雪の中からこんにちは、飼い主さん!   作:ものもらい

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9.新しい環境には中々慣れません

 

 

 

「う、うぅ、う――――きゃんっ」

 

 

ぐしゃぐしゃの顔で適当に走っていたら躓いて派手に転んでしまいました…。

そしたら膝が痛くて、手が痛くて、頭が痛くて、心臓が痛くて―――とにかく全身が痛いことにやっと気付いたのです。

 

今は月が隠れていて、星明りでは傷の程度も分からず…私は近くの木に身体を寄せて、夜の暗闇に怯えて震えるぐらいしか出来ませんでした。

 

 

(…飼い主さんの為にって、あんなに、なのに、私は空回りしてばっかり…っ…)

 

 

精をつけてもらおうと魚を獲ったら、それを捌く飼い主さんはとても寒そうで。喜んでくれるかなと思って渡した鉱石は、受け取ってもらえなくて。……喉が渇いたのだろうと思ってお茶を渡したら、気分を悪くさせてしまった。

 

 

――――……こんなつもりじゃ、無かったのに。

 

(『ありがとう』って、…ううん。ただ撫でてくれるだけでも良かった。感謝されたかった…必要とされたかった…)

 

 

飼い主さんが慌てて迎えに来てもらってからずっと、…ずっと。

あの雨の中、また寂しい生活に戻るんじゃないかって怯えた時から―――何でもいい、どんな事でもいいから、飼い主さんの役に立ちたかったの。

 

こんな私の面倒を見てくれる飼い主さんに、報いたかっただけなの………だから、嫌わないで。突き離さないで。

もう隣がいいなんて思わないから、煩わしいのだったら隅でひっそりとしているから。せめて飼い主さんの世界の端で、生きさせて欲しい。

 

 

(……ごめんなさい、したら、許してくれますかね……?)

 

 

多分、でも、会いに行き辛い。ひとまず飼い主さんの所に行かないで、チェダーさんの所に……いえ、それは迷惑ですよね…。

 

チェダーさんとスウィーツさんが私に良くしてくれるのは、ただ飼い主さんが頼んだからですもの。逃げ出した先で庇ってくれる間柄では無いでしょう。

 

 

(会いたいのに会いたくない、なんて…面倒臭い)

 

兎の頃は、そんな複雑な感情、知らなかった。

会いたいから会いに行く。ただそれだけの思考回路。――――なのに。飼い主さんの言う通り、「人間」は面倒臭い。

 

そんなぐちゃぐちゃな中、はっきりしているのは「帰りたい」という感情だけです。

 

でもやっぱり「何処に」帰りたいのか分からない…「凍土」に?それとも飼い主さんのお家?それとも……。

 

 

「――――ああもうッ!!」

 

 

ぐしゃぐしゃもやもやとした思いを吐きだそうと、私は無意識に身体を寄せている木を殴りつけ―――…そう、初めて物に当たってしまいました。

飼い主さんは物を大事にする人だから、当たってはいけないと教わっていて……教わって、いたのに。……破ってしまった。

 

殴られた個所は陥没していて、私の手は余計に血が出てて。とても痛かったけど、これは飼い主さんの言いつけを破った罰だと思うのです。

 

 

(…水で洗わないと、危ないって飼い主さんが……でも、動きたくない…)

 

 

またも面倒な思考に入りそうになって、私は―――それ以上考えるのをやめて、直感で動きました。

 

 

――――とにもかくにも、今は寝てしまおうって。

 

 

(もう少し寝心地が良い所を、探しましょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢さん、お嬢さん」

「………ん、う…?」

「お嬢さん、何故こんな所で眠っているんだい?」

「………」

 

 

――――気持ち悪い。

 

目の前のお爺さんの質問に応えたいのに、気持ち悪くて口が開かないです。

 

「しゃべれないのかな?」

「……」

 

その質問にふるふると頭を横に振って、何度か躊躇ってから、声を出そうと……出そうと…?

 

「……ぅ……え?」

「お嬢さん?」

「…あ…っ、…ぃ」

 

 

―――――声が、出ない。

 

 

出そうとすると息に混じった音になり、出しきった後は喉が痛くて、私はその現実にぼろぼろと涙が零れてしまって。

 

お爺さんが困っている雰囲気が分かるのに、謝る事も出来ないのです。

 

 

「……お嬢さん、何日前に此処に来られたのかな?ほれ、この棒で書いてくれぬか?」

「……」

「…そうか…――――あのな、お嬢さん」

 

 

「もう、一週間も経っているんだよ」と、静かな声が教えてくれたのです。

 

 

もっと言えば、私が寝床だと思っていた所はドボ…ど、どぼるべるく?とかいうモンスターの尻尾だったようで、のんびり歩くモンスターとその尻尾で死んだように眠っていた私を見つけたお爺さんは、尻尾から落ちてしまった私を見て、慌てて飛んで来てくれたのだとか。

 

それだけでも絶句モノなのに、お爺さんは思わず気を失ってしまう程の事実を、教えてくれたのです。

 

 

「それで、お嬢ちゃんが今いる此処は、『密林』なんだ」

 

 

みつりん、って、どこですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪が所々残る、少し懐かしさを感じる村、ポッケ村の端の端で、私はお爺さんの手伝いをしながら過ごすことになりました。

 

防具から温かくてもふもふして可愛い服に変えて、お薬を作ったりお店の番をする事が私のお仕事です。

あれからもう、一月は経ったのでしょうか……。

 

 

(もう嫌だ……飼い主さんの所に帰りたい…)

 

 

―――あそこには雪なんて無かった。こんなに寒くも無かった。知らない人と一対一で接したことすら無かった。少しだけ閉塞感のあるこんな村なんて大っ嫌い。もう嫌、帰りたい…。

 

 

(せっかく住まわせてもらってるのに…悪い子になっちゃいましたね、私……)

 

 

でも、でもしょうがないじゃないですか。お爺さんは優しいけれど、お婆さんがとても怖くて。お嬢さんには事あるごとに「大っ嫌い」と(初めて面と向かって言われました)言われ続け。

 

店の売り上げが良くなったから此処に置かせてもらえるけれど、何の足しにもならなかったら何処かに捨てられる環境の中で、私は何度も、子供のように笑っていられた昔の日々を想うのです。

 

 

飼い主さんの言う「馬鹿」とお嬢さんの言う「馬鹿」の寒暖差とか、私に色々持って来てくれる人達の声の優しさと、ほんの時々にしか聞けない、飼い主さんの優しい声の違いとか。…色んなものの違いを感じる度に、飼い主さんに抱きつきたくてたまらない衝動に駆られるのです。

 

だけど恋しいと思う姿を見せると誰かに咎められてしまうから――――私はいつしか本当に、声が出なくなってしまって。

 

 

住み慣れた凍土よりも寒い世界で、あの時の行動を恨むくらいしか出来ない。

 

 

 

(……あ、お客さんだ)

 

 

「―――、―――――?」

 

ただでさえ嫌いなこの世界で、私がどうしても好きになろうと思えない理由の一つにあがるのですが―――私はこの村の言葉が分からないのです。

 

名前程度しか分からないし、言葉を教わろうにも「生意気」とか「そんな暇があったら働け」とお婆さんとお嬢さんに言われ、お爺さんは仕入れの仕事が忙しくて教えてくれません…。

 

仕事に差し障りがあるので、商品の名前は教えてもらったのですけど……まあ基本的にお嬢さんがお客さんの相手を買って出てくれるので、私は黙ってお店の(何故か奥ではなくて人から見える所で)商品に囲まれながら、黙々と薬草を磨り潰し続けます。

 

ですがお客さんはまず最初に私に声をかけます。そして私は言われた通り、意味が分からないながらに微笑むのです。

この前、私に優しくしてくれる(扱ってる商品故か言葉が大体分かる)離れの店の女店主さんが「こんな何も分かっていない娘に厭らしい商売をさせて!」とお婆さんの胸倉を掴んでは怒鳴っていたので、あまりよろしくない事なのだとは思います。

 

 

(…厭らしいって最近よくお嬢さんに言われますけど、どういう意味なのか分からないのです…)

 

 

こてん、と首を傾げていたら、お客さんはお嬢さんとの会話を急に打ち切って、ニコニコとお薬を注文してきました。

頷いてお薬を取りに行こうとしたらお嬢さんに小突かれて転びそうになったけれど、何事も無かったかのような笑顔で、お薬を渡します。

 

素早く、相手の手が触れない内に薬を渡すと、隣でお嬢さんがお金を受け取りました。

そしてまた見えないように小突かれたので、私はそそくさと持ち場に戻るのです。

 

「――――、――!」

 

こっちおいでと手を招かれますが、私は変わらず微笑んでぺこりと頭を下げました。

相手はそれでも何かを言ってきましたが、お嬢さんに迫られて渋々何処かに去っていきます。

 

 

(……飼い主さんは、こんな私を見たら、どう思われるのでしょう…)

 

別に嬉しくも無いのに笑って、小突かれても平気そうな顔で笑って、何も言わず、心の中で泣きごとを言い続けて。

 

軽蔑されるでしょうか。可哀想だと思ってくれるのでしょうか。自業自得と、見向きもされないのでしょうか……。

 

 

(私の中には飼い主さんしかいないのに。飼い主さんの中に、私は……)

 

 

思わず俯いていたら、伸びた髪が煩わしくて。暗い気持ちのまま、髪を一房、ぼんやりと弄ってみました。

 

 

元々狩りに行く前から伸び始めていたのですが、この一月で肩を少し越す程度に伸びた黒髪を、私は切る事が出来ずにいました。

 

だっていつも、この髪を切ってくれていたのは飼い主さんなのです。恐る恐る切ってくれていたあの手じゃなきゃ、嫌なのです。

 

 

(もう…あの髪飾り、付けることも出来ないのかな…)

 

 

そう思うと苦しくて苦しくて、お嬢さんにまた小突かれるまで、私は静かに泣いたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな想いをするなら、あの時あの場で泣いてしまえば良かったんだ。…と後悔中の兎ちゃん

 

 

 

 

 


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