみて」と言えば、わくわくした顔のチェダーが、今まで見た事ないくらい幸せそうに目を細めて、照れて、赤い頬に映える嬉しそうな唇に、―――俺はただただ、見惚れてた。
開かれたバスケットの中には手鏡だとか、小さなぬいぐるみだとか。あの日渡せなかったハンカチに、ブローチ、髪飾りを二つに、ヘリオトロープの花束を入れてある。
髪飾りは青に銀糸が入った花と、キラキラとした(超高値だった)紫の艶のある糸で作った蝶。真珠で大人っぽさを出したものだ。
ヘリオトロープは―――恥ずかしい事に、やっと花言葉の意味を、知った。
「ありがとう、イリス。本当に……ごめんね、これしか浮かばないんだけど―――本当に、嬉しい。…ありがとう」
目の端を輝かせながら、チェダーはそっとヘリオトロープを抱いた。渡しといてアレだが……チェダーの華やかさに、霞むような花だな、と今更ながらに思う。
だけどチェダーが指輪でも受け取ったように幸せに目尻を緩ませるから、……少し、救われた気分になる。
―――――…で、だ。…………どうやって、切り出そう。
不肖、イリス・スウィーツ。「結婚前提のお付き合いをしてください!!」と頭を下げに来たのだ。
ただ、前回の無理矢理キスの件をどうしようとか、結局俺ってチェダーより弱くね?甲斐性無くね?とか、……色々考えて、今も何て言えばいいのか分からない。
だからチラッチラと視線がチェダーの顔とむ…いやいや、あs……いやいや!か、顔とテーブルに行ったり来たり、口も開けたり閉じたりで照れ照れしてるのだ。
一人で勝手にあっちにこっちに考えが吹っ飛びんでいる間に、チェダーは髪に青い花飾りをつけて、蝶を乗っけて遊んでいる。超幸せそうに微笑んでる。…………駄洒落では、無い。
「―――――ねえ」
「はいッ」
ああああああ力み過ぎて返事が!!ていうかそのせいで纏まりかけた台詞がすっ飛んだ!!
「……イリスのさ、こういう手先の器用な所、気が利く所、大好きだよ」
「はっ……はあ、」
「照れ屋さんで、頑張り屋さんなんだけど、空回りしちゃうドジっ子な所も。怖がり屋さんで、でもやる時は勇気を振り絞って頑張れる子だって、優しくて頼れる子だって知ってるよ」
「………ん、」
「イリスの作るご飯は楽しみだし、世界で一番美味しいよ。いつも私の体調に気を使ってメニューを変えてくれてるって、知ってるよ。わざわざ掃除して、こっそり花を生けてくれる事も」
「………」
「私ね、お姉ちゃんだから、ここまで尽くされた事無かったの。嬉しくてね、初々しいイリスが可愛くて、わざと面倒かけたり、意地悪したりしたの。……楽しかった」
てへ、と笑うチェダーは―――あの水浴びで倒れた時、流石に若い子をたぶらかしてるみたいで、悪いと思って謝罪と忠告(悪いお姉さんに注意しないと痛い目みるわよ、的な)したかったのだという。
―――………だからって、何であの神話?嫌なチョイスすんなよ……ストレートに言ってよ…。
そういう顔をしていたら、チェダーは「だってイリスがチラチラ見てくるからさ。気付いてますよって意味も込めて、雰囲気から考えてあの話を」ああああああやめてください本当にすいませんでした!!!
「……だからね。―――ああもう、イリスのせいで何を言おうとしたのか、忘れちゃったじゃないの」
「俺のせいか…!……俺のせいだな」
「しょんぼりしないのー。…ふふ、だからね、」
ヘリオトロープの花束から一本抜いて。
白く綺麗な指先で、俺に差し出した。
「――――私の、嫁に来る?」
「はいっ!!」
「毎日美味しいご飯作ってくれる?」
「頑張りますッ!―――……あ、で、でもっ」
「ん?」
「その、代わり、…俺が。……………"イーシェ"の、一番だから」
「――――うんっ。イリスは私の一番大切な子だよ!」
…ちなみに、「……あれ、これおかしくね?」と気付くのは、三日過ぎてからだった。
でもまあ……幸せだから、それでいいかなって。思っちゃって。
俺は嫁の嫁として、今日もチェダーの為に、尽くすんだ。
*
アトガキ
番外編、オトメンの恋、無事終了しました!
例によって例の如く。「ほのぼのタグ詐欺」が発動した訳ですが……今回はミスリードに嵌らなかった事でしょう……うーん、ネタがありきたりだったかも。
もっとあっさりギャグ風味にしたかったのに、スウィーツ君のせいでだいぶ面倒な事に……大変読みづらかった事だろうと思います(笑
甘えん坊のスウィーツ坊やも、今回の事で大きく成長……した、のかな?
備考としては、スウィーツはやれば出来るのにヘタレで実力を発揮できない。今回のようにブチキレればストッパーが外れる訳です。…狂って好戦的になったとみせかけて、本当は怖がってる自分を鼓舞しようとしてる、って表現を、もっと上手く出せたらなあっていうのが心残りです。あとチェダーさんの水浴び時の言葉も。
備考2:
ちなみに覗き魔で胸と足に視線をチラチラしちゃう青いスウィーツですが、どこか坊っちゃんで良識ある人物であるが故に、スレてる咲ちゃんには勝てません。……どうでもよかったですかね?
お父さんを尊敬して家族仲も良いスウィーツと家族を滅茶苦茶にした父親を憎む咲ちゃんという対比も、もっと出せたらなー…。
スウィーツが咲ちゃんに劣等感を持っているのと同時に、咲ちゃんも幸せな人生を歩むスウィーツを羨ましがってる+それを認めたくないが故に冷たい、という裏設定もありました。
チェダーさんがスウィーツのどこに惹かれたのか、どうしてそこまで面倒を見てたのかという謎っていうか経緯というか、そこら辺もあんまり出せなかったなぁ……。
私は末っ子なので分かりませんが、友人曰く「お姉ちゃんって辛い」そうで、頼りになる反面、甘える機会が少なくてチェダーさんもそれなりのものを抱えていたのかもしれません。
咲×夜、チェダー&スウィーツの恋模様を書くのは大変でしたが、とても勉強になったといいますか……いい経験になりました。
これからも四人の番外編を続けていく予定です。ご希望の番外編ネタ、などがありましたらお伝え頂けると喜んで遅筆ながら書かせていただきたいと思います(これは無理、というのはあります。すいません……)。
※挿絵機能ができましたので、過去載せていた絵を置いていこうと思います。
ただ昔の絵+私自身の絵ですので、見苦しいです。読者様のイメージに合わない可能性も大です。
【挿絵表示】