ラブコメ終了後の負けヒロインたちの後処理を請け負うことになってしまった 作:スポポポーイ
放課後、例のごとく辛気臭い空気に包まれた教室を早々に退散した僕は、図書室へと続く廊下を一人歩いていた。
窓の外から漏れ聴こえてくる部活の掛け声を聞き流しながら、昼休みの出来事について思考に耽る。
「なんだかなー」
今さら僕と長谷川さんの間に友情や恋愛感情が芽生えるなんてことは、天地がひっくり返ってもありはしないだろう。
では昨日の一〇〇円ショップでのストーカー行為や、昼休みの突撃隣の昼ごはんは何なんだと言われると、答えに窮してしまうのだが。
信じて頼るから、『信頼』なのだ。
信用なんて微塵もないであろう僕に、彼女が頼るとは思えない。
なら、『協力』はどうだろう。
けれど、それもやっぱり違うと即座に棄却した。互いに目的が合って、そこに利害が一致するからこそ、手を取り合うのだ。お互いにそっぽを向いている僕らが協力し合えるとは思えない。
……いや、こんな思索はただの逃避だ。
本当は、彼女が僕に何を求めているのか、薄々ではあるが気がついている。
ただ単に、僕が面倒事を嫌って目を背けて、視ないようにしているだけだ。
不思議と人気のない廊下で、現実に背を向けるように瞼を下ろす。
真っ暗で、何もない、虚無のような世界。
そこにぼんやりと浮かび上がる虚像に、僕は現実を突き付けられているようでウンザリさせられる。
──小さくか細い背中が、淋しそうに佇んでいた。
小学校四年生のとき、あのとき僕が眺めていた背中と同じ、弱々しく震えるだけの薄っぺらい背中だ。
それは──────
「脇谷先輩!」
答えのない迷路を彷徨っていた意識が強引に引き戻される。
「え、あ……藤堂さん?」
「はい、どうも。藤堂さんです」
しぱしぱと目を瞬かせた先に、フンスッとしたり顔で仁王立ちしていたのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────
* * *
目の前で腕を組み、訝し気に僕を見据える藤堂さん。
身長が一六〇センチほどと僕より僅かに低いので、そうジッと見つめられると上目遣いをされている気分になってしまう。……勘違いですね、わかります。
ダークブラウンなボブヘアをひっつめ髪にしている彼女からは小ざっぱりとした印象を受けるけれど、短い後ろ髪をチョコンとうさぎのしっぽみたいに結わいているヘアスタイルは何という名称なんだろう。髪の長さは違うけれど、ファーストインプレッションから僕は勝手に銀ちゃんヘアと呼んでいる。死亡フラグにならないことを祈りたい。
学校の制服であるブレザーの下に白カーディガンを着込んでいる藤堂さんの容姿は、何ていうか普通だ。
多分これは夢王くんのコミュニティに属している弊害。本来なら各校に一人居るか居ないかというような飛びぬけた容貌の彼女たちを普段から眺めているので、目が肥えてしまったのかもしれない。藤堂さんだって普通に整った顔立ちをしているのだ。おそらく、密かにクラスの男子人気が高いタイプと思われる。
なんだか随分と久しぶりに会った気がする後輩女子に、僕がひとりでウンウンと頷きながら脳内人物品評会を開催していると、気難しそうに片眉を僅かに吊り上げて、藤堂さんが呆れを滲ませたような声音で苦言を呈す。
「なーんかフラフラした人が歩いてくるなって思ったら、まさかの脇谷先輩だし。しかも、よく見たら目を瞑ってますし。何やってるんですか? 精神修養の一環ですか? ……もしかして、今さら中二病でも患いました?」
出会い頭のマシンガントークやめて?
あと中二病扱いは割とダメージ大きいから心の底から遠慮したい。
別に僕は秘められし前世の記憶も、右手に封印された世界を滅ぼす力も、持たざる者には理解できない邪気に満ちた眼も持ち合わせてはいないのだ。
「ちょっと考え事してただけ」
「なら、高二病ですか?」
その遠慮のない指摘は、我ながらちょっと否定しきれなくて苦笑いするしかない。
確かに、そういう節はあるのかもしれないと思ってしまった。中途半端に達観して、曖昧で不確かな情報に縋りながらも目を背けて、何かを悟ったようなフリをしてふわふわと流されて生きているだけ。
「……反論してくださいよ」
肯定も否定もせずに、ただ苦笑だけを浮かべていた僕の反応がご不満らしい。
不貞腐れたように口を尖らせた藤堂さんが、しょんぼりと視線を床に落とした。
そんな彼女の態度にやっぱり僕は苦笑いして、そして急速に心が冷めていくのを実感する。
「そんなことより、部活は? 確か弓道部だっけ」
「……今日は顧問の先生が不在なんです」
話題転換兼純粋な僕の疑問に、彼女は何か言いたいことを無理矢理吞み下すようにへにゃりと眉尻を下げて答えた。
詳しく話を聞いてみると、どうやら弓矢という凶器になり得る道具を扱う特性上、安全管理の面から顧問不在時は弓道場の利用ができないらしい。それならそれで、部活として筋トレやランニングに取り組むとかありそうなものだけど、どうやら我が校の弓道部はそこまで真面目ではないらしく、これ幸いと部活はお休みになりましたと教えてくれた。
「それなので、今日は図書委員の仕事でもしようかと思ったんです。普段、放課後の業務は脇谷先輩ひとりに丸投げでしたし……」
で、図書室に向かっていたら僕に遭遇したと。
「別にそこまで気にしなくていいよ。代わりに、昼休みの業務は先輩と後輩の君らに丸投げしてるんだし」
「拘束時間が釣り合わないじゃないですか。わたしたちは昼休みの間だけですし、四人でローテーション組んだりできますけど、脇谷先輩は放課後ずっと一人なんですよ?」
「大丈夫だ、問題ない」
「それ、問題しかないヤツじゃないですか」
とは言え、都合が合えば彼女たちも放課後業務を手伝ってくれたりするので、完全に独りという訳ではない。
だから、僕としては本当に気にしなくても良いと思うのだけど、この律儀な後輩ははいそうですかという訳にはいかないのだろう。
とりあえず、このままこうして不毛な議論を繰り返していても仕方がない。
図書室への道のりを藤堂さんと並んで歩きながら、適当な話題で食いつなぐ。
「そう言えば、そろそろ図書の展示企画をやろうと思ってるんだけど、何かオススメの本とかある?」
「……また今さらですね」
「まぁね。けどさ、遅くなったとはいえ、一応は図書委員の恒例行事なんだから、やっとかなきゃなって思ってさ」
「ふーん……」
どうしてこう、僕の言動って胡散臭さそうな目で見られるんだろうね。
あれかな。これが普段の行いってヤツなのかな。……積み重ねるほど誰かと行動を共にしたことなんて無いと思うんだけど。
その後も展示企画のために買ってきたメッセージカードやマスキングテープを披露したら、彼女からは残念なものを見るような眼差しを向けられたりした。
どうやら、僕のデザインセンスに言葉もないらしい。ごめんね、頼りない先輩で。ちょっと背後からのプレッシャーに耐えかねて適当に選び過ぎただけなんだ。だから、本来の僕のセンスはもうちょっとマシなんだと思いたい(自己暗示)。
「それじゃ、先輩。わたしは裏で展示企画用の看板とか作ってますね」
「うん、お願い。通常業務はこっちでやっとくから」
誠に遺憾ながら、僕のセンスには任せていられないと後輩から戦力外通告を受けてしまった。
悲しいことにまるで反論できない僕は、カウンターに大人しく座っていつもの図書委員業務に勤しむことにする。
……そんなにダメだったかなぁ、ファンシー折り紙動物園計画。
* * *
利用客のピークも落ち着き、静謐が支配した図書室。
静かな空間で本に囲まれて、まるで僕だけが世界からポツンと取り残されたかのようにカウンターに腰掛けている。
それは、ここ一年近くの間に常態化した光景であり、僕としてはいつの日からか当たり前になっていた景色。
何を言っているのかって?
僕にもよくわからないよ。
ただ、そんな僕の日常はふらりと現れた彼女によって、あっさりと破られてしまった。
「……どういうことなの」
どういうことなんでしょうね?
それはこちらの台詞だと思うんだ。
「どうしたの、長谷川さん?」
「どうしたもこうしたも、書架は乱れているし、掲示物もほとんど更新されてない。過去の図書だよりを読んだけど、展示企画どころかほとんど何もしていないじゃない」
そう言って彼女が掲げてみせたのは、図書室の隅で誰に読まれることもなく深い眠りについていた図書だよりのバックナンバーたちを綴ったファイル。
おおっ、図書室の利用者どころか同じ図書委員ですら存在を忘れがちな彼らを発掘するとはお目が高い。彼らの生みの親として僕も鼻が高いよ。だから今夜は枕を高くして眠ろう。そういう訳で帰って良いですか? ……ダメだよね、知ってた。
「それに……」
苛立たしそうに顔を顰めた長谷川さんが、カウンターに置いてある書類ケースについっと指を這わせたと思ったら、その指の腹を僕の眼前に突き付けた。
「埃もこんなに溜まってる。掃除も疎かにしているのでしょう?」
いや、姑か。
思わず、口からポロッとそんなツッコミがこぼれ落ちてしまいそうだったので、慌ててお口にチャックしておく。だって火に油を注いで長引いてもイヤだもの。口は禍の元、はっきりわかんだね。
他にも僕以外の図書委員の不在や、代わり映えのしない所蔵本の品揃え、果ては司書教諭の怠慢問題と長谷川さんによる図書委員会への追及の火の手は留まるところを知らない。
言っていることは正論なので問題ないのだが、出来ればその有り難いご高説は口頭でなくお客様ご意見箱にでも投書しておいてもらえないだろうか。後日、校長室へポスティングしておくので。まぁ、図書室にお客様ご意見箱なんて無いんだけど。テヘペロ。
それにしても、長谷川さんの様子がおかしい。
いや、昨日今日と変なのは既知なんだけど、それに輪をかけて不可解だ。
僕が彼女について知っていることはそう多くはない。
きっと夢王くんなら、彼女と長年向き合ってきた彼なら、長谷川翠という少女の良い面や悪い面もよく知っているのだろう。だから、彼女の異変の本質も理解できるのかもしれない。
けれど、当然ながら僕は知らない。
同じ時間を過ごしていたとしても、彼女と向き合ってこなかった僕が知っていることは、長谷川翠という少女の表面上に浮かび上がる外面のちょっとした一面だけだ。
「……」
「……」
それでも、だとしても、ほんの少しだけ解ることもある。
仮にも小学校四年生から七年ほど付かず離れずやってきたのだ。
知りたくなくても、興味が無くても、嫌でも目についてしまうことだってあるのだから。
「…………何も言わないのね」
憤っている人間が、そんな辛そうな顔をするだろうか。
「
怒っている人間が、そんな泣きそうな顔をするものか。
「長谷川さん……」
──彼女が僕に求めているのは、『救い』だ。
けれど、きっとそれが求めている全てじゃない。
『救い』のその先に、彼女が希っているナニかがある。
それを知るためには、僕は長谷川翠という少女の内面に踏み込まねばならないのだろう。
しかし、それは僕の望むところではない。
僕はただ、当たり障りなく、大過なく、平々凡々とこの高校三年間を終わらせたいだけなのだ。
────自己矛盾。
結局はそれだ。
それを求むなら、見捨てるべきだった。
それを願うなら、請け負わなければよかった。
それを望むなら、友人になどなってはダメだった。
チグハグで齟齬だらけな自分の言動に、怖気が走る。
「っ……」
ゾワリと、ダレかが優しく僕の頬を撫でた気がした。
心胆を寒からしめるその指先が、僕の首筋をなぞる度に冷たい温もりで全身が包まれる。
視界が歪む。白と黒の世界の明滅に、息が詰ま──────
「……そんなに言ってほしいなら、わたしが言ってあげましょうか。長谷川先輩」
憶えのない記憶の淵を彷徨っていた意識が強引に引き戻される。
「……と、う…どうさん?」
「はい、どうも。藤堂さんです」
しぱしぱと目を瞬かせた先に、隠そうともしない敵意を滲ませて仁王立ちしていたのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────藤堂凛だった。
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