よつばと侍   作:天狗

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&試合

 伊藤家の剣道道場ではその日、普段以上に気合の入った掛け声が飛び交っていた。珍しく他道場との交流試合が行われているのだ。道場の中央で向かい合っているのは伊藤道場の一人息子である茂と、相手道場一番の実力者である加山だ。彼は茂より二十以上も年上だが、その動きは冴えわたっており、年齢による老いを全く感じさせない。二本先取で決着をつけるのだが、茂は既に一本取られてしまっている。彼にとって背水の二本目だ。

 お互いに掛け声をかけ、竹刀の先を当てる。茂が体を前後に動かすと、加山もそれに合わせて動き、相手に大きな攻撃を出させようと誘う。竹刀を下げて面や小手を誘い、竹刀を上げて小手、胴を誘う。そして掛け声によって攻撃する意思を見せ、相手が動くのと同時に空いた箇所に打ち込もうとするが、どちらも誘いに乗らない。結果的に膠着(こうちゃく)状態になっていた。茂は基本的に、圧倒的なスピードで一本取る戦法を得意とするのだが、加山にそれは通用しない。先ほども先制しようと動き出したところを、あっさりと小手に打ち込まれて一本取られたのだ。加山が一瞬だけ見せる隙に誘われないよう、集中して己を律する。

 その様子を、固唾を飲んで見守っている者が道場生の他にもいた。あさぎ、虎子、恵那の三人である。日頃から真面目な恵那は、茂を応援しているのか、手を組んで祈るようにして見守っている。先ほどまでカメラのシャッターを切っていた虎子も、写真を撮るのを忘れて戦う二人に見入っている。普段はくだけた雰囲気のあさぎですら、その空気に()まれていた。

 膠着状態を脱したのはそれからすぐの事だ。掛け声とともに加山が右足を踏み出した。それに合わせて茂が小手を打とうと竹刀を軽く振り上げた時、加山が後ろに下がった。これでは茂の竹刀は加山の小手に届かない。加山のフェイントに反射的に動いてしまった茂の失態だ。加山は竹刀を振り上げ、茂の面を狙う。常人が相手ならばここで一本取って加山の勝利に終わるのだが、茂は踏み込みの位置を無理やり右にずらし、全身を右に流した。それによって加山の竹刀は面を(かす)り、茂の左肩に当たった。

 「胴っ!」

 一際大きな掛け声とともに茂の竹刀は左から右へ一閃された。

 「一本!」

 主審をしていた伊藤の右手が上がる。一本取ったという確信を持ちつつも、油断なく残心して加山に竹刀を向けていた茂は、ゆっくりと中央に移動する。蹲踞(そんきょ)の姿勢で加山と向かいあった。集中力はまだ切れていない。

 「構え!始め!」

 休むことなく三本目が始まる。今回は最初から激しい打ち合いとなった。茂がその腕力と速度に任せて強引に一本を取りに行くのに対し、加山は巧みな体捌(たいさば)きで茂の竹刀を逸らし、致命的な一撃をぎりぎりで避けている。

 互いに面を狙い、ぶつかるのと同時に鍔迫(つばぜ)り合いに移行する。やはり力勝負では茂に圧倒的な分があり、加山は数秒ももたずに弾き飛ばされた。踏鞴(たたら)を踏んだ加山を見て、好機と読んだ茂は小手を狙う。

 「小手っ!」

 「面!」

 しかし、勝利を確信した茂の一振りは空振りに終わった。当たるかと思われたその瞬間、加山は狙われた右手を離し、左手だけで茂の面を狙ったのだ。

 「一本!」

 伊藤の左手が上がり、加山の勝利を告げる。

 道場を包んでいた緊迫した空気が和らぐのを感じて、あさぎ達三人はようやく深く息を吐く事ができた。

 

 「いやぁ、すごかった。」

 「あぁ、達人同士の戦いって感じだった。」

 あさぎ、虎子、恵那の三人は伊藤道場の庭に出て、試合の感想を話していた。道場では本日の練習試合の反省点についてそれぞれの道場主から話があるらしく、三人は遠慮して外に出てきたのだ。

 「シゲお兄ちゃん、負けちゃったね。」

 恵那が茂の愛犬であるアルタイルの頭を撫でながら言った。アルタイルは大人しくお座りしており、無抵抗である。恵那に口を開けられ、舌をつままれてもされるがまま。緩く尻尾を振っているのを見ると、嫌がってはいないようだ。

 「あの対戦相手の…加山さんだっけ?あの人が相当強かったんだね。今までも何度かシゲの試合見てるけど、あんな緊迫した空気の試合は初めてだったな。」

 「私はシゲお兄ちゃんが負けたの初めて見たよ。」

 「そっか。あいつが負け通しだった頃は、まだちっちゃかったから憶えてないのかな。」

 三人とも先ほどの試合の余韻を引きずっているのか、どこかぼーっとした様子である。

 「そういえば、写真は撮れたの?」

 そもそも今日三人が道場の練習試合に見学に来たのは、虎子が写真の練習をするためだったのだ。スポーツの写真を撮る時は、シャッタースピードを速くする等、風景の写真を撮る時とは別の設定や技術が必要になるのだ。あえてシャッタースピードを遅くして疾走感を演出するなど、撮影者のセンス次第で様々な写真が撮れるのも、カメラの面白いところだろう。

 「それがすっかり忘れててさ。私も空気に呑まれてたんだな。」

 そう言って虎子が見せたカメラのモニターには、他の道場生の試合の写真や加山が取った一本目の写真はあるが、茂が取った二本目の写真はなかった。

 「これじゃどっちの応援に来たのかわからないね。」

 「…一本目はまだ写真撮る余裕あったんだけどさ。それ以降はな。」

 「シゲお兄ちゃんには見せない方がよさそうだね。」

 恵那が苦笑しながら言い、三人は茂に写真を見せない事に決めた。

 

 本日の稽古が終わり、道場生が帰り支度を始める中、茂と加山は個人的に反省会をしていた。

 「今日は本当に負けるかと思ったよ。」

 「いえ、自分はまだまだ鍛錬が足らないと実感致しました。」

 柔和な笑みを浮かべて加山が言うと、茂は非常に堅苦しい言葉で返した。剣道の関係で年に一度から二度は会うのだが、その程度では彼の人見知りは治らないようだ。とは言え、この言葉遣いは慇懃無礼なわけではなく、茂は心から加山を尊敬している。彼の自分がなりたい理想の大人の男は、加山が元になっているのだ。女子供に優しく、きっちりと筋は通す。加山は男の中の男、現代に生きる侍なのだ。

 「そんな事はない。今回は正攻法で私から一本取ったんだ。着実に実力を身に着けていっている。私が負ける日もそう遠くないだろう。」

 「…ありがとうございます。」

 褒められて嬉しかったのが漏れるように表情に出てしまい、茂はそれを隠すために深く頭を下げた。

 「昔、胸をお借りした時は何とか一本取ろうと必死でしたから、少々無茶な戦法を取ってしまいました。」

 「ははは、あれを少々と言うかね。突然目の前から消えたと思ったら、背後から気配を感じて驚いたよ。」

 茂の突飛な行動に驚いて硬直したところを面に決め、初めて茂は加山から一本取る事ができたのだ。その後の試合では軽々と対応され、高く飛び上がってみても、開始の合図とともに高速で胴を打ちにいっても全く通用しなかった。

 「それはともかく、今後の課題は技術力よりも精神的な落ち着きの方みたいだね。動体視力や集中力は大したものだったけど、こちらのフェイントに引っかかった後の対応が未完成だね。君ほどの腕があれば、二本目の時のようにいくらでもリカバリーする事はできたはずだ。動揺が体の動きに出過ぎてしまうんだよ。」

 「確かにそうですね。でも、精神的な落ち着きってどうやって身につければいいんでしょう?」

 技術ならば練習すれば身に着くが、心の鍛え方など想像もつかない。

 「自信をつける事だよ。」

 「自信…ですか。」

 「そう。剣道にはもう自信持ってるね?」

 茂は加山の目を見てしっかりと頷いた。

 「にも関わらず、君のお父さんに聞いたところ、あまり堂々とした態度を見せる事がないみたいだね。少し謙虚過ぎる部分があると思う。」

 「確かに…友人の間では(もっぱ)らいじられてばかりです。」

 「剣道以外の生活で自信をつける事で、剣道においても成長できると思うよ。」

 茂は感銘を受けたのか、再び深々と頭を下げた。

 「ご教授ありがとうございます!」

 

 「そう言えばさ。」

アルタイルが遊び疲れて眠り出し、恵那はその場を離れてあさぎに寄って来た。

 「何?」

 「前に聞いたんだけど、あさぎお姉ちゃんって彼氏ができるとシゲお兄ちゃんに会わせるって本当?」

 以前、みうらと共に遊びに来た時に聞いた話だ。

 「うん、まぁ、付き合う前の人がほとんどだけどね。」

 虎子はその理由を知っているのか、頷きながら煙草に火をつけた。

 「どうして?」

 「まぁ、難しい事じゃないよ。あいつの周りってさ、悪い奴一人もいないでしょ。」

 「あさぎを除けばね。」

 うんうんと恵那は何度も頷いた。

 「それでね、意外と人を見る目があるんじゃないかなぁって。」

 「あー、それでシゲお兄ちゃんにどんな人か見てもらって判断してるって事?」

 「それより、自分のペットがなつくかどうかで決めてる感じかな。」

 恵那と虎子はペット扱いされる茂を不憫に思い、心の中でひっそりと涙を流した。

 「まぁ、シゲは顔に出やすいからな。駄目な奴だとナンパ男たちを見るような目をするし、大丈夫だったら人見知りしつつも警戒はしないからな。」

 「でもお姉ちゃんの事、自分の妹みたいに考えて判定が厳しくなってるかもよ。」

 「厳しいぐらいでいいのよ。私も変な男とは付き合いたくないし。それにどっちかと言えば、私の方が姉ね。」

 そこへ、稽古を終えた茂が庭に出てきた。その歩き姿は普段と違って胸を張り、堂々としている。

 「あ、シゲお兄ちゃん、お疲れ様。」

 「おう、どないやった?わしの試合は。」

 「何その喋り方。」

 茂の様子が少しおかしい。いつもなら「試合を見に来てくれてありがとう。」とか「待たせてごめんね。」とか下から来るタイプの彼が、理由もなく偉そうだ。

 「ちょいと堂々としてみようと思うてのう。話し方から変えてみたんじゃ。」

 「あんたのイメージの堂々としてる人って誰だよ。」

 「ほいで、虎子はわしの写真取れたんか?」

 おかしな様子の茂から虎子は少し距離を取った。カメラは縁側に置いてある。

 「いや、っていうかそもそもあんたの写真撮りに来たわけじゃないし。」

 虎子は茂の写真を撮りに来たのではなく、スポーツの写真を撮りにきたのだ。

 「どれ、見してみいや。」

 彼は縁側に置いてあるカメラを手に取ると、保存されている写真を見た。

 「何やコレ!わしが写っとらんやないかい!」

 「シゲ。」

 あさぎは茂の正面に立つと、彼の顔を見上げて言った。その声は低く、何故だか茂の額に冷や汗が浮かんだ。

 「な、何やワレ。」

 「お座り。」

 「何でわしがそないな事せなあかんねや。」

 口では強気に言いつつも、足はじりじりと後ろに下がっている。

 「お座り。」

 「はい。すいません。」

 茂の膝は易々と屈し、地面についた。

 その後、偉そうな理由を話した茂は三人に頭をはたかれ、加山の言葉の意味を噛み砕いて説明された。ようやく理解した茂は就寝中のアルタイルに顔を埋め、しばらく慰めてもらっていたと言う。

 

 「シゲー!しゃしんとっていいですか?」

 「あら、よつばちゃん。もちろん撮っていいよ。この打ちひしがれた無駄にでかい男を撮ってあげなさい。」

 「恥と後悔に(まみ)れた哀れな姿をな。」

 「さすがに可哀想じゃないかなぁ。」

 「あ!おおきいいぬがいる!こわ…くない!」

 「吠えないから大丈夫よ。」

 「よつばの興味すらも失ってしまったな。」

 「俺、もう何事にも自信を持てる気がしないです。」


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