「…なぁ。」
「何?」
「さすがにこの店はきついんだけど。」
今、茂の眼前にある店はランチタイム限定でケーキバイキングをやっているレストランだ。茂が躊躇するのを見ればわかるとおり、内装が女性向けであるのはもちろん、外観も全体的にピンク色で統一されている。まるで男性客を排除するための結界でも張られているかのようだ。店に出入りする客は圧倒的に女性が多く、たまにいるカップルの男性はやはり気まずそうにしている。
彼の隣に立つあさぎは、茂のひきつる顔を見上げて、意地の悪い表情で笑っている。
「あんたもいい加減慣れなさいよ。あたしに付き合ってこういうとこ来るの何回目?」
「いや、慣れねぇよ。短髪マッチョでこんな店来てたら完全にゲイじゃねぇか。」
ぶふーっとあさぎは吹き出した。
「髭生やして、ぴっちぴちのタンクトップ着てきなよ。」
「そうなったらもう九割がたフレディ・マーキュリーじゃん。」
「あとの一割は音痴ね。」
「違うから。残り一割は性癖だから。」
はしゃぐ二人の背を細い腕が押した。
「いいから、早く入るよ。」
美女と野獣の掛け合いによって、注目されるのを嫌った虎子が恥ずかしそうに二人を店内に連れていくのであった。
あさぎはよくモデルだと思われる。似ているモデルがいるのではなく、そのスタイルと美しい顔立ちからそう勘違いする人が多いのだ。読者モデルぐらいならすぐになれるのではないかと茂は考えているが、あさぎにその気はなさそうだ。
彼女の隣に座る虎子もまた美人である。あさぎ以上に細い体型であり、顔立ちも整っている。ショートカットのその髪型とパンツスタイルの服装から、ボーイッシュな美形だ。幼馴染であるあさぎの男子人気はよく知っているが、虎子は女子からの人気も高そうだ。
対して美女二人の向かい側に座る茂はマッチョで短髪。身長も百九十センチ近くあるため、完全なる野獣である。この店の雰囲気に加えて、仮に茂が右耳に一つだけピアスをつけていたらもう間違いないだろう。
「んじゃ、私たちがケーキ取ってくるから、シゲはこれチェックしといて。」
そう言ってあさぎがテーブルに出したのは「るるぶ沖縄」であった。
彼らは沖縄旅行の計画を立てるため、三人集まったのである。
大量のケーキを一つにつき一口か二口ほど食べると、あさぎと虎子は次々と茂の皿に乗せていく。茂はそれらをうんざりとした表情を見せながらも、黙々と食べていた。女性二人は食べながらも雑誌をめくり、行きたい店や観光スポットをチェックしている。茂が黙々と食べているのは、興味がないからではない。食べるのと喋るのを不器用すぎて同時にできないのだ。だが、食べていなかったとしても、旅行計画に彼が口出しする事はほぼない。彼の案が採用される事はまずないし、彼女たちは現実的なスケジュールを組んでいるわけではない事を知っているからだ。旅行に向けて期待感を膨らませていることが楽しいのだ。そこに男の現実的主張は邪魔なだけである。これまでの二人との付き合いで、茂はそれを理解していた。
彼が二人の旅行についていくのは恒例の事である。運転手兼、荷物持ち兼、ボディガードの為だ。ボディガードと言われれば男として断れないし、茂の無尽蔵の体力は実に役に立つ。あさぎは彼の操縦方法をよく心得ており、思いのままに動かすことができる。魔性の女である。虎子も出会った当初は遠慮していたが、二人と付き合っていく内に荷物持ちなどは当たり前のように押し付けるようになった。便利だし、一緒にいて気を使う必要がない。自然と三人でいるのが当たり前になった。
「たくさん食べたし、もう出ようか。」
「ん、そうだな。」
「俺はもう甘いものは二度と食べたくない。」
会計は三等分ではなく、あさぎと虎子が少し多めに出している。二人はいろんな種類のケーキを食べたい、という理由で茂を残飯処理に呼び出している自覚がきちんとある。親しき仲にも礼儀あり、であればいいが、これも茂操縦のための手かもしれない。
店を出たあさぎと虎子は近くのコンビニの喫煙場所にいた。トイレに行く、という茂を待っている間、喫煙者である虎子が我慢できなくなったからだ。行き先を茂に伝えていないが、二人は心配していない。こういう事はよくあることで、不思議と茂は二人を見つけられるからだ。
「二人とも美人だねー。モデルさん?」
ケーキの感想を言い合っていた二人に話かかけてきたのは三人組のチャラそうな男たちだった。二人がナンパされるのは日常茶飯事だが、さすがに昼時に声をかけられるのは珍しい。虎子はすっと場所を移動してあさぎとナンパ男の間に立った。こういうさりげない格好良さは茂には持ちえないものだ。男前である。
「いえいえー、そんなんじゃないですよ。」
ナンパ目的だとわかっているが、どうせもうすぐ茂がやってくる。わざわざ邪険に扱う必要もないだろう。彼が来れば、自然に会話も終わらせられる。
「これから暇?俺らと遊びに行こうよ。」
「いえ、友達待ってるんで。」
「へぇ、その子も可愛いの?したら三、三でちょうどいいじゃん。」
これだけ美人の二人組の連れなら、間違いなく可愛いだろう。男たちは下心満載の笑顔を二人に向けている。
「んー、ねぇ、フレディは可愛いかな?美人かな?」
話を振られた虎子は煙草を灰皿に捨てながら答えた。
「まぁ、どっちかと言うと可愛い、だな。」
「フレディ?外国の子?」
白人美女を想像する三人組だが、フレディは男性名である。
「あ、来た。フレディ!こっちこっち!」
普段なら大声で呼ぶ事などしないが、彼を辱めるのが趣味であるあさぎはチャンスを逃さない。期待に胸を膨らませて振り返った男たちはそのままの姿勢で硬直する。それはそうだ。白人美女だと思っていたフレディがゴリゴリの短髪マッチョだったのだ。
「誰がフレディだ。すいません、なんかありました?」
前半はあさぎに、後半は男たちに向けた言葉だ。
「…いえ、何でもないです。」
「そうですか、では失礼します。」
フレディこと、伊藤茂はあさぎと虎子を連れて颯爽と去って行った。その背中には女を守るたくましい男のプライドで溢れていた。しかし、そのプライドは後にズタズタになるであろう。ズボンに挟まったトイレットペーパーの尻尾のせいで。
格好つけて歩く男にその事実を伝えず、腹を抱えて笑っている女たちを見て、ナンパ男たちは無性に虚しい気持ちになったそうだ。
「…あさぎお姉ちゃん、私のモンブラン、一口食べる?」
「いや、さっきまでケーキバイキング行ってたからいいや。」
「あんたさっきまでケーキ食べてたのに、私の苺食べたの!?信じらんない!スイーツの亡者!」
「けーきばいきんぐってなんだ?」
「ケーキ食べ放題のお店だよ。」
「てんごくか!?」