ラブコメ終了後の負けヒロインたちの後処理を請け負うことになってしまった   作:スポポポーイ

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非常階段と背後霊

 

 『恋の病』『恋煩い』『恋愛脳』

 言葉は違うし、意味合いも多少異なるけれど、広義に解釈すれば同義だろう。

 

 便利な言葉だ。都合の良い、現実から目を背けられる免罪符。

 どれだけ視野狭窄に陥っても、どれだけ暴走しても、”恋にがんばる女の子”というだけで許されてしまう。

 

 でもそれも、創作の世界の出来事だから可愛く思えるだけだ。俗に言う『※ただし二次元に限る』というやつである。

 現実世界で消し炭ダークマター料理を無理矢理食べさせたり、照れ隠しで理不尽に暴力を振るったりすれば、そんなのはただの事案でしかない。

 

 まぁ、昨今の暴力系ヒロインや理不尽系ヒロインへのざまぁで溢れかえる界隈を眺めていると、二次元でもそういう存在は肩身が狭いみたいだけれど。これも時代の流れか……。

 あれかな。現実社会での余裕のなさが創作の世界にまで侵食してきちゃってるのかな。ストレス社会の弊害がこんなところにまで……。あれ、どうして僕は『恋の病』から日本社会の闇というか病みを垣間見てしまっているのだろう。不思議だなぁ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ──昼休み。

 今日は教室で食べるらしい夢王くんたちに『僕は今日、食堂だから』とお暇を告げて、いつも通り心の故郷である非常階段へと向かう。

 昇降口を抜けて人気の少ない中庭をさっさか横切って、周りからは死角になっている校舎横に備え付けられた非常階段にそっと近づき、無心で階段を上る。

 

「うへぇ……」

 

 本来なら開放的なはずの最上階が、生憎の曇り空に閉ざされてどんよりと閉鎖的に感じるのはどうしたものか。

 予感めいたものを感じながら階段に背を向けるように座ると、僕は購買で買ってきた甘からず、辛からず、かといって美味からずなコロッケパンを頬張りながら、まるで自らフラグを建てるように半ば自棄っぱち気味にぼやいてみた。

 

「やだなー、こわいなあー」

 

 怪談話で有名なおじさんの本業が工業デザイナーだと知ったときの驚きたるや。趣味が高じてあそこまでマルチに活躍しちゃうとか、どんだけ才能豊かなおじさんなの。

 そんな益体もないことをつらつらと考えながら、この世のモノじゃない気配なんてまったく感じられない僕がコロッケパンを食べ終える頃、ついにそれはやってきた。

 

 

「……」

 

 

 どうやら僕は脇谷流非常階段式コロッケパン背後霊召喚術を会得してしまったらしい。

 なんて使い道のない無駄スキル。こんなんじゃ無能キャラとしてパーティを追放された挙げ句、実は最強スキルでしたなんてこともなく、そのまま落ちぶれて打ち切りエンド待ったなしじゃないですかやだー。

 

 この際、もう打ち切りエンドでもいいかなぁ……。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 来ると分かっていれば対処は容易い…………とでも言うと思ったか、残念ノープランだよ。

 

「……」

「……」

 

 まぁ、安定の無言である。

 お互いに背を向けて、相手の気配だけを背中で感じているだけの距離感。

 

 僕は手持ちの焼きそばパンの包装を丁寧に剥がしながら、ぼんやりと灰色に広がる空を眺めてみる。陽を隠す雲は風に流されることもなく、まるでこの非常階段の空気と同じように停滞して淀んでいた。

 

「……」

「……」

 

 そもそも僕には、彼女に掛けるべき言葉なんて最初から持ち合わせてはいないのだ。

 

 失恋を慰める?

 職務放棄を責める?

 過去のいじめの件を謝る?

 

 そんなのはどれも無意味だ。

 だって僕はそれらに毛ほどの興味もなくて、そんなことは長谷川さんも既知であるはずなのだから。

 

 僕の口から投げられる上っ面だけの空虚な言葉に、なんの価値があるだろう。

 

 彼女が求めた『断罪』という名の『救い』は、昨日、藤堂さんが既に施した。

 けれど、本当にそれだけが目的だったのだろうか。そうだとしたら、どうして彼女は最後に逃げ出したのだろう。

 

 思い返せば、昨日の長谷川さんは図書室に現れたときから違和感の塊だった。

 いま思えばそれは、昨日の昼休みの時点で、既に彼女が夢から覚めていたからなんじゃないだろうか。

 

 

 『もう、三学期なのね』

 

 

 あのとき長谷川さんは、確かにそうこぼしていた。

 まるで過ぎ去ってしまった月日に愕然としているように、ずっと心地よかった微睡みの世界から醒めてしまったのを自覚してしまったかのように……。

 

 同じ時間を過ごしているはずなのに、僕と彼女では流されている速度が相違する。

 

 僕にとって一日は変わらず二十四時間で、一時間は相変わらず六十分で、一分はいつだって六十秒だ。代り映えのしない、マンネリ化した、ただ一定の速度で流れていくだけの毎日。それは僕がこの世界を認知してからの不変の理で、協定世界時として普遍である基準時刻に他ならない。

 

 けれど、きっと長谷川さんにとっての時の流れは、夢王くんと共に過ごした日々の流れは、途轍もなく早いのだろう。

 昨年の四月から始まったラブコメ時空の歪みに溺れて、それこそ図書委員長に立候補したのがつい昨日のことのように思えてしまうほどに。いや、もしかしたらもっと前からなのだろうか。あの日、夢王くんに救われた瞬間から、長谷川翠が委ねる時間の流れはずっと加速し続けていたのかもしれない。

 

 気付けるタイミングなんて幾らでもあったはずだ。

 季節感のあるイベントなんて山のように転がっていたのだから。

 

 ゴールデンウィーク、体育祭、七夕、夏休み、文化祭、修学旅行、生徒総会、そして────クリスマス。

 彼女が必死に駆け抜けて、夢中で走り抜いて、そうして決死の覚悟で踏み出した告白によって、長谷川翠の加速し続けた時間は止まってしまった。

 

 年が明けて、三学期が始まって、それでも壊れたように止まり続けていた彼女の時計の針。

 それが今、ようやく現実世界と同期して、また動き始めたのかもしれない。

 

 あのとき涅さんへと手渡された、小さな犬のぬいぐるみキーホルダーによって。

 

「……」

「……」

 

 この薄く暗い寒空の下、僕と彼女だけが世間から切り離された非常階段の踊り場は、静かで狭苦しい二人の空間だ。黙して語らず、視線も交わさず、背中合わせの付かず離れずな昔ながらの脇谷紅大と長谷川翠だけの小さな世界。

 

 僕はゆっくりと瞳を閉じて、昨日の図書室での一件を振り返る。

 

 我に返って、図書委員会の惨状に気がついて、その逆恨みとして僕を責めた?

 いいや、違う。確かにこれまでの彼女の行いは愚かだったけれど、そんな人間があんな辛そうな顔はしないだろう。

 

 罪悪感に苛まれて、誰でもいいから断罪して欲しくて、そのために僕を煽った?

 間違いではない。けれど、きっと正解でもない。断罪を求める人間が、あんな打ちのめされたような表情で逃げ出すだろうか。

 

 真っ暗で、何もない、虚無のような世界。

 

 そこに僕は、長谷川翠という少女を映し出す。

 いつものように委員長キャラなんて言うレッテルのように貼り付けた適当な虚像ではなく、僕が知っている、僕が視てきた、同じ『中途参入組』として長年不干渉を貫いてきた彼女を召喚した。

 

 

 長谷川さんは、とにかく間が悪い。

 空気も読めないし、機転も利かない、予習復習には強いけれど、何かと不器用で、突発的な事態に陥ると途端にポンコツ化する。

 

 

 長谷川さんは、大して強くない。

 夢王くんの前では背筋を伸ばして凛としているけれど、彼の目が無いところでは油断して猫背になっていることがある。

 

 

 それが僕の知る、数少ない、長谷川翠という少女の表面上に浮かび上がる外面のちょっとした一面だ。

 しかし、そこまで考えて、ふと、そこまで思い浮かべることが出来てしまった自分にひどく驚いた。

 

 一切興味が無いはずなのに、僕は存外、他人のことをよく視ているらしい。

 これも、僕が抱える自己矛盾のひとつなのだろうか。

 

 

 不可解な言動と、チグハグな振る舞い。

 自分自身にも通ずる、寒々しい心の機微。

 

 

 冷たく振り下ろす冬の風に身を震わせながら、僕は溺れるように意識を思考の海に深く沈めていく。

 

 潜って、潜って、潜って────。

 

 深海のように光の届かない世界で、そこでダレかの影を視た。

 真っ暗な世界にぼんやりと揺れる、闇よりも尚暗い、淋しそうに僕を誘う蠢くモノ。

 

 

 

 

 

 『ごめんなさい』

 

 

 

 

 

 その言葉の意味を、声の主を、僕は知らない。

 

 

 けれど、理解できない深淵の世界で、たった一つだけ理解できたことがある。

 

 

 その影は、優しく笑って、哀しそうに泣いていた。

 

 

 ……チグハグだ。

 

 

 そしてつい最近、僕はこんな風に不可解でチグハグな表情を見た気がする。

 

 

「──────さい」

 

 

 怒ったような言動で、苦しそうに、泣きそうな顔をする少女。

 

 

「────んなさい」

 

 

 耳朶に届く微かな声に、僕の意識が急速に浮上する。

 パチリと瞼を開けた先、霞む視界に映るのは見慣れた非常階段の景色だ。

 

 一瞬、どうして僕はこんなところにいるのだろうかと呆けてしまう。

 

 だけど、それも背後から響いてきた声でハッとして我に返る。

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

 長谷川翠のか細い謝罪の声が、僕と彼女だけの世界にするすると(ほど)けて、雪のように儚く()け消えた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 彼女のそれは、いったい何に対する謝罪の言葉なのだろう。

 

 

「ごめんなさ…い……」

 

 

 訥々と紡がれる、たった六文字の単語。

 

 

「…ごめ、ん…っ……なさい」

 

 

 身につまされるような嗚咽混じりの謝罪に込められた彼女の真意は、なんなのだろう。

 

 

「ご…ごめっ……ごめん、な…さい…っ」

 

 

 昨日一昨日までの、僕に対する態度にだろうか。

 

 

「…さい……。ご、めん…っ……なさ…い」

 

 

 もしくは、図書委員長としての責務を放り投げた件だろうか。

 

 

「ごめん…ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 

 それとも、僕の知らない、彼女が知っている、脇谷紅大と長谷川翠の関係性が存在するのだろうか。

 

 

 

 『()()、何も言ってはくれないのね』

 

 

 

 彼女は”また”と言った。

 だとしたら、かつてもあったのだろう。彼女が僕に言って欲しいと希ったナニかが……。

 

 

「ごめんな…さい……ごめんっ…な…さ……い…」

 

 

 喉から絞り出すように奏でられる消え入りそうな声を聴きながら、ふと僕の脳裏に過るのは、彼女のひとりぼっちの背中だった。

 

 昨日の非常階段で直視した、華奢で猫背な小さい背中。

 ゲームセンターで目撃した、弱々しく震える背中。

 小学四年生の時に傍観した、淋しそうな背中。

 

 心底不思議に思う。

 

 いつも背を向け合っている僕と彼女なはずなのに、僕の記憶にある彼女の姿はいつも背中だ。

 

 

「ごめ…んなさ、い……」

 

 

 ならば、長谷川さんの記憶にある僕は、どんな姿をしているのだろう。

 

 

「……」

 

 

 天を仰ぐ。薄日の中でも自己主張するように白く輝く空へ、僕はそっと息を吐いてみた。

 小さく靄のように色づいた白い吐息は、次の瞬間には風に吹かれるまでもなく空気中に解け込むようにして有耶無耶になって、僕の前からその姿を隠してしまう。

 

 

 ────ごめんなさい

 

 

 非常階段を宛所不明のままふらふらと彷徨っては消えていく六文字の単語たちを目で追いながら、僕はずっと手に持ったままで冷え切ってしまった焼きそばパンを頬張った。

 パサパサのコッペパンに、油でギトギトな歯ごたえの無い麺、肉も野菜も入っていない薄いソースと青のりだけが絡められたパンの味は、お世辞にも美味しいとは言えない。そんなパンを一口二口とパクついて、側に置いてた無色透明で無味乾燥なミネラルウォーターで無理矢理に嚥下する。

 

 僕と長谷川さんの関係性は、ひどくシンプルで、とても簡潔であったはずだ。

 

 

 敵か、味方か。

 

 

 どうして、今更になってそんな事で惑うのだ。

 

 僕にとって彼女は、かつてのイジメの被害者で、夢王くんに恋するハーレムコミュニティのメンバーで、同じ『中途参入組』でしかない。

 彼女にとって僕は、かつてのイジメの加害者で、夢王くんのハーレムコミュニティに属する友人モブで、同じ『中途参入組』でしかない。

 

 それなのに、どうして今になって彼女は僕の後ろに居るのか。

 

 どうして──────

 

 

「ごめん、なさ…い」

「……」

 

 

 ──長谷川さんは、僕に赦しを請うているのだろう。

 

 

 

 結局、その後も僕は口を噤んだまま、僕と長谷川さんの二度目のランチタイムは、またもや昼休みの終了を告げる予鈴とともに幕を閉じるのだった。

 


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